突然謎の老人が俺に声をかけてきた。俺の頭からは、シャルに聞きたかったことなどすっかり抜け落ち、反対にこの老人についての疑問が湧き上がってくる。
いったいこの人は誰だ? もちろん、見たことも会ったこともない。完全にはじめましての人だ。
年齢はだいたい六十代くらいだろうか。バルトよりも一回りほど上だろう。白い髭を生やしている。
何より特徴的なのは、その格好だ。パーティー会場にいる男性は、そのほとんどがスーツのような服を着ている。しかし、老人はローブのようなものを着ていた。その格好は、まるでファンタジー小説に出てくる魔法使いのようだ。この場においては、あまりにも場違いである。
それに、先ほどの言葉からして、俺がさっきシャルに魔法を使ったのを知っているようだ。周りに人がいない、部屋の端っこで使ったから、誰にも見られていないと思ったのだが……。見ていたのだろうか?
とにかくわからないことが多すぎて、俺は警戒心を高める。それがどうやら顔や態度に出てしまっていたようで、老人は笑いながら俺に言う。
「フォフォフォ……そんなに警戒せんでくれ。ワシはお嬢さんに危害を加えようとしているわけじゃぁない。ただ、興味があるだけなのじゃ」
「きょうみ?」
「申し遅れたが、ワシの名はオルドー・リヒト・メサウスという」
「オルドー・リヒト・メサウス……⁉︎」
すると、その名前を聞いたシャルが、ビックリしたような声で名前を反芻する。
「……しってるの?」
「知ってるも何も……『王国の賢者』と呼ばれる、ものすごい魔導師だよ!」
「おお……!」
魔導師! 確か『魔法の使い方(中級編)』に詳しく書いてあったな。魔法について深い理解をし実践を積んだ者のうち、さらに超難関の試験を突破した者だけに与えられる、魔法使いの中での最高の称号だ。この王国に数百人ほどしかいない、まさに魔法使いの中の頂点である。
それに、『王国の賢者』という二つ名があるあたり、本当に偉大な人なのだろう。
「フォフォ、そう言われると恥ずかしいのぉ……」
そう言うオルドー翁は、なんだか満更でもないような表情をしていた。
「それに、フォルがよく読んでいる『魔法の使い方』シリーズの筆頭編者だよ!」
「ええ! そうなの⁉︎」
「そうじゃよ」
マジかよ! 本持ってくればよかった! そうすればサイン貰えたのに! うあー! 地団駄を踏みたい気分だ。
そそそ、そうだ、俺も自己紹介しないと。
「は、は、はじめまして。ラドゥルフ『ち』ゅう『し』じバルトのまごむすめ、フォルゼリーナ・エル・フローズウェイともうします。お『しみ』りおきを」
テンパリすぎて、若干噛んでしまった。
「ほほぉ、幼いのに立派じゃの。フォル嬢よ、いま年齢はいくつじゃ?」
「さ、さんさいです」
「っほほーぉ! これはこれは、まさに逸材! この年でこれとは、まさにとんでもない才覚の持ち主じゃ!」
すると、オルドー翁は興奮したように言い放った。
いったい、何が彼をそんなに興奮させているのだろう?
「あ、あの……いったい、わたしなんかに、なんのごようですか?」
「う、うむ……失礼、少し取り乱してしもうた。フォル嬢よ、お主、先ほど魔法を行使したじゃろう?」
「は、はい……。見ていたんですか?」
「ふむ……何と言えばいいかの……。直接魔法を使うところは見ていないのじゃが、魔法を使うときの『魔力の流れ』が見えた、というべきじゃろうか」
さらっと彼はそう言った。
え、魔力の流れって見えるの⁉︎ 今の俺には、自分の中に流れる魔力を感じることしかできないのだが……。どうやらオルドーは、他人に流れる魔力を感じるだけでなく、『見る』こともできるようだ。
やっぱりすっごい魔法使いだ。『魔導師』の称号は伊達じゃない。
「ともかく、実は、本来ならばこの空間で魔法は使えないはずなのじゃ」
「え……そうなんですか?」
「うむ。お主も魔法を使うときに感じなかったか? 魔力が何かに塞がれて、魔法に変換されないような感覚を」
「あっ……」
そういえば、そんな感覚あったな。ヴォルデマールと相対したときにも、シャルに魔法を使おうとしたときにも感じていた。
普段ならそんな感覚なんて微塵も感じたことなかったのに……。いったいどうしてなのだろう? このことを知っていて俺に尋ねてくるということは、もしかしたら、オルドー翁はその正体に心当たりがあるのだろうか?
「それって、いったいなにでなんですか?」
「うむ。実は、この部屋には、全体に結界が張られておる」
「けっかい?」
「魔法の使用が制限される領域のことじゃ。確か、『魔法の使い方(中級編)』の五十三ページあたりに書いていなかったかの?」
……言われてみれば、なんか書いてあった気がする。まだ一度しか読み通していないからあまり覚えていないけど。
「そのけっかいによって、まほうがつかえなかった、ということですか?」
「その通り。貴族というのは、概して強い魔法の能力を持っている。そのため、魔法を使った諍いが起きると、とんでもないことになってしまう。だから、結界魔法を起こす結界魔法陣によって、常時この部屋では魔法を使えなくしているのじゃ」
「なるほど」
あれ? でも俺はさっき魔法を使えたけど……。
「しかし、お主はその結界を破ってしまった。その証拠に、慌ただしく警備の兵が動いておるじゃろう? あれは、結界魔法が破られた対応に追われているからじゃ」
なるほど、だからさっきから警備兵が慌ただしく動いているのか……。
……あれ? もしかして、俺、やらかしたんじゃね……?
だって、貴族たちが魔法を使わないようにするために、この部屋に結界を張っているんだよね? それを破ってしまったということは、誰かに対する害意を持って、魔法を使ったと捉えられてもおかしくないわけで……。
「わ、わたし、つかまっちゃう⁉︎」
「フォフォ、安心しなさい。わざとではないのじゃろう?」
「うん! このひとがよっぱらっていたから『ヒール』をしただけ!」
「そうです! 『ヒール』で治してもらいました!」
シャルも俺の味方になってくれるようだ。それを見て、オルドー翁は笑う。
「フォフォ、わかっておるわかっておる。安心せい、いざとなればワシも証言するわい。魔導師のワシの言葉なら、疑う者もいるまい」
その言葉に、俺はホッとする。この人が俺の魔法を見ていてくれて、本当に良かった……。
「ワシが聞きたいのは、お主がそれをどうやって突破したのか、ということじゃ」
「えっと……まりょくをいちどにたくさんこめたら、とっぱできました」
「ほほう……力技じゃったか……」
ふむ、と言いながら髭を撫でるオルドー翁。
「とすると、魔力量が多いのであろうか……。お主、魔力量を測定したことはあるかの?」
「はい。ラドゥルフからおうとにくるとき、とちゅうのまちではかりました」
「差し支えなければ、いくつか教えてくれないかの?」
「ええと……にせんななひゃくごじゅうに、です」
「二千七百五十二! フォフォ、そりゃ凄まじい! この歳でこの魔力量とは……」
バルトとは全く別のリアクションをとる。やっぱり、高名な魔導師から見ても、この年齢でこの魔力量は異常らしい。
「ちなみに、どんな系統の魔法に適性があるのじゃ? 聖系統に適性があるのはわかるのじゃが……」
「ぜんぶです」
「ぜんぶ……とな?」
「はい。みず、ひ、かぜ、ち、ひかり、せい、ぜんぶです。けいとうがいはまだわかんないですけど……」
驚愕の表情を浮かべるオルドー翁。しばらく口をパクパクさせた後、やっと言葉を絞り出した。
「……まさに魔法に愛されておるな」
「フォルは本当に凄いんですよ! 家族で一緒に王都に来る途中、ゴブリンの集団に襲われたんですけど、フォルが『バースト』で斃してくれたんです!」
「ほう……上級魔法まで使えるとは……。ということは、最近耳にした『爆殺幼女』は、お主のことじゃったか」
「『ばくさつようじょ』?」
「うむ。王都の西方トーラムの街の近くの麦街道にて、旅の馬車列がゴブリンの集団を退治した。その大半は、なんと幼女の魔法で爆殺されたと聞いておる。にわかには信じ難い噂じゃったが……まさか本当だったとは。ゴブリンを魔法で爆殺したその幼女は、巷では『爆殺幼女』と呼ばれているようじゃ」
『爆殺幼女』ねぇ……。嬉しいような、嬉しくないような……。この二つ名に、俺はなんとも言えない気持ちになった。
「そんなフォル嬢に、一つ提案がある」
「ていあん?」
「うむ。実はワシは、ここ王都の第一城壁の外にある、王立学園の学園長をしておる。
ワシが言うと自慢のようになってしまうが、学園では一流の講師による王国最高峰の教育を行(おこな)っておる。もちろん、魔法についての教育も、その中には含まれておるぞ。
残念ながら、六歳からしか入学できないのじゃが、そこで提案じゃ。
六歳になったら、お主も入学しないか? むしろ、我が学園でぜひ学んでほしい。きっとお主にとって、この国で一番の環境を提供できるはずじゃ」
学校か……。いつかは行くことになるんだろうな、と考えていたが、まさかこのタイミングで話が出てくるとは。
オルドー翁の話は、悪いものではない。むしろ、俺にとってピッタリのように感じる。魔法についてどんどん学んでいきたいと思っていたし、それがこの国で一番良い環境で学べるのなら、願ってもない話だ。
しかし、この場で決めることは性急だ。まだ俺は王立学園についてほとんど何も知らないし、入るのは三年後のことだ。バルトやルーナに相談する必要もあるだろう。
「ごていあん、ありがとうございます。ですが、このばでは、きめられません。マ……おかあさまやおじいさまにそうだんしないと」
「フォフォ、その通りじゃな。無論、この場で決める必要はない。じゃが、選択肢の一つとして考えておくれ。我が学園は、お主の入学を歓迎するぞい」
「ありがとうございます」
「では、失礼する。またどこかで会おうぞ」
そう言って、オルドー翁は去っていった。
俺がその背中を見つめていると、シャルが尋ねてきた。
「……そういえば、フォルがさっき聞こうとしていたことってなに?」
「きこうとしてたこと……? あー」
一瞬なんのことだかわからなかったが、すぐに思い出した。
俺はヴォルデマールに言われて疑問に思ったことを、シャルにぶつける。
「あのね、ヴォルデマールに、『ちゅうおうからついほうされた』っていわれたんだけど、それってどういうこと?」
「えっ……」
「わたしがうまれるまえは、シャルたちはちゅうおうきぞくとして、あのやしきでくらしていたのに、ラドゥルフにおいだされたってこと?」
「……んまあ、そうとも言えるかもしれないね」
「なんで?」
シャルは困ったような顔をする。やはり子供には言えないような理由なのだろうか。
「……それは、お姉ちゃんから説明してもらった方がいいかな」
結局、シャルは説明してくれなかった。俺が真実を知るのは、最短でもラドゥルフに帰った後になりそうだ。
そして、思わぬ収穫と思わぬモヤモヤを抱えることになったパーティーは、お開きになったのだった。