午前九時三十分。
一般客の入場が始まり、校内が徐々に混雑し始める。
俺は自分のクラスのたこ焼き屋が開店し、順調に客を捌き始めたのを見届けると、食堂を後にする。
さて、これから昼時のシフトまで時間があるわけだが。
俺には絶対に向かわなければならない場所が一つある。しかも、特定の時間帯に行かなければならない。
そして、文化祭が始まったばかりのこの時間は、その特定の時間帯を満たしている。
このチャンスを逃すわけにはいかない! 文化祭が始まる前から、俺はこの時間にそこに向かうことにしていた。
食堂を出ると、俺はその場所へと足早に向かう。
「あれ、ほまれちゃん?」
「お、飯山か……」
すると、食堂を出たところで飯山に声をかけられる。彼女も今はシフトが入っていないようだ。
そして、俺を見ると、何かを察したかのような表情をする。
「もしかして……ほまれちゃん、A組に行こうとしてる?」
「……鋭いね。そうだよ」
どうやら飯山も『知っている側』の人間のようだ。どこに行くかなんて、俺は誰にもいっさい教えていないのに、言い当ててきたのがその証拠だ。
俺は少し考える。
今から行くA組は、本来ならば俺一人で行くのはあまりよろしくない。誰かと一緒にいた方が個人的にも嬉しいし、A組側としても嬉しいだろう。
もともと俺は一人でちょっと寄るだけのつもりだったが……。飯山と一緒に行くのもアリだ。むしろ、飯山だからこそ、一緒に行くとより楽しめるかもしれない。
「……一緒に行く?」
「うん! ぜひ!」
俺の提案に、飯山は嬉しそうに答えた。
俺たちは一緒にA組へ向かう。
出し物を出しているクラスと普段その場所を使っているクラスがバラバラになることが、文化祭ではかなり発生する。しかし、俺たち今から訪ねようとしている二年A組は、幸いなことにクラスの移動はなく、そのまま二年A組の教室を使用していた。
A組の教室の前に到着する。まだ文化祭が始まったばかりということもあってか、生徒はほとんど並んでいない。
これからどんどん一般客が入ってくることと、出し物の性質上お昼時に混雑するだろう、ということを考えると、このタイミングで来たのはやはりベストだったと感じる。
俺たちはほぼノーラグで、『メイド喫茶』という看板が掲げられたA組の教室の中に入った。
「お帰りなさいませ、お嬢様〜」
教室に入るなり、まず目に入ってくるのはメイド服。
俺たちがバイトしているメイド喫茶とは少しデザインが違う。おそらく文化祭に合わせてオリジナルで作ったのだろう。とても可愛らしかった。
「二名様でよろしいですか?」
「はい」
「では、こちらへどうぞ〜」
席に案内されて、腰掛けると俺たちは辺りを見渡す。
「どうですか、ナンバーワンメイドのひなたさん」
「これは……なかなかいいですねぇ」
俺のわざとらしい問いかけに、飯山は玄人ぶってノリノリで答える。実際、メイド喫茶で働く『ホンモノ』ではあるのだが。
内装はかなり凝っている。もちろん、ここは普段生徒たちが勉学に励む教室であり、本来はメイド喫茶のための空間ではないため、本場と比べるとどうしても劣ってしまう。それでも、文化祭のために一生懸命場工夫を凝らしているのが伝わってくる。
すると、メイドの一人がこちらに近づいてくる。
「こちらがメニューです、どうぞ」
「どうも」
「……あれ、もしかして、君はC組の天野くん?」
「え、あ、はい」
どうやら俺のことを知っているらしい。有名人だな、俺。
まあ、女にしか見えないアンドロイドになった男子、なのだから当然っちゃ当然なのだが。
すると、そのメイドは何かを察したらしく、ニヤリと笑った。
「あ、じゃあちょっと待っててね……みなと〜!」
そう言って、いったんこっちに渡してきたメニュー表を回収すると、パーテーションの向こうに姿を消した。
なかなか察しがいいな……。それにしても、今の対応、みなとと俺の関係を知っていなければできないよな……。なんだかありがたいような、恥ずかしいような、複雑な気持ちになる。
「今、みなとちゃんがいるの?」
「うん。だからこの時間帯に来たんだよ」
「なるほど〜」
この時間帯にみなとがシフトに入っていることは、事前に聞いていた。だが、俺がこの時間帯に行くことは伝えていない。サプライズだ。
さて、みなとはどんな感じだろうか……。
すると、パーテーションの向こうから一人のメイドが現れた。彼女は一直線にこちらに向かってくる。
「おお……!」
「わあ……!」
みなとだった。手にはメニューを持っている。俺の予想以上に、メイド服はとても似合っていた。
みなとは恥ずかしいのかこちらから目を逸らして、顔を赤くして俯き気味だ。思えば、みなとはメイド服好きだが、みなとがメイド服を着て俺の前に現れたことは今まで一度もなかった。
「い、いらっしゃい、二人とも……」
「ダメだよ、みなとちゃん! メイドさんはそんな挨拶じゃないよ!」
「……おかえりなさいませ、お嬢様」
「みなと、もっと可愛らしく、元気よく!」
「……おかえりなさいませ、お嬢様♡」
「「うっ」」
その笑顔に、俺たちは心を撃ち抜かれた。同時に胸の辺りを押さえてまったく同じよろめき方をする。
「だ、大丈夫⁉」
「い、いや、全然なんともない」
「完璧だよ、みなとちゃん!」
「どうやら俺の目は狂っていなかったみたいだ……」
「可愛すぎだよ!」
俺たちが口々に褒めたからか、みなとは再び恥ずかしそうにする。あぁ、今の動画に収めておけばよかった。無限回目の前でやってほしい。
「はい、これメニューね」
「みなとちゃん?」
「……メニューでございます、お嬢様♡」
「はい、よろしいです!」
飯山によるメイド指導がいつの間にか始まっているのを横目に、俺はメニューに目を通す。
文化祭なので、手間のかかる料理は扱っていない。チュロス、たい焼き、クレープなど、どれも軽食ばかりだ。
一人ではなく、二人以上で来た方がいい、と思ったのは、ここが飲食の出し物だからだ。言うまでもなく、俺は食べ物が食べられないし、ジュースの類も無理だ。しかし、何も頼まないのは店にとっても迷惑だし俺としても心苦しい。だから、せめて誰か一緒についてきてくれる人が欲しかったのだ。
「飯山は何にする?」
「ん〜、ぶどうジュースと、クレープにしようかな〜」
「わかった。じゃあ、クレープひとつとぶどうジュース、あとお冷をひとつ」
「かしこまりました♡」
早速飯山による教えの効果が出ている。よりメイドらしくなっているな……。
店内が混んでくる。やはりメイド喫茶は人気が高いみたいだ。
しばらく待っていると、みなとが俺たちのところに頼んだものを持ってきた。
「おまたせしました♡ クレープとぶどうジュースとお冷です♡」
「ありがとう!」
俺は持ってきたものを受け取る。一方で、飯山の様子が少しおかしかった。
彼女は何も反応することなく、みなとをじっと見つめている。みなとは何がなんだかわかっていないようで、キョトンとしていた。
すると、飯山が口を開く。
「みなとちゃん……重要なことを忘れてるよ」
「え?」
「メイドは……料理におまじないをしなきゃいけないんだよっ!」
そうじゃないか! これは重要なことだ。うっかり忘れていたが、俺だってメイド喫茶ではいつもやっていることじゃないか!
さすが飯山。トップメイドだ。
みなとは、顔を赤くして、「いや、それは……」とモジモジしている。
そんなみなとに、飯山は一喝。
「みなとちゃん! メイドになりきって! あなたは今、メイドだよ!」
俺もみなとに言葉を投げかける。
「大丈夫。メイドなら、誰でも通る道だから。俺もやった。思いきってやってみよう」
「うぅ……」
みなとは恥ずかしそうにギュッと目を瞑る。そして、クワッと目を見開いた。
「おいしくな〜れ、萌え萌えきゅ〜ん♡」
笑顔で魔法をかける彼女は、最高に可愛かった。
教室内から、おぉ……! と声があがる。
あぁ、彼女のこんな姿を見られるなんて、俺はなんて幸せ者なのだろう。
俺は、尊死した。