難病や中途障害・進行性疾患等の当事者の方やご家族・支援に携わっている方の“想い”を発信する場所です。
病気との向き合い方や内なる力の秘密、生活の工夫、苦しかった経験や生きる糧、みんなに知って欲しいこと、など内容は様々です。あなた色の言葉がたくさんの人に届く場所です。
ご興味のある方はお気軽にお問い合わせください。
私は、人生の2/3を、施設か病院で過ごしてます。
物心つく前から、施設にいるため、家族の生活がどういうものか、親との関わり方が分かりません。
高校を卒業するまでの約17年間、同じ施設で生活して、年齢・性別、そして過去のこと関係なく、みんなで楽しく生活してきました。
小さい頃、同級生とは少し違って、落ち着きがなかったり、癇癪を起こしやすくて、いつも周りに心配をかけてしまっていました。(発達障がいが関わっていたのかな?)でも、誰一人、私を見捨てずに向き合ってくださり、卒園できました。
高校を卒業後、父親が引き取ってくれたのと同時に、発達障がいが分かりました。
親子生活は、初めは、とても楽しかったです。しかし、大きな問題がありました。
それは、親に対しての言動です。親と暮らした記憶のない私にとって、親に対してどうしたらいいのか、まったく分かりません。普段は、すごく優しいですが、飲酒をしたらすごく怖くて、怒鳴られたり、最後は暴力をされました。
恐怖を感じて、真夜中に飛び出した後、施設や病院で過ごしました。その間、一度だけ、自宅へ戻りましたが、フラッシュバックで、すぐに家を出ました。
その後、6年にも及ぶ、入院生活が始まりました。入院してから、接してくださる方々には、とても感謝してます。でも、その反面、騙されたり、私の話しをまともに聞いてくれなかったりなどがありました。
その結果、私は、心から人を信じることができなくなりました。
2年前、母親が身元引受人になってくれて、施設に移ることができました。その後、体調の悪化から手術をして、現在の施設に、一年前に移りました。
この施設に入所してからも、やはり、人を信じることができませんでした。
また、癇癪を起こすことも変わらず、精神的に追い詰められた時、サポートしてくださってる方から「一人暮らし」をしてみないかと提案されました。私は、迷わずすぐに決めました。
一人暮らしに向けて、順調に進んでいた話しが、突然止まり、予定していた日が中止になりました。その瞬間、人を信じても、良いことなんて起きないと思ってしまいました。
それからは、精神的に不安定な生活に変わってしまいました。
そんな生活は、現在も続いてますが、少し気持ちが変わった瞬間がありました。
それは、ある職員さんの言葉です。
「そろそろ、私たちのこと信用してほしい」と言われました。その時、ハッと思いました。
みんなが、わたしの事を信じてないのではなく、わたしが過去のことを引きづり、今、サポートしてくださってる方々を、信じてないんだと気づきました。
一人暮らしの実現まで、まだ先が分かりませんが、人を信じてもいいのではないかな?と少し思えるようになりました。
信じることは、簡単ではありませんが、難しくもないです。
これを読んだ方一人一人が、他人を信じ、そして、自分を信じることができますように。
私は下肢の運動機能や変形など、主に足に障害を持って生まれましたが、幼稚園から大学まで 一般の学校に通い、支援学級へ在籍して移動時などは支援を受けながら、勉強は一般の学級で 行ってきました。 級友と自分の見た目の差、できることの差など、「違い」ばかりに目が向いて悩むことも多くありましたが、支援学級の先生や友達の支えもありなんとか健常の学生にまじって学生生活を送ってきました。
そんな学生生活の中で一番大きな壁につきあたったのが、大学生時代の就活です。私は基本的 に障害者雇用枠での就活をすることになりました。一般的な就活とは異なり、障害の説明やそれ に関わる資料づくりなど事前準備が多いことに加え、体調面への配慮や企業のバリアフリーの有 無などにより、応募の時点で諦めなければならない場合も多く、企業選択の選択肢も多くはありませんでした。 また、障害者雇用と一口に言えど、企業がどんな障害を持つ人を対象にしているかは変わってきます。面接に手応えを感じても、後から施設がバリアフリーに対応していないなどの理由で断ら れてしまうこともありました。もちろん、全国全ての企業に障害者に対する理解やバリアフリーの拡充を今すぐ求めることは現実的でないことは理解していました。それでもどこか、自分に障害 があるから社会に受け入れてもらえないのだと、自分自身の否定のように感じてしまうことがありました。
それまでどうにか"普通"の輪にまざれるように、なじめるように必死で取り組んできたのに、就活になるとこんなにはっきりと線引きされ分けられてしまうのか、そして諦めなければならないことがこんなにも多いのかと、就職どころか将来の人生に対する希望も薄れてしまうほどでした。
一般的には身体障害の人が雇用されやすいと言われているそうですが、私の一連の経験を通した肌感として、一概にそうは言い切れないのだなと感じました。 結果的に、私自身の面接に対するそもそもの苦手意識もあり、就活はなかなか上手くいかず新卒での就職は叶いませんでした。
今は、過去の私と同じように学校生活や日常で苦しい気持ちや不条理さを感じている障がいのある若い人たちの支援がしたいという思いのもと、支援に関する専門的な知識を得るため、社会福祉士の資格取得に向けて、この春から勉強しています。また、学生生活を送る学生の障害当事者の方同士で様々な悩みを分かち合える場としてオンラインでの活動を主とするサークルを立ち上げ、活動開始に向けて準備を進めています。
いつか障害を理由に将来を諦めなくてもよい社会になったらいいなと思っています。そのために、 当事者としての目線に加えて支援者としての目線を身につけて、自分に出来ることはないか、探していきたいと思っています。
さとさん主催の「障害学生のためのコミュニティサークルméli-mélo」 はこちら
私は先天性の下肢障害などを持って生まれましたが、幼稚園から大学まで、一般の学校に通っていました。 小・中学校では支援級にも在籍していましたが、移動時や校外学習など特別な時以外、一般級で健常の生徒と一緒に学習していました。 そんな私はクラス替えの時期になると、自分の身体の障害についてや助けを必要とすることを、先生を通して、もしくは学年が上がると自らクラスメイトに伝えるというミッションが課されました。
他のクラスメイトには課されないこのミッションによって、自分が題名の通り「狭間」にいる人間だと感じ、「揺れ」を感じ るようになりました。 次第に、このミッションの遂行 決定権が私に委ねられると、 「伝えない」という選択肢を取 るようになりました。なるべく 狭間の感覚や壁のない状態で生活したかったからです。 伝えなくなったところで、壁を感じなくなることはありませんでしたが、少なくとも伝えたい人を選ぶことができるようになりました。大学時代には、数は少ないながらも私を理解してくれる友人とともに充実した生活を送れるようになりました。
「狭間」の感覚を抱いた経験は、他にもあります。 私は足に変形があり、感覚も鈍いので、歩きすぎたりして一度傷ができると治りにくく、成長 するにつれ車椅子が必要になる場面が出てきました。 最初の頃は、本当に(常に)車椅子が必要な人に申し訳ないと思ってしまい、とても葛藤しまし た。私は本来車椅子に乗るべき 人間ではないのに、私が車椅子に乗ることで車椅子ユーザーの方の生活スペースを奪ってしまっているのではないか。そんな気持ちになることが多々ありました。
話の本筋とは少しそれますが、 車椅子に関連して、私が車椅子で友人と外出する際に抱くことがある違和感について話そうと思います。 私にとってはごく普通の、大切な友達で、介助担当だなんて思ってもいないのに、体調の関係で車椅子に乗って電車に乗ろうとするたびに、駅員の方から友人に対して「介助者の方ですか?」という質問をされます。 ただ共に楽しい時間を過ごしたいだけなのに、友人にとても申し訳ない気持ちになって、私と友人は対等な立場ではないと言われているような気がして、この質問をされる度に、とてもモヤモヤとしてしまいます。 介助者の有無は電車の運行上、 必要なマニュアル通りの質問なのかもしれません。 関係の如何に関わらず、助けを借りて行動するなら、友達であっても「介助者」として伝えるべきなのかもしれません。 友達も優しい人たちばかりで、 こんな小さなことを気にしているのは私だけかもしれません。 ただ、どうしても違和感を抱いてしまいます。私たちの関係に余計な要素を付け足さないでほしい、と。
話は戻りますが、常に助けを必要とするわけではないけれど、 健常者に混じって一人で生きていくには「障害」というバリアに阻まれることがたくさんある。 もちろん、属性的にみれば私は 紛れもない「障害者」です。 ですが、学校生活の場で一般級と支援級を行き来するような形で生活していた私は心の中ではなんだかまるで、どちらにも属 しているようで、どちらにも属 していないような、そんな複雑な感覚を抱きながら生きてきました。
この「狭間」の感覚は、私の人生の中でたくさんの不安を生み 出す要素になってきました。 私は一体、どちら側の人間なのか。どちらの側になら、受け入れてもらえるのか。 どちらの側としてなら、存在を認めてもらえるのか。 この問いについて、自分自身で納得できる答えは、いまだに見つかっていません。 この「狭間」が私の生きる場所なのだと、割り切れたら楽なのかもしれません。 ただ、そう思えるようになるのはもう少し先になりそうです。
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