より正確な理解のためにも是非以下をご参照ください
礒井純充. 2024.『「まちライブラリー」の研究:「個」が主役になれる社会的資本づくり』みすず書房
まちライブラリー公式サイト (https://machi-library.org/)
まちライブラリーは、いつでも・誰でも・どこででも始められる私設図書館です。
蔵書を活用して、生活空間の任意の場所に本を置き、
その場所を「まちライブラリー」にするというものです。
厳格なルールや強固な組織化とは無縁で、その場を核に本や人との出会いを
目的とする活動であればそれだけで「まちライブラリー」になります。
蔵書は自分のものでも、寄贈本を受け付けてもどちらでもOKです。
蔵書のテーマや内容を統一させても、バラバラでも構いません。
貸出をするのもしないのも自由です。
*実際に「まちライブラリー」として活動を始める場合には登録が必要となります。詳しくは公式サイトの該当ページをご確認ください。
まちライブラリーの活動原則は以下の5つです(礒井 2024, p. 29)。
① 小規模な本棚や本でも活動でき,個人でも気軽に始められる。
② 本を媒介として,本を通じて人とのつながりを感じる活動を推奨する。
③ 生活空間に本棚を併設し,特別な場所を必要としなくてもよい。
④ 普段の活動に本の活動を付加することで,専任の図書活動としなくてもよい。
⑤ ゆるやかなネットワークを構築し,お互いの活動を見えるようにする。
公式サイト(https://machi-library.org/)によれば、2025年12月1日時点で、
全国1,277箇所にまちライブラリーが存在します。
ビルの1フロアに設置され蔵書が9,000冊に及ぶような大規模なものもあれば、
個人宅の木箱1つほどの小さなものまで多種多様です。
店舗や自宅、事務所、病院など民間の施設等に設置されているものが全体の9割を占め、残りの1割が学校や図書館、市役所や駅など、公的な場所に設置されています(礒井 2024, p. 69)。
2025年3月のある日、私(井坂)は富山駅前のビルで開かれた
ゼミ生のフィールドワーク研究の発表会に参加していました。
休憩時間にフロアの廊下に立っていると、1人のご高齢の方に声をかけられました。
「本屋がこのビルにあると聞いたんだが何階かね?」
私はフロアの管理者の方に確認の上、
「本屋はこのビル内にはないようです」とお答えしました。
最も近い本屋の大体の場所をお伝えしたところ,その方は吐き捨てるように言いました。
「本屋がどんどんどんどん無くなっていくんだよ。
まちが開発されてきれいなビルが建ったって、本屋が無くなるようじゃダメなんだよ。
こんな社会は早晩ダメになるよ。」
こうした嘆きの声はデータによっても裏付けられます。書店数は2014年のおよそ14,700店から、2024年には10,500店を割り込むまでに急減しました*1。
出版市場自体も縮小しており、書籍の推定販売額(電子書籍を除く)はピークであった1996年のおよそ1兆1,000億円から2024年には6,000億円弱と大幅に減少しています*2。
もちろん、公共図書館の役割は一層重要となるわけですが、まさに礒井さんもご指摘の通り、容易にアクセスできる方々がどれだけいるかは疑問です。
このことは,とりわけ地方において強く当てはまるでしょう*3。このように本に接する機会が少なくなっていく中で、まちライブラリーの取り組みが広がることの社会的意義は決して小さくないものと考えられます。
*1...一般社団法人 日本出版インフラセンター調べ(https://www.jpoksmaster.jp/Info/documents/top_transition.pdf)
*2...公益社団法人 全国出版協会 出版科学研究所ONLINE(https://shuppankagaku.com/statistics/paperback/)
*3...以上については礒井 2024, pp. 64-68を参照。
まちライブラリー提唱者の礒井さんは、その著書の中で、現代のグローバル化がもたらす個々人の無力感について次のように語っています。
...GAFAと呼ばれるような米国企業が提供するインターネット上の生活様式が人々の生活に浸潤するにつれ、その巨大組織の力による影響力は国家をも凌駕し始めている。もちろん我々は,かつてないほど多様な人とネット上でつながり、情報をやり取りし、便利な生活をしていることも事実である。しかし、そのような社会の中で個々の人に戻った我々は、自らの存在感が、年月を減るごとに希薄化していると感じざるを得なくなっているのではないか。(礒井 2024, pp. 10-11)
皆さんの多くは、この鋭い指摘に首肯されるのではないでしょうか。グローバル化が進展し、激しい市場競争を勝ち抜く“巨大企業”の影響力が高まるにつれ、社会の中の“ビジネス”の領域は拡大していきます。そして多くの場合、ビジネスの世界においてものをいうのは“組織”の力です。つまり私たちの生活のますます多くの部分が巨大な組織の展開するビジネスの一部に組み込まれていくということです。
このことは、逆に言えば、私たち一人ひとりが営利以外の価値観のもとで主体的に活動する機会が失われてきていることを意味します。まちライブラリーは、そうした個人としての力の回復・再認識を可能にする1つのアクションと位置付けることができます。なぜならば、それは自発的な“個人”による“非営利”の、高い“公共性”を帯びた活動だからです。
それぞれのまちライブラリーがゆるやかに結びつきながら草の根的に広がりを見せていけば、私たちの社会の一部を大規模組織やビジネスの領域から取り戻し、私たち市民一人ひとりの主体性を回復する契機となるのかもしれません。ややもすると地味で小粒にも映るまちライブラリーは、むしろそうであるがゆえにこそ、社会経済システムの根幹にメスを入れるような、大きな可能性を秘めた取り組みなのかもしれません。