みやびに招かれ、俺は彼女の部屋に入る。
部屋の照明は落とされ、勉強机の上のモニターだけが部屋を照らしていた。キーボードは七色にピカピカ光っている。ゲーミングなんちゃら、というやつだろうか。
「座って」
「……うん」
みやびが部屋のドアを閉め鍵をかけると、小さな声で俺に座るように促す。俺は床に落ちていたクッションに腰を下ろした。
みやびは勉強机の上に置いてあった何かを手に取ると、俺の目の前に正座する。
異様な雰囲気の中、みやびは静かに話を始めた。
「なんとなくわかっているかもしれないけど……お兄ちゃん、大声は出さないでね」
「え、うん……」
さっき思いっきり大声を出してしまったけど、大丈夫だろうか……。
「まず、これを見てほしいんだけど」
そう言ってみやびは手に持っていたものを俺の目の前に差し出す。
彼女の手の中にあったのは、白く小さな四角い物体だった。手のひらにすっぽり収まるほどの小さなサイズで、表面の材質はのっぺりしている。一つの面には、電源プラグが付いていた。
電気を使用する何かの機械であることは明白だ。ただ、何に使うものなのかはさっぱりわからなかった。拡張コンセントなのかと一瞬思ったが、プラグはあるのにコンセントがついていないのでそれはおかしい。
そもそも、どういう意図でみやびがこれを俺に見せてきているのかもわからない。俺はみやびに尋ねた。
「これがどうかしたの?」
「これはお兄ちゃんのベッドの下のコンセントに挿さっていたんだけど」
「そうなんだ……」
そう言われても、俺はこんな機械をコンセントに挿した覚えはない。そもそも、ベッドの下にコンセントがあること自体初耳だ。俺が部屋を使い始める前からついていたのだろうか?
「お兄ちゃんはこれを挿した覚えはないんだよね?」
「もちろん。そもそもこれが何か知らないし」
「そうだよね……」
話が見えない。俺は早く真実が知りたくなった。
「みやび、これは何?」
「盗聴器」
「え……え? 本当?」
「うん。盗聴器」
俺は大きな声を出しかけて、さっきみやびが『大きな声を出してはいけない』と言ったことを思い出して慌てて口を塞いだ。
それから、俺は小さな声でみやびに話しかけようとして、盗聴器がまだ動いているかもしれない、という考えに至って言葉を飲み込む。
「……」
俺はどうやってみやびに言葉を伝えようか思案する。みやびはその様子から、俺が何を考えているのか察したらしい。
「大丈夫だよ、もう盗聴器は動いていないし、この部屋にも盗聴器はないから」
「……そうなんだ」
俺はやっと声を出せて、一安心した。
よく考えてみれば、機械の正体を明かす前にも、みやびは小声ながら堂々と話していたじゃないか。聞かれる心配がないから、みやびはこうして話しているのだ。俺は自分の心配が杞憂だと理解した。
それにしても、俺の部屋にあったこれを今みやびが持っているということは、これを見つけるために、知らない間に俺の部屋に忍び込んで、ベッドの下を漁ったということになる。それもかなりヤバい行動だが、この際それは不問としよう。
この盗聴器が知らぬ間に俺のベッドの下に設置されていた、ということの方がそれよりもはるかに重大な問題だ。
いつ盗聴器が設置された?
誰が盗聴器を設置した?
何のために盗聴器を設置した?
どうやって盗聴器を設置した?
俺の頭の中に、瞬間的にいくつもの疑問が生まれる。それを言葉にしようとするが、思考の大渋滞が生まれてうまくみやびに尋ねることができない。
「こんなもの、なんで……」
「……たぶん、サーシャだと思う」
「え⁉︎」
「静かに、お兄ちゃん」
「あ、うん、ごめん……でも、いつサーシャは設置したんだろう?」
「……実はこの盗聴器、もう解析してあるんだけど、信号を発信し始めたのは、サーシャがうちに来た日だったよ」
そう言われて俺は、その時の記憶を思い出す。
確か、サーシャは俺の部屋に入った後、俺のベッドの下に潜り込んでいたよな……。
「そうか、あの時か……?」
「うん。サーシャがエロ本を探すって言って、お兄ちゃんのベッドの下に潜り込んだ時」
仕掛けるとしたらそのタイミングしかないだろう。
思えば、確かにあの時のサーシャの行動は怪しかった。来て早々、エロ本がないか探す、なんて言って人のベッドの下を漁るものだろうか。あの時の不審な行動の目的は、エロ本を探すという大義名分でカバーされていたのか。
「お兄ちゃんの部屋に入る前、サーシャはポケットに手を入れて何かを持っていたんだ。だけど、お兄ちゃんの部屋から出る時には何も持っていなかった」
「そうだったのか?」
「うん」
よく観察していたな……。そうか、あの時妙に険しい顔をしていたのは、このことに気づいていたからだったのか。
「それで、後でお兄ちゃんの部屋で電波を調べていたら、明らかに怪しいのがあって、探したらこれが発信源だったの」
「なるほど……」
つまり、数日間俺は盗聴されていた、ということか……。
言うまでもなく、自分の部屋はプライベートな空間だ。他に誰もいないときには、自分の本音などがついつい独り言として漏れてしまうこともある。そのような発言を聞かれているかもしれない、というのはとても恐ろしいことで、ストレスだった。
とにかく、『誰が』と、『いつ』と、『どうやって』はとりあえずわかった。
残るは最大で最難の疑問、『何のために』だ。
俺の部屋に盗聴器を設置する、という行動の目的は、ほぼ間違いなく、俺の言動をこっそり知りたい、というものだろう。
でも、サーシャが俺の言動をこっそり知って、何になるのかがまったくわからない。
きちんとした理由なんてなく、ただ俺の本音を聞くのが楽しい、という愉快犯的な考えで設置したのかもしれない。
しかし、もし俺の言動を聞くことで、サーシャが何らかの利益を得ることがあるとするならば、それはいったい何なのだろう?
「でもさ、サーシャがこれをやる意味がわからないんだけど……なんでわざわざ俺の部屋に盗聴器を?」
みやびはしばらく黙ってから言った。
「今の時点では……『わからない』よ」
「わからないのか?」
「うん。『わからない』」
みやびはなんだか含みのある言い方をする。
俺は質問を変えた。
「……推測さえもできていないのか?」
「なんとなく掴んではいるけど、まだ全体像がわからない。確信するまでもっと調べなきゃいけないかな」
「そ、そっか……」
その口ぶりだと、サーシャが何かとんでもなくスケールの大きいことを企んでいるように感じる。
ふぅ、とみやびは一息つくと、話を締めにかかった。
「とりあえず、お兄ちゃんに言いたいのは、サーシャが何か企んでいるみたいだから気をつけて、っていうこと」
「うん」
「それと、サーシャへの接し方は、前といっさい変えないでほしいっていうこと」
「……うん」
サーシャとの接し方をここでガラリと変えてしまうと、俺たちが何か掴んでいることを彼女が察して、別の予期しない行動に出てしまうかもしれない。それを防止するために、現状維持をしよう、とみやびは言っているのだ。
「最後に、サーシャに何か怪しい動きがあったら早めに言ってね」
「……わかった」
「……くれぐれも、サーシャにはバレないようにね」
「うん」
俺は、すぐにみやびの部屋を出て自室のベッドの中に戻る。
いったいサーシャは何を企んでいるのだろう。俺は、なんだか急に彼女がとても不気味に思えるのだった。