書き割りの空のむこうの雲から、新しい街、仰ぎ見るビル ー キリンジ、1998年
さて、サイゼリヤがゲームエンジンとどう関係があるのか、ということを書いていきたい。バーチャル空間を作るということは、現実にある何かを模倣して作るということになる。 そうした仮想とか模倣とかそういった側面は、実際には現実世界にも組み込まれている。
言うまでもなく、サイゼリヤに飾られる絵は本物ではなくてレプリカだ。オレンジ色の漆喰壁も実際には壁紙だし、テーブルの木のテクスチャも実際には木目調シートでできている。 「ミラノ風」ドリアが実際ミラノ由来なのかは不明であるし、「ウルトラバージンオリーブ」オイルの厳密な定義も日本にはないらしい。 ここで忘れてはいけないのは、それでも私達がサイゼリアを日常の一部として愛している点なのだが(注1)。
この「模倣」の議論を遡ると70年代に行き着く。社会学者のボードリヤールは、消費社会では模倣が循環しており、 プラトン的な「真」や「偽」、「実在」と「空想」の差異をなし崩しにしてしまうこと、もはやオリジナルなどないのだと述べた。つまりもう、オリジナルはないのである。それは、キリンジが90年代終わりに明るく歌ったように、 「書き割りの空...」、つまり舞台セットのような仮想のイメージから新しい街や建物が生まれてくることが、風景として日本でも当たり前になってきたものだったのだよね。東京の郊外で開かれ、70年代からチェーン展開したサイゼリヤは、こうした社会的な変遷の典型例として捉えることができる。
こうしたことを考えると、サイゼリヤのバーチャル空間を作るということは、模倣で出来た空間に、模倣を重ねることになって、ちょっと面白い。 そして、サイゼリヤにあるルネサンス絵画のデジタルデータを作るのも少しわくわくしていた。 なぜなら、実はルネサンス絵画やその遠近法の技法も「模倣」に基づいているのである。ルネサンスは「再生」という意味で、ざっくりとした理解だと、古代ギリシャの文化を真似・再現するようなムーブだった。 遠近法も絵画上にあたかも空間があるように見せるというテクニックだったわけだ。(注2)
上の議論を図式にしてみると、「「ルネサンス絵画」のレプリカ」のデジタルコピー」を作るというような二重の模倣になるだけでなく、 「「「「「「再現」された絵画」のレプリカ」のデジタルコピー」を「「「リアル」っぽくみせる遠近法」を基にしたデジタル・カメラテクニック」で撮る」というような幾重にも入れ子になった構造そのものを、描き出すことができるのである。