十二月に入ってすぐ、二学期の期末テストがあった。今日はその返却日だ。
あと二週間ほどで冬休みに入るからか、校内には浮かれた雰囲気が漂っている。一方で、明らかにどよ〜んと暗い雰囲気を漂わせている生徒もいた。きっと、テストが思うようにいかなくて、冬休み中に待ち受ける補習のことを考えているのだろう。
もし今が一学期だったら、俺もそちら側だったかもしれない。しかし、今回のテストに関しては、俺は特に何も心配していなかったし、実際に、返ってきた結果は補習に引っかからない、平均点以上の点数だった。
しかし、俺はテストとは別の意味で気が重かった。その原因が放課後にあったため、時間が経つにつれて近づいてくるにつれて、どんどん気分が落ち込んでいった。
放課後になり、俺はトボトボと一人で人通りのない廊下を歩く。目的地は英語科。英語を教えている先生たちのデスクがある、小さな職員室のような部屋だ。そこで担任の斎藤先生が待っている。
今から俺を待ち受けるのは二者面談だ。この前提出した進路志望調査票の結果をもとに、担任と面談をしなくてはならない。それが、どうも不安で心配で、心が沈む。
時刻は十五時二十分。面談は十五時半からなので、あと十分ほど時間がある。かといって、特にやることもない。俺は英語科の部屋の前の廊下にある椅子に座って、時間を潰すことにした。
「あら、ほまれじゃない」
「みなと……」
声をかけられて顔を上げると、そこにはみなとの姿。少し離れたところにある椅子に座っている。
「みなとはどうしてここに?」
「進路の二者面談よ」
「俺と一緒だ」
どうやらみなとも俺と同じ用事だったらしい。みなとが座っているのは英語科の前ではなく、その隣の数学科の前だ。そういえば、A組の担任は数学の先生だったな。
「……なんだか元気がないみたいだけど」
「うん……正直、何を言われるかわからないから」
「結局、どの大学を書いて出したの?」
「みなとと同じだよ」
大学は同じだが、受けるのは少しレベルの低い学部だ。それでも今の俺にとってはレベルが高いことに変わりはない。
一番不安なのは、『実力に見合っていないから変えた方がいいな』とか言われてしまうことだ。一応、その大学についていろいろ調べたが、調べれば調べるほど自分には無理な気がしてならなかった。それでも、ネットの情報だから、と、希望的な観測を持って、俺はプリントにその大学の名前を書いて提出した。
だから、否定されるのが一番怖い。それも、身近にいる人の中で、最も受験事情に詳しい担任の先生に。否定されたら考え直さなければならないが、それはみなとと同じ大学に行きたいという理想に真っ向からぶつかることになってしまう。
「……ほまれなら大丈夫だと思うわ。テストの結果、よくなってきているんでしょ?」
「まあ……そうだけど」
今回も苦手科目はみなとやみやびに助けてもらった。その結果、今回のテストではなんとか平均点まで点数を押し上げることに成功した。
「みなとはどうだった?」
「……今回はうまくいったわ」
「お、何位?」
「……総合七位よ」
「スゴいじゃん!」
そりゃ、学年七位に教えてもらったのだから、成績も上がるわけだ。
「ほまれは?」
「……百十位くらい」
「上がってきたじゃない」
それでもまだ上位三割に届かないくらいだ。
「そのくらいなら、この学校のレベルなら十分可能性あるわよ。先生にもそう言われると思うわ」
「……そっか」
そう言われることを祈ろう……。
すると、廊下の向こうからコツコツと誰かが歩いてくる音が聞こえた。そちらに目を向けると、手に書類を持った斎藤先生が向かってくるのが見えた。俺の姿を見ると駆け足になる。
「遅くなったな、すまん」
「いえ、時間どおりですよ」
時刻は十五時半ちょうどになったばかり。斎藤先生はみなとの方を見ると、彼女にも声をかける。
「丹羽先生はあと五分くらいで来るそうだ」
「わかりました」
「よし、天野、中に入れ」
「はい」
俺は英語科の部屋の中に通される。この部屋に入るのは初めてだ。クラスの英語係でもないし、ここの掃除担当でもない。英語科の先生に用があることもない。
部屋の中には、デスクがいくつか並べてあって、部屋の中央で島を形成している。そして、それぞれのデスクの上にはプリントやら教科書やらが載っている。その中には明らかに私物らしきものもあって、職員室よりも私有空間度合いが若干強めだった。壁際には高い棚があり、その中に問題集や資料がズラッと並んでいる。窓際にはシンクがあり、コーヒーの空き缶が無秩序に並んでいた。
「まあ、そこに座れ」
「……はい」
斎藤先生は缶コーヒーを飲みながら、ガサゴソと資料の山から一枚の紙を取り出した。先生はそれをじっくりと眺める。
少し居心地の悪い無言の時間が過ぎていく。見ているのは俺の進路志望調査票だ。何を言われてもいいように心の準備をしておこう……。
「ふむ」
先生は缶コーヒーをトン、と机の上に置いた。そして、俺をまっすぐ見る。
「いいんじゃないか、頑張れよ」
「……いいんですか?」
意外な答えに、俺は思わず聞き返してしまう。正直、肯定する答えが返ってくるとは思わなかった。
「もちろん、血の滲むような努力が必要にはなるが……。それでも、不可能ではないと私は思う。実際、何代前かの先輩で、高二の今頃、今の天野くらいの成績で受かっていった奴がいるからな」
「そ、そうなんですか⁉︎」
「ああ。だから、不可能なんて言わないさ。それに、最近成績だって上がってきているじゃないか。苦手な数学だってよくなっているし」
「まぁ……少しずつですけど」
「それを続けていけば、受かるのも夢じゃないと思うぞ。もちろん、努力を怠らないことが前提だが」
「はい」
俺と同じような状況の先輩が受かった、という事実を聞いて、ちょっと自信が湧いた。
「同じ志望校の奴を探して、一緒に勉強するのもアリだな。お互いモチベーションも高まるだろう」
「そうですね」
実際今やっているし……。お互いというより俺が一方的に教えてもらってモチベーションを上げてもらっているだけだけど。
「たとえば、A組の古川とか同じだったような……。あぁ、そうか。だから志望校が一緒なのか」
「え、あ、そ、そういうわけでは……」
「ごまかさなくてもいいぞ、お前らがデキてることは有名だからな〜」
「え、そうなんですか⁉︎」
「当たり前だろ、先生は生徒を見るプロだぞ」
先生にはすべてお見通しだった。まあ、入学したての頃からずっと付き合ってるから、バレているだろうとは思っていたけど……。
「ま、とにかく、死ぬほど頑張れば受かる可能性は十分あるから、そこまで悲観的になる必要はないぞ」
「わかりました……勉強頑張ります!」
「うむ。これで面談は終わりだ」
「失礼します!」
俺は部屋を退出する。ちょっと浮ついたような、嬉しいような、そしてやる気に満ち溢れた気分で、俺は家路についたのだった。
※
「ただいま〜」
「おかえり、お兄ちゃん!」
「おかえりデス〜」
家に帰ると、早速みやびとサーシャの声がする。
リビングに行くと、みやびがソファーの上でアイスバーをチュパチュパしゃぶりながらぐでーとしていて、サーシャはダイニングでポテトチップスを食べていた。俺が遊園地で貰い、保管していたやつだ。
そういえば、と気になって俺はサーシャに尋ねる。
「サーシャってさ」
「なんデス?」
「テストの成績ってどうだったの?」
すると、彼女は得意げな顔になった。
「聞いて驚くなデス……学年五位デス」
「え⁉︎ マジ⁉︎」
「マジデ〜ス」
サーシャはどこから取り出したのか、テストの個票を見せてつけてくる。確かに総合順位の欄には、『5』という数字が堂々と印字されていた。
よく見ると、国語は平均点付近なものの、その他の教科はほぼ満点だ。さすがはスパイに選ばれるだけ優秀だ、恐ろしい奴だ……。
というか、みなとより頭がよかったのかよ。みなとがサーシャの成績を知ったら張り合おうとして勉強に燃えそうだな。
「ほうほうほにいひゃん」
「何?」
「……明日、定期メンテナンスの日だから」
「あ、うん。わかった」
「その時にいろいろ改造する予定だからよろしく〜」
「うん……え?」
生返事をしかけて、その不穏な発言に、俺は思わず聞き返してしまった。
「何をするつもりだ?」
「その時になったらわかるよ〜」
みやびはやる気がないのか、それしか言わなかった。
いろいろ改造って……いったい何をする気なんだ。せっかく山場を乗り越えたと思ったのに、新たな不安材料が降ってきたのだった。