立ち尽くす俺、その視線を遮るように木剣を持ち続けるルーク、痛い痛いと騒ぐヴォルデマール。
すると、ヴォルデマールの痛がる声があまりにも大きかったからなのか、向こうの方から一人の男性が早足で駆けつけてきた。どうやら奴の父親のようだ。
「どうしたんだ、ヴォルデ!」
「あいつが……! あいつが……オレの手を……!」
あまりにも痛かったのか、ヴォルデマールは涙目になっていた。そりゃ、思いっきり木の板を殴れば痛いわな。自業自得だ。
しかし、この状況は、俺たちにとってはあまりよろしいものではない。
周りの何も知らない大人が今の状況を見たら、まるでルークが木剣で奴の手を殴ったかのように見えてしまうおそれがあったからだ。
そして、その予想は的中した。
「そこの君! ヴォルデにいったい何をしたのかね⁉︎」
眉間に皺を寄せて、ルークに詰め寄る男性。しかし、ルークは動くどころか、顔色一つ変えず、淡々と言い放った。
「フォルをなぐろうとしていたから、これでまもった」
普通、大人に詰め寄られたら、泣き出したり取り乱したりしそうなものだが……。何というか、すごい胆力だ。
ルークの率直な言葉は、紛れもなく事実を告げている。しかし、その声に被せるように、ヴォルデマールは涙声で喚く。
「ちがう! あいつがとつぜん、けんをあててきたんだ……!」
お前が拳を剣に当ててきたんだろうが! なんちゅーずる賢さ。自分が被害者になるよう、絶妙な言い回しをしている。
かなりムカつくが、客観的に見れば俺たちが不利だ。一番の理由は、やはりルークが木剣を持っている、ということだろう。ヴォルデマールの供述も相まって、俺たちが暴力を振るったと勘違いされかねない。
だが、ここで下手に口を出すわけにもいかない。俺の言葉で俺たちの立場を余計悪化させることは、絶対に避けなければならない。しかし、形勢を逆転させるような言葉が、俺には思いつかない! くそっ! 俺に言葉のセンスとひらめきがあれば……!
しかし、援軍は思わぬところからやってきた。
「おい、それは違うだろう、少年」
後ろから聞き慣れた声、振り返ると、そこにいたのはジンクさんだった。
「俺は見ていたぜ。少年がそこの嬢ちゃんの料理を奪おうとしていたところ、失敗してキレて嬢ちゃんに殴りかかろうとしたところ、そして、そこの坊やが木剣の腹を差し出して、少年の拳を防いだところをな」
どうやら、俺たちの行動を全て目撃していたようだ。重要な参考人として、目撃証言をしてくれる。
「料理を奪えなくてキレて殴りかかるなんて、あまりにも強欲で貴族にあるまじき行為。恥ずかしくないのか? 少年」
「う…………」
ジンクさんの言葉に、何も言えないヴォルデマール。ジンクの言葉で、目に浮かんでいた涙がこぼれ落ちる。
俺は、周りからの風向きが変わったのを感じていた。さっきまでは、俺たちが悪いみたいな雰囲気だったのが、今ので一気に、ヴォルデマール側に問題がある、という雰囲気になっている。
その雰囲気を感じ取ったのか、男性は、奴を立ち上がらせる。
「……行くぞ、ヴォルデ」
「おぼえてろ゛よ……、ヒグッ、エグッ……」
そして、情けない捨て台詞を吐いて、ヴォルデマールは引きずられるようにして、男性とともに会場を後にした。
場の空気が一気に弛緩する。
「……ふぅ〜」
ジンクさんがやれやれ、といったようにため息をついた。
「怪我はないか、フォルちゃん?」
「うん。ありがとうございました、ジンクさん」
「いいってことよ。直接助けてやれなくてごめんな」
ポンポンと俺の頭に手を置くと、ジンクさんはルークの方へ向かう。
一方ルークは、水平にキープしていた木剣を、ようやく下ろしたところだった。
「ルーク」
「……とおさま」
「よく守れたな。偉いぞ」
ジンクさんはしゃがむと、ルークの頭に手を置いて、ワシワシと揺らす。それをされても、ルークはなおも表情を変えることはなかった。
そういえば、俺、まだお礼言ってなかったな……。
「ルーク」
「……なに?」
「まもってくれて、ありがと」
すると、ここでルークは少しだけ口角をあげた。
「どういたしまして」
「ひとつききたいんだけど」
「……なに?」
「どうしてわたしを、まもってくれたの?」
その言葉に、ルークは無表情に戻る。そして、言葉を選ぶように数秒間考え込んだのち、
「フォルが、ピンチだったから」
ド直球の答えを返してきた。
不覚にも、俺の心臓はドキンと跳ねてしまった。顔が赤くなっているような気がする。なんだろう、嬉しいような、照れるような……。
もしかして、これが『キュンです』ってことなのか⁉︎
「おっ、いいな! ルーク、その気概を大事にするんだぞ」
「ん」
な、何にせよ、これはルークへの評価を改めなくてはいけないようだ。今までの、何を考えているかわからない、木剣を持った寡黙な少年から、行動力のある大胆で勇敢な少年へと。
「さて、一件落着したようだし、二人とも食事に戻るといい」
「わかりました」
「……ん」
「また何かあったら、フォルちゃんを守ってやるんだぞ」
「ん」
ジンクさんの言葉に頷くルークを見て、俺はまたちょっと耳に熱が集まるのを感じた。
それを悟られないように、俺は急いで自分の席に戻る。そして、ヴォルデマールから守り抜いた自分のポテトを、味わって口の中に入れた。
ふぅ……お腹もいっぱいになってきたし、少し休憩するか……。
俺はナプキンを折って、自分の席であることをマーキングした後、椅子から降りる。
そう言えば、シャルはどこに行ったんだ? さっきはジンクさんが助けてくれたけど、シャルが駆けつけてくれてもおかしくなかった。いや、むしろバルトから俺を見るように言われていたのだから、シャルが来ないとおかしいよな……。
俺は辺りを見回して、シャルの姿を探す。
すると、ふらふらとテーブルの間を彷徨う、ドレス姿の女性が一瞬見えた。間違いない、シャルだ。
俺は大人たちの間を抜けて、その女性の後を追う。
「シャル!」
やっと追いついた俺は、彼女の裾を掴んで後ろから彼女を見上げる。
「あれへぇ〜、フォルやゃん〜、ろうしらのぉ〜」
結論から言えば、俺が捕まえた人はシャル本人で間違いなかった。
しかし、その様子は明らかにおかしい。顔は真っ赤だし、呂律が回ってないし、ただ立っているだけのはずなのに体が揺れている。
俺は確信する。
シャルは、泥酔していた。
明らかに良くない状況だ。それはシャルにとってもだし、周りのパーティーの参加者にとっても、だ。酔っ払った状態でうろついたら、テーブルや柱にぶつかってシャル自身が怪我をしてしまう恐れがあるし、周りの人にぶつかって、怪我をさせたり料理をひっくり返したりしてしまう可能性だってある。
自分で飲んだのか、誰かに飲まされたのか、間違って飲んだのか……。この国における飲酒可能年齢は知らないが、さっさと酔いを醒まさせるか、もしくは別室に隔離するのが望ましいだろう。
「シャル、こっちきて」
「えぇ〜? どこいくのぉ〜??」
俺はシャルの手を引いて、人のいない壁際まで誘導する。すると、シャルはたたらを踏んで、思いっきりずっこけた。
「ぬぁうっ」
「シャル!」
俺は慌てて駆け寄る。幸いなことに怪我はないようで、そのままゴロンと仰向けになって、地べたに寝っ転がった。
「う〜えへへ〜」
「うわっ、さけくさっ‼︎」
シャルの呼気に、俺は思わず顔を歪める。間違いなくアルコールの匂いだ。もしこの状態で車を運転していたら、アルコール検知機にかけるまでもなく飲酒運転しているとわかるだろう。俺まで酔ってしまいそうだ。
しかし、この状態から、部屋の外まで連れて行くのは不可能だ。俺一人ではシャルなんて到底運べないし、シャルから目を離すわけにもいかない。とりあえず、このまま休ませるのがベターか。
俺は地面に正座すると、シャルの頭を持ち上げて自分の太ももに乗せる。
「なぁに〜、ひざまくらしれくれるの〜」
シャルは焦点の合わない目でアハハハと笑い出す。
シャルを早く正気に戻したい。しかし、シャルからアルコールが抜けるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
人間がお酒で酔う原因は、肝臓で分解しきれなかったアルコールが血液に乗って脳に回り、脳を麻痺させるからだ。
つまり、泥酔状態から抜け出すには、血中のアルコール濃度を下げてやればよい。そのためには、肝臓で行われるアルコールの分解速度、つまり代謝を上げる必要がある。そうすれば、アルコール→アセトアルデヒド→酢酸と分解され、最終的には水と二酸化炭素に分解されるはずだ。前世の保健体育だか家庭科だかで習ったぞ。
ん、待てよ……。とすれば、これは魔法で解決できるのでは⁉︎
俺の脳内には、聖系統の中級魔法である『ヒール』が思い浮かんでいた。
この魔法は、『魔法の使い方』によると、『体の生命力を活性化させ、傷の治りを早める』と説明されていた。これは俺の推測にすぎないが、おそらくこの魔法には、代謝を無理やりブーストさせる効果も含まれているはずだ。
思い立ったが吉日。早速試してみよう。もし俺の読みが外れていても、『ヒール』だから、体に悪いことは起こらないはずだ。
「『ヒール』!」
しかし、魔法は発動しない。さっき、ヴォルデマールに魔法を使おうとした時に感じたのと同様に、魔力が魔法に変換されずに出てこない、という感覚。
さっきは時間が無かったので、まともに検証できなかったが、今なら余裕がある。俺は一旦魔法の発動をキャンセルすると、もう一度挑戦する。今度は、必要以上の魔力を注ぎ込んで、無理やりバリアを突破することを試みる。
「『ヒール』っっ!」
それでも発動しない。おっかしいなぁ……。体調が悪いわけではないし、普段なら確実に魔法が発動できるはずなんだけど……。
よし、今度はもっと多くの魔力を込めてやってみるか……!
俺は自分の中に蓄えられている魔力のほとんどを、一瞬で一気に手のひらに集めた。
「『ヒール』‼︎」
次の瞬間、パンッ、と張り詰めていた何かが破れるような音とともに、俺の手のひらから力強い光が一瞬迸る。あまりの眩しさに目が眩んで、一瞬目を瞑ってしまう。
し、失敗しちゃったか……⁉︎
「…………ん、あれ、わたし、なんで横に」
数秒後、俺の太ももから、シャルのそんな声が聞こえてきた。明らかに、さっきまでの酔っ払いの声とは違う。
恐る恐る目を開けてシャルを見ると、顔の赤みが引いたシャルが、状況を飲み込めていないような表情で、目を瞬かせていた。
「シャル、ぐあいはどう? きもちわるかったり、あたまがぼーっとしたり、してない?」
「う、うん……大丈夫だけど」
そう言って、シャルは上体を起こした。そして立ち上がる。その動作にさっきまでのふらつきはない。
どうやら俺の魔法は、正常に発動されたようだった。
「ねえフォル、わたし、今まで何をしていたんだっけ?」
「……きおくそうしつ?」
「うーん、パーティーが始まったところまでは覚えているんだけど……」
どうやら酔っ払っている間の記憶を失くしてしまっているようだ。
俺はさっきまでのシャルの様子を説明する。
「シャル、おさけによってふらふらしてた。あぶなかったから、わたしが『ヒール』でなおしたの」
「そ、そうだったんだ……ありがとう、フォル」
間違えて飲んじゃったのかな……とシャルは呟いた。
俺たちのすぐそばを、警備の兵士たちが小走りで通過する。この会場には数箇所に警備の兵士が配置されているのだが、どうやらそのうちの何人かが急いで入り口へ向かっているようだった。会場の外で何かアクシデントでもあったのだろうか?
まあ、とにかく、今はシャルが元に戻ったことに一安心だ。
「そういえば、フォルはご飯はもう食べたの?」
「うん」
俺は、さっき自分の身に起こった出来事をシャルに話す。ヴォルデマールに絡まれたこと、ルークに助けられたこと、ジンクさんの証言によって、バツが悪くなったのか、ヴォルデマールとその父親らしき人物はすでに立ち去ったこと。
「そんなことがあったんだ……駆けつけられなくて、ごめんね、フォル。怖かったよね」
「……うん」
俺はシャルに抱きしめられる。今まで心の奥底でモヤモヤしていた不安が、取り払われたような気がした。
ここで、俺はヴォルデマールの言葉を思い出す。そういえば、奴の言葉に引っかかった部分があったな。
『フローズウェイけとか、はくしゃくじゃないか! しかも『ちゅうおう』からついほうされたとかいう』
この王国の貴族の爵位は五段階に分かれている。もちろん、それを表す言葉は違うが、前世の西欧の爵位と同じように考えると、上から、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と当てはめることができる。
俺たちフローズウェイ家は伯爵だ。一方、奴の家はどうやら侯爵家のようだった。
まあ、爵位マウントをしてイキってくるのはまだわかる。問題はその後の言葉だ。
『中央から追放された』とはいったいどういう意味だろう?
この国の貴族は主に二つに分けられる。一つは、王都にて大臣や官僚などのポストに就いている中央貴族。もう一つが、地方の行政に携わる地方貴族だ。
おそらく、『中央』とは中央貴族のことだ。そして、バルトがラドゥルフ、ジンクさんがラサマサを治めていることからもわかるように、俺たちは地方貴族だ。一般的に考えれば、地方より中央の方が上に見られるだろう。
気になるのは、奴の言葉からは、まるで俺たちフローズウェイ家が、地方に左遷された元中央貴族のように聞こえたということだ。残念ながら、俺は地方貴族としてのフローズウェイ家しか知らない。この言葉は本当かどうか、シャルならわかるかもしれない。
「ねえシャル」
「ん? なに?」
「あのね、ヴォルデマールがいってたんだけど……」
そして、俺がシャルにそのことを尋ねようと口を開いたその時だった。
「フォフォフォ……そこのお嬢さん、さっきはとんでもない魔法じゃったのぅ……」
明らかにこちらに向けられた声。言葉を中断して振り向くと、そこには、ローブ姿の老人がこちらを向いて立っていたのだった。