「……ZZZ」
「……」
ラーンはフレデリカの寝息を聞きながら、ゆっくり道を前へと歩んでいき、高度を上げていく。
太陽は西に傾き、地平線の向こうへ隠れようとしている。西の空は真っ赤に染まり、反対側の空は紫に染まっていた。
「ふぅ……ふぅ……」
ラーンは二人分の荷物とフレデリカの体重を何とか支えながら登っていく。かなり疲労が溜まっているので休憩したいところだが、そうもいかない。今のところはその気配は一切ないが、あれだけ派手なことをして、飛んでいった方角までバレている以上、いつ追っ手が追いついてくるかわからない。少しでも距離を稼ぎ、そのまま逃げ切りたい、その一心でラーンはひたすら進んでいた。
幸い、魔力さえあればずっと動き続けられる。ホムンクルスに生まれたことを、ラーンはとても感謝していた。
フレデリカは、街から脱出する際に魔法を過剰に使用したことで、疲れて寝てしまっていた。ラーンはフレデリカに何度も休憩を提案したが、追いつかれることを心配して拒否されてしまった。かといって、道中で倒れてしまって動けなくなってしまったら元も子もない。結局、ラーンは自分の背嚢を前側にずらし、荷物を背負ったフレデリカをおんぶしながら歩き続けることにしたのだ。
フレデリカは当初この案も渋っていたが、ラーンの強いゴリ押しによって最終的に承諾した。フレデリカが疲れてしまったのは自分の責任だから、自分がなんとかしなければならない、とラーンは思っていた。
それでも、やはり二人分の荷物+フレデリカを背負って移動するのは大変で、すでに脚は限界一歩手前、途中で拾った木の枝を支えに、何とか登っている状態だった。足元も整備されていない道に変わり、大小様々な石が転がっており、気を抜くとつまづいてしまいそうだった。もちろん、つまづくと大変なことになるのんは目に見えているので、ラーンは気を張って頑張って避けていた。
そんな地面も、周りが暗くなってきたことで見辛くなってきた。ランタンが欲しいな、とラーンが思っていると、背中で何かが動く感覚。
「んん……よく寝た」
「フレデリカさん、起きましたか?」
「ええ……もう大丈夫よ。降ろして」
「わかりました」
ラーンはフレデリカを降ろす。フレデリカは伸びをすると、ランタンを取り出した。
「ラーンが持ってちょうだい。私はあまり魔力が回復していないから」
「わかりました」
ラーンはランタンを持って魔力を流し込む。すると、ランタンが燦々と輝き出した。
「強い強い! もう少し魔力を少なくして!」
「す、すみません……」
ラーンが魔力を絞ると、ランタンは落ち着いた明るさになった。自分の足元と、十数歩先までくらいなら見通せる。
「今日は夜通し進むんですか?」
「ううん、途中で休むわよ」
「でも、野宿したら見つかってしまいますよね?」
「大丈夫よ、見つからないところに泊まるのよ」
しばらく歩くと、道はさらに険しさを増し、大きな石がゴロゴロと転がるような場所にきた。
「ラーン、止まって」
「はい」
「ここを右に行くわよ」
フレデリカは右方向を指差す。しかし、その方向に道はない。
不思議に思いつつも、ラーンはフレデリカにランタンを渡して、先導してもらって進む。
道なき道を進み、大きな岩をいくつも乗り越えていくと、突然目の前にぽっかりとした穴が現れた。中からは冷たい風が吹いてくる。
「ここは……」
「洞窟よ。中に入って」
フレデリカに案内されたのは、山の中腹にぽっかりと空いた横穴だった。高さはラーンの身長の三倍程度、横幅は馬車がすれ違える程度には大きく、奥行きはランプの光では測ることができないほど長い。ピチョン、ピチョン、と水滴が垂れる音が、洞窟内に反響していた。
「今日はここに泊まるんですね」
「そうよ」
フレデリカは荷物から炭を取り出すと、適当なくぼみの中に入れた。ラーンが魔法で火をつける。
「ここは登山道からは外れている上に、エルフしか知っている人はいないわ。見つかる心配はゼロよ」
「それならよかったです……」
ラーンは腰を下ろした。二人は換金せずに余った肉を荷物から取り出すと、串刺しにして焼き肉にする。
黙々と夕食を食べ終わると、外はすっかり日が落ちてしまった。ラーンとフレデリカが囲む火だけが光源になっている。フレデリカはランプを灯すと、ラーンが地図を広げて、二人でそれを覗き込んだ。
「えっと、今はどこら辺なんですか?」
「だいたいこの辺ね」
フレデリカが指し示したところは、シュニーの街から山脈へ続く道が、ちょうど地図から消えるあたりだった。山脈の尾根を走る州境から街までの距離のちょうど半分ほどだ。
「明日中には山脈を越えられそうですね!」
「それはわからないわ」
「どうしてですか?」
「今まではなだらかな道で、それに比較的道が整っていたけど、ここからはどんどん道が険しくなるわ。それに高度も上がっていくから寒くなるし、雪や氷で歩きづらくなるわよ」
「そ、そうですね……」
もちろん、山を歩くのは初めてなので、ラーンは心配になる。
「大丈夫よ。私がついているから。あともう少しだから、頑張りましょう。……アウレリアのためにも」
「……はい」
ここで、ラーンは洞窟の外から気になる音がするのを捉えた。同時に、特有の匂いもする。
「あ、雨が降ってきましたね」
「本当⁉︎」
ラーンの声に釣られて、フレデリカも外を見る。シトシトと降り出した雨は、たちまちザーザーという本降りになった。同時に、ごおおおお、と唸るような風も吹き始めた。
幸いにも、洞窟は奥から入り口に向かってわずかに下るように傾斜していたので、水が入ってくることはなかった。
しかし、外と繋がっていることに変わりはない。外から吹き込んでくる冷たい風に、ラーンは思わず身震いした。
「さっきまで晴れていたのに、急に天気が変わりましたね」
「山はそういうところなのよ」
「明日までに止むでしょうか?」
「わからないわ……止まなかったら、もう一日出発を遅らせるわ」
「え、遅らせるんですか?」
「もちろんよ。だって考えてみなさいよ。ここは雨だけど、もっと標高の高いところでは確実に雪になっているわ。雪の中の登山なんて、よっぽどの命知らずがやるものよ。いくら山に慣れている私でも、遭難しかねないわ」
「確かに……」
「早く着くことも大事だけど、命が無いと元も子もないわ」
とりあえず、とフレデリカは寝袋を広げる。
「今日はやることもないし、寝ましょう」
「そうですね」
「ラーン、先に寝ていいわよ。私、見張っているから」
「え、いいんですか?」
「そうよ。だって私をおんぶして長い時間歩いたでしょ? 疲れているんだから、先に休んでなさい」
「……ではお言葉に甘えて」
ラーンは自分の寝袋を広げると、中に入る。ゴツゴツとした地面の凹凸を感じながら丸くなると、ラーンの意識はスーッと落ちていくのだった。
☆
「……て! ラーン、起きて!」
「んん……なんですか、フレデリカさん……」
「何か来ている!」
その一言で、ラーンはパッチリ目を覚ました。急いで寝袋から抜け出すと、ボサボサの髪を整える間もなく、短剣を抜いた。そして、フレデリカが注視している洞窟の入り口の方へ体を向ける。
相変わらず洞窟の外はザーザーと雨が降っていた。強い風も吹いているようで、ビョオォォオオオ〜と何かの叫び声とも取れる風の音が聞こえる。
一方、洞窟の中はとても静かだった。すでに赤くなって遠赤外線を放出しているだけの炭の微かな明かりと、ランタンの光が二人の影を洞窟の壁に投影していた。
すると、洞窟の外、岩に混じって何か大きな影が動いているのが見えた。それは一直線にこちらに向かってきているようで、どんどん大きくなっている。
ズシンズシンと大きなものが地面を踏み締める音。地面が微かに振動し、ラーンの短剣を持つ手に力が籠る。
そして、それは姿を現した。
「ウウウウウウウウウウ??」
明かりに照らされたのは身長がラーンの二倍ほどある巨人だった。全身が濃い体毛に覆われて、目は白く濁っている。横幅はとても広く雨に降られて体毛がずぶ濡れになっていたせいで、ランプの光でテラテラと光っていた。
巨人は動きを止める。白目しかないのに、なぜかラーンは自分とフレデリカを交互に観察しているように思えた。
次の瞬間、巨人は鼻を大きく鳴らすと二人の方に突進してきた。ドスンドスンと地面が今まで以上に揺れ、ランタンが倒れてパリンと割れ、一気に洞窟の中が暗くなった。
「いやあぁああああ!」
最初に巨人に目をつけられたのは、フレデリカだった。フレデリカが魔法を使おうとする直前、巨人がその大きな手でフレデリカを一気に掴んだのだ。
「フレデリカさん!」
「いや、放して! 放して!」
フレデリカは身を捩りながら叫ぶが、巨人に言葉は通じない。それどころか、ぐへへといったように笑うと、彼女の頭をもう片方の手で揶揄うようにこづいた。
「フレデリカさんを……放してください!」
ラーンはいてもたってもいられず、巨人に突進していく。しかし、巨人はラーンの方を一瞬チラッと見ると、ラーンが到達する前に勢いよく足を振り抜いた。
「ゴバァッ……!」
かなりの速さで振り抜かれた巨大な足は、ラーンの腹にクリーンヒットした。メシメシと骨が歪み、肉が裂け、内臓が潰れる感覚。衝撃とともに反対方向の巨大な運動量を与えられたラーンは洞窟の奥の方へと吹っ飛ばされ、壁に背中から激突した。
「ガハッ!」
背中を強打し、その場で崩れ落ちる。口の端から苦いものが垂れた。視界が明滅する。
その間にも、フレデリカは巨人に弄ばされる。
巨人はしっかりとフレデリカを握りしめているため、その手の中から抜け出すことはできない。その間にも巨人はフレデリカのポニーテールを引っ張ったり、靴を強引に脱がせたり、やりたい放題だ。
「くそっ! どこまで辱めるつもりなのよっ……!」
フレデリカは顔を真っ赤にして怒り出す。魔物に捕まり、手出しできない上に揶揄われていることに耐えられないのだ。
「『風よ!』」
フレデリカは力を振り絞って風魔法を使う。出現した風は細く鋭い刃になり、巨人の喉元を目掛けて直進する。
しかし、昼間魔力を使いすぎたせいで、威力が足りなかったのか、その風の刃は巨人の首をちょっと切ったところで雲散霧消してしまった。
「ゴゴゴゴゴゴ??」
「ぐううっっぅ!」
巨人が何が起こったかわからないと言ったように、もう片方の手で喉元を押さえる。その一方、フレデリカをつかむ手に力が込められ、フレデリカはギリギリと締め上げられる痛みに苦しい声をあげる。
巨人は喉元に当てた手に付着した自身の血液を見るや否や、何が起こったのか理解したようで、フレデリカに対して怒りの声を上げた。
「グググググググ!!」
そして、フレデリカを地面に叩きつけた。
「『風よ!』 ……ガハァッ!」
フレデリカは咄嗟に地面から湧き上がる風の流れを作り出し、勢いを相殺しようとした。その結果、致死的な速度で叩きつけられることは避けられたが、かなりの衝撃がフレデリカを襲い、一時呼吸ができなくなった。
巨人はそんな動けない状態のフレデリカを見下ろすと、何を思ったのか服に手をかけ、強引に脱がせていく。手が大きいので上手く脱がすことができず、ビリビリと布が破ける音が響く。
「や……やめ……」
息も絶え絶えにフレデリカは訴えるが、それが通ずるはずもなく、あっという間に下着姿になってしまった。
こちらを見下ろす巨人は、怒りと嫌な笑みが混じったような表情をしている。そして、そのまま下着に手をかけようとした、次の瞬間だった。
「ん゛っ゛」
「ゲゲゲゲゲゲゲ??」
巨人のアキレス腱に何か熱いものが差し込まれた。直後、巨人はバランスを取ることができなくなり、叫びながら横にズシンと倒れた。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ、ゴホッ」
口からミスリルを垂らしながら、ラーンが巨人のアキレス腱から短剣を抜く。その際、ふらふらと倒れそうになるが、なんとか踏みとどまった。
まだ傷は完全に癒えていない。しかし、フレデリカが巨人に乱暴されるのを、黙って見過ごすことは、ラーンは絶対にできなかった。
最初は得意の炎の魔法で巨人の頭を丸焼きにしようとラーンは考えた。しかし、巨人の体毛は雨に濡れている。それに、洞窟の中で大きく炎を燃やせば、窒息状態になってしまうかもしれない、とラーンは危惧したのだ。
そこで考えついたのは、短剣を使った方法だ。しかも、ただ短剣を使うのではなく、短剣を熱して使う方法だった。
クラインの街でラーンが購入したのは、熱に強い短剣だった。偶然ではなく、わざわざ選んだのだ。もし自分が炎の魔法を使っても、剣が溶けたりしないように、と。
それが今、最高の威力を発揮した。ラーンは、短剣の周りに魔法で高音の炎を纏わせると、音もなく巨人の後ろに忍び寄り、アキレス腱を一気に裂いたのだ。
剣があまりにも高温であるせいで、常温ならば絶対に切れないような組織が、熱で溶けながら爽快に切れていく。こうして、足首の半分を切断された巨人は、ドスンと横に倒れることになってしまったのだった。
まだ戦いは終わっていない。しかし、巨人は何が起こったのかわからず混乱している。
ラーンにとって、絶好の、そして絶対に逃したくないチャンスだった。
ラーンは巨人の背中に回ると、再び剣に炎を纏わせる。そして、ちょうど背中の真ん中、心臓があるあたりをブスリと一突きした。
「ギギギギギギギギ!!」
肉が裂けると同時に焦げる音。血がドバドバと噴出する。しかし、ラーンは全く怯むことなく、そのまま傷口を広げながら肉を焼き、抉っていく。
次の瞬間、勢いよく傷口から血が噴出する。全身を真っ赤に染めながらも、なおも剣を突っ込み続ける。
しばらくして、やっと血の噴出が収まり、ラーンは剣を抜く。
巨人は、絶命していた。どうやら、ラーンが最後に突き刺したのは、巨人の心臓だったようだ。
「うぇ……気持ち悪い……」
ラーンは巨人の血の匂いにむせていると、足音がする。巨人の体の向こうから現れたのは、フレデリカだった。ラーンが使っていた棒を支えに、こちらまで回ってきたのだ。
「ラーン! 無事?」
「はい……なんとか……」
そう答えた瞬間、ラーンの口に苦いものが溢れる。思わずペッと吐き出すと、銀色のものが地面に垂れ、シュワシュワと石を溶かし始めた。
そのままふらっと倒れそうになるが、フレデリカが慌ててその体を支える。
「まだ……傷が完全に塞がっていないようです……」
「ラーン……」
「とりあえず、座って休みます……フレデリカさんも……」
巨人に勝利した余韻に浸る気分にもなれず、大ダメージを受けた二人は座って休むことにしたのだった。