「なあ、みやび」
「どしたのー」
バリバリとポテチを食い散らす音とともに、ソファーの方からみやびの声がする。しかし、台所に立つ俺からは彼女の姿が見えない。きっと、寝転びながら食べているのだろう。ソファーが汚れるからマジでやめてほしいのだが。
「……昼間からお菓子を食うのやめろよ」
「いいでしょー別に」
ここのところ、みやびは学校に行ったり行かなかったりだ。以前より登校する頻度は高くなったが、研究で行けない日も多いようだ。どうやら忙しいらしい。
その多忙さのせいか、反動で土日はずっと家でお菓子を食べながらゴロゴロしている。とても中学三年生とは思えない。休日のオヤジじゃないか。
「……そんなふうにしていたら、太るぞ」
「いいのー、太らない太らない」
みやびはそう言っているが、俺は疑いの目を向けていた。
ちょうど洗い物が終わったので、俺はタオルで手を拭くと、リビングのソファーを覗き込む。
予想どおり、みやびは横たわりながらポテチを食っていた。そんな彼女を見ながら、俺は前々から思っていたことを呟く。
「やっぱり、ちょっと丸くなったよなぁ……」
「ん? なんか言ったー?」
だるそうにこちらを向くみやび。その顔はやっぱり、ちょっと丸っこくなっていた。俺はほっぺたを手で挟み込む。
「らにうるお(なにするの)?」
「…………」
そして俺は、だらしなくめくれたTシャツから見えている、みやびのお腹に目を向ける。
俺は、みやびの頬から手を離すと、彼女のお腹をつまむ。
ぶにーと、俺の手の中には、お腹の柔らかい肉が見事に現れていた。
「いやー! セクハラー!」
「ぶごっ!」
次の瞬間、みやびの蹴り上げた足が俺の側頭部にクリーンヒットした。
衝撃とともに視界が揺れて、俺はひっくり返った。
「ああ、大丈夫⁉︎ セクハラお兄ちゃん!」
「だ、大丈夫……」
心配と罵倒を同時に行うみやび。
幸いにも、地球儀事件以降、俺の体は頑丈に頑丈を重ねているので、ひっくり返ったところでどこにも異常は出ていなかった。俺は立ち上がって言う。
「……これでわかっただろ?」
「お兄ちゃんが突然妹のお腹を触るセクハラ野郎だってこと?」
「違うって……それは悪かったけど」
俺が言いたいのはそれじゃない。みやびも薄々わかっているはずだ。現実を見つめたくないだけで。
「みやび、やっぱりちょっと太ってるって」
「あーあーあーあー聞こえないー」
「……いい加減現実を見ろ! このままの生活だとマジで体に悪いぞ!」
「…………わかってるよ」
「だったらちょっとは運動したらどうだ」
「でも! 本当は全然大丈夫かもしれないよ? 太ったと言っても、ほら? 私もともと痩せ型だったし? 身長も平均より高いし? だから、適正体重に戻っただけだよ! うん、きっと」
「じゃあ体重、量りなよ」
「……それは」
「……自信ないの? やっぱりふt」
「太ってない! よーし、量ってやろうじゃないの!」
みやびはフンスと鼻息荒く、体重計のある洗面所へ向かっていった。
みやびに続いて俺も洗面所に入ろうとする。だが、ここで彼女からストップがかかる。
「お兄ちゃんは入っちゃダメ!」
「え、なんで?」
「女の子の体重は秘密だから!」
「えー……そう言って量るフリをして、本当は量らないんじゃないの?」
「しないよ! 量るってば!」
「……わかったよ」
みやびは、ガラッと洗面所のドアを勢いよく閉める。
それから十四秒後。
「いやああぁぁぁああぁぁああ!」
みやびの叫び声。そしてさらに三秒後、ガラッと洗面所のドアが勢いよく開き、みやびが出てきた。
入ってきたとは打って変わって、どよーんという効果音が聞こえてきそうなほど、落ち込んでいる。
「……どうだった?」
「…………めっちゃ増えてた」
「じゃあ痩せなきゃな」
「……うん」
どうやらみやびは、やっと現実を受け入れたようだった。
「どうしたデスか〜?」
「うおっ、ビックリした!」
振り返ると、いつの間にかそこにはサーシャがいた。まったく足音がしなかったから全然気づかなかった……。
「いや、実はみやびの体重がちょっと増えちゃって……それで痩せたいんだってさ」
「そうなんデスね〜。つまり、ダイエットというやつをするデスか?」
「まあ、そうなるだろうね」
「なるほど、『食欲の秋』デスが、『スポーツの秋』でもあるデスね!」
サーシャはスパイだ。スパイだったら、きっと運動神経はいいはず。それなら、みやびのダイエットにも何か役立つ知識を持っているかもしれない。
「サーシャは、何かいいダイエット法を知らない?」
「Эм……。ワタシはダイエットしたことないデス。痩せすぎて死にそうになったことはあるデスけど」
「……そ、そうか」
なんか壮絶な話になりそうだったので、深く突っ込まないことにした。
「でも、運動自体はしているでしょ?」
「今は部活動しかやってないデス」
すると、これまでずっと黙っていたみやびが口を開いた。
「サーシャって、お腹どうなってる?」
「へ? お腹デスか?」
「うん。見せて」
「……いいデスけど」
サーシャは少しビクビクしながら着ていたTシャツをペロンとめくる。
その下から現れた衝撃の光景に、俺は思わず声をあげてしまった。
「サーシャ……そ、それ……!」
「ど、どうしたデスか?」
「腹筋、割れているのか……!」
サーシャのお腹は引き締まっているのみならず、綺麗に割れていた。
男子で腹筋が割れている人は、運動部ではまあまあ見かけるが、女子で割れている人は滅多にいない。というか俺は見たことない。
背景を考えれば、サーシャは割れていてもおかしくないけど……。本人の雰囲気とはスゴくギャップがある。
俺は思わず手を伸ばしてサーシャの腹筋を触る。確かに硬い。モノホンの筋肉だ。
「ほまれ〜くすぐったいデス〜」
「あ、ごめん……」
俺の後で、みやびがサーシャのお腹に手を伸ばす。しかし、サーシャはバッと服を下ろすと、ものすごい勢いでズザザザと廊下を後退していった。まるで、みやびには触れられたくない、と言わんばかりに。
「……避けられてるなぁ」
「そりゃそうだろ……」
みやびに植え付けられたトラウマは、サーシャの中できっちり機能しているようだった。
みやびは改めてサーシャに尋ねる。
「サーシャ、痩せるにはどうすればいいと思う?」
「……そ、そうデスね。専門家ではないデスから、あまり適当なこと言えないデスが、やっぱり食事と運動じゃないデスか?」
「なるほどね……食事はお兄ちゃんに任せるとして」
そう言ってみやびは俺の方をチラリと見る。俺の協力はすでに決定事項のようだ。まあ、言い出しっぺだし痩せるまでちゃんとサポートするけどね。
「すぐに痩せられる運動って何かないの?」
「あるデスよ? ただ死んだ方がマシだと思えるほどきついデス」
「そ、それはいいかな……」
「Эм……。やっぱり走るのがいいんじゃないデスか? ほら、あれデス、ゆ……ゆう……」
「有酸素運動のこと?」
「デス」
方針はまとまったようだ。俺は話をまとめるべく発言する。
「じゃあ、みやびは当分の間、ジョギングしようか。俺もヘルシーな食事を作って協力するからさ」
「わかったよ……」
「ジョギング、ワタシもやりたいデース!」
「みやび、いい?」
「うん、まぁ……」
「そうとなれば、早速始めるデスよ!」
というわけで、サーシャに引っ張られるように、みやびはちょっと気が乗らなさそうな様子で、俺たちは準備をしてジョギングに出発するのだった。