二月に入り、寒さの厳しい日が続く。最近はちょくちょく雪まで降るようになり、俺にとってはかなり過ごしづらかった。
そんなある朝、俺が学校に到着して教室に入ると、普段とは少し違った雰囲気になっていることに気づいた。
何人かのクラスメイトは、手に小包みや小さな袋を持って、それを交換し合っている。その袋のいくつかは、はたから見て明らかにチョコレートが入っているとわかるようなものだった。
皆、バレンタインチョコを持ってきているのだ。
正確には、バレンタインデーは明日だ。しかし、その日は土曜日。そのため、前日で学校のある本日金曜日に、皆チョコを贈っているのだ。
例えば、俺の前の席に座っているカップルの二人。俺の目の前で、今まさに女子の方が男子にチョコを手渡そうとしているところだった。
「あおい」
「なんだ?」
「ん」
そう言って、檜山が佐田にチョコの箱を突き出す。一見その態度は無愛想に見えるが、手に持っている箱からは檜山の本気度が伝わってくる。ラッピングもしっかりしているし、高級品であるように見える。本命チョコで間違いないだろう。
「お、チョコか?」
「……それ以外なんだっていう話」
「マジで⁉︎ ありがとな!」
佐田は嬉しそうにそれを受け取る。対して檜山は澄ました顔をしているが、若干顔の温度が上がっている。ツンデレかよ!
「これはどこで買ったんだ?」
「……買ったんじゃない」
「え、手作り?」
「……そうだよ」
「マジで⁉︎ めっちゃ気合い入ってるな! 普通にガチすぎて高級品かと思って間違ってしまった、すまんすまん」
ここで、佐田が俺の視線に気づいてこちらを見る。どうやら俺はニヤニヤを抑えきれていなかったらしく、佐田はちょっと恥ずかしそうな表情をした。
「お、ほまれ……おはよう」
「おはよう、二人ともラブラブだね〜!」
「うっせ、黙れ天野」
「いいじゃん、純愛で結構! キューピッドとしては嬉しい限りだよ」
二人とも黙り込んでしまった。ちょっとからかいすぎてしまったかもしれない。俺は席に着くと自分の鞄をゴソゴソしながら話題を逸らす。
「そういえば、今日佐田はチョコいくつ貰ったの?」
「これで一個目だぞ」
「そうなの? 意外だな〜。去年は朝の時点で十個くらい貰っていたじゃん」
「まあそうだけど……なんでだろうな?」
佐田がモテるのは周知の事実。一年前のバレンタインデーなんて、休み時間ごとに数人の女子が来て先輩同級生問わずチョコを渡してきたもんな……。そんな佐田が、今日はまだ檜山からしかチョコを貰っていないのは、かなり意外だった。
「そんな佐田に俺からもチョコをあげよう」
俺は鞄からチョコを取り出した。
「一応手作りだよ。受け取ってくれ」
「マジで⁉︎ ありがとう!」
佐田が俺からチョコを受け取ろうとする。だが、その直前、俺たちは横から迫りくる恐ろしい気配に思わず身をすくませた。
「…………檜山?」
「ど、どうしたんだよ、なお?」
「……なんでもないけど」
そう言う檜山からは恐ろしいほどの負のオーラが漂ってきている。一瞬で、あ、コイツ不機嫌だな、とわかるほどだ。
……もしかして檜山、俺と佐田の仲を嫉妬しているのか⁉︎ 考えすぎかもしれないが、ありうる話だ。以前も何回か、檜山は俺に対して対抗意識をむき出しにしてきたことがあった。
ここで俺は理解する。そうか、佐田が他の女子からチョコを受け取れていないのは、檜山が牽制しているからじゃないか? すでに檜山が佐田と付き合っていることはかなり広まっているし、もしそれを知らずにチョコを渡そうとしても、檜山のこの雰囲気で察するだろう。
とりあえず、檜山を安心させるために俺はわざとらしい声で強調する。
「友チョコだからな! 俺たちの友情の証だから!」
「そ、そうか! ありがとうな、親友!」
「あ、あと、もちろん檜山にも友チョコ用意してあるから! はい!」
「……ありがと」
檜山はちょっと不満そうに、それでいてちょっと嬉しそうに、俺からのチョコを受け取った。
俺が作ったチョコは、手作りとはいえあまり大きくないし、ラッピングもそこまでガチではない。檜山の方がよっぽど愛のこもったものだと思うぞ。
「おはよ〜皆」
「おはようございます」
「おはようデス!」
ここで、教室の後ろのドアから飯山と越智、そしてサーシャが入ってきた。越智とサーシャは朝練に行ってきたところで、飯山はいつもこのくらいの時間に登校してくる。
「はい、三人にも友チョコね」
「わぁ、ありがと〜!」
「ありがとうございます!」
飯山と越智には嬉しそうに受け取ってもらった。一方のサーシャは何がなんだかよくわからないような顔をしている。
「ありがとうございマス……」
「……もしかして、サーシャチョコ嫌いだった? アレルギーとかあった?」
「そういうわけではないデスが……どうしてチョコくれるデスか?」
「え、明日バレンタインデーだから」
「ああ、そういうことデスか!」
サーシャは納得したようだ。単純にチョコがバレンタインデーと結び付かなかっただけだったようだ。
そういえば、バレンタインデーにチョコを送る風習というのは日本独自のものだと聞いたことがある。そんなことを考えていると、飯山が俺の聞きたいことを先に質問した。
「ロシアにもバレンタインデーはあるの?」
「あるデスよ! ただ、日本のようにチョコに限ることはなく、プレゼントを贈るのが一般的デスね。それに、女性から男性だけではなく、男性から女性にも贈るデス」
「そうなんですね」
それにしても、と飯山がちょっと困ったように俺に言う。
「……なんだかほまれちゃんには申し訳ないなぁ」
「え、どうして?」
「わたし、お返し持ってきてないんだよ……ごめんね」
「わたしもです……すみません」
「ああ、いや。お返しはいいよ」
たぶん、二人は俺から貰えるなんて思っていなかったのだろう。こんな体だけど俺は一応男。普通なら女子から俺の方に渡すものだ。それに、俺にチョコを渡そうとしても、俺は何も食べられない。そのことは、何度も一緒に出かけている二人はわかっている。だから用意していなくても全然不思議ではない。
だから、今あげたチョコは、純粋に仲良くしてくれてありがとう、という俺の気持ちなのだ。
ここで、チャイムが鳴り、朝のSHRの時間になる。すると、教室の前方のドアがガラガラと開いて、担任の斎藤先生が入ってきた。今日も時間ピッタリだ。
「おはよう、これからSHRを始めるから席につけよ〜」
皆が席に着くと、先生は朝の連絡事項を話し始める。
「そろそろ高校受験が迫ってきている。当然この学校も試験会場になるから、試験前日までに必要な荷物はロッカーから取り出して持って帰っておくこと」
その他、必要事項を話した後、先生は話を締め括ろうとする。が、伝え忘れていたことがあったようで、話を続けた。
「そうそう、明日はバレンタインデーだ。今日チョコを持ってきている人もいるだろう。だが、授業中に食べるのはやめろよ。チョコにあまり振り回されず、節度を守るように。以上」
今度こそ朝のSHRを締め括り、先生は教室から立ち去ろうと入ってきたドアを開ける。
すると、次の瞬間教室の外から黄色い声が聞こえてきた。
「先生! チョコです! 受け取ってください!」
「これ、チョコです!」
「せんせ〜!」
「ちょま、お前ら落ち着け……、ここだと邪魔になるからこっち来い!」
黄色い声はどんどん遠ざかっていく。言ったそばから、先生も振り回されているじゃないか!
どうやらバレンタインデーの魔力からは、先生でさえも逃れられないようだった。