「よし、それじゃあ紙配るぞー」
キャットフェアが終わり、猫耳も尻尾も取ってもらった数日後の、ある日の朝のホームルームのことだった。
担任の斎藤先生は唐突にクラスにプリントを配り始める。
いったい何のプリントだろう? 受け取ったプリントを一枚取って回して、それに目を落とす。その間に、先生はプリントについての説明を始めた。
「見ればわかると思うが、進路志望調査票だ。もう高二の冬、受験まであとほぼ一年だ。そろそろ自分の進路についても真剣に考えなければならない時期だろう。すでに決まっている人もいるだろうが、まだ決まっていない人もいると思う。なるべく具体的に書くように。全部は埋めなくていいぞ。来週提出だ。その後に一人一人と進路面談するからな」
そう言って、先生は去っていった。
俺は改めてプリントに目を落とす。プリントには第一志望から第五志望までの欄があり、それぞれに進学、就職、その他、と書かれている。そしてその右の列には、大学名や会社名を具体的に書く欄があった。
今まで遠いことのように思ってきたが、もうこんな時期になったのか……。いや、うっすらとは考えていたよ? 俺は理系だし、ここは一応進学校だから、周りと同じように大学に進学して理系の学部に入ることになるんだろうな、と漠然と思っていた。だけど、いざ自分の進路を決めろ、と言われると途端に何も思いつかなくなる。これからの自分がどうなるのか、どういう道を進んでいきたいのか……。どこかの大学の理系学部に入る、以上のことが今は思い浮かばない。
「…………はぁ」
俺はプリントをファイルの中にしまう。こういうのは家でじっくり考えよう、と後回しにするのだった。
※
しかし、進路の問題は思ったよりも俺の心の中にずっと深く刺さってしまったようで、俺はずっとモヤモヤしていた。
「……ほまれ?」
「ん、どうしたの?」
「なんだかぼーっとしているみたいで」
昼休み、ご飯を食べ終わったみなとが俺に尋ねてくる。どうやら悩んでいるのが顔にまで出ていたようだ。
「……進路のことでさ、ちょっと悩んでいて」
「ああ、進路希望調査票ね。私も今朝配られたわ」
「みなとは、どこに行くか決めているの?」
「そうね……まあ、なんとなくは」
「どこの大学?」
みなとが挙げたのは、地元の国立大学だった。偏差値的にはかなり高いところで、世間一般では難関と呼ばれるようなところだ。この高校からも毎年数人が合格している。
ただ、いくらここが進学校であるとはいえ、学年トップクラスの学力がないとそこには受かるのは難しいと言われている。その点で言えば、みなとは学年最上位層なので、合格できる可能性は十分にあるだろう。
「さすがみなと……スゴいね」
「……受かるかどうかなんてわからないわよ。冠模試だって受けたことないし、まだ過去問すらまともに解いたことないもの」
「それは、これからの話じゃん」
「そうだけど……そろそろ受験勉強も始めなきゃ。そこにバンバン受かるような超進学校の人は、もう対策を始めているのだから」
「スゴいな……とても俺はついていけないよ」
俺はテーブルに突っ伏す。やはり俺とみなととじゃ、次元が違う。
「ほまれも、まだ遅くはないわよ」
「そうかなぁ……」
「だって、テストの点数だってだんだん上がってきているじゃない」
「まあ、そうだけどさ……」
昨年度、いや、今年の頭からあれだけ苦手だった数学は、今ではやっと平均点をちょっと超えるくらいにまで点数が上がった。その他の教科も、特に可もなく不可もなく……といった感じで、二学期の定期テストや模試の順位は学年の中盤あたりを保っていた。ここまで押し上げてくれたみなとやみやびには感謝してもしきれない。
しかし、まだまだ力不足であることを俺は実感していた。ましてや、みなとが志望している大学の難易度と俺の実力には天と地ほどの差がある。
「それに、まだ一年残ってるわよ。今からなら遅くはないわ」
「そうかなぁ……」
「ほまれは、どこに行きたいの?」
「それは……決まってない」
「……じゃあ質問を変えましょうか。ほまれは、何をやりたいの?」
「何をやりたいか、か……」
改めて問われると答えるのが難しい質問だ。
今まで、俺は学校から授業を与えられ、課題を与えられ、試験を与えられ、それをこなしてきた。いわば、ただの受動人間なのだ。
大学に入ってからは、自分のやりたいことを学ぶことになる。つまり、自分のやりたいことを自分で探し出し、そのために自分に必要なことを学んでいく、能動人間にならなければならない。
しかし、今まで特に何も考えずに受動してきた俺にとって、能動的に学びたいことを探すのはとても難しかった。
うーんうーんと唸っていると、みなとは再度質問を変えてくる。
「じゃあ、ほまれが興味のあることって何かしら?」
「興味のあること……?」
そう言われたらいろいろ思いつく。バスケとか、ゲームとか……。しかし、そのどれも、学問をしたい! と思うほどのものではない。
いや、待てよ……一つだけ当てはまるものがある。
「……ロボット」
「ロボット?」
みなとが俺の呟きをそのまま返す。
「うん。俺は今、アンドロイドの体になっているけど、俺自身、この体がどうやって動いているのかはわからない。みやびとか、専門の人しかわからないんだ。でもそれってかなり不都合なことじゃないか? 自分で自分の体のことを知るのは大切だと思うんだ。だから、どういう仕組みで動いているのか、というのには、興味がある……かな」
「なるほどね、いいじゃない」
今まで意識してこなかったが、こうして言語化してみると、俺はロボットに興味があるようだった。
突然わけのわからないまま、こんなアンドロイドの体になってしまったのだ。使い勝手も何もかも違う自分の体の仕組みを知ろうとすることは、ある意味自然なことだろう。
「とすると、やっぱり工学部の機械系学科や情報系学科があるような大学、になるのかな。まだ具体的な大学は決まっていないけど」
「そうね……。実は、私も同じような学部学科に進もうと思っているのよ」
「そうなの⁉︎」
「そうよ。やっぱり、あなたが一番の大きな理由ね」
「えっ、そうなの⁉︎」
俺、なんかやっちゃいました……⁉︎
俺のせいで、みなとのもともと志望を捻じ曲げてしまったのではないか、と思っていると、彼女は話を続ける。
「だって、ほまれがこんなことになっているのに、何もできないってやっぱり悔しいじゃない。それに、もともと特にやりたいことも決まっていなかったし、ただ惰性で勉強していただけだったから……。むしろ、やりたいことが決まってよかったわ」
「そ、そっか」
ちょっとホッとした。俺のおかげでやりたいことが決まったようだ。
「みなとの志望している大学には、そういう学部学科はあるの?」
「まだ詳しく調べていないけど、いろいろあるみたいね」
「そうなんだ」
国内トップクラスの大学だから、高いレベルで学習とか研究とかできそうだ。
今の話を聞いて、俺はみなとと同じところに行きたいな、と少し思ってしまった。同じ理系だし志望する学科も同じだ。一緒の場所で一緒に学べたら最高だろう。ただ、俺の今の学力レベルとみなとの志望する大学のレベルはまったく合っていない。
「……みなとと同じところに行けたらいいんだけど」
「行けるわよ、ほまれなら。今からでも遅くはないわ。あなたは最後にグンと伸びるタイプだって。高校受験の時、そうだったでしょう?」
「……まあそうだけど」
「もちろん、同じ大学で学べたら、それはスゴく嬉しいわ。だけどね、これは覚えておいてほしいのだけれど、もし、同じ大学に行けなかったとしても……私があなたを好きでいることにはまったく変わりはないのよ」
「みなと……」
「まあ、期限は来週まであるから、ゆっくり考えるのがいいと思うわ。それに、これを出したからといってそのとおりに人生が決まるわけではないし」
「そう、だね」
俺はちょっと安心する。現実的に考えれば、俺の実力だとみなとと同じところには行けそうもない。だけど、やはり、どうしてもみなとと同じところに行きたいという気持ちは消えなかった。