いつの間にか小雨はやみ、空はすっかり暗くなった。俺の視界はほとんどその空の色に占められている。ざり、ざりと砂利を踏む音が背中側から聞こえていた。
俺とみなとは、救助隊に発見されると、それぞれ担架に乗せられて運ばれていた。足場が悪いので、担架はかなり揺れたり傾いたりしていたが、俺が落ちそうにないのはさすがプロだ。しかも、俺はかなり重たいから、担架を持っている人にはかなりの負担がかかっているはずなのに。
救助する時、俺のこの姿を見ても、救助隊の人はあまり驚いていない様子だった。みやびから事前に俺がアンドロイドであると説明されたのだろうか。少し意外だったが、驚いて気持ち悪がられるよりかは何倍もマシだった。
俺たちはどうやら沢に沿って下っているようだ。確か、地図上ではこの沢は、登山口付近で本来俺とみなとが下りで通過するべきだった登山道と合流するはずだ。そこまで下ってしまえば舗装された道路が待っているので、きっとそこで救急車に載せ替えられるのだろう。みやびたちもその近くで待っているに違いない。
担架の上で揺られること四十分、明らかに揺れ具合が小さくなった。このことは沢沿いの足場の悪い道なき道ではなく、整備された登山道に合流したことを意味している。もうすぐ人里だ! そう思考を巡らせた次の瞬間、聞き慣れた声がした。
「お兄ちゃん!」
ダダダと駆け寄ってくる足音。そして、俺の顔を覗き込んできたのは、みやびだった。
「みやび……」
「お兄ちゃん……! よかった……! こんなにボロボロになって……!」
みやびの目から涙の雫が滴り落ちる。おいおい、濡れたら余計に壊れちゃうだろって……。
「ほまれ、無事デスか⁉︎」
「無事かと言われたら……怪しいけど……まだ意識はあるよ……」
「よかったデス……助からないではと思ったデス……」
「あいにく、頑丈なものでね……」
こちらにサーシャが駆け寄ってきて、言葉を交わしたのと同時に、後ろの方でも会話が生まれていた。
「おねーちゃん! おねーちゃん!」
「なぎさ……こら、救助隊の人の邪魔になっちゃうでしょ……」
「でも! おねーちゃん、怪我は⁉︎」
「足を捻っただけよ……あとは、ほまれが守ってくれたわ」
みなとのところにも、なぎさちゃんが駆け寄ってきているようだ。それを聞いて、みやびがこちらに尋ねてくる。
「お兄ちゃん、みなとさんを守れたんだね……」
「本当、よかったよ……クマから守れて……」
「え、クマ⁉︎」
「クマデスか⁉︎」
みやびとサーシャがビックリする。そうか、三人は知らないのか、俺たちがクマに襲われたことは……。
「ちょちょ、どういうことですか、ほまれさん⁉︎ え、おねーちゃん、クマに襲われたの⁉︎」
「そうよ。ほまれが戦ってくれて、それであんなになっちゃったけど、私を守ってくれたのよ……」
「ということはお兄ちゃん、この怪我は滑落した時の怪我じゃなくて?」
「それもあるけど……、耳と腹はクマの爪でやられた……」
「そうだったんだ……左腕は?」
「それは、滑落した時に壊れちゃったみたい」
「そっか……さすがに、取れちゃった左腕は失くしちゃったよね……」
「あるよ」
「あるの⁉︎」
「うん……見つけたから回収して、リュックの中に入ってる……」
「お手柄だよ、お兄ちゃん! まさかそこまでしてくれるとは……!」
以前、みやびは俺のことを、『歩く機密技術の塊』と言った。それくらい、俺の体は精密機密技術でできている。つまり、みやびとしては、俺の体を構成している部品が自分の管理下から離れてしまうのはマズいわけだ。左手を回収したのはどうやら正解だったらしい。
赤色灯がピカピカ光っているのがわかる。ここからは直接見えないが、近くに救急車が停まっているのだろう。
「みやびたちも……お手柄だよ……助け、呼んでくれんだろ……?」
「当たり前だよ! 目の前で人が滑落したら助けを呼ばないという選択肢はないよ!」
「はは……そうか……」
実は、一マイクロメートルくらい、みやびが助けを渋るんじゃないかと思っていたことは秘密だ。アンドロイドの体の、ましてや中身が外に晒されているかもしれない状態の俺を、一般の救助隊の人に見せるのはマズい、とみやびは考えるのではないか。そのため、救助隊の人が来るまでは、絶対に助けが来る! と何度も何度も念じて助けを呼んでくれたことを信じようとしていたのだが、これは完全に杞憂だった。
「みやび……」
「どうしたのお兄ちゃん?」
「その……救助隊の人に、俺がアンドロイドであること、バレてよかったのか……?」
「そんなこと言ってられないよ! まあ、心配しないで。お兄ちゃんが気にしていることは、私がすべてなんとかするから」
それは心強い。さすがはみやびだった。
そんなことを話している間にも、向こうの方でもやり取りは進む。
「今から一応病院に行きます。捻挫があるとのことですので、精密検査をしましょう」
「……わかりました」
「あの、あたしも乗っていっていいですか!」
「もちろんです、こちらへ」
どうやらみなとは救急車に運ばれるようだ。これから病院に直行するのだろう。なぎさちゃんも、乗り込んで一緒に行くようだ。
「ほまれ!」
すると、みなとの大きな声が聞こえてくる。
「どうしたの、みなと……?」
「私を助けてくれて、ありがとう……!」
「……どういたしまして」
そして救急車のバックドアが閉まると、けたたましいサイレンを鳴らして、救急車はこの場を去っていった。ドップラー効果を伴って、サイレンはどんどん小さくなり、すぐに聞こえなくなった。
「じゃあ、お兄ちゃんも行こうか」
「どこへ……?」
「決まってるでしょ、研究所だよ」
今まで気づかなかったが、この場には救急車の他にもう一台車が停まっていた。黒色の大きなバンだ。
よく観察してみると、この場にはどうやら救助隊ではない人もいるようだ。俺やみなとをここまで担架で運んできてくれた、オレンジ色の目立つ服を着ている救助隊の人の他にも、水色の作業着姿の人が先ほどからちらちらと俺の視界に映ってきていた。
「お兄ちゃんも相当ダメージを追っているから、病院送りならぬ、研究所送りだよ。今から修理しなきゃ、明後日の学校に間に合わないでしょ」
「そんな早く直るの……?」
「直すよ。なめないでよ〜ウチの技術力!」
黒い車のバックドアが開く。そして、俺は担架を移し替えられると、そこから車の中に運び込まれる。
車内にはいろんな機械が設置されていた。きっとこれはみやびの研究所の車だろう。まるで救急車のようだ。
「そういえば、ワタシはどうすればいいデス?」
「サーシャはいったん私と一緒に家に帰るよ」
「え、一緒に研究所に行くじゃないデス?」
「なわけないでしょ! サーシャ、自分の立場、わかってる?」
「ちぇー……」
研究所はサーシャが一番入ってはいけない場所だろう。そもそもサーシャは産業スパイ。城の本丸に敵の忍者を自ら招き入れるようなものだ。みやびの監視下にいる必要がある。
「というわけで、私はいったん家に帰って、後で向かうからよろしくね」
「わかった……」
「それじゃ、後はお願いします」
車内に運び込まれた俺は、作業着姿の人たちによっていろんな場所にケーブルを繋げられる。そして、バックドアが閉まり、車のエンジンがかかったところで、シャットダウンの命令が俺に下る。
エンジンの低音が小さくなるのを感じながら、俺の意識は落ちていった。