二日目の朝。結局、あれからサーシャが俺の部屋にやってくることはなく、夜の間に何か怪しいことが起こることもなかった。
部屋に備え付けられているテレビからは、今日も快晴で暑くなる、という天気予報が流れてきている。昨日のような失敗を繰り返さないためにも、今日は薄手の服を着ていくことにした。もちろん、水分補給もできるように水筒には容量の限界ギリギリまで水を入れる。
「よし、行くか……」
午前八時四十分。俺以外の皆は朝食を食べ終わっている時間だ。俺はリュックサックに今日持っていく荷物を詰めると、部屋を出て集合場所に向かう。
「ほまれちゃん、おはよ〜」
「おはようございます」
「おはよう、ほまれ」
「おはよう皆」
旅館の前の集合場所には、すでに俺以外の班員が集まっていた。
飯山、越智、佐田はいつもどおりだが、そうじゃない人が二人いる。
「……サーシャ、大丈夫?」
「ほまれ……おはようデス」
「なんか元気ないみたいだけど……」
「サーシャちゃん、なんでか知らないけど、昨日先生にものすごく怒られたんだって」
「そ、そうなんだ……」
俺の部屋に無断で侵入したことを、先生に厳しく詰められたんだろうな……。それが今日まで尾を引いているのだろう。実際、さっきから斎藤先生がこちらをじーっと見ているし。サーシャは完全にマークされている。
そして、もう一人、サーシャの他に様子がおかしい人がいる。
「……檜山、大丈夫?」
「……大丈夫」
「どうしたの、何かあった?」
「いや、なんでもない」
すると、飯山が俺の手を引っ張って、人のいない方へと連れていく。そして、小声で話しかけてくる。
「なおちゃん、今日が本番だから、緊張しているんだよ」
「そうなんだ」
「わたしたちも頑張らないとね」
「……そうだね」
昨日はあまり緊張していない様子だったが、さすがに当日となると緊張してきたようだ。今日のために、ファミレスで集まってまで作戦を練ったのだから、絶対に成功するように協力するつもりだ。
午前九時。俺たちは先生の短い話を聞いた後、コース別に分かれてそれぞれのバスに分乗する。
俺たちの班が乗るのは北部に向かうBコースのバスだ。同じコースを選んだ班がすべて乗り込むので、バスの中はほぼ満員だった。
バスの席順は班別で、一班は二列シート三つ分に固まって座る。班内での席順の決定権はこちらにあったのだが、俺たちの班は教室での席順と同じにすると決めていた。
つまり、前から檜山・佐田、飯山・俺、越智・サーシャの順番で座ることになっていた。こうすると檜山と佐田が隣どうしになるのだ。
しかし、バスの移動中、二人はかなり静かだった。あまり話す様子もなく、お互いにそっぽを向いている。
本当にこの二人はお互いがお互いに片想いをしているのか……? むしろ仲が悪いように見える。緊張しすぎて何を話せばいいのかわからない状態になっているのだろうか。
高速道路や国道を経由して一時間半、バスは沖縄北部の森の中に到着する。
バスを降りると、周りは緑、緑、緑。森に囲まれている自然豊かな場所だ。かなり涼しい。
俺たちは集められて、現地のガイドさんから説明を受ける。
これから俺たちが体験するのは、カヤック体験だ。目の前に流れる川を、それに沿って広がるマングローブ林を横に、二人乗りのカヤックで進んでいくのだ。日本では、マングローブが見られるのは九州南部と沖縄のみ。そのうちの一つが、ここというわけなのだ。
「それでは、ライフジャケットを着て、パドルを一人一つ、持っていってください」
指示どおりに配られたライフジャケットを着込むと、箱から一つパドルを持っていく。
「意外と重いな……」
もちろん、持てないほど重いわけではないが、カヤックを漕ぎ続けるのは少し大変かもしれない。
「それでは、漕ぎ方を説明します。みなさん、私の真似をしてください……」
次に、カヤックの漕ぎ方の説明、そして乗り方の説明が始まる。また、万が一のときの説明もなされる。
俺はチラリと後ろを見る。そこには檜山と佐田が立っていたのだが、二人とも真剣に話を聞いているようだ。
ガイドさんは説明を終えると一息つく。そして、俺たちが待ち侘びていた一言を発した。
「それでは、実際にやってみましょう。二人一組になって、カヤックに乗ってください」
来た……! 俺は周りを見渡して、飯山と越智、そしてサーシャの三人とアイコンタクトをとると、一斉に素早く行動を開始した。
「よし、飯山、組もう」
「いいよ〜」
「いおり! 一緒に乗るデスよ〜」
「はい、よろしくお願いします」
俺たちは素早くペアを成立させる。これで班内で残ったのは檜山と佐田。この二人がペアになるほか、選択肢はない。
俺たちはドキドキしながら、二人の様子を見守る。
最初に切り出したのは、佐田だった。
「……あー、他、組み終わったみたいだし……組むか」
「……ん」
そう言って、二人は川辺のカヤックが並んでいるところに向かっていった。
とりあえず第一段階は成功だ! 二人がカヤックに乗ったことを確認すると、俺たちもそれぞれカヤックに乗り込む。
「だいぶ水面に近いね〜」
「そうだね、ひっくり返らないように注意しないと」
「頼りにしてるよ、ほまれちゃん!」
「はは……飯山も頑張ってよ」
程なくして、カヤックツアーが始まった。
説明の時にもガイドさんが言っていたが、カヤックをうまく進めるには、乗っている二人の息がピッタリでないといけない。どちらか一人が頑張っても、もう片方がダメならカヤックは進まないのだ。
「「せーの、いち、に、いち、に……」」
俺と飯山は掛け声を出して、同時にパドルを動かしていく。すると、カヤックはスルスルと動き出した。
しばらく漕ぐと、俺たちのカヤックはかなりのスピードが出た。最後の方に出発したのに、いつの間にか先頭近くまで進んでいる。
「二人とも、速いデスね〜!」
「サーシャたちこそ」
すると、俺たちの隣にサーシャたちのカヤックが並ぶ。こちらは二人とも運動系なので、スピードが出るのも頷ける。
じゃあ、どうして俺たちのカヤックはスピードが出ているんだ? 俺はアンドロイドだから、常人よりもパワーが出せるのは納得できるが……。
少し考えると、すぐに原因に思い至る。そういえば、飯山も腕力に関しては常人離れしているんだった。テニスでは恐ろしいスピードでサーブしていたし、腕相撲も圧倒的に強い。
実は、俺たちもパワー系だったのだ。
「そういえば、檜山と佐田は?」
「かなり後ろにいますよ。かなり苦戦しているみたいです」
「ほまれちゃん、ちょっとスピードを落として見にいってみない?」
「わかった」
飯山の提案で、俺たちはスピードを落として、彼らを少し待つことにした。
コツを掴んだ他のカヤックにどんどん追い抜かされる。そして、ほとんどのカヤックに抜かされたとき、二人のカヤックがやっと見えてきた。
「ちょっ、全然進まないんだけど!」
「左、左に寄ってる!」
「マジで、え、どうすればいいの?」
「左で掻いて! 違う、それ右!」
ワーワーやりながらフラフラと進むカヤック。二人の息が合わず、なかなか苦戦しているようだ。
「二人とも、息を合わせて!」
「声出していこ〜! ほら、いち、に、いち、に!」
俺たちの声が届いたのか、一瞬二人は顔を見合わせる。
「……やるか」
「……うん」
そして、二人はいったん漕ぐのをやめると、声を出して一斉にパドルを交互に水の中に入れて漕いでいく。
「「いち、に、いち、に……」」
すると、カヤックが前に進み始める。二人はどちらも運動部だからパワーはあるはずだ。今までちんたらとしか進めなかったのは、その力が分散してしまっていたからで、ひとたびタイミングが噛み合えば……。
「「いち、に、いち、に……」」
二人のカヤックはあっという間に加速して、どんどん前に進んでいく。
「ありがとう、天野、ひな〜!」
檜山がそう言い残して、二人のカヤックは爆速で進んでいった。
「……俺たちも行こうか」
「そうだね」
なんだかんだ、やっぱり息が合うじゃないか、あの二人。
そんなことを思いながら、俺たちのカヤックもスピードを上げてその後を追うのだった。