「ただいまー……」
部活を終え、家に帰る。手洗いを済ませると、いつもどおり夕食を作ろうと台所に向かう。
我が家はリビングとダイニング、そして台所が一体化している。そのため、リビングを経由することになるのだが、そこで俺はとんでもない光景を目にしてしまった。
「み、みやび……⁉︎」
「……どうしたの、お兄ちゃん?」
リビングのテーブルに向かって正座しているみやび。テーブルの上に広げられたテキスト。どう見ても、みやびは勉強している最中だった。
「お前、勉強しているのか……⁉︎」
「なに? 私が勉強していると何か不都合でもあるの?」
「いや、全然ないけど……」
なんというか、スゴく意外だ。
俺はみやびが勉強しているところなど、見たことがない。なぜなら、彼女は天才ゆえに、ほとんどの物事を一瞬で理解してしまうからだ。それゆえ、世間一般で『勉強』と言えるような行為をする必要がない。
そんなみやびが勉強しているなんて……。いったいどれほど難しいことをやっているのだろうか?
「何を勉強してるの?」
「これ」
俺がそう聞くと、みやびはテキストの背表紙を見せてくる。そこに書いてあったのは、俺が今通っている高校の名前だった。つまり、みやびが今やっているのは……。
「高校受験しようとしているのか?」
「そうだよ」
なんと、みやびは高校受験をしようとしているらしい。
みやびの実力であれば、高校受験なんぞしなくても、高卒認定を取って、大学に飛び級で入学するとか、あるいは海外大に入学するとかできそうだけど……。どうして高校受験をしようと思ったのだろうか。しかもよりによって俺の通っているところを。これよりレベルが高いところなんていくらでもあるのに……。
俺は視界を可視光モードから赤外線モードに切り替えると、みやびの顔を見る。……とりあえず熱はないようだ。ただ、念のため手をみやびの額に当てて確認する。
「……どうしたの」
「いや、熱でもあるのかな……って」
「ないよ。私は正常だよ」
どうやらみやびは本気らしい。
「それにしても、どうして高校受験をしようと思ったの?」
「……いろいろあるけど、高校に行きたくなった、からかな」
「でも前に、学校に行ったところで授業つまらない、わかっていることの繰り返しになっちゃう、って言ってなかった?」
「よく覚えているね、お兄ちゃん……」
みやびは呆れたような顔をした後、ちょっと顔を赤くした。
「……まあ、あの時は私も若かったってことだよ」
「今もそんなに変わらないだろうが」
「……ちょっと拗らせていたの」
「中二病だったってことか」
「……それでいいよそれで。あーもう、忘れて忘れて!」
逆ギレしだした。捻くれていた自分を思い出して恥ずかしくなっているらしい。
「とにかく、私は気づいたの! 皆と同じ年で高校に通える時期っていうのが、人生の中では一度しかないってことに!」
「確かにそうだな」
「私はね、お兄ちゃん。やっと学校に通う楽しさというのがわかったんだよ……。確かに授業の内容はほとんどわかりきっていることだけどさ、そこでしか作れない人間関係というのがあるってこと。もちろん研究もしたいけど、私は同年代の友達も欲しいし、青春を過ごしたい。だから、高校に通うことにしたの」
「……そっか」
きっと、みやびなりにいろいろ考え抜いた結果なのだろう。
「で、なんで俺と同じ学校にしたの? みやびならもっと上のレベルでもいいと思うんだけど」
「なぎさが行くから」
「なぎさちゃんが行くからって……」
他人任せかよ、と言いかけて、俺は口をつぐんだ。俺だって、進路を選ぶとき、まったく同じようなことをしようとしているじゃないか。俺も人のことを言えない立場であることに気づいてしまい、バツが悪くなった。
それでも、みやびは俺の言いたいことがわかってしまったらしく、はぁ、とため息をついた。
「一応、ちゃんと考えた結果出した結論だからね。体育祭や文化祭にも行ったし、学校の雰囲気がよかったっていうのも理由の一つだし、それにお兄ちゃんが通っていて、学校の情報を入手する時も何かと便利だからね。どうせなら友達と一緒に楽しい学校生活を送りたいし」
「そっか……悪かった」
これも、みやびなりにきちんと考えていたようだ。
ところで、と今度はみやびの方から俺に聞いてくる。
「お兄ちゃんは大学の志望校とか決めてるの?」
「え?」
「そろそろ大学受験の一年前でしょ? ……もしかして就職? それとも専門学校?」
「いや、一応大学には行くつもりだけど……」
「どこ大?」
「…………」
俺は言葉に詰まる。みなとと同じ大学をここで言ってもいいのだろうか。俺のレベルとかなり違うからみやびに馬鹿にされるだろうか……。以前勉強を教えてもらっているため、みやびは俺の学力をよく知っている。それとも『悩み中』とごまかすべきか……。
「もしかして、みなとさんと同じ大学……とか?」
「え」
「……あーそういうことねー完全に理解した」
みやびはふふんと少しニヤニヤしながら俺を見る。
「お兄ちゃんだって人のこと言えないじゃん」
「……うるせぇ」
「まあ、優秀なみなとさんのことだから、大学もたぶんレベル高いんじゃないの?」
「そうだよ」
俺はみなとの志望している大学の名前を言う。それを聞いて、みやびは驚きで目を見開く。
「スゴいね……まさかそんなレベルのとこを目指しているとは思わなかったよ」
「みやびでも入るのは難しいか?」
「うーん、ちゃんと勉強しないと落ちちゃうかも」
「そ、そこまでなんだ……」
「研究と受験勉強はベクトルが少し違うからね」
みやびにそう言わしめるほどなのだ。やっぱり俺が目指すなんておこがましいのかもしれない。
「で、お兄ちゃんもそこを目指しているってことだよね」
「……まあ、そうだけど」
「そっか、頑張ってね」
意外にも、みやびは特に何もコメントすることなく、それしか言わなかった。
「もしわからないところがあったら聞いてね。まあ、できる範囲で協力するから」
「お、おう……ありがとう」
意外な反応に俺は面食らってしまう。
「……まさか、『お兄ちゃんなんてそこに受かるはずないじゃん』とか言うと思った?」
「いや、そ、そんなわけないぞ〜〜〜」
「嘘つけ」
「……正直、思ってた」
「はぁ……お兄ちゃんの中の私ってば、どんだけ性格悪く描かれているんだろう……。あのね、別にお兄ちゃんがどこに行こうが、私は応援するだけだから。そこがお兄ちゃんに不釣り合いだとか思ってないからね。やればできる人間だって私は知っているから」
「そ、そうか、ありがとう……」
なんかそう言われると照れるな……。
それに、みなとに言ってもらえたことをみやびにも言ってもらえた。もしかしたら、俺はやればできる人間なのかもしれない。
ただ、それを鵜呑みにしてはいけない。もっと大学について、自分でいろいろと調べてから決めるべきだ。みやびだってそうしているじゃないか。俺もそれくらいはやらないといけない。
ちょっと心のモヤモヤが晴れた感じがして、俺は若干の進展を感じるのだった。