翌朝。二人は目を覚ますと、一階の食堂に向かい、そこで朝食をとる。
この宿の食堂は、宿の女将さんである受付の男性の妻がやっているようだった。ラーンにとって、他人の作った本格的な料理を食べるのは、昨晩の夕食が初めて。夕食と同じく、朝食にも舌鼓を打ち、ラーンは食に大満足していた。
朝食を食べ終わると、ラーンはフレデリカに尋ねる。
「フレデリカさん、今日は買い物ですよね?」
「そうよ。でも、まずは魔石や魔物の肉や希少部位の換金もしないとね」
「そうですね……ところで、昨日も言っていましたけど、なぜ今日の方が都合がいいんですか?」
「ふふ、じゃあ外に耳を澄ませてみて」
「え?」
「いいから」
「はい……」
ラーンたちは昨日、小さな通りからこの宿に入ったが、宿が入るこの建物の反対側は、シュニーの街の大通りに面している。そういえば、朝からなんだか大通りの方が騒がしいな、とラーンは感じていた。日が昇っている間は人や馬車の通行量が多くなるのは当たり前のことではあるが、それにしてはやけに足音や騒ぎ声が大きい。それに、散発的に花火の爆発音のようなものまで聞こえてきていた。
「何だか騒がしいような気がします」
「そうよね~」
「どういうことなんですか?」
「実は、今日はお祭りなのよ」
「お祭り……?」
「そう。『討龍祭』っていうんだけどね。知ってる?」
「うーん……知らないです」
「そっか。討龍祭っていうのはね……」
昔々、それもフレデリカが生まれる遥か前、帝国には勇者と呼ばれる最強の魔物ハンターがいた。当時、帝国には、最強の魔物である龍種の中でも、特に強いと名高い六体の龍がいた。その龍たちは、帝国の辺境に生息していて、帝国の発展を阻んでいた。そこで、時の皇帝は勇者にその六体の龍を討伐するように要請し、勇者は死闘の末、六体全てを討ち取ったのだという。その偉業を讃えて、勇者が帝都に帰還した日を『討龍祭』として、毎年大きく祝っているのだ。
フレデリカはそのように語った。
「そんなお祭りがあるんですね。……でも、どうしてそのお祭りがあると、都合がいいんですか?」
「このお祭りでは、人々が仮装する慣わしがあるのよ。それに、祭りとなると人通りも多くなる。だから、たくさんの人の中に紛れて、かえって目立ちにくいっていうわけ」
「な、なるほど……」
「それじゃ、早速出かけるわよ。まずはハンターギルドに行って、買い取ってもらわないとね。お金がないから」
「そうですね」
二人は部屋に戻って荷物を持つと、チェックアウトして大通りに出た。
フレデリカはフードを被っている。エルフ特有の耳を隠すためだ。
そして、ラーンもフレデリカに合わせてフードを被っていた。特徴的な赤髪をなるべく人に見えないようにするためだ。
二人とも、普段ならかなり目立つ格好だが、今日は周囲にそれ以上に変な格好をしている人がいるので、相対的に目立っていなかった。
「そういえば、ラーンって、討龍祭で帰還した勇者と同じ名前をしているわね」
「同じ名前に、したんです」
「同じ名前にした?」
「はい……もともと、施設では『六号』と呼ばれていて……ハンターギルドに登録するときに、そのまま書き込むのは明らかにおかしかったので、そこから名前を取ったんです」
「なるほど……そういうことだったのね」
人の多さに流されそうになりながら、二人は何とかハンターギルドへ辿り着く。お祭りの日でも、ハンターギルドは開いていて、ホールの飲食スペースでは、たくさんのギルドメンバーが昼間から酒を飲んで大騒ぎしていた。
二人は建物の裏に回って、専用のカウンターでアイテムを鑑定してもらう。
しかし、同じようにアイテムの鑑定をしようとする人が多く、カウンターはとても混んでいた。二人は、カウンターの職員からアイテムと引き換えに番号札を受け取ると、少し待つように言われた。時間がかかるようだったので、二人は建物の表側に回ると、ギルドの飲食スペースの空いている席に座って待つ。
「……この街を出発したら、どこに向かうんですか?」
「そうね……地図を見せてちょうだい」
「はい」
ラーンは地図を広げる。フレデリカが地図に指を沿わせながら説明する。
「今私たちがいるのは、この『シュニー』って街で、目指しているのはこの辺ね」
フレデリカが指を動かした先は、帝国の南西端、南下したブラウ河が、エルヴルン州内を東から西に流れてきた川と合流して、西方に流れていくその合流地点だ。エルフにしか知られていない、というフレデリカの言葉は本当だったようで、地図には街はおろか、そこに至る道すら描かれていない。
「本当はエルヴルン山脈を西に迂回して、ブラウ河沿いの街道を行きたいところだけど、ここは軍が駐留しているからダメね」
山脈と河に挟まれたところには『ミッテブラウ』という街が描かれていた。ここは要衝であると同時に、ブラウ河の数少ない渡り場でもある。ここから河を渡るわけではないにしろ、通過するのは難しいだろう。
「……じゃあ、どこを通るんですか?」
「ここね」
そう言って、フレデリカはシュニーから南に伸びる細い道を辿る。
「山脈の途中で途切れてしまっていますけど……」
「地図上はね。でも、載っていないだけで、ちゃんと山脈の向こう側に続いているわ。これは昔、エルフたちが交易をするために使っていた道で、今はほとんど誰も使わなくなってしまったから、途中までしか描かれていないんだと思うわ」
「……通れるんですか?」
「もちろん。だって、行きに通って来たんだもの」
自信満々にフレデリカは言った。
「とにかく、この道なら流石の軍でもマークはしていないと思うわ。さらに、この先には私たちの組織の拠点もあるから、一旦そこに寄りましょう。そこから渡場に案内するわ」
「わかりました」
ついに旅の終盤が見えてきて、ラーンはテンションが上がる。しかし、同時に旅の大一番である山脈越えも迫ってきていることを思い出して、すぐにテンションは元通りになった。
ラーンはふと横を見る。ラーンたちの席から見える壁には、いろいろな紙が貼ってある掲示板があった。なんとなく眺めていると、その中に見知った顔があった。
「あ……」
「どうしたの?」
「あれ、フレデリカさんじゃないですか?」
「そうね」
ラーンが小さく指差した先には、お尋ね者の紙。そこに描かれている顔は、まごうことなくフレデリカだった。金髪、ロング、弓使い、エルフ……その下に書かれている特徴もフレデリカに一致している。懸賞金は一万ゲルトと、とんでもない額が書かれていた。
「す、スゴいですね……」
「私を突き出そうとか思わないでよね」
「まま、まさか、思いませんよ!」
すると、ギルドの職員が掲示板にやってきて、新たに一枚掲示した。
職員が去った後、その紙を見てみると、それもお尋ね者の紙だ。その似顔絵はどことなくラーンに似ていて、特徴の欄には赤髪、ロングと書かれていた。
「ラーンもお尋ね者じゃない……しかも、三万って……」
「フレデリカさん、私を突き出したりはしないですよね?」
「……しないわよ」
「なんですか、その間。怖いです!」
「しないわよ! でも、私より懸賞金が高いってなんか腑に落ちないわね……」
「一応、帝国軍の秘密兵器なので……」
そろそろ交換できただろうか、と二人は席を立って、建物の裏に回る。幸いにも誰にも二人の正体はバレることはなかった。
「予想以上にたくさんもらえたわね」
「そうですね。これでしばらくは困らないと思います」
二人は金貨のたくさん入った袋を、ジャラジャラ鳴らす。得たお金は四千ゲルト。状態の良い魔石と希少部位や肉のおかげで、かなりの額になった。
「じゃあ、これをラーンと私で半分ね」
「え、いいんですか?」
「もちろんよ。はい」
フレデリカは二千ゲルトをラーンに渡してきた。ラーンはありがたく受け取り、自分の背嚢の中にしまった。
実際には、『黒い森』を通ったときに遭遇した魔物のほとんどは、アウレリアが倒したのだが、今この場にはいない。魔物を斃した貢献度の観点では、アウレリアに大半を渡すべきなので、ラーンは少し引け目を感じていた。
アウレリアは無事に生き延びているだろうか……ラーンの心からその不安は消えない。
「じゃあ、次に装備を買いに行きましょう」
「……はい」
ハンターギルドを出ると、二人は大通りに面した店に入っていく。
店の中には、さまざまな装備品が置いてあった。外側の厚い暖かそうな靴や手袋、毛皮のコートに、何に使うのかよくわからないラーンの身長より大きな二枚の板、そして鉄製の棘のようなものが何本もついた輪などが置いてあった。知らないものが多く、ラーンはそれらを思わずじっと見つめてしまう。
「さて、これからエルヴルン山脈を越えるわけだけど」
「はい」
「一言で言えば、かなり大変ね。今の時期はかなりマシな方だけど、道中はたくさん雪が残っているし、山の中はとても寒い。だから、しっかり装備を整えることが必要なのよ」
「なるほど」
二人は防寒具や登山靴を見繕っていく。
そして、フレデリカが鉄製の棘のついた道具を手に取ったときに、ラーンは尋ねる。
「フレデリカさん、その道具は何ですか?」
「これはシュタイクアイゼンっていう、滑り止めよ。靴の底につけて、氷雪地の地面に深く突き刺すことで滑らないようにするの」
「へぇ」
「これは必需品ね。ないと大変なことになるわ」
「じゃあ、その二枚の板は何ですか?」
「これはスキー板ね。二枚の板を足につけて、それで雪の上を滑るのよ。でも、今回は使わないわ」
それらに加えてキャンプ道具などを選び、二人は会計を済ませる。他にも保存食などを買い込んで、二人は準備を終えた。背嚢がずっしりと重くなり、所持金は百ゲルトを残して消えてしまった。
店を出ると、相変わらず大通りは騒がしかった。二人は人をかき分けるようにして、泊まった宿の方角を目指す。
その途中、街の中央広場に差し掛かったところで、二人は動けなくなってしまった。人だかりができており、そのせいで流れが阻害されてしまっているのだ。
「う、動けないです……」
「仕方ないわ、少し待ちましょう」
それにしても、何のせいで人だかりができているのだろうか。ラーンはその原因が気になった。
すると、突然人々が騒ぎ出す。そして、目の前で人だかりが割れて、幅五メートルくらいの通路が開かれた。
何事かと思っていると、遠くから金属が打ち付けるがシャリがシャリという音が聞こえてきた。ラーンは一瞬で嫌な気分になった。心臓の鼓動が速くなり、呼吸が浅くなる。
「だ、大丈夫?」
「……平気です」
「離れましょう」
二人は離れようとするが、いい感じに人の間にハマってしまい、動くことができない。そうこうしているうちに金属の音はどんどん大きくなり、ついに目の前にその姿が現れた。
馬に乗った、鎧を着た人間の列が、群衆の間を通過していく。軍隊の行進だった。
人々の歓声は大きくなる。それに比例して、ラーンは何も考えられなくなる。幸いラーンに気づいている様子はない。だが、いつ気づかれてもおかしくない。ラーンは頭がおかしくなりそうだった。
「なんで……軍が……」
「お、姉ちゃんたち、聞いていないのか?」
「え?」
二人のすぐ目の前に立っていた男性が、振り返る。そして、親切なことに二人に何が起こっているのか説明してくれた。
「なんでも、軍隊が『黒い森』で最強の魔物を討ち取ったんだと! 今日の祭りに合わせて、その成果を盛大に祝うんだよ!」
「そ、そうなのね」
「おう! なんたって、俺たちハンターはその魔物のせいで、『黒い森』への立ち入りが制限されていたんだからな!」
「へ、へぇ……」
ラーンは嫌な予感がしていた。というより、ほとんど確信してしまっていた。自分たちの都合の良い展開にはなっていないということを。
目の前を馬車が通過していく。その、人が一人くらい乗れそうな大きさの荷台には、白い布がかけられ、こんもりと盛り上がっていた。
軍隊が広場の中央に整列する。すると、中央の木製の台に一人の男性が乗る。甲冑を被り、髭を生やした厳つく威厳のある男性だった。群衆が徐々に静かになる。
男性はよく通る声で語り出した。
「帝国軍シュニー駐屯部隊隊長、グスタフ・シュテルンである! 本日は、シュニー市民に報告がある!」
おおお? と市民が声を上げる。ゴホン、とグスタフは咳払いをした。
「二日前、我々はシュニー北部の『黒い森』の調査に向かった! 目的は、『黒い森』に掬う魔物、『吸血鬼』の調査である!
そして、『黒い森』の中の廃屋に到着した時、我々は『吸血鬼』と接敵した!
奴は確かに強かった。……だが、我々の武力の前においては、奴は無力だった!」
いつの間にか木製の台の後ろには、馬車に乗せられていたものが立てかけられていた。布はかかったままだ。
「『吸血鬼』は百年以上、『黒い森』を縄張りとし、帝国臣民の心の安寧を妨害した。しかし、ついに一昨日、我々は討ち取ったのである!」
グスタフが腕を一振りする。それを合図として、かけられた布が勢いよく取り払われる。
「『吸血鬼』は死んだ! 『黒い森』は我々の手に戻ったのだ!」
グスタフが、天に向かって拳を突き上げた。おおおおお! と市民は大歓声を上げ、同じように天に拳を突き上げる。
––グスタフの後ろの木製の十字架、そこに架けられているのは一人の女性。
長い黒髪。ボロボロの服を纏い、豊満な肢体が、手足を十字架に縛り付けられていることで曝け出されている。
頭は垂れ、口は半開きのまま、鋭い犬歯を見せている。
目は焦点があっていない。力も入っていない。瞬きもない。輝きもない。澄んでもいない。
そして、本来心臓がある場所には、デカデカと木製の杭が打ち込まれていた。その周りは、血で真っ赤に染まっている。
「そんな……」
ラーンは力無く膝をついた。
アウレリアが死んでしまった。
ラーンはその事実を信じたくなかった。しかし、実際に今、ラーンとその周りの大勢の市民の目の前で、絶命したアウレリアが晒し上げられているのだ。
ラーンは絶望した。
二日前の深夜のことが思い出す。去り際に響いた銃声。いくら強いとはいえ、やはり一人で軍に対抗するのは無謀だったのだ。
もっと自分にできることは無かったのか、その思いだけが頭の中をこだまする。
そして、ラーンの中に、沸々と煮えたぎる軍への怒りが湧き上がる。
軍の都合で望んでもいない改造をされ、軍の都合で殺されそうになって、やっとのことで追い出したのに、結局軍に殺され、悪者にされて民衆の前に吊し上げられている。アウレリアはあまりにも不憫だった。
「……なきゃ」
「え?」
だからこそ、ラーンは思った。
こんな状態で大衆の前に吊し上げられるのは間違っている。死してなお、軍の都合に振り回されているこの現状が、どうしても許せなかった。
「助けなきゃ……」
「ラーン、ちょ、ラーン!」
ラーンは周りの人を強引に押し除けて、前へ進む。フレデリカはラーンを必死に引き留めようと手を伸ばしたが、その手は虚しくも空を切った。
ラーンが割って入ったことで、近くの人が怪訝な顔でラーンを見る。しかし、ラーンの眼中に彼らの姿はない。今はただ、軍からアウレリアの遺体を『解放』しなければならない。ただそれだけが、ラーンの頭の中を支配していた。
「……であるからして」
ついに、ラーンは演説中のグスタフの立っている壇の真下までやってきた。まだグスタフはラーンに気づいておらず、遠くを見つめて演説している。
次の瞬間、ラーンは大ジャンプして、壇上に飛び乗った。
「な、なんだね貴様あああぁぁああづあああっっっぁぁあ゛あ゛あ゛」
そして、それに気付いたグスタフが何かを言う間もなく、ラーンはその頭を鷲掴みにすると手から炎を出して、塵も残さず焼き尽くした。