バーチャル・サイゼリヤ 

-入れ子状の模倣-


 2020年4月

プロローグ

サイゼリヤに行きたい、、
1月のある日、留学先のロンドンでそんなことを思った。
あの味と空間の、どこか落ち着く感じが恋しくなっていた。

サイゼリヤはどこにでもある。僕の経験上、サイゼリヤは駅前、大通りの脇、学校の近く、街を歩いてたらすぐに見つけることができる。だからいつもの生活のなかで普通のもの、とりたてて行先を定めることもなく、するっと入っていけるものとしてサイゼリヤはあった。

そのサイゼリヤがない。その感覚は、大げさになるほどの喪失でない気もするけど、確かに生活にもの足りなさが残る、といった感じだった。サイゼリヤがない時の気持ちはもしかしたら、 4月のいま、外出を自粛している多くの人とも共感できるのかもしれない。これは、ツイッターで「#自宅でサイゼリヤ」などのハッシュタグをみて、確信に到った。 僕の場合は「#建築学校でサイゼリヤ」という結果になった。そのいきさつを説明するのはちょっと長くなるかもしれない。