東浜日本鉄道は日本を走らせる力として140年以上日本を支えてきました。改めて利用していただいたお客様に心より感謝します。
こちらでは、東浜日本鉄道のあゆみを紹介しています。時間がある際でもぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
東浜日本鉄道のはじまりは1871年。宮崎で帝都輸送として物資の運搬をしていたところでした。1870年代には新時代の幕開けとも言われる廃藩置県をはじめ日本初の鉄道開業、樺太・千島交換条約、西南戦争が起こるような教科書に載っているようなことが現実で起こるまさに変化の時代でした。一方で、1873年には不況が起こるなど不安もあるような時代です。
そんな中帝都輸送として宮崎で事業展開していた黒木一宗(くろきまさむね)率いる帝都輸送はある程度資金を得たため東京へ旅立ちました。1876年の東京は江戸幕府の崩壊から10年ということもあり街並みはまだまだ蔵が多いような時代です。しかしさすがは首都東京。やはり宮崎にはないものがとても多く勉強になったようです。
そんな中、黒木らは横浜であるものを見ます。それが鉄道です。黒木は鉄道を見た時驚いたということです。当時の列車は蒸気機関車。多くの住民からは蒸気は嫌われたそうです。しかし黒木は鉄道愛がわきました。そして黒木らは官営鉄道(現JR)の新橋(現汐留)〜横浜(現桜木町)間に乗車。下車するととても良かったと褒め称えいつしか鉄道業への進出を考え始めたそうです。しかし民営鉄道は無理かと思っていた矢先、日本鉄道(現JR)や阪堺鉄道(現南海電鉄)などがあることを知りました。
ここから東浜日本鉄道の道のりがスタートしました。物資輸送で貯めた資金をはじめ宮崎や東京の財界に出資を依頼しついに1883年に「東京湾鉄道が開業しました。そこから社員募集や路線計画を開始。路線計画についてはいくつか案があったものの汐留-蒲田間をひとまず開業させることにまとまりました。そして汐留(現新橋)-蒲田間の免許を出願。はじめは官営鉄道に喧嘩を売っているようだと反対されましたが官営鉄道とは違うルートを通ることで許可されました。
そしてついに1886年7月10日 東浜線(現東海本線)汐留(現新橋)〜蒲田間が開業。開業には多くの人々が訪れたといいます。 ここで東浜初の鉄路について少し解説しておきましょう。汐留駅は現在の新橋駅とは異なる位置にあります。汐留駅は現在のJR新橋駅汐留口付近にありました。銀座へ出かける人のことを考えてでしょう。なお駅位置については丸の内延伸の際に現在の位置に移転しています。続いて汐留を出ると高輪泉岳寺で有名な品川。こちらは現在と同じ位置で駅名も一緒です。品川を出ると大森町駅に。大森町を出ると終点東浜蒲田につきます。東浜最初の駅は汐留、品川、大森町、蒲田から始まりました。