週末、土曜日。俺たちは早起きすると、前日に準備した荷物を持って出発する。
俺たちは最寄り駅に着くと、学校やバイトなどで普段よく向かう方向とは反対方向に向かう電車が来るホームに上る。
ホームから西の方角を望むと、これから登る山々が見えた。電車で数駅しか離れていないので、あまり高くはないものの、かなり大きく見える。
そうこうしているうちに電車がやってきた。
「なんか、同じような格好の人が多いね」
「そうだな」
電車に乗り込むなり、みやびが辺りを見回して言う。確かに、俺たちと同じように登山用リュックを持ち、いかにも登山客といったような服装をしている人が、座席にたくさん座っている。
ただ、年齢層は俺たちよりかなり高く、中高年がほとんどを占めている。きっとこの人たちも、これから俺たちと同じ山に登るのだろう。
乗車して十分ほどすると、電車は終点に到着した。大量の登山客と一緒に、俺たちも駅のホームに降り立つ。
「ここに来るの、スゴく久しぶりだね」
「小学生の遠足以来じゃないか?」
駅の建物の様子が、俺の記憶とはかなり違っている。いつの間にか改装したらしい。
「おーい、みやびー!」
改札を出ると、早速聞き覚えのある声がする。声のした方に目を向けると、柱のそばでなぎさちゃんがこちらに向かって大きく手を振っていた。
「なぎさー!」
みやびは彼女に駆け寄っていった。俺たちも歩いてその後ろを追う。
「みなと、ごめん、待った?」
「いいえ、私たちもさっき来たところよ」
「おはようデス、みなと!」
「おはよう、サーシャ」
なぎさちゃんの隣にはみなと。俺に声をかけられた時はちょっと嬉しそうだったが、サーシャに声をかけられたときは、ちょっと態度が尖っていたように感じた。
「ほまれさん、おはようございます!」
「おはよう、なぎさちゃん」
「あの、おねーちゃん、この人が……」
「そうよ」
なぎさちゃんはサーシャの方に向き直ると、自己紹介を始める。
「あの、初めまして。みなとの妹のなぎさです。よろしくお願いします!」
「よろしくデス〜! アレクサンドラ・イリーニチナ・イヴァノヴァというデス、サーシャでいいデスよ〜!」
「あ、じゃああたしもなぎさでお願いします、サーシャさん!」
「よろしくデス、なぎさ!」
なぎさちゃんはサーシャを物珍しそうに見ている。彼女のような金髪美少女外国人を見るのは初めてなのだろうか。
これ以上この場に留まってもしょうがないので、さっさと出発することにした。
「それじゃあ、行こうか」
俺たちは登山口に向かって歩き始める。
「無事に誘えたんだね、なぎさちゃん」
「ええ。やっぱり息抜きは必要だからって、説得したわ」
俺はみなとと並んで歩きながら、サーシャとみやびと前を歩くなぎさちゃんの方を見る。今日の登山が、勉強のリフレッシュになってくれればいいのだが。
他の登山客に混じって、俺たちは登山口に到着する。登山口からは山頂に向かうルートがいくつかあり、登山客はそれぞれの方向へバラバラに分かれていた。
一番登山客が多く流れていくのは、広い舗装道路だ。他にも、別の登山客の流れが、細い舗装道路の方に続いている。
しかし、今回俺たちが進むルートは、この二つのどちらでもない。
「皆さん、お金は持ってますよね?」
「もちろんデス!」
「持ってるよー!」
前の方で盛り上がるサーシャとなぎさちゃん。小学生か! まあ、こんなイベントは滅多にないからテンションがブチ上がるのもわかるけど。
俺たちはそのまま、登山道ではなく、目の前の立派な建物に入っていく。
そして、乗車券を購入した後、改札を通って、ちょうど目の前に停車しているケーブルカーに乗り込んだ。
「今日は空いていたわね」
「そうだね。かなり混んでいると思ったけど」
そう考えると今日はかなりラッキーだ。ほとんど並ばずにケーブルカーに乗れたのだから。
しばらく待っていると、プルルルルと発車ベルが鳴って、ドアが閉まる。そして、ケーブルカーがゆっくり発進した。
「ケーブルカー、急デスね〜」
「サーシャさんは、ケーブルカーに乗ったことはあるんですか?」
「あるデスよ〜。Владивостокにあったデスね」
ケーブルカーはとても急な斜面を登っていく。ちなみに、このケーブルカーの勾配は日本で一番きついらしい。
ケーブルカーの車窓からは、綺麗な黄色と赤が見える。外から見たら、きっと車両が黄色と赤のトンネルをくぐっていくように見えるだろう。
六分ほどすると、終端の駅に到着する。この六分間で標高は三百メートル弱稼ぎ、かなりの距離をワープできた。もうあと二百メートル登れば頂上に到着だ。
「わ〜! 綺麗〜!」
「綺麗デスね! これが紅葉狩りデスか」
ケーブルカーの駅を出ると、なぎさちゃんとサーシャは感嘆の声をあげる。ケーブルカーで見た紅葉が、外にも同様に広がっていた。
見事な紅葉を眺めながら、一時間ほどのんびりと登山する。あいにく空は曇天だが、それ以上に見事に木々の葉が色づいていた。
「つ、ついた〜!」
ついに頂上に到着。山の頂上などのこのような場所でしか見えない、とてもいい景色が見える。
ひとしきり景色を堪能した後、俺たちは適当に空いている場所にレジャーシートを敷く。
「じゃあ、お昼ご飯にしましょう」
みなとが早速自分のカバンから大きな弁当箱を取り出す。蓋を開けると、おいしそうな料理が目に入ってきた。
「おぉ〜、みなとさんありがとうございます!」
「いいのよ、私が好きでやっているんだから」
「おいしそうデスね〜」
「ふふん、料理は得意なのよ」
今回の登山にあたって、みなとが昼飯の弁当を作ってきてくれた。自分の分は自分で作ると言ったのだが、結局押しきられてしまったのだ。
皆が昼食を食べ始め、俺はお弁当のいい匂いを感じる。しかし、食べられない。俺は白い空を見上げながら、水をゴクゴクと飲むだけだった。
「ほまれさんは……あ」
「ごめん、俺は食べられないんだ……」
ニンゲンダッタコロニモドリタイ……。心の中で滂沱の涙を流しながら、俺は昼食の時間を過ごすのだった。
昼食後、片付けを終えると山頂で記念撮影をする。
「帰りはどのルートで下りるデスか?」
「行きとは違うルートで下りるよ」
登りはケーブルカー経由でメインルートを使っていたが、下りは別のルートを使うことにする。なぜなら、昼を過ぎたことで登りのメインルートがとても混雑していたからだ。
というわけで、俺たちはメインルートより少し険しい、沢沿いのルートを下ることにしたのだった。
早速、俺たちは下山を始める。
「うわ、滑りやすい……」
しばらく歩いた後、俺が一歩を踏み出した瞬間、ズルッと足元が滑った。なんとか道の脇に生えていた木に掴まれたからよかったものの、一歩間違えれば転ぶところだった。
確かにこのルートは人は少ないのだが、道がかなり急だった。しかも、この登山道は行きとは違い、舗装されていない、土が剥き出しの道。さらに、前日雨が降ったらしく、道がぬかるんでいてとても滑りやすかった。
この後も何回かメンバーが滑りかける。幸いまだ誰も転んでいなかったものの、誰かが転ぶのは時間の問題だった。
さらに下っていくと、急斜面を這うような道に出る。片方は壁のように聳え立っている斜面だが、もう片方は突然地面が消えたかのように下る急斜面だった。斜面の下からは、微かに水の流れる音がするので、きっと沢があるのだろう。ただし、ガスが出ていて視界が悪いので、沢は見えない。登山道もかなり視界が悪くなっていた。
道が狭いので、俺たちは一列になって進んでいる。先頭からみやび、なぎさちゃん、サーシャ、みなと、そして俺だ。
ここからは十分気をつけて進まなければならない。油断禁物だ。
そんなことを考えていた次の瞬間だった。
「きゃっ!」
俺の前を歩くみなとの体勢が崩れた。踏み出した左足が滑ったのだ。彼女の体が左……崖の方に傾く。
ヤバい! 俺は直感的に、このままではみなとが転落してしまうことを悟った。どこでもいいからみなとを掴もうと、咄嗟に俺は前に身を乗り出して彼女に手を伸ばす。
そして、なんとか彼女のリュックサックの取手をキャッチした。
よし、こうなったらこっちのものだ。みなとと俺では明らかに俺の方が体重が重い。彼女がよろけても、俺が支えられるはずだ。
はずだったのだが。
「うわっ!」
今度は俺の足が滑った。体勢が崩れる。
そして、最悪なことに、みなとに引っ張られるように倒れてしまった。
コンマ数秒後、俺たち二人の体は、空中に投げ出されていた。
俺は周りの木を掴もうとする。しかし、運の悪いことに、俺の周辺には掴めるような木は存在しなかった。
こちらを振り返る三人の顔が遠くなっていく。時間の経過がゆっくりになっていく。体が地球の重力に引かれて自由落下していく。
死って、こうやって訪れるんだ。
だけど、せめてみなとだけでも……!
だが、そう思った直後、体に強い衝撃が加わり、視界と意識が暗転した。