かきちらかし (Neo)

2024-07-02 火

先日なんか弱気なことを書いたが、一週間ほどギヤを落として生活したら良くなった。寝るの大事。

今日はなんだか、久しぶりに連絡をもらう方からのメールやらチャットやらが次々と入ってくる。ほんの数分の差で、あらずいぶんお久しぶり!みたいな人からのメールが何通も来たりする。

最近娘が魂を抜かれたように見ている「ポケモンのチョコエッグ(それもすごい昔のやつ)をひたすら開封する動画」とか見ていると、ああー出現確率は同じでも出目はこんなふうに偏るんだよな、そうそうーとは思っているので、それからするとこの「来る時は来るし来ないときは来ない」という現象は「ま、乱数ってそういうもんだ」という話。なのだが、それでもなんというか、自分の生活をスッキリさせたことの断捨離効果でこんなアゲ⤴️な話が!とはつい思ってしまう。

2024-06-24 月

6月上旬、久しぶりに海外出張に行って帰ってきてからというもの、どうも眠い。私は体が比較的頑丈で故障が少なかったこともあり、こうしたしんどさを聞くたびに同情こそすれ、自分としては大丈夫なのでその分頑張らねば、などと思っていたのだが、今回はだいぶ食らった感がある。今はヨーロッパ行きのフライトは概ね片道14時間半かかるが、これはなかなかに大変なことだ。

細々と続くランニングを経て思うのは、座りっぱなしというのが本当によくないということ。昨日も子どもたちを連れて車で外出したが下の子が寝てしまい、買い物中に車内で留守番をしていたのだが、これがまた体にくる。今まで水曜どうでしょうのバスツアーを笑いながら見てきたが、もはや感情移入が過ぎてだんだん笑えなくなるかもしれない。

2024-05-20 月

ポケモンを始めたのは去年の10月くらいのことだと思うのだが、そこから先の娘たちのハマり方が半端ない。アニメを周回し、貯めたお年玉を握りしめてポケモンセンターに詣で、トレーシングペーパーを用いてイラストの練習をする。諸兄、これが情熱です。もう私はどうしていいかわからない。

先日母が、孫たちが喜ぶものを買ってやりたいのでポケモンセンターに来てみた(←すごい)というLINEを寄越してきた。最近好きだと言っていたポケモンをリストにし、画像を付けて送ったのだが、

チョイスが渋いんじゃ……いいんだけども……

2024-05-20 月

さらにジョギングは続き、なんと心肺機能はあとちょっとで平均を超える。本当にあとちょっとのところだ。ここまでくると効果が実感できて、ちょっとした急な知らせ、突発的な案件、やや失礼な対応などあったとしても、以前ほど心臓がバクバク言わないのがとてもよくわかる。心拍は前と変わらず上がっているが、そのことが気にならないし、元にも戻りやすい。十分に体が制御できている感じがして、即座に反応できる。結果、そこで第一歩がすぐ踏み出せるので、その件を自分の中で留保している時間も少ないし、概ねその後の推移もよい。これは本当にいいものを手にしたなという感じだ。

最初はほんとに、お金なんかかけずに手近なものでやろうと思って始めたが、楽しくなってくるとお金のかけ甲斐も出てくる。久しぶりに色々と検討をし、ランニングシューズを買った。ASICSの店員さんには靴紐の結び方からレクチャーしてもらい、非常に参考になった。というか、シューズの一番上の靴紐の穴が2個空いている理由なんて知らなかったし、なんならその事実すら知らなかった。とんだ元陸上部員だ。


だがまあそれはそれとして、けっこう参ってしまうような状況もちらほら。まだ自分の中でよくわかっていないのは、こういうふうにストレス反応を制御できているとはいえ、なにか残留ストレスみたいなものが体にどれだけ溜まっているのかということだ。大なり小なり、そういうインパクトの蓄積はある気がしていて、そうすると「対処は上手になるが、休息は今まで同様、あるいはそれ以上に必要」が答えなのかもしれない。つーか書いてみると多分間違いなくそうだ。休む。

2024-04-26 金

いろんな人と話をしている中で(同僚とか旧友とか協業先とか担当の美容師さんとか、ほんとにいろいろだ)、これまで探索してきたことの中には論文になりそうなものがいくつもあることに気づく。

自分の専門分野でないと論文が書けない、かどうかはトライしてみないとわからない。論文を書くというのはそれなりに骨の折れる作業で、それ自体を目的にしてはなかなかやっていきづらいものだ。ただ、ずっと温めていた構想や、細々と続けてきたチャレンジには芽が出る可能性がある。そして論文コミュニティというのは、どうやら私が思うよりもずっと、幅が広くて懐の深いものであるかもしれないのだ。

そう考えると、今後いろいろやっていこうとしたとき、面白く活動できる場所を探索しておくことにはすごく価値がありそうで、だとすると書いてみようかという気にもなってくる。

何やってるんだかわかんないんですよ最近、ほんとにいつまでこんな状態なんでしょうね、と謙遜も含めて言い続けて早何年経つやら。でも、嘘みたいだが、自由形の仕事にも上達というものはあるようだ。

2024-04-20 土

大丈夫ッス。LIQUIDROOMで、でんぱ組.incがエンディングを迎える旨の報告を直に聞いてきましたが、思ったより気持ちは落ち着いてるッス。


……推し活の終活ってどうやるんスか?

2024-04-03

頻繁に参照する書籍の引用や概念の出典などをまとめたスライドを作ってみたら、これが便利で仕方ない。
〇〇というのがあって、と話すときに確実な引用元と原典に沿った資料が示せることはきわめて重要になってきていて(最近私が話すべきシチュエーションにおいて)、そのときにあれこれ出せるというのは説明も捗るし、間違ったことを伝えるリスクも減る。ただ副作用として、プレゼンされた側が「何でそんなものまで持ってるんスか」という反応を示すことがあって、それはそうだろうなと思う。自分でやっていても、昔ながらのセールスマンがアタッシュアタッシェケースからカタログを取り出しているみたいだ。

2024-02-26 月

「ご相談」というタイトルのメールがなんだかいっぱい届く昨今。ちょっと楽しみで、じっくり読みたくなるのでつい開封を最後にしてしまう。中身はまあ、いろいろだ。

2024-02-23

↓で書いてからというもの、意外にもジョギングは続いている。

ジョギング、ないしランニングは、キツくなくても良い。速く走らなくても良い。たくさん走らなくても良い。毎日走らなくても良い。走っている最中に楽しみがあって良い。ファッションを楽しんでも良いし、楽しまなくても良い。人に見られることを気にしなくて良い。走ったことは褒められても良い。そういうことなら、だいぶ話は別だ。

いわゆるVO₂ Max ✕ 50%というので走っており、それはそれはゆっくりだ。息もたいして上がらない。しかしそれによって体機能が改善していることがApple Watchのデータからわかる。体重はそんなに変わらないが、見た目はほんの少し変わった気がする。何よりいまは時期が良くて、徐々に朝が早くなっていくのを体感するのは本当にいいものだ。

過去のデータを見ていると、コロナ禍で在宅になってからガックリと体機能が落ちたのがわかる。そのことによって起きた不調もあるかもしれない。感情と内臓とはとても深く関係しているらしいのだ(「自由エネルギー原理入門(乾敏郎・阪口豊、岩波書店)」)。

なぜ、運動はキツくないといけないと思ってしまったのだろう。部活や体育がそういうものだったからか。「ほんとうのランニング(マイク・スピーノ著、木星社)」にはこうある。

身体を鍛えたい場合、ジョギングは最も効果的なランニング形式ではない。――同じ作業を何度も繰り返すと、私たちは気晴らしが欲しくなるはずだ。次のコーヒーブレークのために生きはじめ、精神は新鮮さを失い、すると新しいことや自発的なことはとうてい起こりそうにない。

❝子どもたちが走るのを見て、同じようにやってみよう❞ ―― パーシー・ウェルズ・セラティ

2024-01-13 土

主観として、あーなんか今は調子よくやれてるな、いいペースだな、と思っても、体に負荷がかかっていないわけではない。逆に体に負荷がかかってない状態は心地よいが、エンジンがかかりきらないようなもどかしさを感じる時もある。

負荷がかかること自体は、ある程度慣れてしまえば簡単にいなせるものだ。発表前の緊張、空腹、話が通じにくい人へのいらだち、足の疲労、などなど。どれも好ましいものとは言えないけれど、大騒ぎするほどのものでもない。ただ、どれも同じかと言われれば、人によって、何も気にしないものから苦手意識の強いものまで色々あるだろう。

私はどうも、心臓に負荷のかかる運動・緊張・ストレスが本当にダメで、耐性が紙レベルと言ってもいい。だから他の人の行動に苛立ったりすると作業の精度が落ちるし、体調にもだんだんのしかかってくる。そうしたことに対処できるようにする薬もあるのだが、それより何より「精神的な不調は身体的に解決すべし」であるようだ。心拍数が上がる運動を、週に2回ずつくらいやる。そうすると、心拍数の上昇に体が慣れて、過剰反応を抑制できるようになるという。

そんなわけで、少しずつ朝の時間に走り始めている。痩せようという、見た目を良くする(それ以外の効果は山程あるにせよ、だ)ということに感じるインセンティブが年々下がっていく今日このごろ、ストレス耐性を高めるために心臓を鍛えるべく走る、というのはなんだか悪くない。あとはどのくらい続くかだが、歳を取るにつれて、習慣を作ることはできるようになってきている気がする。タモリさんが言ったという「それはどんどんできるようになっていくと思うよ」という事柄って、いくつかあるんじゃないかと思うし、あるといいなと思う。

2023-09-12 火

昔からどうも、なんかあるたびに「ちょっとみんな集まって」と言われるのが好きではなかった。仕事させてくれい、と思っていたし、自分が関わる目的の薄い(もしくは基本いなくてもよい)場所に呼ばれて座っている、でも聞いているというエンゲージメントが求められているという状態からはなるべく逃げたかった。

仕事は好きで面白いと思っていたから、なるべくそれをやりたかった、と言えばそうだけれど、20年近く前の仕事の仕方なんて今とぜんぜん違うから、今よりゆるい時間の流れの中で今よりゆるく自分の場所を保っておきたかったと、振り返るとそういう風に見える。

だから職位がある程度上がってきても、ちょっと全員来て、という場所を自分からコミットして作ることはなるべく控えようと思っていた。きっとみんな同じ気持ちだろうから、されて嫌なことはしないようにしようと思っていた。

でも思えば過去には、そんな自分にも情報がきちんと回る仕組みがあったり、時に鬱陶しくも経験談をシェアしてくれる先輩がいたりして、自分はそこから美味しい部分だけをきっちり切り抜いて大事に保存していたりする。その機会がなくなるのは問題だ。だから、有用な情報、面白い情報だけを切り抜いて共有して、効率よくシステムが作れるんじゃないか、みたいなことをずっと考えてきていた。

こういう風に言語化できるようになったのはつい最近のことで、こう書くと気付かされることがある。それって、必要栄養素のサプリを水で飲み込んで食事だと言っているようなものじゃないか。みんなが嫌だと思うこと、面倒だと思うことを避けることで「良いマネジメント」を体現しようとして、あったはずの楽しいディナーを服薬みたいな作業に格下げしたんじゃないか。

多様性、選択肢、やりがい、パフォーマンス、創造性。そういう栄養素と栄養素の間に存在している味を無視して何かするなんて愚かだ。こう書いてしまえば、そんなの知ってたよ!と言いたくなる。でも、情報が苦手だから、自分が変わりたくないから、そういう理由で「やっぱ対面じゃなきゃ伝わらないんだよ」みたいにうそぶく人と一緒にされるのはごめんだ、とも思っていた。

今なら言葉にできる。大事にされるべき話はある。大事な話だから聞いて欲しい、という訴えかけほど重要なものはない。でも大事な話はいつ起きるかわからない。その予感に賭けて、対面の時間、全員集合の時間をとる。その時間をなるべくいつでもとれる自分でいたい。それでも機会をあてられないことだって、あるだろう。でも私が両手で受け止められるものの量は、今の体の大きさになってからこのかた、変わりはしないのだ。受け止められないものがあるのは避けられない。でもそれを団体戦でできれば、もっとずっと大きな器だって考えられる。

私がわざわざ来てもらえる人で居続けられるかどうかは私の努力。でもどうしてもの時は「どうしても聞いてほしいから来て!」と言う。そのどうしてもが多少外れることもあるだろうけれど、そういうものだと思って。だからまずは書きちらかしてみよう。


……という話を、昨日のでんぱライブのあおにゃん卒業発表を聞いて電撃のように閃く。チームメンバーに聞いてもらって、たしかな言葉になる。だからチームメンバーはありがたいし、だからアイドルはすごいのだ。

2023-08-21 月

人が喜んでやるきっかけを作れる自分であること に興味があるのですよ。

2023-08-20 日

Stateless

❝ 【形】
1. 国[国籍・市民権・国家統治権]のない
2. 《コ》処理状態を把握しない~◆【対】stateful
(英辞郎)


❝ ステートレス(stateless)とは、状態を保持しないシステムやプログラムのことを言います。コンピューターやプログラムが外部とのやり取りにおいて、相互作用で発生する状態変化を保持せず、1回のやり取りで状態が初期化してしまうシステムのことです。

例えばHTTPプロトコルはステートレスな通信手段です。HTTPプロトコルは、Webブラウザなどのクライアントが1回 GET や PUT といったリクエストをWebサーバーに送ったら、サーバー側から1回結果が返ってくるのみ、というステートレス(stateless:状態を保持しない)なシステムです。

https://wepicks.net/itglossary-stateless/

2023-08-09 水

謙遜せず悪びれもせず、ただ通信するということって大事。

2023-08-06 日

よいときOneすごくね??

2023-07-28 金 

行動指針:しいたけ占いを熟読する

2023-07-26

ふだんこんなに喋る私だが、話したいことだけを話せる機会はそんなにない。聞かされる方々には何の違いもないと思うが、主観はそうだ。だからこそ、新しい話をひねり出せる飲み会は本当に貴重。そういう会話をしたい人を気兼ねなく、しかし丁重に招ける店をいくらか知っていることも重要。そのうえで終電までにちゃんと帰ることは最重要。

2023-07-14 金 

男性用トイレに何らかの縁がある人にしか通じない話題かもしれないが、男性用小便器の内側にはときどき何らかの記号や絵がついていることがある。これは「的」であり、ここを狙って用を足すと便器の周りが汚れにくく清掃が容易になる、ということで普及している。その普及の非常に初期、ヨーロッパのある美術館でこの案を目の当たりにしたのは2002年のことだった。便器の中にハエがいる、と思ったらそういうシールだったのだ。

これ、紹介されるときに、「男性にはこれを狙ってしまうという本能がある」と説明されたのを覚えているのだけれど、これについて20年越しくらいで未だに違和感がある。本能ってそういう、すごいマイクロなアプリみたいな形で存在してるんか。いや、そんなはずはない。何か本能的な行動というものがいくらかあって、その結果としてそういう行動が誘発されるという仕掛けだと思いたい。のに、↑の書き方だとあたかも「人間に108個備わっている本能の一つがコレ」みたいな感じがして、だったらもっと使えるものと交換したいわ!と思ってしまう。

まあその本能だって、うまく使ってトイレを汚さないことに役立っているのだから、あんまり卑下するものでもないのかもしれない。が、選べるもんなら他のが良い。

完全に余談だが、この新幹線の小便器の「的」、当たるとちょっと色が変わる気がする。グレーからほんのり赤に。目の錯覚かもしれない。でもあんまり凝視して確かめる気にもならない。なにしろ男性用トイレは狭いのだ。

2023-07-10 月 

課金したChatGPT有能すぎマヂゥケる

となるぐらい違ったねえ。違った。なにしろ言ったことへの理解度が違う。これがパラメータ数の差なのか。

いわゆるPrompt Engineeringというやつが出たとき「これや!」と思った一方、一部の冷静な人が「いや、そういう工夫を早々にtransformer側が凌駕してくるんと違うか」と言っていたけれど、本当にそうなった。

私はGPT-3のときからちょくちょく使っていて、でもなんというか、どうしても顔の見える気のいいロボットに話しかけてうまく行かなかったらロボット側がしょんぼりする(から自分が悪いことをしたような気がする)のでそっと距離を置く、みたいな使い方しかしていなかったのだけど、私はここでハネたな、という感じがした。ちゃんと期待と現実が揃ってきた感。

人間はGPT-4のような何千億というパラメータを脳内で都度操作してるのかといわれると分からないが、身体性の制御というのはほんとにそのくらいの数の一斉オーケストレーションであるのかもしれず、だとすると言語のベクトルのある部分(たぶん大部分)を体の機能に持たせることでこんな感じになっとるよ、という領域に何か近づきつつあんのかな、という予感がする。

2023-06-28 水 

こだわらないボタン、物理ボタンとしても買ってキーホルダーとして付けているのだけど、思ったよりも早く内部化されて、そこまでカチカチ押さなくてもよくなった。かわりにiPhoneケースにつけたキーホルダーが若干邪魔だ。しかし推しのアクキなのでないと困る。写真取るときに時々映り込むが、それはそれだと思うようにしている。

2023-06-26 月 

〽年の真中(まなか)に産まれし我が生命(いのち)
 定義上 定義上 後厄はあと半年

(誕生日でした)

2023-06-06 火

この中で洗濯機で紙オムツ洗っちゃったことある者だけが石を投げよ

2023-06-03 土

担当している講義のために新幹線乗って大阪行く
→台風で新幹線止まって帰れない
→宿とって一泊
→朝起きるが新幹線復旧してない
→飛行機予約して関空へ
→フライト
→帰宅なう。

計画運休含めて、無理して運行しないのはいい世の中になったと本当に思うが、こういう事態で食らうインパクトがでかい。体調が万全だったから大丈夫だが、調子悪かったらこうはできなかった。

自分の中ではもう「おうちかえる大冒険」だが、それにしても復旧に尽力する方々、運行してくれてる方々を思うと頭が下がる。オンライン予約でいろいろ便利になったとはいえ、ようこんな急な決断して受け入れてくれるもんだ。ありがたや。

2023-05-29 月

雨が降ると毎度盛大に遅れる某私鉄、朝の時間が読めなくなるのでついイライラしてしまうが、向こうは向こうで精一杯運行してはいるのだろうから、なんかそこらへんを知るとイライラが(自分の中では)解消しそうな気がする。駅事務所行って、手空いてそうなときにちょっと話聞きたいんですが、とか言ったら対応してくれるんだろうか。

2023-05-25

最近とても有用なものを見つけた。自分内名称は「『こだわらない』ボタン」。脳内イメージはほんとこんな感じ👉だ。

いつでも押せるボタン。これ一個で、他は特にない。押すと、とにかくこだわらなくなる。

これすごい便利。例えば駐輪場に自転車を取りに行ったとき、所定の場所に置かずに課金を回避して、他の自転車にすごく邪魔な止め方をしている自転車がある。なんでこんなことするんだろう?本当に信じられない。そう思うとなんだか腹が立ってくる。そのときにすかさずこのボタンを押す。それ以上こだわらない。自転車を出す。

駅で狭い階段を降りる。上りの人が多いなか、身を細くして下りのスペースを降りていくなか、そこを使って追い抜きをしようとする人がいる。そういう人に限ってスマホを見ていて私が見えていない。スリランカで道路を逆走する車(これは日常茶飯事)ですらハザードランプくらい炊くけどね?と一瞬思うけどボタンを押す。こだわらない。電車に間に合えばいい。

Switchで麻雀ゲームをやっている。ほんとこのゲームはスジ牌を切るとなにかの仕打ちのようにまたツモってきて、ほらウラメったでしょ?と言わんばかりの振る舞いをする。なんかワンパターンだなあと思う。ボタンを押す。こだわらない。ツモ切り。

2023-05-25 木

午前5時。

何に差があるのか、「カレンダーの日付と自分のなかの日にちのカウントがズレ続けるとき」というのが時々ある。今がそう。だいぶ遅れている。まだ自分のなかのカレンダーが一週間くらい前だ。そのくらい仕事が後手に回っているのかというと、そこまでのことではなくて、ほぼほぼちゃんと回っている。大きいイベントを控えるとそうなるのか、でもそんなに重大なイベントは近々ない。不思議。

2023-05-16 火

「パパラギにはひまがない」、教科書かどこかで見たのだろうが中身をよく知らずにここまで来た。改めて調べたら文明批判の創作、ということですっかり水を掛けられてしまっているが、私が初めて知った頃はまだエキゾチシズムの香りがする文学ということだったんじゃないだろうか。

今引用するなら「メキシコの漁師の寓話」のほうがいいかもしれない。あちこちで目にするが初出は1963年、ドイツのHeinrich Böllによるもののようだ。こういう話

いい感じのコミュニティを育てるとか、興味があることをやりたいベースで進めるぶんには、たいていそんなにお金はかからない。そういうことにお金を出してやろうという人も世の中にはほどほどいるから、うまくいけばそこそこ回していける。ただ、そういうお金や資源はすぐ悪用されるのでけっこう注意深く置かれていることが多い。

じゃあ人生としても最初からそこにたどり着ければ万事OKじゃないの、というとそれは本当にそう思う。だけれど、漁師の寓話に出てくるコンサルタント(ないし銀行マンなり)が追い求める充実に満足したからそれが素晴らしく見える気もする。冒険譚のエンディングだけが存在しても何が何だか、というような。あるいはUndertaleのPルートはまずNルートから、とか(あ、結局やりましたUndertale。神ゲーだった)。

そうなると、サクッと成功してサクッと隠居して楽しく過ごす、といういわゆるFIREムーブメント(経済的自立と早期リタイア)はそういうこと言ってんのかな、とも思う。なんとなくオンラインサロンとかで聞かれがちなテーマ(※悪い印象、という意味)だと思っていたが、収入最大化フェーズを区切ろう、元気なうちにさっさとそれを終えよう、という指標はなんだかしっくりくる。

もともとずっと右肩上がりという収入モデルは、全体勾配が右肩上がりでなければただの無理ゲーだ。だとするなら、どっかで短距離走的に右肩上がりを経験したらあとは緩やかに下る、滑空なりスキーなりのイメージで「楽しいところ」が来る、というのは自然な発想に思える。ウォール街とメキシコの漁師町を行ったり来たりするのが幸せ、というのはちょっとピンとくる話だ。さしずめ、数年に一回くらい「あー!サムイ島とか行きてー!」になるのと同じ。

2023-04-18 月

「大勢に囲まれたら路地に逃げ込んで一人ずつ倒す」という戦法がある。殴り合いの喧嘩なんて年齢が一桁の頃以来していない私だが、仕事についてときどき引用したりする。

各方面からの仕事がダーッ!と来ると何も手につかなくなって、エンジン空ぶかし状態になることがある。そういうときは狭いところに籠もると、私の場合はまあまあ解決することがあって、そういうシチュエーションでは個室ブースタイプのサテライトオフィスはとても有用。終わり時間が決まっているのも地味によい。

2023-04-16

でんぱ組.incのライブに行ったら最前列から2番めで、過去に経験ないくらい近かったうえ、3年以上ぶりに声出しOKの公演で死ヌ程ヲタ芸を打ってきたので2023年入ってからの全ての疲れが消し飛んだ。本当だ。

会場は静岡市清水区のため東京までの帰りはこだま。車内、ライブ終わりで飲むレモンサワーは世界一うまい。本当だ。

2023-04-11 火

多くの種類の仕事を同時に行う必要があるとき、過度になにかひとつの仕事に深入りしすぎて他が回らなくなることは避けたくて、しかしそれぞれにコミットメントは必要だ。こういうとき、もちろん使える時間がどんどん増やせればそれに越したことはなくて、人を増やすとか、仕事の時間を延長するという選択肢はとりうる。それ以外に、これだけで万事解決とまではいかないが、最近可能性を感じている方法がひとつ。それは自分自身を操縦するメタな視点を持ち、そこから「自機を操作する」ような感覚で自分の仕事を実行すること。ゲームの「自機」の目線のまま別なゲームへ切り替えると大変だが、ゲームのプレイヤーがあるゲームから別なゲームへ切り替えることはそれなりにできる、みたいな感じ。

視点の切り替えが生む効果は大きい。一人称の視点では窮地に陥ったヤバい状況でも、ある別な視点から見たら実はみんなに共通の問題だった、なんていうこともあって、そうすると困っているのは自分ではなく、むしろその問題がよく見えていない他の人であったりして、その人のためにも何かした方がいい、と思って仕事をすると追い込まれ感はあまりない。

こういうメタ視点に立てるほうがいい、ということを知識としては知っていても、今まであまり実践はしてこなかった。よーく考えればなんかいい案あるだろ、という発想しかなかったような気がする。一方で私の友人は、親から俯瞰的な視点、もうひとりの自分を持てと常々教わってきたという。できないこと、知らないことは本当に沢山あるもののようだ。

2023-03-15 水

ヘルプを出すためのクリエイティビティってあると思う。誰に聞く、どんな風にアプローチする、だめならどうする、とか。そうなると、元気なときほどヘルプを求めるアイディアは浮かびやすいかもしれない。

2023-03-13 月

あれ、いつの間にiPadからもGoogle Sites編集できるようになってたんだろ。相変わらず細かい挙動がbuggyだが、書けるようになっただけでだいぶ違う。
iPadで仕事を完結させるのに結構必要な広角のWebカメラがUSBでiPadに繋がらないのを知って空振り感。繋げられて悪いことはない気がするのだけどな。日本の会議室は狭いのッ!iPadでミーティングするときに全員映す必要ある時あるのッ!

2023-03-07 火

5~6年にいっぺんくらい、「この1ヶ月くらいの予定のヤバさは下手をすると死ぬる」というのがあらかじめわかっている期間に突入することがある。前は2011年と2017年で、どっちもまあ死ぬことはなかったが、細かいところでいろいろバグが出て完全復旧がなかなか大変だった。今もちょうど、この2月に山のようなライフイベントが目白押しで、それらが一段落して今どうにかこうにか落ち着きを取り戻しつつあるところだ。たまったTo-Doリストがようやく消えていき、消えたところで思い出したタスクがまたリストを埋め、それが消え……ない。仕事はなくならない。じっと手を見る。

この死ぬかもしれない期間が終わったときの感覚、というのにはちょっとした特徴があって、スコッと抜けたような感覚は特にない、というところだ。ただ人生は続き、起きたら朝で、日常業務は普段どおりの顔をして私のところにやってくる。ただ、ほんのすこしだけ見通しがきくというか、心に隙間があるというか。いい機会なので身の回りの断捨離などをした。

「マスクをしている顔しか知らない人のフルフェイスを見たときに感じる答え合わせ感」というものを、「後ろ姿を見て知り合いかと思って追い抜いて振り返ったら違ったという答え合わせ感」と重ね合わせながら、これってGPT系の生成AIだったらよりスコアが上がんのかとか考えたりしている。私たちはそういう情報の補完を脳内でたやすく行うが、とくに答え合わせとかはしないケースが大半なので、「当てに行っている」という感じではないのかもしれない。ディスクリミネータがない状態で生成すると、「まあこんな感じでしょ」という思考の手癖みたいなものがそのまま発現しているのかも。ということは、大量に答え合わせをする今後、マスクを外した人に今後たくさん会うことで、マスキング処理した顔(マスクをかけているという意味)の情報補完が人間いっぺんに上手くなるかもしれない。そうはならないかもしれない。

2023-02-05 日

まもなく5歳の長女が一泊二日のキャンプに出かけており、1歳の次女と夫婦のつかの間の3人暮らし。心配というわけでもないが、いなければいないであれこれ考える。

束の間の自由時間、近所の気になる雑貨屋(自称「何でも屋」)やワイン屋を巡ったあとは、なんてことはない写真のクラウド同期とかリフォーム工事の精算とか、そういう細々したことをやってしまう。ゴロゴロしながらUndertaleでもやろうと思っていたのに。いや、今からだってやれるけども、なかなかそうはならない。どちらかというと中学の時からアップデートされていない休日の過ごし方モデルを追求するからいけないのだろうな。無為に時間を過ごすのは理想的のようだが、ただの無い物ねだりでもある。「初めて老人になるあなたへ」ではこんなふうに書いてあって、それはそれで考えてしまう。

❝ 毎日バリバリ働いて、自分の仕事が好きだという人は、退職や引退を「休息の権利」だと考える傾向があります。この考え方は若い頃に確立されます。――中略―― 休めば元気がよみがえるものです。そして、休息のために引退した人は、やがて仕事に戻りたいと思うようになっている自分に気づきます――でも、もう職はありません。――中略―― 短い休暇だったら「何もしない贅沢」となるところですが、老後を「何もしない」でいるなんてとんでもないということに気がつくのです。

2023-01-31 火

先週水曜日~木曜日 次女が発熱。ただのカゼ
先週金曜日~日曜日 私が発熱~胃腸炎。どうにか復帰(なぜ社会人は月曜までに治ってしまうのか)
昨日~ 長女が発熱。検査の結果インフルエンザ陽性 ←NEW!

という状況。長女はいま横でジグソーパズルをしている。コロナのときは全滅だったが今回は妻がサバイバーとなっており、一家の機能保全が全面的に彼女にかかっており申し訳ない。

さきほど一本論文の投稿を完了。自分が書いた英語論文の読み直しって本当に気が乗らないが、やり始めると元の論文のダメさ加減に気づき「やっぱやっといてよかった」となる。そのきっかけづくりには、あくまで私の場合だが、私の博士課程の盟友Yasinが伝授してくれた「論文の著者名を他人にして、そいつの論文だと思って読む」という方法が嘘みたいに効く。毎回名前を勝手に使わせていただいている某氏には心のAcknowledgementで言及差し上げたい。

論文を書く力も少しずつ向上していると信じたいが、英語周りのツールの進化にもエグいものがあり、もはやその2つを分離して考えることはできない。DeepLだけで論文書けると思ったらあかんよ、と周りに言ってきたけれど、つい先日出てしまったDeepL Writeが校正してくる内容にはグウの音も出なかったりする。そして最後はGrammarlyに見てもらわないと不安で出せない。そもそもここ数年、べったり英語を使う機会が激減してしまって英語脳もなまりちらかしている。3週間後にはシカゴに行くのだが大丈夫か。まずは体調を治すしかないが。

2023-01-25 水

藤原麻里菜さんのブログを見ていて、いいなと思って立ち上げる。

書くということは大事。書いたことだけがただ残るみたいな場所がほしい。あちこち、コラムやnoteや論文やTwitterなど書く場所はたくさんいただいていて、大変ありがたいことだけれど、やはり書く場所は書く内容を規定する。書く場所さえあれば何でも書けるかというと、そういうもんとも違う。メディアには受け手がいて、受け手を意識せずに書くということは私には難しいからだ。だったら、自分で「書く」ということだけを規定した場所を作ると、出てくる内容も多分また変わるだろう。そんな話だが、情報を圧縮すれば「羨ましかったので作ってみた」で十分だ。

広告も入らない、デザインもある程度好きにできる……みたいなことになると、そういうブログサービスをカスタマイズすれば作れそうだが、プロトタイプにそこまでするのもな……と早くも思う。この手の調べ物をしてズブズブとチュートリアルの沼にハマる時間が最近あまり取れないので見切りが異常に早い。Google Sitesでブログ作れないの?と思って調べた結果が「それはただのリンク貼った昔ながらのホームページやんな」という内容だった。が、いやいや、それで十分じゃん、という結論に落ち着いた。で、テキストベタ打ちのページを作っている。これ。これがよかった。

実はいまゲームを自分で作るという必要性があって色々調べていた。大昔、ほんとに自分でスプライトからスクリプトから何から、イチから作るゲームというのはやったことがあるが、モダンなUnityやUnreal Engineを使ったゲームは「やったらやれそうだ」ぐらいには思いつつ、導入障壁がめっちゃ高くて躊躇していた。そしたらティラノビルダーというのを発見し、あ、これで大体できそうじゃん!となってホッとする。素晴らしい時代だ。なにかしようと思ったらたいてい道具がある。サクッと中身作ってからがなんぼだ。そんなわけでここも、中身を先に書く。デザインはまあ……あとから考えるつもりはあるが、こういうのって潔くてかっこいいですよね、とも思っている。

「かきちらかし」は大学4年生くらいのとき、同じようなことをやっていた日記ページの名前だ。恐ろしいことにデータはまだある(サイトはもうない)。で、Neoのところだけ頂戴した。