森の中を、ラーンはつまづきそうになりながら進んでいく。
フレデリカは森の中をスイスイ進んでいくが、それと同じくらい、アウレリアも足軽に森の中を進んでいく。
アウレリアはこの森でずっと過ごしてきた。それゆえ、この森はアウレリアにとっての庭のようなものなのだろう、とラーンは必死に二人を追いかけながら考えていた。
「ところで聞きそびれていたが、フレデリカはなぜ軍に追われているんじゃ?」
ラーンの前を行くアウレリアが、同じく前を行くフレデリカに尋ねる。
そういえば、理由を聞いていなかった、とラーンは思う。昨日聞こうとしたのだが、軍の姿が見えてそれどころではなくなってしまい、結局聞きそびれてしまったのだ。
フレデリカもラーンと同じく、軍に追われている。一体なぜなのか、何をやらかしたのか、ラーンは気になっていた。
「私が『エルフ解放戦線』の構成員だからよ」
「ふむ……どういうことじゃ?」
「簡単にいうと、エルフの国をもう一度作るために、帝国と戦う組織に所属しているから、っていうこと」
それを聞いて、ラーンは戦慄する。
フレデリカは帝国からエルフの国を再び独立させようとしているのだ。帝国政府の意向に反していることは言うまでもないし、軍に追われていることも納得だ。
ラーンはとんでもない人物と関わってしまった、と薄々後悔し始めていた。
「……ふむ?」
だが、アウレリアはあまりピンときておらず、混乱しているようだった。
「エルフの国をもう一度作る……ということは、エルフの国は無くなってしまったのか?」
「そうよ。百年くらい前にね」
「百年前⁉︎ ちょっと待て、今帝国暦何年じゃ?」
「三百三十三年だけど」
「三百三十三年⁉︎ もうそんなに時間が経ってしまったのか……」
きと、森の中でずっと過ごしていて、時間の感覚が破壊されてしまったのだろう、とラーンは推測した。
「ちなみに、エルフの国が帝国に併合されてしまったのはいつじゃ?」
「二百二十七年よ」
「なんと……そんなことが起こっていたのか……」
「知らなかったの?」
「普段から滅多に人と関わりを持たないゆえ、外で起こっていることは全然知らんのじゃ。ここに連れてこられた時点から、外の情勢についての知識はとまっておる」
「へぇ。その間、人との関わりは完全になかったのね?」
「んー、厳密にいえば違うのじゃが」
「どういうこと?」
「……最初は人間界から完全に隔絶された生活を送ろうと思っていた。軍を追い出したわけだから、迂闊に外に出られないというのもあった。しかし、妾も元は人間じゃ。それなりの暮らしをしたい。そうなると、森の中だけで過ごしていては、どうしても調達できないものがある。だから、やむを得ない場合のみ、日が沈んでいる間に街へ行き、魔石を貨幣に替えて、色々と買い込んでいたのじゃ」
「そうだったのね」
ここで、フレデリカが突然立ち止まった。そしてバッと右を向く。
「何かが来る!」
小さく、鋭い声で警告。ラーンは身が引き締まる思いがした。
しかし、アウレリアは違った。フレデリカがそう言った瞬間、思いっきりその方向へと走り出したのだ。
「ちょっ、何してるのよ!」
「血の匂いがする!」
ギラついた目で、ニィと口角をあげながら、アウレリアはそう叫ぶ。ラーンとフレデリカは慌ててその後ろを追いかけた。
木々をかき分け進んでいくと、巨大なシルエットが見えた。
昨日出会ったグローサーベアーで間違いない。しかし、その図体は昨日遭遇した個体の二倍ほどあった。
口の周りは、さっきまで何かを食べていたらしいということを示すように、血と肉片がべっとりとついていた。そして、今まさにラーンたちを視認し、さらなる犠牲者を生み出すために立ち上がっていた。
「グオオォォォオオオ!」
「黙れクソグマがぁ!」
グローサーベアーが雄叫びを上げる。次の瞬間、アウレリアが叫んで大きくジャンプをし、グローサーベアーに回し蹴りを繰り出した。
脚が頭にクリーンヒットする。そして、グローサーベアーの頭が、出してはいけない音を出して変な方向に回転した。
「うそっ……⁉︎」
アウレリアが脚を振り抜いて着地してから、グローサーベアーの巨体が地を揺らし横になる。そして、それが動くことは二度と無かった。
「ふぅ……こんなもんじゃな」
「す、すごい……!」
まさに一撃必殺。ラーンはアウレリアの高い戦闘能力に感嘆した。
「さて、飲むとするかの……」
そう呟くと、アウレリアはグローサーベアーの死体に近づくと、おもむろに胴体に噛みついた。そのままチューチューと血を吸い出していく。
「グローサーベアーの血は飲むのね……」
「エルフの血よりはマシじゃ」
「私は魔物以下ってこと⁉︎」
フレデリカは若干ショックを受けているようで、ラーンは少しかわいそうだと思った。
「……とりあえず、解体しましょう」
「……そうね」
アウレリアが血を吸っている傍らで、二人はグローサーベアーの死体を手際よく解体していく。
アウレリアが血を吸い終わった頃には、必要な部分を回収し終えていた。
「あ、もう血は吸いませんか?」
「うむ」
「それでは、少し離れてください」
アウレリアがグローサーベアーの元から少し離れると、ラーンは炎の魔法を放って死体を焼却する。
そして、灰の中から青色の魔石を取り出した。
「すごい魔法じゃな、ラーン」
「ど、どうも……」
ラーンは恥ずかしいような、嬉しいような気持ちを抱く。
これまで人から褒められるという経験がなかったので、こういう時の心持ちは、いまだによくわかっていなかった。
三人は、再び歩き始める。
途中で何度も魔物に遭遇するが、その度にアウレリアが一瞬で敵を斃していったので、ラーンとフレデリカの出る幕は全く無かった。
昼食休憩を終え、再び歩き始めてから、アウレリアがラーンに尋ねる。
「ところで、お主らはシュニーの街に着いた後はどこにいくんじゃ?」
「それは……フレデリカさん」
「ん、なに?」
「シュニーの街に到着した後は、どこへ向かうんですか?」
「エルヴルン山脈を越えて、私たちの拠点に向かうわ」
「なるほど、山脈越えか……」
「そのために、シュニーに一回寄るのよ」
「……どういうことですか?」
「エルヴルン山脈はとても急峻なの。標高が高いから寒いし、空気も薄い。それにこの時期はまだ雪や氷が十分融けていない。だから、防寒具とか、登山靴とか、山越えに向けて装備を整える必要があるのよ。それを、シュニーの街で揃えよう、っていうわけ」
「な、なるほど……」
準備が必要なほど、山脈を越えるのは大変らしい、とラーンは理解する。『黒い森』を抜けても、まだまだ高い障壁が存在するようだった。
「……お主らは大変じゃの。ま、今宵はゆっくり泊まれる場所に案内するつもりだから、楽しみにしておれよ!」
「「ゆっくりできる場所?」」
「着いてからのお楽しみじゃ」
アウレリアは鼻歌を歌いながら意気揚々と歩いていく。
ラーンとフレデリカは顔を見合わせると、アウレリアの後ろをついていくのであった。
「お、見えてきたぞ」
しばらくして、日が暮れて森の中をさらなる漆黒が支配しようとしていた時、突如として先頭を歩いていたアウレリアが声を上げた。
ラーンは、その声から少しして、アウレリアの言葉が指していたものを認識する。
薄暗い森の中に佇む巨大な角張った影。一瞬ギョッとするが、よく見ると、古びた石造りの建物だった。
壁はヒビに覆い尽くされ、その上植物の侵食までも受けていて、今にも崩れそうな様子だった。
アウレリアは昼間、『ゆっくりできる場所』と言っていたが、本当にゆっくりできるだろうか、とラーンは不安になった。
「……ここ、ですか?」
「そうじゃ」
「なんだか不気味ね……野宿よりかはマシだけど、ゆっくりできるのかしら……?」
ラーンの不安を、フレデリカが代弁する。
「大丈夫じゃ」
アウレリアは生い茂った雑草をガザガサとかき分けて建物の入り口へと回る。
建物の正面へは、森の向こう側から石畳の道が続いていた。だが、それは長年使われていないらしく、隙間を雑草や苔が埋め尽くし、木の根によりかなり波打っていた。
「さあ、入るがよい」
「……」
アウレリアとフレデリカが中に入っていく。しかし、ラーンは建物の入り口の前で立ち止まり、無言のまま立っていた。
ラーンには、この建物の入り口に既視感があった。
自分が脱走した軍の施設、その入り口の造りに非常によく似ているのだ。脱走するときに一瞬目に焼き付けただけだったが、ラーンは強い印象を受けていた。
もしかしたら、ここは軍の施設だったのかもしれない、そんなことを思っていると、アウレリアの声が飛んできた。
「どうしたのじゃ、ラーン。中に早く入らぬか」
「あ、はい。今行きます」
ラーンは慌てて二人の後を追った。
建物の中は暗く、荒れ果てていた。通路の中央以外は埃が堆く積もっており、ところどころに朽ちた備品が転がっていた。
長年手入れされていないことを示しており、油断しているとつまづいて転んでしまいそうだった。
「暗いわね……」
そういうと、フレデリカは自身の荷物から何かを取り出す。すると、ボワっとその周辺が明るくなった。
「それは何ですか?」
「光石のランタンよ。魔力を込めると光るの」
「へぇ、便利じゃのぉ」
三人は施設の奥へと進んでいく。
そして、一階の一室、大広間にたどり着くと、ランタンを部屋の中央に置き、その周りを囲んで夕食をとり始めた。
食事の途中で、ラーンは気になっていたことをアウレリアに尋ねる。
「……アウレリアさん、ここは何の建物なんですか?」
「ここは、妾の拠点じゃ」
「へぇ……もう使われていないみたいだけど、誰か物好きでも住んでいたのかしら?」
「いいや……元々は軍の施設じゃ」
その言葉を聞いて、ラーンとフレデリカの身が一気に引き締まった。二人は『軍』という言葉にすっかり過敏になっていた。
そんな二人の様子を見て、アウレリアは笑う。
「安心せい、とっくの昔に放棄されとる。今や妾しか使っておらん」
「そ、そうなのね……安心したわ」
フレデリカはホッと息を吐いた。
しかし、ラーンは厳しい表情のまま、呟く。
「もしかして、アウレリアさんが吸血鬼にされたのって、この施設じゃないですか?」
「……察しがいいのう」
アウレリアはボソッと肯定した。
「ここははるか昔に建てられた軍の人体実験用の施設じゃ。妾らはここに集められ、長い苦難の末に吸血鬼になった。そして、軍と戦い、軍を追い出し、ここを解放したのじゃ」
ここが、アウレリアにとっての『施設』だったのだ。
二人が静かにしていると、アウレリアがいつになく真剣な声色で言う。
「ラーン、フレデリカ」
「……何よ」
「……何ですか?」
「……絶対に、軍から逃げ切るのじゃぞ」
真剣な眼差しで、アウレリアは二人を見つめた。
しばらく、無言の時間が流れる。
「もちろんです」
「言われなくてもわかってるわよ」
「そうかそうか」
アウレリアは、笑いながら、壁際にあった瓶を一つ手に取って、力任せに栓を抜く。
「……まあ、せっかくの機会じゃ、酒でも飲め」
「……そう言って、変な薬とか盛るつもりじゃないでしょうね」
「んなわけあるかい! ここを見ろ! シュニーの街で製造された酒だと書いてあるじゃろ!」
街に買い出しに行った時に買ってきたのだろう。確かに製造地は『シュニー』と書いてあった。
「それに、今目の前で栓を開けたのを見たじゃろうが……さあ、コップを出すのじゃ」
ラーンは空になったコップをおずおずと、フレデリカは仕方なさそうにアウレリアの前に差し出した。アウレリアはそこに瓶の中身を注いでいく。
ランタンの光に照らされた酒の色は、琥珀色をしている。初めて見る酒に、ラーンは少し心を躍らせていた。
フレデリカがコップに鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
「果実酒かしら?」
「そうじゃ。名を『白ワイン』といい、白葡萄から作られる。妾のお気に入りでとっておきじゃ」
「へぇ~」
すると、アウレリアは白ワインの入ったコップを掲げる。フレデリカも同じようにコップを掲げるので、ラーンも真似をした。
「では、お主らの旅の幸運を祈って」
「ええ」
「……はい」
「乾杯!」