『……まもなく離陸いたします。シートベルトの着用をもう一度お確かめください……』
機内アナウンスが流れる中、窓の外の景色がゆっくりと動いていく。
飛行機に乗るのはとても久しぶりだ。もちろん、この体で乗るのは初めて。でも、大丈夫だよな……たぶん。
飛行機はゆっくり動き続け、とうとう滑走路に入る。次の瞬間、急激な重力加速度が俺の体にかかり、座席に体が押しつけられる。あまりにも突然やってきた、久しぶりの感覚に一瞬ビビる。まるで遊園地のアトラクションのようだ。
そして、そのまま下の方に押しつけられる。窓の外を見ると、地面は下方へどんどん離れつつある。飛行機が飛び立ったのだ。
しばらく上昇し、陸地がはるか下方に見えるようになった頃、電子音とともにシートベルト着用の表示が消えた。
それを見計らって、俺は隣に座っている飯山に声をかける。
「……席、代わろうか?」
「いいの? やった〜」
飯山は俺と席を交換すると、窓に張り付いて『わぁ〜』と歓声を漏らしている。聞くところによると、彼女にとっては人生初の飛行機らしい。
飯山と席を変わり、左端の三連席シートの中央に移動した俺は、そのまま右隣に座っている越智に声をかける。
「越智、大丈夫……?」
「ひゃい! ほ、ほまれさんですか……だだだだ大丈夫です……」
言葉とは裏腹に声を震わせる彼女は、持参したアイマスクをかけて、小さくなっていた。
こちらも飯山と同様、飛行機には人生で初めて乗るのだが、一つ違うのは、彼女は飛行機に苦手意識を持っている、ということだ。
彼女曰く、『巨大で重い塊なのに、どうして空を飛んでいけるのかが納得できない。すぐに墜落してしまいそうで怖い』のだそうだ。飛行機嫌いが言いがちなことである。
それゆえ、越智はアイマスクをして視覚を遮ることで、自分が飛行機に乗っている実感を少しでも減らそうと努めているのだ。
「ほまれさん」
「なに?」
「何かあったら私の左手を叩いてください」
「……わかった」
そう言いながら、彼女はポケットから耳栓を取り出して耳にはめた。これで視覚と聴覚、人間の情報判断のリソースの九割以上が遮断される。確か越智は怖がりだったと思うが、そうやって五感を遮る方が怖いんじゃ……?
飛行機はどんどん上昇していて、モニターには高度一万メートルと表示されていた。地上のどの地点よりも高い天空。自分たちの足元から、およそ一万メートル下の海面まで遮るものが何もないと考えると、感嘆も恐怖も感じる。
機内はとても騒がしかった。それもそのはず、この飛行機には俺たち学年のほぼ全員に、引率の先生、旅行会社の人、総勢およそ三百三十名が乗っているのだ。
その全員が普通席に座っている。逆に、普通席のほとんどが我々修学旅行生で占められているのだ。つまり、実質的に飛行機の上級クラス以外、つまり後ろ半分は貸し切り状態となっている。
「よし! あがりだ!」
「うわー、お前強すぎないか……」
「あとちょっとだったんだけどなぁ」
「フハハ、ババ抜き王と呼んでくれ」
後ろの方の席からは佐田を含む男子がトランプでの遊びに興じている声が聞こえる。
飛行機の席は、左前からA、B、C組……の出席番号順になっている。そのため、俺の次が飯山、そしてさらにその次が越智……というようになっているのだ。
したがって、俺はみなととは全然違う場所に座っているし、佐田と檜山もかなり離れてしまっている。そこはとても残念だった。
「それにしても、残念だったね〜」
「何が?」
「佐田君となおちゃんの席、離れちゃったこと」
「そうだね……」
隣から小さい声で話しかけてくる飯山。やはり彼女も俺と同じように感じていたらしい。
まあ、このことは何ヶ月も前、修学旅行のために飛行機のチケットを取った時から決まっていただろうし、不可抗力ではあるんだけれども。
「……ね、ほまれちゃん」
「ん?」
「ちょっと、お手洗い行ってくるね」
「ああ、うん。わかった」
飯山は席を立ってトイレに向かう。俺は元の席に戻ると、窓の外の青い太平洋とはるか下にたなびく白い雲をぼーっと眺めていた。
五分三十秒後、飯山が戻ってきた。
「こっちの席、座る?」
「ううん、もういいや。ありがとう〜」
そう言って、飯山は窓際ではなく、真ん中の元の席に座る。
そして、そのまま彼女は俺に話しかけてきた。
「さっき、トイレの帰りになおちゃんの様子を見にいったんだけどね」
「うん」
やっぱり、佐田と引き離されて不満たらたらな感じになっているのだろうか。
「爆睡してたよ」
「爆睡……⁉︎」
「うん。超寝てたよ〜」
「そ、そうなんだ」
あんまり緊張していないのか、それとも単に今朝早起きしたから眠くなってしまったのか……。たぶん後者だな、きっと。檜山のことだし。
そんなこんなで、飯山と適当に話をして時間を潰すこと二時間半。気がつくと、飛行機はかなり高度を落としていて、窓の外には青い海に小さな島々が浮かんでいるのが見えた。
次の瞬間、ポーンと連続で電子音が鳴り、アナウンスが始まる。
『皆様、着陸体制に入りました。シートベルトの着用をもう一度お確かめください……』
飛行機はどんどん降下していく。眼下には大きな陸地と、それに乗っかっている市街地が見える。あれが那覇だろうか。
「ほまれちゃんは、沖縄には来たことあるの?」
「いや、初めてだよ」
沖縄どころか、こんな南まで来るのも初めてだ。だから、今回の修学旅行にはとてもワクワクしていた。
飛行機はさらに地面に近づいていき、そして軽い衝撃。急ブレーキ。
だが、完全には止まらず、そのまま滑走路をゆっくり進んでいく。
『皆様、那覇空港に着陸いたしました……』
しばらくの間、アナウンスが流れ続ける。その間に、飛行機がやっと停止した。
前に座っているA組から、どんどん席を立ち、荷物を持って出口へ向かっていく。俺たちももうじき降りることになるので、席を立って準備を始めたい。が、その前に起こさないといけない人がいる。
「いおりちゃ〜ん、着いたよ〜!」
「ひゃ! は、はい?」
左手を叩くと、慌ててアイマスクを上げて、耳栓を外す越智。
「着いたよ〜、沖縄」
「え、つ、着きましたか?」
「着いたよ〜」
「そ、そうでしたか……いつの間にか寝てしまいました」
ちょっと恥ずかしそうにしながら、彼女は周りの様子を見て、通路側にどくと荷物を下ろし始める。
俺たちがちょうど荷物をまとめたところで、降りる順番がやってきた。
荷物を持って、前の人に続いて搭乗橋を渡る。飛行機の機体から出た次の瞬間、周りの空気が明らかに変わったのがわかった。
もわっとした夏の空気。俺に内蔵されているセンサーが、一気に気温と湿度が上昇したことを知らせる。
荷物受け取り所で自分たちの荷物を受け取ると、到着ロビーへ進む。
そこにいったん集合した後、俺たちはまとまってバスに乗り込むために外に出る。
「暑いな……」
しばらく歩いていると、頭上から構造物がなくなった。
太陽が眩しい。十月のはずなのに、気温は二十六度もある。夏日だ。湿度も七十パーセント程度ある。
こうして、『沖縄』を感じながら、俺は人生で初めて沖縄の地を踏んだのだった。