開始直後、ハルクとシャルは同時に相手に向かって駆け出す。
そして、剣を交えた。
ガッキイイイイン、と重い手ごたえと、耳が痛くなるような金属音が、体育館に響き渡る。
うおおおおおおぉぉぉぉおおぉぉ‼ と観客が一斉に盛り上がる。
二人はその反動を利用して、後退。
そして、一瞬も間を空けることなく、再び激しい剣戟を始める。
ガキン、ガキン、と音が鳴るたびに、観客は騒がしくなっていく。
しかし、シャルもハルクも観客なんて意識の外。
二人の世界には、二人っきりしかいない。
シャルは、自分の心の炎が爆発するのを感じた。
心臓の鼓動は何かを急かすように早まり、思考がどんどん加速していく。
そうだ、これだよ。わたしが欲しかったのはこれ。この互角以上の相手と戦うこの緊張感、この臨場感、そして、まだ見ぬ技への期待感!
剣を手に取って、相手と向き合わない限り味わえない、この感覚。木剣ではなく、模造剣であるということに、よりスリルを感じる。
これこそが模擬戦の醍醐味であり、シャルを剣術に夢中にさせたものだ。
二人は、剣戟を加速させる。
知っている己の限界を超え、まだ知らぬ己の限界へと。自分の剣術をさらなる高みへと昇華させる。
もちろん、これまでの自分を超えて、さらに上手くなりたい、という思いもあるが、それ以上に、ハルクの本気を見てみたい、という思いがシャルには強かった。
ハルクが、シャルや他の人間に教えを乞い、みっちり鍛えたこの半年間、彼がどこまで自分の剣術を高められたのか。
そして、本当に自分を倒して勝利できるのか。
シャルは、どこかダンジョンのラスボスのような感覚で、ハルクと戦っていた。
「ムン゛ッ……!」
ハルクが唐突に、剣の握り方を変えた。
そして、そのまま突きを放ってくる。
シャルは初見にもかかわらず、ハルクの剣を間一髪で体を捻って横に躱す。
もし避けていなければ、シャルは大きなダメージを受けていただろう。
躱されたと認識するやいなや、ハルクは驚異的な腕力と体重移動で剣を体に引き戻そうとする。
が、それを見切ったシャルは躱した勢いを利用して、ハルクに上段からの斬撃を見舞う。
「うおっ!」
だが、ハルクも負けてはいない。
シャルの動きを見て、迎え撃つには遅いと判断したハルクは、剣を利用して咄嗟にバランスを故意に崩し、倒れたのだ。
その結果、間一髪でシャルの剣閃から逃れることができた。
ハルクの髪がかすって、数本空中を舞う。
「殺す気か⁉」
そう叫びながら、ハルクは勢いよく転がって後退、体操のようにそのまま立ち上がって再び剣を構える。
両者は剣を打ち交わす。
観客は大いに沸き立つ。
ただ、二人には目の前の相手と剣しか見えていない。
剣が来たら防ぐ、できなさそうなら躱す、隙があったら攻撃、この繰り返し。
やがて、一回でも判断ミスをしたなら即敗北、という速さになる。
だが、極限の集中状態にある二人は、判断ミスすらしない。それどころか相手を分析して、徐々に動きが最適化されていく。
ハルクを指導してきて、シャルは理解したことが一つある。
ハルクには確かに剣の才能がある。地は悪くないのだ。
ただし、良くも悪くも独りよがり。まともな指導を受けていない、あるいはまともに指導を聞いたことがないのではないか、とシャルは想像していた。
剣を独学で学ぶのは難しい。幸い、シャルは幼い頃からバルトという良き剣術の師範がいたから、基本を忠実に守って剣の才能を伸ばしてきたが、ハルクはそれがおざなりになっているような印象だった。
ある日の練習でそのことをハルクに伝えると、ハルクは『そうか』と一言。
やはり自分でも、うすうす気づいていたのだろう。
シャルは、ハルクに、今のまま練習を続けるよう伝え、それからもう一つ付け加えた。
「もし模擬戦でわたしに勝ちたいんだったら、わたしにも予想できないような、『奥の手』を何か一つでも身につけた方がいいんじゃないかな」
その成果はまだ見ていないが、前々日の言葉からどうやら身につけたようだ。シャルは、それがこれから放たれるのだろうと警戒していた。
どれくらい経っただろうか、白熱した剣の応酬で、時間の感覚はとっくに吹っ飛んでいた。
二人とも汗をかき、息も荒くなっている。剣を握る腕も震え、酷使した体がところどころ悲鳴を上げる。
二人は一旦バックステップをして、膠着状態から抜け出す。
これ以上、相手のミスから戦況をこじ開ける方法には頼れないと考えたからだ。
両者とも疲れ果て、二人はほとんど気力だけの状態で対峙する。
「これで、決着を、つけるよ」
「ああ、いいぜ」
息も切れ切れになりながら、しかし、この言葉だけは、はっきりと宣言した。
「勝つのは俺だ!」
「勝つのはわたしだ!」
同時に言い放った二人は、同時に疾走する。
目指すは相手のところへ。剣を手に、相手を打ち据え自分が勝利するために。
「うおおおおおおぉぉぉぉっッッッ‼」
「はああああああぁァァァっっっっ‼」
自然と喉が裂けんばかりに雄たけびを上げて、剣を全力で振りぬく。
そして、その結果。
バキン! という音が、体育館内に響き渡った。
騒いでいた観客が一斉に静まる。
二人は体育館の床を滑りながら、剣を振りぬいた直後の姿勢で固まる。
ザシュ、と金属の塊が、木を穿ち、刺さる音。
折れた剣の先端が空中に滞在した後、体育館の床に突き刺さったのだ。
観客は勝負の行方を、どよめきながら見守る。
そして、シャルは折れた剣を取り落とした。
観客が、体育館を歓声で覆いつくす。
嘘でしょ? という思いで、シャルは自身が取り落とした折れた剣を見つめた。
結構丈夫なはずの、金属製の模造剣は刀身の真ん中くらいから折れていた。歪な断面をシャルの目前に見せる。
「武器破損。ルールでは、攻撃は剣のみ。その攻撃手段が失われたシャルは、戦闘不可能だ。そうだろ、先生」
「ええ。というわけで……」
レニアは宣言した。
「勝負あり! 勝者、ハルク!」
再び観客が大歓声をあげる。試合の前後を通してみても、一番の盛り上がりだった。
「武器破損……。考えたね」
「ああ、ぶっつけ本番だったからな……。成功してよかった」
ハルクは、シャルと同じ土俵に上がったら勝てないと踏んだ。
だから、剣をぶっ壊すという『奥の手』を用意してきたのだった。
おそらくは、そういう技術があるのだろう。
もちろん、シャルにはまったく予想できなかった方法だった。
観客の中には、卑怯だと思った人もいるかもしれない。しかしルールはルール。剣で攻撃不可能になった以上、どうやっても相手に攻撃できないので、シャルの負けだ。
それに、ハルクの剣技は、決してシャルに劣っているわけではなかった。むしろ、ハルクがシャルとまともに戦える技術を身につけたからこそ、今回のような方法がとれたのだ。
「ほら、立てよ」
ハルクは手を差し伸べてくる。シャルはハルクの手を取って立ち上がった。
観客席のそこかしこから、ヒューヒューとヤジる声が上がって、シャルはちょっと赤面する。
そして、さらにシャルの予想外は続いた。
「なあ、シャルゼリーナ」
「ん?」
「試合前に言ったこと、覚えてるよな」
「え……あ、うん……」
そういえば、『勝ったら何でも一つ言うことを聞く』と約束したんだった!
どうせ勝つだろうと思って安易に約束してしまったけど、負けてしまったため、言うことを聞かなければならない。
いったいどんなことを言われるのだろう。さすがに理不尽なお願いはしてこないよね? 大丈夫だよね?
シャルの心臓の鼓動は急速に速くなる。
「それじゃあ、次の言葉に答えてくれ」
「う、うん」
すると、ハルクは顔を赤くする。だが目を背けずに、しっかりと告げた。
「好きです! 俺と、付き合ってくださいっ‼︎」
その瞬間、観客席がしーんと静まった。
シャルが突然の告白に困惑する中、前後左右のギャラリーから答えをせかす無言の圧力を感じた。
ハルクは確かにいい男性だ。顔もイケメンだし、言動はちょっと悪いが結構素直なところがあるし、熱く一途だ。
実際、ハルクが剣術を一心に練習するするところには、とても好感が持てた。
ハルクは、自分と同類で、自分と互角の実力を持っている人だ。
テクラス州の長官の家ということもあり、身分的にも申し分ない。
しかし、シャルは生まれてこの方、恋愛経験がゼロ。興味もそれほどなかった。
もちろん、生まれて初めて受ける告白。このときのためにシミュレーションをしたこともない。
頭の中がわちゃわちゃしてきたので、一度深呼吸。迷走してきた思考を鎮め、心を落ち着かせる。
……難しく考えるな。自分が答えるべきなのは、たった一つの単純な問いだ。
わたしは、ハルクと付き合いたいか。そうでないか。
そう考えた時、案外迷いなくパッと答えが思い浮かんだ。
シャルは、迷いなく、それを口にした。
「よろしくお願いします」