翌日の昼、俺とサーシャは檜山に呼ばれてファミレスに向かっていた。
この体になってから、食事の必要がなくなったため、外食に行く機会はめっきり減っていた。ファミレスに行くなんて、いつぶりだろうか。
「日本のファミレス、初めてデス!」
「サーシャはまだ入ったことないんだね」
「そうデス! 聞くところによると、なんでも食べられるらしいデスね!」
「なんでもはちょっと言い過ぎかな。いろいろ食べられるのは確かだけど」
俺たちは学校の近くのファミレスに到着する。ある種のノスタルジーを覚えながら時刻を確認すると、檜山に指定された時刻ちょうどだった。しかし、店の周りに檜山の姿はない。俺はスマホのメッセージアプリを開いて、到着した旨を伝える。
すると、檜山からすぐに『中で待ってる』と返事が来た。俺たちは階段を上って店内に入る。
休日の昼時だからか、客席はほぼ埋まっているように見えた。店内を見回して檜山の姿を探していると、店員が声をかけてくる。
「いらっしゃいませ、二名様ですか?」
「えっと……連れが中にいるんですけど……」
「お、天野! こっちこっちー!」
すると、店の奥の方で俺の名前を呼ぶドデカい声。視線を向けると、檜山が全力で大きくこちらに手を振っていた。
「なおー!」
すると、それに呼応するようにサーシャがバカデカい声を出して、同じように手を振る。
「さ、サーシャ……行こう」
店中の客の視線が一斉に集中する。俺はものすごい羞恥心を感じつつ、サーシャの手を取って、小走りで檜山のもとへ向かった。二人ともこんなことをして恥ずかしくないのかよ……メンタルが強靭すぎる。
「ご、ごめん、お待たせ……」
「いーよいーよ、時間どおりだし」
俺たちが席に着くと、すでに他のメンバーも揃っていた。
テーブル席を囲むように、檜山の他にも、飯山と越智が座っている。
そんな中、檜山が宣言した。
「よし、それじゃ早速話を始めよっか……あたしたちの班の自由行動の行き先について!」
決まった! と言わんばかりの顔をする彼女。しかし、次の瞬間、お腹からキュルギュル〜と音が鳴り、雰囲気がぶっ壊れた。
数秒間、シーンと無言の時間が流れた後、飯山がポツリと言う。
「まずは、ご飯にしよう?」
「……そうですね」
それに越智が同意する。
シュールな空気の中、檜山はちょっと赤くなっていた。
※
「お待たせしました、ペペロンチーノとポテトです」
「ありがとうございます」
越智が店員さんから料理を受け取ってテーブルの上に置く。
「うまいデスね!」
隣ではサーシャが目をキラキラさせながらドリアを頬張っている。他の皆も料理を食べ始めている。
俺の目の前にも料理が置かれているが、残念ながら、これは俺のものではない。スペースの都合上、ここに置かれているだけだ。
何も食べられない俺の目の前には、おいしそうな料理。嗅覚は正常なので、料理のいい匂いも感じる。
くっ、生殺しの状態だ……! いっそのこと、嗅覚なんてなければ……!
俺は気合いで食欲を我慢しながら、氷水を一気飲みする。トイレが近くなっちゃうよ……。
今回、檜山の集合でここに集まったメンツは、修学旅行で同じ班になったメンバーだ。ここに佐田を加えれば全員になるのだが、あえて彼は呼んでいない。
なぜなら、これは檜山が佐田に告白するための作戦会議も兼ねているからだ。
檜山は、修学旅行中に佐田に告白する、つもりらしい。そのためには、修学旅行中の雰囲気作りが重要になる。そして、大枠の行動予定が決まっている修学旅行で、俺たちの裁量で決められるのは、二日目の自由行動くらいしか存在しない。
つまり、自由行動でどこに行くか、というのがとても重要な問題になるのだ。
まさかこの場に佐田を呼ぶわけにもいかないので、今日、こうして佐田抜きで俺たちは集まっているわけだ。
もちろん、正式に自由行動の行き先は、今度学校で決める。その前に女子の意見を一致させてしまおう、というのが今日の目標なのだ。
しばらく他愛のない話で盛り上がった後、テーブルの上の食器がだいぶ片付いてきた頃を見計らって、俺は檜山に尋ねる。
「ところで、檜山は自由行動はどうするか考えてきたの?」
「もちのろん」
そう言って、彼女は自分のバッグから一枚のプリントを取り出した。
今回の修学旅行の二日目には自由行動がある。自由行動と言っても、完全に『自由』ではない。学校側があらかじめ用意した複数のコースから、そのうちの一つを選ぶのだ。沖縄本島は広いので、班別に行動すると管理するのがとても大変だからだろう。
プリントには、そのコースが地図とともに記載されている。檜山はそのうちの一つを指差す。
「やっぱり、これが一番いいと思うんだけど」
皆で紙を覗き込む。檜山の指は、『Bコース』とあった。
「沖縄の北側を、カヤック→城跡→水族館→ビーチの順に巡るコースですね」
「やっぱり、それだよね〜」
「ひなもそう思う?」
「うん、やっぱこれかなぁって」
「どういうこと?」
あまり状況が飲み込めないので、俺は檜山と、それに同意する飯山に尋ねる。
「この最後に、水族館ってあるでしょ? やっぱり雰囲気作るならここだし、それに、その後にビーチがあるでしょ? ここで告白するのがロマンチックかなぁ、なんてね〜」
「そそそうだなー、ひなの言うとおりだな」
檜山はそれを聞いて赤くなっている。想像して恥ずかしくなっちゃったのかな?
「わたしもそれがいいと思います。ところでそれ以外ですけど、この『カヤック』というのはどのような感じなのですか?」
越智の問いに、修学旅行委員の飯山が答える。
「それはね……えーっと、マングローブ林をカヤックで探検するみたいだよ」
「楽しそうデスね! マングローブ楽しみデス!」
「そっか、サーシャちゃんはロシアから来たから、亜熱帯地方に行くのは初めてなんだね〜」
「そうデス!」
確かに、それならサーシャも楽しめそうだ。それに、マングローブをカヤックで探検という体験自体が面白そうだ。
「じゃあ、自由行動はBコースということで、皆、いいか?」
「異議な〜し」
「それでいいと思います」
「わかったデス!」
「賛成」
ここにいる五人の意見は完全に一致した。
「で、あとは……天野」
「なに?」
「任せたよ、あおいの誘導」
「う、うん」
実は、俺には重要なミッションがある。
今、ここで五人の意見が一致した。だから、実際に自由行動のコースを決めるとき、佐田がBコースを選べば満場一致だ。それに、たとえ佐田が反対したとしても、多数決で押しきることができるだろう。
しかし、それでは円満な決定とはいえない。できれば佐田の意見も、Bコースであることが望ましい。
そのために、『佐田がBコースを選ぶように事前に説得、あるいは誘導する』という根回しが必要になる。そして、それに最も適任なのが、佐田と一番仲の良い俺、というわけなのだ。
でも、実はこれが一番難しい。なぜなら、佐田がコース一覧を前にして、どのコースを選びそうなのか、俺にはさっぱりわからないからだ。素直にBコースがいいと言うのなら万々歳なのだが、それ以外を選んだ場合、難易度は格段にアップする。何か本人にメリットとなるものを提示しなければ、人の意見は変えられない。まさか檜山が佐田に告白するため、とか話すわけにもいかないし……。
他の四人がワイワイ盛り上がるなか、俺はこの難しいミッションをどう達成するか、頭を悩ませるのだった。