建物の裏手には、白い砂浜のビーチが広がっていた。
そして、その向こうに広がるエメラルドグリーンの遠浅の海。水平線の上には入道雲が聳え立っている。
「海だー!」
レイ先輩が真っ白い砂を蹴り上げて、海に一直線に走っていく。
周りには俺たち以外の人の姿はない。こんなにいい場所なのだから、大人気の海水浴場になっていても全然不思議ではないのだが……。
「ほかに、だれもいませんね」
「このビーチも会社の敷地内だからね」
つまり、実質俺たちの貸し切りってわけか!
俺も早速海に入る。波打ち際からさらに進んで、足首、太もも、腰あたりまでつかる深さまで進む。
外は暑いが、海の中は少し冷たいくらいだ。ちょうどいい感じである。
前世でも海水浴には数えるほどしか行ったことがなかっただけに、懐かしい気分になる。
「思ったよりいい気持ちいいね〜」
カヤ先輩も俺の横をザブザブとかき分けて深いところへ進んでいく。
そういえばフローリー先輩は……?
辺りを見回すと、波打ち際のところにしゃがみ込んでいる姿を発見した。
「フローリーせんぱいは、はいらないんですか⁉︎」
「……本当に入っても大丈夫なんですか?」
「だいじょーぶ! 入ろー!」
すると、レイ先輩が猛スピードで引き返してきたかと思うと、フローリー先輩の手を取り、再び海側へ引き寄せていく。
「ひやぁぁあああ!」
二人はバシャバシャと水飛沫を上げながら海の中へ走っていく。その途中で、フローリー先輩はバランスを崩して、勢いよく前のめりに倒れた。
バシャーン! と水飛沫が上がる。
「先輩! ごめん、大丈夫……?」
慌ててレイ先輩がフローリー先輩を起こす。
全身がびしょ濡れになったフローリー先輩は一言。
「……それほど寒くないですね」
「へ?」
レイ先輩は予想外の一言に目を丸くする。
「わたくしの故郷では、海は寒くて荒れているものというイメージしか無かったのですが……そうでもないのですね」
だからさっき、『寒くないのか』とフローリー先輩は聞いていたんだな。
俺は水平線がある東方を見る。
前世でも、日本の太平洋側から東を望むと、同じように水平線が見えた。その遥か向こう側にはアメリカがあったわけだが……。
「このうみのむこうには、なにがあるんだろう……」
すると、カヤ先輩から答えが返ってくる。
「ここからは見えないけど、この先には『ワクワク』っていう島国があるんだよ」
「そうなんですか? はじめてききました」
「外国との関わりがほとんどない国だからね。王国とは全然違う文化が発展しているらしいよ」
「へぇ~」
「ワクワクには、普通の人は行けないんだけど、特定の商人だけは行くことができるんだ。私のお父さんの会社も、そのうちの一つだよ」
「そうなんですか」
興味はあるが、訪ねるのは難しそうだ。
もしかしたら、カヤ先輩のお父さんは行ったことがあるのかもしれない。もしそうだったら、会ったときに是非ワクワクの話を聞いてみたいところだ。
「フォル! 泳ぎの競争しよ!」
「いいですよ!」
「あんまり深いところとか、離れたところには行かないでね~」
「「はーい!」」
俺とレイ先輩は、海の深い方へ駆け、十分深くなったところで浮く。
俺は前世でスイミングスクールに通っていたおかげで、四泳法で泳ぐことができる。今の身体で泳ぐのは初めてだが、きっと大丈夫だろう。
「よーし、あの岩場まで競争だー!」
レイ先輩は器用に立ち泳ぎをしながら、向こうの方に見える少し離れた岩場を指差す。
三つも年が離れ、身体も成長途中である俺は、このままではレイ先輩にかないっこない。
そのことは先輩もわかっていたようで、ハンデを提示してきた。
「フォルはハンデとして身体強化魔法を使っていいよ!」
「いいんですか?」
「もちろん! でも負ける気はないからね! それじゃ、よーいドン!」
そういうや否やレイ先輩は超高速でバシャバシャと一直線に泳ぎ始める。
俺は身体強化魔法を発動すると、レイ先輩を猛スピードで追い上げる。
陸上で身体強化魔法を使うとものすごいスピードができるのだが、それは水中でも同じようだ。体感では、前世の成長しきった体で泳いだとき以上のスピードが出ているように感じる。
「ぶはあぁぁっ!」
結果的に俺はレイ先輩を追い抜いて、先に岩場の縁に辿り着いた。
岩場に上って振り返ると、ちょうどレイ先輩が岩場に手をかけていた。
「はぁ……はぁ……速いね……フォルは……あー負けちゃったぁ……」
レイ先輩は残念がっているが、俺からしたら身体強化魔法なしで、タイムにほとんど差が無かったことにビックリだ。
マジでこの人、身体能力がバケモンすぎるだろ……。
岩場から泳いできた方向を振り返ると、建物がかなり遠くになっていた。カヤ先輩とフローリー先輩は置いてきちゃったけど、どこにいるのかな……。
「あ」
「どうしたんですか?」
「カヤ先輩が何か持ってきた」
あそこ、とレイ先輩が指差す方向を見ると、建物の方からビーチへ、カヤ先輩が何か大きな丸いものを抱えて走っていた。
「行ってみよう!」
そう言うなり、レイ先輩は再び海に飛び込んで泳ぎ始める。
俺も続いて海に飛び込むと、イアに思念を送る。
『出番ですね』
次の瞬間、俺の体の周りを、海水の流れが包み込む。そして、その流れにより俺の体が加速していく。
『空気を送るっスよ~』
同時に、エルにより俺の鼻口に空気が送られ、地上と同じように呼吸ができるようになる。
きっと上空からは、まるで魚雷の如くカヤ先輩のところへ一直線に向かっているように見えるだろう。
わずか十秒足らずで浜辺に辿り着いた俺は、海から飛び出してズザザザ、と勢いよく砂浜の上へと着陸する。
「わ、フォルちゃんか……ビックリした」
俺はカヤ先輩が手に持っているものに目を向けた。
緑色の大きな球体だ。側面には、極に向かって細長い縞々の模様がある。
こ、これはまさか……。
「スイカですか?」
「そう! 皆で食べて、って社員の人がくれたんだ」
「スイカだー! おいしそー!」
レイ先輩が後ろからバシャバシャと駆け寄ってきた。
「しかし、どうやって食べるのですか? 皮を剥かなければ食べられませんよね」
「確かに……」
フローリー先輩の指摘に、カヤ先輩のテンションは急激に下がってしまう。
しかし、俺には名案があった。
「そ、そしたら!」
思いがけず大きな声が出てしまった。皆の視線が俺に集まる。
そして、俺は提案する。
「『スイカ割り』、しませんか?」
※
「右ー! カヤ先輩右ー!」
「こ、こっち⁉︎」
「行き過ぎです!」
布で目隠しをしたカヤ先輩は、大きな棒を持って、俺たちの声を頼りに、砂浜の上をうろうろしていた。
カヤ先輩の前方には、広げられた布の上に置かれたスイカ。カヤ先輩のミッションは、そのスイカを棒で叩き割ること。そして、俺たちのミッションは、カヤ先輩をスイカの前まで正確に誘導することだ。
「カヤせんぱい、もうすこしひだり!」
「こう?」
「逆、逆ー!」
なんだかんだ言いながらも、カヤ先輩は着実にスイカに近づいていた。
そして、ちょうどスイカの前に立ち止まる。
「そこでおもいっきりふってください!」
「よーし! いくぞー! てぇぇえい!」
カヤ先輩が思いっきり棒を振り下ろす。すると、ボンと鈍い音を立ててスイカが割れ、中の赤い果肉を覗かせた。
「カヤ先輩すごーい!」
「成功ですね」
「……おお! 割れてる!」
目隠しをとったカヤ先輩は、割れたスイカを見て驚いたような表情を浮かべていた。
それからスイカをだいたい四つに分けて、俺たちは砂浜に腰掛けて早速口にする。
「やっぱり夏といえばこれだよね〜」
「おいしい!」
「ほんのり甘いですね」
俺たちが口々にそう漏らす中、レイ先輩は無言で齧り付いていた。
「おーい、カヤー」
すると、不意に私たちの背後から、聞きなれない男性の声で声がかかる。
振り返ると、一人の男性がこちらに歩いてきていた。
黒髪黒目の細身の男性だ。背はあまり高くなく、四角いメガネをかけている。
最も特徴的なのはその顔だ。一目見てわかるくらい、王国人とは顔が違う。俺たちがどちらかといえば深めな顔なのに対して、その男性はどちらかといえばのっぺりとした顔をしていた。
誰だろう?
カヤ先輩の名前を呼んでいたから、カヤ先輩の知り合いだよな……?
次の瞬間、カヤ先輩は男性の方を振り向いて、ビックリしたような声をあげた。
「お父さん!」
「「「えー⁉」」」
カヤ先輩のお父さんは、娘に向かって『久しぶり』と呼びかけると、俺たちの方に向き直る。
「初めまして、ルームメイトの皆。カヤの父のサスケです。いつも娘がお世話になっているね」
「カヤ先輩のお父様でしたか……」
「びっくりしました」
「お若いですねー!」
「ハハ、ありがとう」
俺たちもサスケさんに自己紹介をした。
すると、サスケさんはこんなことを聞いてくる。
「学園でのカヤの様子はどうだい? 皆に迷惑かけてないかい?」
「いえ、全くそんなことはありません。むしろ、わたくしたちはカヤ先輩に助けられてばかりです」
「そーです! とっても頼れる先輩ですっ!」
「とてもやさしくて、にゅうがくしたあと、がくえんのことをいろいろおしえてくれました」
「もー! 私を褒めても何も出てこないぞー!」
「それを聞いて安心したよ。いい先輩をやっていたようだね」
サスケさんはカヤ先輩の頭をポンポンと撫でる。カヤ先輩は顔こそ膨れっ面だが、満更でもないような表情が見え隠れしていた。
「そうだ、サスケさん」
「どうしたんだい、フォルゼリーナちゃん?」
「わたしたちをこのりょこうにさそってくださって、ありがとうございました」
「どういたしまして……というより、むしろ僕は、君たちにちょっと申し訳ない気さえしているんだ。今回招待したのは、なんというか……それに対する罪滅ぼしの気持ちも入っているのさ」
「……どういうことですか?」
「実は、カヤは晴の月から僕の勤めている会社に入ることになっているんだ。だから、一月もしたら君たちの部屋から出ていくことになってしまう。せめて最後に皆でいい思い出を作ってほしくてね……もうカヤも卒業したし、それほど時間は残っていないからね」
父親としての温かい心遣いに、俺は思わずしんみりしてしまう。
だが次の瞬間、レイ先輩がサスケさんの最後の発言に食いついた。
「え、カヤ先輩、まだ卒業してないよね?」
「え?」
「ちょ、レイ!」
呆けた顔のサスケさんが聞き返すと同時に、カヤ先輩は慌てたような声を出す。
そして、バッとカヤ先輩はサスケさんの方を向くと。
「お父さん、大丈夫だから。私、ちゃんと卒業したから。安心して、ね?」
「……フローレンスちゃん、本当かい?」
「…………」
フローリー先輩は、無言で気まずそうに目を逸らした。
それで確信したのか、サスケさんはカヤ先輩の肩にポン、と手を置いた。
「カヤ。話があるから、こっちに来なさい」
「ワタシ、ソツギョウシタ。ワタシ、ソツギョウシタ」
「こっちに来なさい」
「…………はぃ」
有無を言わさぬ迫力で、サスケさんはカヤ先輩を立ち上がらせる。
「ごめんね、三人とも。ちょっと、カヤと話をしてくるね」
サスケさんはそう言うと、カヤ先輩を連れて建物の方へと歩いていった。