翌日、土曜日。バレンタインデー当日であるこの日、俺はメイドカフェでバイトをしていた。
今日は休日ということもあり、午前中からバイトに入っている。休日はいつも平日より人が多く入ってくるのだが、今日は特に多い。接客に料理の運搬に掃除に、目が回るほど忙しい。
その理由は、もちろん今日がバレンタインデーだからだ。
現在この店では、バレンタインデーにちなんだ、今日一日限定のイベントを開催している。ズバリ、名前は『バレンタインフェア』。ド直球のネーミングだった。
フェアが開催されている間、限定メニューが二つ追加される。
「バレンタインパフェ一丁」
「ありがとうございます」
カウンターで店長さんから料理を受け取ると、俺はお客さんのところへ運んでいく。
容器の上に乗っているのは、巨大なパフェだ。生クリームやチョコがふんだんに使われていて、見ているだけで胸焼けしそうだ。その見た目は、まさに茶色と白が織りなす巨大な山だった。
これが一つ目の限定メニュー、バレンタインパフェだ。今日この日にしか提供されない特別メニューだ。限定メニューであることに加え、かなりの量があるのでお値段も結構するのだが、売れ行きはかなり順調だった。
「お待たせしました〜☆ バレンタインパフェです☆」
俺はお客さんのところに無事に運び終える。ひっくり返さないかマジでヒヤヒヤするぜ……!
いつものように萌え萌えきゅ〜ん☆☆ とラブパワーを注入していると、お客さんから追加で注文が入った。
「ほまれちゃんに、バレンタインチョコを一つ」
「ありがとうございます☆ 今ご用意しますね☆」
俺は伝票に書き込むと、今度は店の壁に掲げられているホワイトボードへ向かった。
ホワイトボードには表が書かれていた。タイトルは『バレンタインチョコ』。左端の列に店員の名前が書かれていて、それぞれの名前の横からは正の字がズラッと伸びていた。
俺は『ほまれ』の名前の横に並んでいる正の字に横棒を一本足す。これで十三だ。
これが二つ目の限定メニュー、バレンタインチョコだ。ただのチョコではない。指名したメイドに、チョコレートの表面にホワイトチョコベースのチョコソースで好きなメッセージを書いてもらえるのだ。
「バレンタインチョコお願いしまーす」
「はいよ」
店長さんが皿の上に乗った平べったいチョコレートを出す。俺は白いチョコソースがたっぷり入った絞り袋を持って、お客さんのところへ向かった。
一見すると、お客さんに喜んでもらうためのサービスのように見える。しかし、このメニューは俺たちに対しても嬉しいものだった。
バレンタインチョコのサービスを終えて接客が一段落した俺は、テーブルの清掃を始める。すると、飯山が声をかけてきた。
「ほまれちゃん、調子はどう?」
「順調だよ」
「バレンタインチョコは……もう十三個も注文してもらったんだ」
飯山がホワイトボードを見て、驚きの声を漏らす。それに俺は苦笑した。
「でも、ひなたの方が二倍ぐらい貰っているじゃん」
「まあね〜」
俺の上に書いてある飯山の名前の横には、正の字がズラッと並んでいる。数えてみると、チョコの注文数は俺のおよそ二倍の二十七個。ぶっちぎりの一番だった。さすが当店ナンバーワンメイド。その人気は絶大だ。
「それに、お客さんに注文された分だけ、店長さんからチョコ貰えるんだもん! そりゃぁやる気出るよ〜」
今日の営業が始まる前、店長さんからあるお達しがあった。その内容は、飯山の言うとおり、お客さんに注文された『バレンタインチョコ』の個数のチョコを、営業後に店長さんがくれるというものだった。
このことはメニューにも書いてある。『注文数に応じて、後でメイドにもチョコがプレゼントされます』と。
まあ、俺は貰っても食べられないんだけどな……。
すると、カランコロンと玄関のベルが鳴り、新しい来客者が来たことを告げる。反射的に入り口に目を向けると、そこにいたのは意外な人物だった。
「み、みなと……!」
そこにいたのは、俺の彼女であるみなとだった。ちょうど清掃を終えた俺は玄関にすっ飛んでいった。
「お帰りなさいませ、お嬢様☆ 一名でしょうか☆」
「そうよ……いつ見ても完璧なメイドね」
「お褒めいただき光栄です☆」
俺はみなとを席に案内する。お店に来てくれたのはキャットフェア以来だ。
「SNSで見たわよ、バレンタインフェアをやっているってね」
「はい☆」
「それじゃあ、まずは……」
そう言って、みなとはメニューを手に取ると、パラパラとページをめくる。そして、そのうちの一行を指差して宣言した。
「ほまれにバレンタインチョコ、十個」
「ありがとうございます☆ バレンタインチョコ十個……え、十個⁉︎」
思わずデカい声で聞き返してしまった。その声に周りのお客さんもざわつく。他の店員もこちらを見ている。
「ほ、本当にいいの……?」
そんな中、みなとは言いきった。
「ええ。バレンタインチョコ、十個よ」
「あ、ありがとうございます☆」
ざわざわと店内が騒がしくなる。今までに複数個注文してくれる人はいたが、せいぜい二、三個だった。それがいきなり十個! 一個三百円だから、一気に三千円分使ったことになる。金遣いスゴいな……。
俺はホワイトボードに正の字を二つ書き足すと、カウンターへ向かう。
「バレンタインチョコ十個、お願いします」
「はいよ」
店長さんはニヤニヤしながらさらに十個のチョコレートを乗せる。
「本当にスゴいな、あの子。ほまれに気があるんじゃないか?」
大正解です、店長さん。その子は俺に気があるどころか、彼女です。
ということをここで言う気は起きず、愛想笑いで誤魔化して俺はみなとのところへ戻る。
その途中、入れ違いでたくさんのメイドが店長さんのところへ向かう。そして、皆一様にバレンタインチョコをオーダーしていた。どうやら、みなとに刺激されたらしい。
これで店の売り上げは間違いなく上がるな。それに比例して、店長さんの財布が痛むけど……。
「お待たせいたしました☆ バレンタインチョコ十個でございます☆ メッセージはどういたしましょうか☆」
「全部『みなと♡ほまれ』で」
「かしこまりました☆」
俺はチョコソースで一枚一枚丁寧にメッセージを書いていく。全部書き終わる頃には、みなとはすでに十枚のうち三枚食べ終えたところだった。
すると、彼女はさらにメニューを指差して注文する。
「あと、バレンタインパフェを一つ」
「かしこまりました☆」
まだ食べるのかよ! 絶対胸焼けするだろ……。
内心そんなことを思いながら、俺はカウンターへ向かおうとする。が、その前にみなとに呼び止められる。
「ほまれ」
彼女は耳を近づけるように手招きをしていた。
店員としてではなく、個人的な話だろうか?
「もし貰ったチョコを食べきれなかったら、いくつか譲ってもらえないかしら?」
「……わかった。もし余ったらあげるよ」
重要な話かと思ったら、ただチョコが食べたいだけだった。
結局、みなとは注文したチョコとパフェを完食し、俺とチェキを撮って満足して帰っていったのだった。