あっという間に日々が過ぎ、ついに文化祭一日目の朝になった。
俺が朝食を作っていると、みやびとサーシャが一階に下りてきた。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはようデス」
「おはよう、二人とも」
ちょうど朝食を作り終えて、俺は二人の前に皿を並べる。二人は早速食べ始めた。
サーシャの向かいに俺は腰掛けて、彼女の様子を見る。
「おいしいデス!」
「それはよかった」
みやびに『サーシャは盗聴している』と言われてからしばらく経ったが、サーシャには特に変な動きはない。
みやびに言われたとおり、サーシャとの接し方はまったく変えていない。しかし、サーシャの俺への接し方も、まったく変わらないのだ。何かを企んでいるのだろうが、何かを企んでいるそぶりすら見えない。
おいしそうに食べているのを見て、俺たちの考えすぎなんじゃないか、と思ってしまう。
ちなみに、サーシャとみなとの仲はちょっと改善した。やはり、目の前でみなとが俺とキスして見せたのが、サーシャには効果があったらしい。みなとの前でグイグイくることはなくなった。
それでも相変わらずボディータッチは多いし、不必要に体を寄せてくる。俺としては勘弁してほしいのだが……。
「今日は文化祭デスね」
「ああ、うん。そうだね」
「ワタシ、楽しみデス!」
サーシャは文化祭を非常に楽しみにしていた。ロシアの学校には文化祭みたいな行事がないのだろうか? それだったら、今日明日で文化祭を満喫していってほしいところだ。
すると、みやびが思い出したかのように言う。
「あ、そうそう、お兄ちゃん」
「ん?」
「私、今日文化祭に行くから」
「え、来るの?」
「来ちゃダメなの?」
「いや、そういうことじゃないんだけどさ……」
みやびが文化祭に来るのは、俺にとっては少し意外だった。そもそも研究所以外の用事ではあまり外出したがらないし、これまでお祭りの類があってもあまり参加したがらなかったからだ。
いったいどういう心境の変化があったんだ……。
「……もしかして、誰かに誘われた?」
「え、うん。よくわかったね」
「みやびのことならお見通しなのさ」
「何それ気持ちわる」
冗談をストレートな悪口で返された。俺の心は少々ダメージを受けた。
「……なぎさに誘われたんだ。一緒に行かないかって」
「ああ、なるほどね」
なぎさちゃんに誘われたのか……。なぎさちゃんは、みなとの妹でmみやびと同い年の中学三年生。そして、以前みなとから聞いたのだが、なぎさちゃんは俺たちの高校を第一志望にしているらしい。
つまり、第一志望校の雰囲気を体感したいから、今回の文化祭を見に来るのだろう。それで、友達のみやびを誘った……といった感じだろうか。
「じゃあ、お昼ご飯は作らなくてもいい?」
「うん。文化祭では食べ物の出店もあるでしょ?」
「あるよ」
「じゃあいらないかな」
「わかった」
みやびの昼食を作り置きするつもりだったのだが、どうやらいらないようだ。
朝食を食べ終わり、俺とサーシャは一足先に家を出る。
今日も人の波に揉まれながら学校の最寄り駅で降りると、学校の敷地沿いの街道を歩いていく。
敷地に入る前から、すでに学校が普段とは異なる装いになっていることがよくわかる。道と構内を区切るフェンスは風船でデコレーションされていた。
道を曲がって正門から校舎を正面に臨む。昇降口へと真っ直ぐ伸びる道の両脇には立て看板がズラッと並んでいて、校舎の屋上からは色とりどりの垂れ幕が帯状に並んでいた。
登校する生徒に混じって、忙しく動き回る生徒。看板の手直しだったり、来場者がくぐる手作りの門の確認をしていた。
「いよいよデスね」
「うん」
俺たちは昇降口で上履きに履き替えて、まずは荷物を置くために自分たちの教室を目指す。
廊下にはそれぞれのクラスの個性豊かな装飾が施されていて、非日常感が演出されている。その中を生徒らがバタバタと駆け回る。あと一時間もすれば、ここをたくさんの来場者が通ることになるのだ。
祭りの始まりは近い。文化祭は初めてではないが、俺はとてもワクワクしていた。
「ところでほまれは何を回るデスか?」
「うーん、そうだな〜」
実のところ、俺にはあまり回りたいところはない。一応、絶対に行く、と決めているところは一か所だけあるが……それ以外は全然決まっていない。
ただし、回りたい相手は何人かいる。その人たちと回るときに、相手に合わせて回っていければいいかな、と思う。なんとも他人任せだが、その方が思いもよらない体験ができそうだ。
そして、目の前にいるサーシャも、俺が一緒に回りたい人のうちの一人である。
すると、まるで俺の考えを読んでいるかのように、サーシャが提案してきた。
「ほまれ、一緒に文化祭回るデス!」
「うん、いいよ。俺もサーシャと回りたいと思っていたところなんだ」
「おお! 偶然デスね!」
サーシャは嬉しそうな表情をする。だが、すぐに何かを考えているような表情になった。
「でもシフトのおかげで回る時間は限られるデスね。ほまれはシフトいつデスか?」
「俺は一日目が十一時半から三時までで、二日目が九時から十二時だよ」
俺は調理担当なのだが、両日とも昼間にシフトが入っていた。その時間帯は、おそらく客が一番集中して一番忙しくなる。そんな時間帯に俺が入ることになったのは、アンドロイドの俺なら並の人以上の働きができるんじゃないか、と期待されているからだ。
当然、そのことは俺も承知している。むしろ頼ってくれて嬉しかったし、俄然やる気になった。
俺の返答を聞いたサーシャは少し考える。サーシャがどの時間帯のシフトに入っているのかは知らないが、俺と一緒に回れる時間はそんなにないのかもしれない。
「……では、二日目、十二時から二時はどうデス?」
「二日目の終わった後ね……」
俺は脳内スケジュールを開く。その時間帯ならシフトも入っていないし、誰かと回る約束もしていない。大丈夫だ。
「わかった。じゃあそこにしよう」
「了解デス!」
ここで、俺とサーシャは自分たちの教室に到着した。
俺たちの教室は文化祭で使う物品の物置や、生徒の荷物置き場として使われている。俺たちが到着したときにはすでにたくさんの荷物が置かれていた。文化祭の最中、この部屋にお客さんが立ち入ることはない。
もちろん、俺たちの出し物であるたこ焼き屋は、この部屋ではない。一階、昇降口から建物の中に入ってまっすぐ、正面のところにある大食堂の中にある。そこには飲食系の出し物が全部集まるのだが、俺たちはその一角でたこ焼きを売ることになっている。
俺たちは他のクラスメイトたちと一緒に、食堂の自分たちのクラスのスペースに行って最終確認をする。四阿(あずまや)に手作りの看板、材料の確認、器具の確認。すべての準備ができていることを確認したところで、放送がかかる。
『午前九時より、体育館にて、文化祭の開会式を行います。生徒は体育館に集合してください。繰り返します……』
そろそろ時間が来たみたいだ。俺はクラスの皆と一緒に体育館に移動する。
体育館に到着すると、そこは蒸し暑さと一緒に生徒のざわめきで満ちていた。
俺は奇妙な高揚感を味わっていた。
祭りが始まる前の、この独特の感覚。エネルギーを爆発させる大きなことが始まる寸前、それをじっとこらえているときに感じる、むず痒いようなウズウズするような、心のざわめき。
きっと、俺だけではない。何人も、なんならこの場にいる全員がそれを感じているに違いない。
午前九時をまわる。不意に体育館の照明が落ちた。生徒のざわめきが大きくなるが、次の瞬間、ステージの上の一点にスポットライトが当たる。そこに体育館中の視線が集中する。
そこに立っているのは一人の生徒。何も持たずにこちらを向いている。
来るぞ! 俺のドキドキは最高潮に達する。
そして、彼は思いっきり叫んだ。
「これから!!!!!! 第百十一回!!!!!! 文化祭を!!!!!! 開幕します!!!!!!!」
ワンテンポ遅れて、全校生徒の歓声が一体となり、体育館中を躍動する。
二日間にわたる、お祭りが始まった。