三日後、晴の月十一日。
いよいよ一年生は、今日から本格的な授業が始まる。
今日の最初の授業は『魔法実技』。その名の通り、魔法の使い方を習う授業で、魔法科の必修科目である。
授業は校庭で行われるらしく、俺たちはオリアーナ先生に連れられてゾロゾロと移動する。
「そういえばフォルはさ」
「ん?」
「けっきょく、いつまでテストをやってたの?」
「あー……よるごはんのちょくぜんまでやってた」
ジュリーが俺に聞いてきたのは、八日にやった居残りテストのことだった。
あの後、ジュリーは国語の試験を受けただけで帰った。どうやら、テストの結果、国語だけレベル二から始めることになったらしい。
それで、俺とアクスが残ったわけだが、次にその場を離脱したのはアクスだった。テストの結果、どうやら国語と数学、そして魔法学をレベル二から始めることになったようだった。
「フォルはなにをどのレベルからはじめるの?」
「こくごとまほうがくがレベル二、すうがくがレベル三からになった」
「すごい!」
テストの結果、数学だけはレベル二修了相当だと判定されたので、俺だけ居残って、再度テストを行ったのだ。
さすがに、数学のレベル三を修了する程度には至らなかったが。
というわけで、国語、魔法学は一段階飛び級、数学は二段階飛び級という結果に終わった。
そして、翌日の教科書配布では、それに応じたレベルのものが配布されたのだった。
ただし、飛び級することは何も良いことばかりではない。
飛び級した科目では、俺は上級生ばかりのクラスに入ることになる。レベル二から始める授業は主に三年生と、レベル三から始める授業は主に五年生と一緒に受けることになる。寮の先輩方とは微妙に学年が被っていないので、知り合いもいない。
クラスメイトたちと関わる時間が減ることで、友人関係が作りづらくなってしまう。これはかなり痛い。
「おはよう」
「「「「「おはようございます!」」」」」
すると、前の方で挨拶をする声。前方から誰かがこちらに歩いてきている。
その人はずんずんと歩いてくると、俺の姿を見て立ち止まり、声をかけてきた。
「おや、フォル嬢、おはよう」
「おはようございます、オルドーせんせい」
「聞いたぞい、なんでも座学の科目で飛び級をしたとな」
「あ、はい。すうがくがレベル三、こくごとまほうがくがレベル二です」
「フォッフォッ、さすが入学試験の筆記トップじゃな!」
オルドー翁は高らかに笑う。だが、そこから一転して心配そうな顔になる。
「じゃが、クラスメイトたちと共に授業を受ける時間は減ってしまうの。寂しくないかね?」
「……ひとりなのは、なれているので」
「そうかね……」
「フォル、こくごではわたしがいっしょだから」
「ジュリー……」
「フォッフォッ、良き友がいるようじゃな。大切にするのじゃぞ」
「……はい!」
「それでは、勉学に励むように」
そう言って、オルドー翁は去っていった。
「……フォル、いそご」
気がつくと、クラスメイトの集団からかなり離されてしまった。
「うん!」
俺たちは早足で後を追いかけるのだった。
※
集団に追いついたのは、校舎の外に出て、校庭に到着した頃だった。
立ち止まったクラスメイトたちの後方に合流すると、前の方ではオリアーナ先生が、一人の男性教師に話しかけているところだった。
無精髭の生えた、無骨な感じのオールバックの男の人だ。四十代くらいに見えるが、顔に刻まれた皺が、彼が経験してきた荒波の数を如実に示していた。
そして、一番特徴的なのが、その左足。膝から下がスッパリと途切れて、人工物の棒に置き換わっている。義足だ。
「ではジェラルド先生、よろしくお願いします」
「あぁ、わかった」
オリアーナ先生が立ち去ると同時に、鐘が鳴った。ジェラルドと呼ばれた先生は、こちらに向き直った。
「おはよう、お前ら!」
「「「「「おはようございます」」」」」
「それでは、『魔法実技』の授業を始める!」
よく通る声だ。体育会系を彷彿とさせる。
「まずは自己紹介だ。オレはジェラルド・ルーエル。これからお前ら魔法科の『魔法実技』の授業を担当することになった。よろしく」
「「「「「よろしくおねがいします!」」」」」
すると、ジェラルド先生は、真っ先にいちばん気になるところへ切り込んだ。
「授業の前に、お前らが気になっているこの足について先に話そうと思う」
そう言うと、トントンと地面に義足を突く。そして、思いもよらぬ一言がその口から飛び出した。
「オレの前職は、宮廷魔導師団だ」
……マジで?
『宮廷魔導師団』。その言葉だけで、俺は興奮し、胸が熱くなっていく。
クラスメイトもビックリしているようで、少々騒めきが起こる。
「その任務中に足に怪我をしちまって、この通りだ。それで、宮廷魔導師団を辞めたら、偶然声がかかって、今こうして教師をしているっつぅわけだな」
想像以上にシビアな話だった。話には聞いていたけど、やっぱり宮廷魔導師団って過酷な仕事なんだな……。
だが、運命の巡り合わせか、こうして元宮廷魔導師団員に教えてもらう機会が生まれた。このチャンスを活かさないわけにはいかない。
「とりあえず、まずは一発目だし、お前らの実力を知りたい。というわけで、テストだ」
「「「「「えー」」」」」
「なに、成績には一切影響しねぇよ。お前らの今の全力を知りたいだけだ。順番に全力で魔法をぶっ放せ。ではまず出席番号一番の者から来い!」
「は、はい!」
出席番号一番はアクスだ。彼は立ち上がると、ジェラルド先生の横まで歩く。
「名前は?」
「アクスです」
「アクス、適性のある系統と、最も得意な魔法を教えてくれ」
「えっと……てきせいはかぜとみず、とくいなまほうは『スプラッシュウィンド』です」
「そうか、よし全力であっちの方向に撃ってみろ。魔力切れになっても、ポーションは用意してある」
ジェラルド先生は、側のカゴに目をやる。その中には液体の入ったたくさんの瓶があった。
アクスは覚悟を決めたように頷くと、その場に足を開いて立つ。
そして、両手を誰もいない方向へ突き出し、詠唱する。
「『スプラッシュワールウィンド』!」
次の瞬間、彼の手から暴風とともに大量の水が噴き出した。
それは綺麗な渦をなし、校庭の表面の砂を濡らしながら吹き飛ばしていく。
数秒後には、彼の立っていたところから、真っ直ぐに濡れた跡が伸びていた。
水を噴出する水系統初級魔法『スプラッシュ』と旋風を巻き起こす風系統中級魔法『ワールウィンド』の複合魔法『スプラッシュワールウィンド』。中級魔法で、見ての通り風で渦を作り出し、そこに水を乗せることで空中に水の渦を出現させる。魔力消費量は確か二百だったかな。
「はぁ……はぁ……」
「お疲れさん。これを飲め」
「ありがとう……ございます……」
魔力切れで青い顔をしながら、彼はジェラルド先生からポーションを受け取った。
「よし、次!」
それから、ジェラルド先生は生徒一人一人に、全力の魔法の実技をやらせた。
やはりあれだけの倍率の入試を勝ち抜いたこともあり、大半が二系統以上に適性を持っていて、発動した魔法の大半が複合魔法だった。
さて、俺は何を発動しようかな……。
全力でやれ、とは言われているけど、もし自分の全部の魔力を一気にぶち込んだら制御不可能になって大惨事になる気がする。
とはいえ、浮遊魔法みたいに連続して発動するような魔法を発動するわけにはいかない。魔力を使い切るのにものすごく時間がかかるだろうから。
うーんと悩んでいると、俺の出席番号が呼ばれる。
「名前は?」
「フォルゼリーナです」
「フォルゼリーナ、適性のある系統と、最も得意な魔法は?」
「けいとうはぜんぶ、とくいまほうは……」
「ちょ、ちょっと待て、全部か?」
「え、はい」
「火、水、風、地、光、聖すべてか?」
「……そうですけど」
「……それぞれの系統の魔法を、ここで披露してくれないか。最も簡単なヤツでいい」
「わかりました」
俺は『ウォーター』、『ファイヤー』、『ウィンド』、『アース』、『ライト』、『ヒール』を順に、詠唱して発動する。
全て発動し終えると、ジェラルドはなかなかやるな、とも言いたげな目線を俺に向けていた。
「……疑ってすまんかったな。最も得意な魔法は何だ?」
「えーっと……『バースト』です」
悩んだ末、俺が名前を挙げたのは『バースト』だった。
精霊の助けを借りることなく、一回こっきりで魔力を使い切れる可能性があり、なおかつ得意な魔法はそれくらいしか思い浮かばなかった。
「そうか。じゃぁ、校庭の真ん中らへんに放ってくれ」
「はい」
俺は深呼吸をして、魔力を練り始める。自分の魔力を半分、いや、三分の二くらい引き出すと、手のひらに集中させる……。
そして、イメージを構築し始める。よし、あとは発動するだけだ!
「……おい、ちょっと待て」
すると、ジェラルド先生が声をかけてきた。
「……な、なんですか」
「全力を出せ」
「…………」
「フォルゼリーナ、お前、半分ちょっとしか魔力を使わないつもりだろう」
な、なぜそれを……。もしかして、先生もジュリーと同じく、魔力の流れがわかるというのか……?
「……でも、そうしたら、まほうのコントロールが」
「気にするな。オレがどうにかする」
これが誰か適当な人が言ったら、俺はその言葉を信用しなかっただろう。
だが、元宮廷魔導師団員の言葉は、重みが全く違った。説得力が段違いである。
俺はリミッターを解除して、全力でやることを決心した。
「……わかりました、おねがいします」
俺は息を吐くと、体内の全魔力を手のひらに流す。
膨大な魔力に、両手が熱くなっていくような感覚。久しぶりの全力。これほどの魔力を一度に扱うのは初めてである。
俺はイメージを再構築すると、宣言した。
「いきます! 『バースト』ッッ!」
次の瞬間、俺の手のひらから紅の閃光が発射された。
それは瞬時に校庭の中央上空十数メートルに上がると、一瞬にして体積を膨張させる。
緋色の火球が出現し、俺たちに熱線が降り注ぐ。間近に太陽が出現したかのような熱さに、俺は思わず『アイス』を発動しようとしたが、不発。『バースト』に全力を費やしたため、魔力がもうすっからかんだったのだ。
だが、火球はどんどん大きく膨れ上がる。さらに空気が熱さを帯び、辺りは瞬時に灼熱地獄に陥る。
ま、マズい、このままでは皆消し炭に……!
「『フリーズ』」
次の瞬間、火球が一瞬にして消滅した。同時に熱線も瞬時に収束する。
ジェラルド先生の魔法だ。先生は俺たちの無事を確認すると、ふぅ、とため息をついた。
「お疲れさん。ポーションを飲んどけ」
「あ、ありがとうございます……」
魔力切れで頭がぐわんぐわんする中、俺はポーションを飲んでその場にしゃがみ込んだ。
いろんな思いが胸中に渦巻く。いくら何でもやりすぎだった、とか、皆俺のことをどう思っているだろうか、とか。
しかし、最も大きいのは、先生が使った『フリーズ』なる魔法についての興味関心だった。
『フリーズ』……初めて聞いた魔法だ。名前からして、水系統の『アイス』と似たような効果を持つと考えられる。実際、火球を一瞬で収束させたあたり、『冷やす』効果を持つことは間違いない。
だが、そんな魔法を俺は聞いたことがない。少なくとも『魔法の使い方』シリーズには載っていないはずだ。
先生が俺の知らない魔法を使った。その事実に、俺は改めて先生の凄さと、魔法への飽くなき探究心を自覚したのだった。