…………は?
なんか今、シャルがとんでもないことを言っていたような……。
しかし、俺の頭はその言葉を理解するのを拒んでいる。
「いま、なんて?」
「だから、わたし、結婚するの!」
「「「……ええええええ⁉」」」
ようやくその言葉を理解した俺は、ルーナとバルトと一緒に叫んだ。
シャルはふふん、と頬を赤くしながら胸を張る。
まさか、シャルが結婚するなんて……。
突然の発表に、俺の頭の中に次々と疑問が湧く。あまりにも聞きたいことが多すぎて、どこから聞けばよいのかわからず、逆に言葉が出てこない。
「そうか……結婚、するのか……」
「あのシャルが結婚なんて……」
ルーナとバルトは驚きつつも、感慨深そうな表情をする。
「……なんか馬鹿にされている気がするんだけど」
「そんなことないぞ。ただ、予想外なだけだ……。恋愛には全然興味が無さそうだったから、そろそろ見合いでも、と思っていたのだが……」
「まさか、剣ばっかり振り回している『あの』シャルが結婚だなんて……」
「二人とも、わたしのこと何だと思ってたのー⁉︎」
ギャーギャー騒ぐシャル。二人にとっても、シャルの結婚は予想外だったようだ。
ここで、ようやく俺の口から言葉が出る。
「……そもそも、シャルにこいびとがいたなんて、しらなかった」
「そうだな。そんな話も聞いたことが無かったぞ」
「あら、私は薄々いるんじゃないかしら、と思っていたのだけれど」
ルーナは勘づいていたようだ。これが『女の勘』というやつなのか……?
というか、恋人ができたら、普通家族に言うもんじゃないの?
前世であればまだしも、この世界で俺たち一家は貴族。結婚することで、貴族間の力関係やら利権やら大きく変わるだろう。
つまり、シャルの結婚は、相手によっては認められないことがあるんじゃないか?
すると、ちょうどバルトが真剣な顔でそれを指摘した。
「シャル……あまりこのようなことは言いたくないのだが、我が家は伯爵家。結婚する相手にも、それなりの地位が求められる」
「それはわかってるよ」
「……では、相手は誰なんだ?」
「えーっとね……」
すると、シャルは少し考えるそぶりを見せる。どうやら言うのを躊躇っている、というよりかは、忘れているものを思い出しているような感じだ。
「ハルク……ハルク・ヴァン・フロイエンベルク……だったかな?」
「なんでじしんなさげなの?」
「いつもハルって呼んでいたから……でも合ってると思うよ!」
恋人のフルネームくらい、ちゃんと覚えろよ……。
一方、バルトとルーナはビックリした表情を浮かべていた。
「ヴァン・フロイエンベルク……って、ヴァン・フロイエンベルク伯爵家のことよね? 今、テクラス州の知事をやってる」
「ああ、そうだな。ハルクは現当主ギルベルトの長男だ」
そんな人を捕まえていたのかよ!
ウチの当主のバルトはラドゥルフ州の長官だから、立場は同じくらいだ。
どうやら、俺やバルトの心配は杞憂だったようだ。
「だから、大丈夫だよね?」
「……ああ。申し分ない。というか、よくそんな立派な相手を捕まえたな……」
「そうでしょ〜! わたしは本気を出せばできる女なのです」
偶然そうなっただけだと思うけどなぁ。シャルのことだし。
いったいどういう経緯で、結婚することになったんだろう?
「なんで、シャルはハルク? というひととけっこんすることになったの?」
「え? そりゃ、プロポーズされたからだよ……」
「フォルが聞きたいのはその前だと思うわ。出会うきっかけとか、付き合うきっかけは何だったの?」
「ふふーん、聞きたい?」
「もちろん」
「じゃあ教えてあげよう」
そう言って、シャルは得意げに語り始めた。
「始まりは今から四年くらい前、ラドゥルフの学校に通っていたとき──」
※
ラドゥルフの中央部には、フローズウェイ家のような、ラドゥルフの役所などに勤める貴族や、その家族が住む住居が並ぶ閑静な高級住宅地がある。その一角には、そんな貴族の子弟が通う学校があった。
四年前。シャルゼリーナ・エル・フローズウェイ、十六歳は、最高学年の十年生として、その学校に通っていた。
「えー、それでは交換留学生を紹介する」
ある朝、シャルたちの担任教師は、交換留学生が来たことを知らせる。
この学校には、国内交換留学という制度がある。
その名の通り、国内にある提携先の学校と、期間限定で生徒を交換するというものだ。
シャルたちは、事前に担任教師から、交換留学生が来ることを知らされていた。それはもちろん、このクラスにその留学生が編入してくるからだった。
しかし、シャルたちはまだ詳細を知らされていなかった。明かされているのは、テクラスから来る十年生の男子、ということのみ。
「それじゃ、中に入りたまえ」
「うす」
教師が開いたドアの外にそう呼びかけると、すぐに一人の男子生徒が入ってきた。
その姿を見た途端、教室の女子の大半が一斉に騒ぎ始める。
ちょっと撥ね気味の黒髪、精悍な顔つき。いわゆるイケメンだ。
彼は少々ガサツな感じで教師の横へ歩いていくと、自己紹介を始めた。
「ハルク・ヴァン・フロイエンベルクだ。テクラス州から来た。今日からよろしく」
教室の騒めきが大きくなったので、教師がパンパンと手を慣らす。
「静かに! 彼は約一ヶ月、この教室で学ぶことになる。皆仲良くするように」
「「「「「はーい」」」」」
「それでは、席に着くように。君の席は、あそこだ」
「うす」
ハルクは、シャルの隣の席に座る。だから今朝、机と椅子が一つずつ余計にあったのか、とシャルは納得した。
「一限の剣術の授業に遅れないよう、気をつけたまえ。それでは、一旦解散」
教師がそう締めくくって教室から出た瞬間、ハルクのもとにクラス中の生徒が集まってきた。
早速、一人の女子生徒が話しかける。
「ねーねー、ハルク君って、テクラス州のどこから来たの?」
「州都のテクラス」
「お父さまは何をしていらしているの?」
「今は州知事をやっているな」
「おお、すごい!」
「ということは、お家は伯爵家か子爵家かな?」
「伯爵家だ」
「ホントにー!?」
「スゲーな……」
「ということは次期当主様ってこと?」
「そうだな。俺は長男だから、順当に行けば、の話だがな」
「「「「おおー!」」」」
「ねーねー、テクラスのこと教えてよ」
「そうだな。本でしか読んだことがないな」
「あっちってすごく暑いんでしょー?」
などなど、ごちゃごちゃした会話が繰り広げられる。
一方、そのころシャルは、話の輪には加わることはなく、更衣室へと向かっていた。
彼女にとって、剣術の授業は学校で一番楽しみにしている時間だ。
転校生にかまける暇があったら、一秒でも長く剣術で体を動かしていたい。シャルはそんな思考のもと、行動していた。
※
一限の開始を告げるチャイムが鳴ったとき、クラスの全員は、広いグラウンドの片隅に集まっていた。
それぞれの手には木剣。
「よし、これから剣術の授業を始める!」
筋骨隆々の、軍隊上がりの壮年の男性教師が声を張り上げると、生徒たちは一瞬で静まる。
「前回の授業と同様、今回も模擬戦だ。ルールも前回と同じだが、一応説明する。
一対一で、武器は木剣のみ使用。それ以外の手段による攻撃は認められない。
勝利条件は、相手が降参を認めるか、相手の体の、授業で教えた弱点部位に剣が入ることだ。ただし、必ず寸止めにすること。
それぞれの組の間は広めにとれ。怪我をしたらすぐに俺を呼べ。
以上だ。何か質問は?」
誰も手を挙げないのを確認して、教師は言葉を続ける。
「では、模擬戦を開始しろ。これまでに習ったことを、きちんと復習するんだぞ」
生徒たちは立ち上がると、当然と言わんばかりにハルクに殺到する。
「なあなあ、俺と組まねえか? 剣には少し自信があるんだ」
「僕も組みたいんだけど」
「我とやらないか……?」
「待て待てお前ら! ひとまず前回組んだペアでやれ。あとでローテーションを行うから」
「うっ……わかりました、先生」
「じゃあ、ハルク君は誰と組むことになるんですか?」
「…………」
皆の視線を受けているハルクは、木剣を持ったまま突っ立っていた。
「ハルクはシャルゼリーナと組め」
「……うす」
「え」
ぼーっとしていたシャルははっと我に返る。
このとき、シャルは、すでにバルトからフローズウェイ流剣術の免許皆伝を持っていた。当然、剣術の腕は同級生の中では群を抜いているので、クラスメイトでは誰も相手ができず、いつもは教師に相手をしてもらっていた。
「たまには他の者とやれ」
「わ、わかりました……」
「くれぐれもやりすぎるなよ」
「はい」
「うす」
二人は返事をして、お互いに距離をとった。
彼に私の相手が務まるだろうか、と、剣を握るとついつい力んでしまうシャルは心配に思った、が。
「それでは、始め!」
バン!
「はっ……」
速いっ!
一瞬で間合いを詰められ、シャルは彼が普通の剣の才ではないことを悟る。
間違いなく、彼はかなりの手練だ。
油断していてリアクションが一瞬遅れたものの、シャルはなんとか彼の木剣を防ぎ、後退する。
「ほう、やるな」
同じく後退しながら、ハルクは言う。
「だが次はない。五秒で決着をつけてやる。本気を出せ」
その瞬間、シャルの剣士の炎が大きく燃え上がった。闘争本能を掻き立てられる。口をかすかに笑みの形にした。
久しぶりに、ライバルが現れた。しかも、こちらが手加減していることを見抜き、その上で五秒で決着をつけるという、自信満々の宣告まで。
ああ、これを求めていたんだ、とシャルは心の中で叫びをあげる。
足の武者震いが止まらない。興奮が血に乗って全身に回っていく。
いいだろう、やってやるよ。お望み通り、五秒以内に決着をつけてやる。
ハルクは身体強化魔法を使っている。授業の模擬戦にしては、完全にオーバーである。それくらい本気なのだ。
ならば、こちらもそれに応えよう。
シャルは、本気の時にしか使わない、身体強化魔法を発動した。
再びハルクが突進してくる。本当に並外れたスピードだ。
「ただ、『こちらが』瞬殺するけどね」
そう呟いた直後、ハルクとシャルの木剣が交わった。
一度目。
木剣が激しくぶつかり合う。
シャルは木剣がうまく側面へ流れるように、力の向きを調節した。
シャルの予想通り、ハルクの木剣はゆっくりと逸れていく。それをシャルは身をねじって避ける。
だが、ハルクだって負けていない。
神がかった体重移動と反射で、強引に木剣を引き戻す。
そして、二撃目。
一度目と同じように、激しく二つの木剣がぶつかり合う。
だが、ハルクは少しバランスを崩していたため、体勢が若干不安定になっていた。それゆえ、さっきよりも容易くシャルにいなされる。
三度四度、五度と応酬は続き、ハルクの体勢はどんどんと崩れていった。
そして、遂に迎えた六度目。
シャルの勢いよく振り抜かれた木剣が、ハルクの木剣に当たった。
そのエネルギーは、ハルクの手首から木剣を手放させるには十分なものだった。
くるくると宙に舞い、数秒の後に、校庭に転がる木剣。
そして、ハルクの首筋にぴたりと添えられているのは彼女の木剣。
「…………」
「…………」
「……降参だ」
ハルクは、悔しそうにそう言った。
※
その後も、剣術の授業でハルクと模擬戦をする機会は何度かあったが、シャルの全勝だった。
ハルクが弱いわけではない。クラスの中で、いや学年の中でも、ハルクは剣術の腕はトップレベルだった。
ただ、シャルが規格外なのだ。言うなれば、『剣術の化け物』。彼女は齢十六にして、フローズウェイ流剣術の免許皆伝を持っているのだから。
ハルクは授業のたびに、シャルに何度も模擬戦を挑み、惨敗しながら、しかし確実に成長しながらハルクは剣を握り続けていた。
悪かったところをどんどん修正したことで、ハルクの動きは確実によくなっていた。しかし、それでもなお、シャルには及ばなかった。
そして一ヶ月が経ち、皆に惜しまれつつも、ハルクはテクラスへと戻っていった。その年に、シャルは学校を卒業したのだった。
その三年後。今から約一年前。
フォルに剣の稽古をつける毎日を過ごしていたシャルに、ある日母校から手紙が届いた。
「いったい何の用なんだろう……?」
シャルはポツリとそう呟きながら、久しぶりに学校の土を踏みしめた。
手紙には、話があるので学校に来るように、と書かれていた。
今日は休日だったので、学校は閑散としていた。
シャルは、無人の廊下を進み、差出人である学校長の部屋へ真っ直ぐに向かう。
ドアをノックし、失礼します、と中に入る。
校長は椅子に座って、シャルを正面から出迎えた。
「久しぶりだな、シャルゼリーナ君」
「お久しぶりです。本日は何の用件でしょうか?」
「まあ、そう慌てるな。最近忙しいか?」
「……いえ。やることがないので、今は姪に剣の稽古をつけています」
「そうかそうか。君は、剣術が得意だったな」
「はい。フローズウェイ流剣術の免許皆伝を持っています」
「実は、その腕を見込んで、今日君を呼び出したのだ」
「……どういうことですか?」
「端的に言おう」
校長はシャルの目を見据えて問う。
「テクラスで、剣術の指導者をやってみないか?」