「うぅ……」
ラーンは目を覚ました直後、サラサラと水が流れる音を聞いた。
ゆっくりと体を起こし、目を開けて周りの様子を確認する。
「ここは……」
辺りは薄暗く、奥まではよく見通せない。どうやらここは岩に囲まれた地下空間のようで、ゴツゴツした岩の壁や天井、地面からは、ニョキっと透明な結晶が突き出ていて、ぼんやりとした光を放っている。ラーンのすぐ側では、上の方に続く横穴から水が流れてきていて、巨大な地下湖を形成していた。ラーンはその岸辺に打ち上げられるような格好で横たわっていて、半身湖に浸かっている状態だった。
ラーンは自分の身に起きたことをすぐに思い出す。フレデリカに連れられ、ブラウ河を渡ろうとしていたところ、帝国軍の仕掛けた魔法陣に引っかかってしまった。しかし、軍に捕まる直前、地面が崩壊して穴の中に落下してしまったのだ。
すると、ここは穴の底だろうか、とラーンは天井を見上げる。しかし、天井のどこにも穴が空いている様子はない。となると、落下した後にこの地下水脈によってここまで流されてしまったのだろう、とラーンは推測した。
ラーンは体の状態を確かめる。かなりの距離を落下したように思えたので、それ相応の怪我を負っていることを覚悟していたが、今の自分の体には目立った傷や痛みは無い。長い間気絶していたからなのか、それともそもそも軽傷だったのか、いずれにせよラーンの体は異常が無かった。
それどころか、体の奥底からエネルギーが無尽蔵に湧いてくる感触をラーンは覚えた。動いて発散しないと落ち着かない、そんな初めての奇妙な感覚をラーンは味わっていた。
次に、ラーンは自分の荷物を確かめる。持ってきた背嚢はラーンのすぐそばに落ちていた。近づいて中身を確かめるが、中身が荒らされた形跡は無かった。ただ、落下の衝撃からか、幾つかの道具は粉々になっていたり、バラバラに壊れていたりして、使い物にならなくなっていた。
少し残念に思ったが、別れる寸前にフレデリカから貰った木の札など、大切なものは欠けていなかったので、ラーンはひとまず安心した。
「どうしよう……」
自分はどうするべきなのか、ラーンは思案する。
今、自分がいるのはどこかの洞窟の中。穴に落下したはずだが、流されてしまったらしい。
目標が帝国から王国への亡命であることには変わりない。しかし、地下にいるままではそもそも亡命などできやしない。とにかく、地上に出ないと話にならなかった。
ラーンは荷物を持つと、側を流れる川の上流方向を見る。川はなだらかな斜面の上の方からやってきているようで、どこから流れてきているのかは暗くてよくわからない。ただ、川が流れる穴の大きさは、ラーンが通れるくらいではありそうだ。
「よし……」
ラーンは地上に出るため、ひとまず川沿いに進むことにした。そして、荷物の中から光石のランタンを取り出す。
光石のランタンは別れる前にフレデリカから貰ったものだった。丈夫なのか、それとも偶然なのか、壊れていなかったのだ。
しかし、荷物の中から取り出してラーンは異変に気づく。ランタンが勝手に光り出したのだ。ランタンを光らせるには魔力を込める必要があるはず。何もしてないのに光っているランタンを見て、ラーンはやっぱりどこか壊れてしまったんじゃないか、と思った。
だが、魔力を使わずに光るのなら、それはそれで好都合でもある。ラーンは魔力で動くホムンクルスなので、魔力はとても重要だ。ランタンが勝手に光ってくれるのなら、そのために魔力を割く必要がなくなり、魔力の節約になるのだ。
「そうだ……」
ふとあることを思いついて、ラーンは近くの壁に生えている光っている結晶に近づく。
何もないのに光っている不思議な結晶だと思っていたが、ラーンはもしかしたらこれはランタンと同じ光石なのではないかと予想していた。もし、その予想が正しければ、ランタンが壊れた時の代用になるかもしれない、と思ったのだ。
それを確かめるために、ラーンは結晶に手をつくと、魔力を込める。
すると、予想通りというべきか、ぼんやりと光っていた結晶は強い輝きを発し始めた。この結晶は間違いなく光石だった。
「ふんぬ!」
そして、ラーンはその結晶を引っこ抜こうと試みる。しかし、石とだけあってとても硬く、びくともしない。そこで、ラーンは荷物の中からシュタックアイゼンを取り出すと、底についている金属の爪で光石を叩き始めた。
ガンガン! と数度叩くと、結晶がひび割れて、ボロッと上部が落下した。それを回収すると、ラーンはシュタックアイゼンと一緒に荷物の中にしまう。これでランタンの代用品は手に入れた。それに、王国に亡命できた時に売ることができれば、多少のお金になるかもしれない。
改めて荷物を背負い直したラーンは、ランタンを手に、地上を目指して川沿いを上流方向に歩き始めるのだった。
☆
川沿いはおおよそ人が歩くのに適していない。シュニーの街の上水道のように、道が整備されているわけでもないし、そもそも川が流れている穴が狭いのだ。ラーンは膝まで水に浸かり、時々身を屈めながらどんどん水の流れてくる方向へ進んでいく。
洞窟の中は水が流れる音とラーンが進むために水をかき分ける音以外、何もしない。他の生物が起こす音さえしない。空気はひんやりとしていて、ラーンは少し不気味に思った。
魔物がいないのなら、それはそれで安心でもある。軍も嫌だが、施設を逃げ出したての頃の狼の魔物の一件以来、魔物に襲われるのもラーンは嫌だと思っていた。
しかし、ラーンのそんな考えがフラグとなり、回収されることになる。
しばらく進むと、これ以上進めなくなるほど川が流れる穴が狭くなった。しかし、その側にはその代わりと言わんばかりに比較的大きな洞窟が続いている。ラーンは仕方なく、大きな穴の方を進むことにした。
そして、見通しの悪い曲がり角を曲がろうとしたその時、ラーンは何かに引っかかって前のめりに倒れる。
「あっ……!」
しかし、ボヨンと何かに受け止められて、地面に叩きつけられることは避けられた。首を動かして足を確認すると、脛のあたりに白い糸のようなものが絡み付いていた。それに引っかかってしまったのだ、とラーンはすぐに理解した。
ラーンは視線を前に戻す。自分を受け止めたのは同じく白い糸でできたネットのようなものだった。ラーンは偶然に感謝しつつ、ネットから離れようとするが、絡みついて体がうまく動かなかった。それどころか、動けば動くほど糸はより絡みついて、より抜け出せなくなってしまっていた。
「SSSSSHHHHHHH!」
前方からする奇妙な鳴き声に、ラーンはハッと顔を上げる。天井付近から姿を現した奇妙な鳴き声の主は、白く巨大な蜘蛛だった。その体はラーンと同じくらいの大きさで、お尻からはラーンの足を引っ掛け、体に絡みついた糸が天井へ伸びている。八つの眼がラーンの方を向き、脚をわしゃわしゃと動かしながらこちらに降下してきている。
「ひいぃぃっっ!」
そのあまりにもおぞましい姿に、ラーンは情けない声を上げるともがく。間違いなくその蜘蛛は魔物だった。そして、ラーンはその蜘蛛の魔物が作った巣に見事に引っかかってしまったのだ。
蜘蛛の前脚は、鎌のように鋭くなっていて、ランタンの光をギラリと反射していた。このままではその前脚に切り裂かれて餌になるのは明白だった。
「SHHHHHHHHRRRRRRR!」
しかし、いくらもがいても巣からは抜け出せそうにもない。そうこうしている間にも蜘蛛の魔物はどんどんこちらに迫ってきている。手が引っかかって、腰の短剣は抜けそうにない。ラーンは火の魔法を使うことにした。
「『燃えろ!』」
そう言って、蜘蛛の魔物を包み込むように炎を出現させる。
次の瞬間、閃光が迸った。同時に、膨大な熱と爆風が押し寄せてきて、ラーンは吹き飛ばされた。
「……ゴホッ!」
壁に叩きつけられた後、ラーンは尻から地面に着地する。身体中が痛い。熱い爆風によって火傷をしてしまっていた。さらに、呼吸をするたびに熱い空気が肺の中に入ってきて、ラーンは思わず咳き込んでしまう。
実は、洞窟には可燃性のガスが充満していた。そのため、ラーンが蜘蛛の魔物を燃やそうと火をつけた瞬間、ガスに引火して大爆発を起こしたのだった。ガスは無味無臭であるため、ラーンが気付けるはずはなく、そもそも可燃性のガスの存在自体知らないため、ラーンは何が起こったのか全くわからなかった。
しばらくじっとしていると、ラーンの体は回復する。怪我の大きさに比べて明らかに速い回復ペースに少々幸運を感じながら、ラーンは立ち上がって、自分が火をつけたところに歩いていく。爆発の勢いで取れたのか、それとも燃えてしまったのかはわからないが、ラーンの体にまとわりついていた蜘蛛の魔物の巣の糸は無くなっていた。
「おえっ……」
そして、それは蜘蛛の魔物本体も同様だった。ラーンの体ほどの大きさがあった蜘蛛の魔物は、爆発四散したようで洞窟の壁に焼け焦げた残骸がへばりついているだけだった。ビクビクと動いているそれに少し吐き気を催しながら、ラーンは魔物が死亡し、ひとまず脅威は去ったと認識する。
ラーンは、すぐそばの地面に転がっていた、おそらく蜘蛛の魔物のものと思われる紫色の魔石を回収すると、背嚢の中に放り込んで、今度は十分に警戒しながら横穴の奥へと進んでいくのだった。