気がつくと、真っ先に見えたのは知らない天井だった。
「ここは……」
どうやら俺はどこかに横たわっているらしい。ひとまず状況を確かめるために起き上がると、横から声がかかる。
「あっ、気がつきましたか、天野ほまれさん!」
その聞き覚えのある声に俺は嫌な予感を覚えつつ、声がした方に顔を向ける。
「な、鳴門……?」
「そうです、鳴門です! よかった〜、無事に直って!」
そこにはフフフとちょっと不気味なオタクスマイルを浮かべる、G組の鳴門がいた。
俺はさっきまで寝かされていた長椅子に腰掛ける。ここは脱衣所とも、客室とも違う、どこかの小さな部屋のようだ。部屋の中に、俺と鳴門以外の人はいない。この状況に俺は警戒心を高めながら、彼女に尋ねる。
「俺は、どうしてこんなところにいるんだ? それに、どうして鳴門がいるんだ……?」
「あれ、もしかして自分が風呂場でどうなったか覚えていないんですか……? たいへん、電子頭脳に異常が生じている可能性があります!」
「いやいやいや、覚えてる! 覚えてるって! サウナでオーバーヒートして意識を失って水風呂にドボンしたんだろ⁉︎」
「ほっ……よかった……」
急に焦りながらこちらに向かう姿勢を見せた鳴門を押し留めるため、つい早口になってしまった。
俺が知りたいのはそうじゃなくて。
「……この部屋はどこなんだ?」
「ここは救護室です。具合が悪くなった人を安静に寝かせておく場所です」
「なるほど」
「ほまれさんは風呂場で倒れた後、脱衣所でA組の古川さんに介抱されていたんです。ですが、目を覚まされなかったので、先生経由で私に連絡がいき、ここで具合を見ていたんですよ」
「そうだったのか……ありがとう」
今の話を聞く限りでは、鳴門だけではなく、みなとにも迷惑をかけてしまったようだ。きっと心配しているだろうから、後でお礼を言っておかなければ。
しかし、まだわからないことがある。
「それにしても、どうして鳴門が見てくれていたんだ……? ロボ研だからか?」
正直、俺は鳴門という人間をまだ疑っている。ロボ研でロボットに詳しいのは確かだろうが、俺をすぐに分解しようとしてくる、ある意味狂人だからだ。実際何度も被害に遭っているし、さっきまで気絶している間に何か体に仕込まれてしまったんじゃないかと心配してしまう。
俺の問いに対する鳴門の答えは。
「いえ、私がほまれさんのサポートチームのメンバーだからですよ」
「サポートチーム……?」
「あれ、師匠から事前に聞いていませんでしたか? 沖縄に同行してほまれさんを助けるっていう」
「あー! あれか! え⁉︎ 鳴門、サポートチームだったの⁉︎」
「はい、そうですよ」
「もっとこう……なんか、修学旅行の外から見守ってくれていて、いざというときに駆けつけてくれるチームだと思ってた……」
「そんなチームだったら、ほまれさんの危機には間に合わないじゃないですか。もちろん、私以外にもっと専門的な知識を持った大人のメンバーもいますけど、学内の初動担当として私がいるんです」
「そ、そうだったのか……」
「このまま目を覚まさなかったら、外部の人を呼ばなければならなかったんですが……。改めて、目を覚まされたようでよかったです」
そういえばコイツ、文化祭の後からみやびを師匠とか慕い出したんだっけ……。それで、俺がサイバー攻撃を受けておかしくなった時に対処してくれたんだよな……。今回のサポートチーム入りも、ロボ研で培った技術を買われたのだろう。
「それにしても、ほまれさん、本当に大丈夫ですか? どこか異常などは出ていませんか?」
「ああ、うん……大丈夫だよ」
「よかったです。それなら、そこにほまれさんの持ってきたパジャマがあるので、着替えてくださいね」
「え……あっ!」
俺は、タオル一枚被せられただけの状態で寝かされていた。そして、起き上がった時にそのタオルは床に落ちていた。
つまり、俺の今の状態は……下を見て、俺はばっと両手で体を隠した。
「は、早く言ってよ!」
「えっ、気づいてやっているんだと思っていました」
「そんなわけないだろ!」
俺は人に裸を積極的に見せようとする変態なんかではない! 鳴門よ、俺のことを痴女だとか思わないでくれ……。
俺は服を着ながら、鳴門に尋ねる。
「そういえば、鳴門は結局俺の体をいじったの?」
「いえ、いじってないですよ。私がしたのはほまれさんの体を冷やしただけです」
「ほっ……ならいいけど」
「なぜですか? もしかしていじってほしいんですか? いじれるものならいじらせていただきたいですけど」
「いやいや、遠慮させていただきます」
変なスイッチを入れてしまったか……? 俺は妙に鼻息の荒い彼女を落ち着かせるように早口を展開する。
すると、鳴門はため息をつく。
「……まあ、私の権限ではほまれさんの中身はいじれないんですけどね」
「そうなの?」
「はい。専門性のある外部のメンバーしか中を開ける権限を持っていません。だから私はいじりたくてもいじれないんですよ……ぐや゛じい゛」
「あはは……」
鳴門に俺の体をいじる権限がなくてよかった……。
パジャマに着替えると、俺は立ち上がる。
「それじゃあ、もう具合もよくなったし、部屋に戻るよ」
「なら、送っていきます。ここがどこだかわからないでしょうし」
「そうだね……じゃあ、お願いするよ」
俺は部屋を出ると、鳴門の先導で歩き始める。
とりあえず、この修学旅行中は鳴門は俺の味方になってくれるようだ。いや、修学旅行中と言うより、それ以降も、味方になってくれるだろう。
そもそも、今まで彼女が脅威に感じていたのは、個人的に俺をバラそうとしていたからだ。だが、文化祭の時にみやびに弟子入りしたことで、彼女の動向を『管理』できるようになった。みやびから彼女に指導を与える代わりに、彼女の勝手な行動は制限されている。
これからは、鳴門をそんなに警戒しなくてもよさそうだ……。
しばらく歩いて、やっと自分が泊まる部屋の前まで戻ってきた。すると、その部屋の前の廊下の壁に寄りかかって立っている人が目に入る。
「先生……!」
「天野……、大丈夫だったか?」
「はい、皆に助けてもらいました。異常はありません」
「それはよかった……。それに、申し訳なかった。天野は、まだ一人で入れる時間内だったはずのに、女子が脱衣所に入ってきて出れなくなったんだろう? どうやらこちらの手違いで、十分早くA組の女子が入ってきてしまったんだ。本当に申し訳ない」
やはり、女子たちが入ってくる時間が予定より早かったようだ。
まあ、その人たちには助けてもらったから結果オーライだが。
「ほまれさんのお部屋は、ここですよね?」
「うん、そうだよ。ありがとう」
「いえいえ、それではまた何かあったら呼んでくださいね〜」
鳴門を見送り、俺は自分の部屋に入る。
照明をつけると、すでに布団が敷かれていた。俺が風呂に入っている間に、旅館のスタッフの人がやってくれたようだ。一人用にしてはなんだか妙に大きいし、こんもりしている。空気がたくさん入っているのだろうか。きっとふかふかなのだろう。
「……今日は疲れたし、もう寝るか」
そう思って、俺は布団の中に足を入れる。
次の瞬間、何か固いものに足が触れた。違和感を感じた次の瞬間、俺の両足が何者かの手に掴まれた。
「うわあぁぁぁあああ⁉︎」
思わず叫び声をあげる。俺は体を反転させて、うつ伏せになって布団から逃げようとするが、その前に腰のあたりまでに何かが乗ってきた。腰を掴まれ身動きがますます取りづらくなる。
「たすけ……誰かー! 助けてー!」
俺は大声で助けを呼びながらもがく。まだ自由な手を使って、俺を掴んでいる者の正体だけでも見ようと、布団を剥がそうと試みる、がうまくいかない。
「どうした、天野⁉︎」
すると、スパーンと襖が勢いよく開く音とともに、慌てた様子で斎藤先生が入ってきた。
先生は俺の様子を見るとすぐに状況を察したらしく、布団に手をかけて勢いよく引き剥がす。
「あっ……!」
「イヴァノヴァ……! お前、こんなところで何をやっているんだ!」
布団を引き剥がすと、俺の腰にしがみついているサーシャの姿が現れた。
サーシャは微妙な笑みを浮かべながら言い訳を始める。
「あはは……ちょっと、寝ていただけデスよ〜」
「そんな言い訳通用するとでも思っているのか? とにかくこっちに来い!」
斎藤先生は、サーシャを引っ掴むと部屋の外へ有無を言わさず連行していく。
サーシャ、俺に何かをする気満々だったな……。先生がすぐに助けにきてくれて本当によかった。
俺は改めて自分の部屋に怪しい人物がいないことを確かめると、今度こそ眠りにつくのだった。