設楽町立津具中学校は令和6年3月末閉校します

閉校後は現在の設楽中学校と統合し、校名は「設楽町立設楽中学校」となります

このホームページは津具中学校閉校記念事業実行委員会が実施する

閉校記念式典 閉校記念誌の編集   について、随時お知らせしていきます

閉校記念事業実行員会は、設楽町教育委員会、設楽町立津具中学校と連携して設立された任意団体です

私たちと一緒に閉校記念事業を盛り上げていただける卒業生、学校関係者の皆様 

ご連絡お待ちしています

3月24日(日)開催

閉校記念式典についてお知らせします 

受付を終了しました。配本は7月中旬の予定です。

閉校記念誌の申込を受け付けています。締切令和6年3月29日

現在集計作業中のため、4月5日まで受付します。お急ぎください。

 設楽町に住民票をお持ちの方・・・教育委員会または津具総合支所へお申し込みください。                 

 それ以外の方・・・下の申込フォーム、または申込書をダウンロードして、ファクシミリもしくは電子メールで送信してください。

申込要領をよくお読みの上、お申し込みください。

   申込要領

⬇️申込フォームの方はコチラ

⬇️📩メール・📠ァクシミリの方はコチラ

   申込用紙

閉校に寄せる、あなたの思いを募集します。締切12月28日

好評につき、締切を令和6年1月10日(水)まで延長します!   終了しました

募集チラシをご覧にいただき、あなたの一言をお寄せください

閉校記念式典について

お問い合わせの多い閉校記念式典・お別れ会につきまして、ご案内チラシを公開しました。


公式LINE始めました

駅伝優勝.mp4

1975(S50)12.25

県長距離継走大会優勝時の8ミリフィルム

(河辺徳明所蔵)

多くの方から「早く見たい」とのご要望を

いただきましたので、公開いたします。

ファイルが大きいためWiFi環境下での視聴をお勧めします。また、解像度を落としているため画像が荒いことをお許しください。

昭和25年10月10日 新築記念誌より  新築当時の木造校舎 落成式 普通教室


【随想】始めの頃(津具村学校沿革史(昭和49年3月15日 津具村教育委員会発行)より転載 敬称略)


 元校長 渡辺数夫(昭和25年4月1日から昭和31年3月31日まで在職 昭和22年4月から昭和25年3月までは下津具中学校校長)


中学校ができてから早くも26年の才月が流れ、いろいろな出来事も遠い彼方へ消えささろうとしています。

私の思い出もかすみがちですが初めの頃のことをふりかえってみたいと思います。

中学校の初まりは上下それぞれの小学校に間借りをしてスタートしました。長い間よその学校に勤めていた私は故郷の村に中学校ができるというのでよろこんで帰郷し赴任したのは下津具中学校でありました。校舎は古い小学校の片すみを借り生徒は小学校の高等科1、2年がそれぞれ中学校の1、2年、3月高等科を卒業した人が3年生というわけで全校193人5学級編成、先生は9名ということで開校されました。

なにしろ敗戦後2年、国民はまだ食べることだけで一生懸命という時代、町には闇市が繁盛し巷には戦災浮浪児がさまよい、今の石油飢饉どころの騒ぎではありませんでした。

そんな時に進駐軍の強い指導で六・三制の教育が初まったものですから何を教えてよいものやら、とにかく平和で自由だといっていればよい時代でした。机も腰掛も小学校から借りた寸足らずな古いガタガタのものです。教科書も教材も揃っていない毎日でありましたが、あの苦しい戦争から解放されたということで明るい学校が初まりました。

食物の貴重な時代ですから農繁期には学校を休んで自家の仕事をするという生徒が多く、そのために春秋の農繁休暇という制度を設けたり蚤やしらみはどこの家にもいたので女生徒の頭のしらみ退治にアメリカからきた新薬DDTが使われたり「六・三制野球ばかりがうまくなり」という川柳が生まれたくらいですから暇さえあれば野球をやりました。

やがて1年、いつまでも小学校に間借りをしているわけにはいきませんから校舎建段という話が進み、村は別々でもせめて中学校ぐらいはいっしょに建てようということになりました。いま考えてみますと、まことにおかしなことですが昔から二つの村は仲が悪く子供たちもよくけんかをしました。

 八幡様のお祭りとか金竜寺のおしゃか様の催しとかいう行事にはきまって、はなばなしい合戦がありました。

思うに二つの村は、双生児のようにあまり以ているので却ってそうだったのかも知れません。しかし不思議なことに一歩外へ出ますと忽ち手をつないで他村の者とやりあったものでした。そこで時代の進歩に応じて中学校の合併を土台として両村の合併をしなくてはならないということを両村民とも考えるようになりました。

そして3年、両村の組合立津具中学校の開校式にはあの見出原の地に両方から上下中学校の生徒が同時刻に人場していっしょになり新しい津具中学校が誕生しました。あの日の感激は今でも忘れることはできません。当時の村長畠山甚之助、今泉敏の両氏を初め、両村の村会議員の方々は中学校の合併とその建設のために献身的な努力を重ねられました。

多くの方がすでに故人になっていますが深く敬意を表します。

さてそれから、新装成った中学校は両村和合の中心として運動会、農産物品評会、新年祝賀式、青年学級等の行事が行われ、今日みる平和な津具村が生まれました。

年が経ち風雨にさらされ校舎もだいぶ古びてきましたが、校門付近の桜は見事に成長しました。あの中に枝垂桜が2本ありますが、それは鞍舟のお婆さんが「孫がお世話になります。」といって寄贈してくれたものです。あの女生徒はいま幸せにくらしているであろうか、あの技垂桜のよぅに見事な花を咲かせていて欲しいと願ってやみません。 

 昭和25年4月8日 入校式(新築記念誌より)

入校式といってもこの時点では校舎はなく、授業は上津具小学校・下津具小学校の校舎を間借りして行われていた。

校舎が完成したのは昭和25年9月。第1回卒業生は半年ほどを新校舎で学び、卒業していった。

【閉校記念事業実行委員会名簿(令和5年3月28日現在)】

 実行委員長 高井公夫(津具6区区長)   副委員長 村松太(津具5区区長)

 事務局庶務 大須賀宏明(設楽町教育長)  事務局会計 遠山雅浩(設楽町教育課長)

部会長 依田忠士  副部会長 村松一徳

部員 多田桂(校長) 村松睦根(教頭) 村松浩文 村松一 今泉宏 加藤志保 村松尚人 園原佳子 佐々木菜摘

部会長 村松一志  副部会長 村松純二(設楽町議会議員)

部員 佐々木裕也(PTA会長) 佐々木智則 伊藤健治 米倉和彦 伊藤良朗 伊藤康一郎 園原真

お問い合わせ

                                    サイト運営者 津具中学校閉校記念事業実行委員会 

記念誌作成部会長 依田忠士(昭和52年度第28回卒業生)

 tsuguchuu.heikou@gmail.com

TEL 070-9115-9005

         設楽町教育委員会 0536-62-0531

本事業に関することは中学校ではお答えできません。中学校へのお問い合わせはご遠慮くださるようお願いいたします