味覚受容体の機能解析技術
味覚は、食物に含まれる栄養素や毒物・腐敗に関する情報を取得する上で重要な役割を果たします。 味は旨味、甘味、苦味、酸味、塩味の5つの基本味で構成されます(図1)。それぞれの味は、口腔中の味蕾に存在する受容体タンパク質(味覚受容体)により受容されます。そのうち、「おいしい味」である旨味と甘味の受容はクラスCのGタンパク質共役型受容体(GPCR)であるT1Rファミリーが担っています。旨味受容体と甘味受容体はそれぞれT1R1とT1R3あるいはT1R2とT1R3のヘテロ二量体から構成されます。
味覚受容体と味物質の相互作用を解析する手法として、細胞内カルシウムアッセイが広く用いられています。当研究室ではカルシウム結合型発光タンパク質を用いた発光検出法を導入し、従来よりも高感度な評価系の構築に成功しました。特に、世界でもほとんど成功例のない旨味受容体の高感度ハイスループットアッセイ系の構築に成功し、世界を牽引するT1R受容体研究の推進が可能となっています。
図1.味覚受容体
近年のゲノム解析の進展により、味覚受容体の遺伝的多様性が動物の食性と密接に関係していることが明らかになってきました。 例えば、肉食のネコでは甘味受容体が、肉食から竹食へと食性を変えたジャイアントパンダでは旨味受容体が、それぞれ偽遺伝子になっていることが知られています (Li et al, PLoS Genet., 2005、Li et al, Nature, 2010)。このように、不要となった味覚が進化の過程で失われていく例がいくつも見つかっています。
鳥類における「甘味」の感知能力の進化と分子基盤
肉食恐竜を祖先とする鳥類も甘味受容体を構成するのに必要なT1R2が偽遺伝子化しており、甘味を感じないと考えられてきました。一方、世界には花の蜜や果実など糖を豊富に含む食物を摂る鳥類が数多く存在します(図2)。私たちはこの点に着目し、花蜜を主食とするハチドリの旨味受容体(T1R1/T1R3)の機能解析を行い、ハチドリでは旨味受容体が糖受容能を獲得していることを明らかにしました(Baldwin#, Toda# et al, Science, 2014、Cockburn et al, Mol. Biol. Evol., 2022)。
さらに、鳴禽類(スズメ亜目)やキツツキ科鳥類における各々の共通祖先でも旨味受容体が糖受容能を獲得し、糖を豊富に含む花蜜や果実、樹液などの食糧を利用するのに役立ててきたことを示しました(Toda et al, Science, 2021、Cramer et al, Curr. Biol., 2022)。つまり、鳥類の祖先は甘味受容体T1R2/T1R3を失いましたが、現生鳥類のうち半数以上の種では、旨味受容体T1R1/T1R3を用いて糖の味を好ましく感じているのです。味覚受容体の機能の変化は、食性の多様化を促し、鳥類の繁栄に大きく貢献してきたと考えられます。
図2.桜の花蜜を吸うヒヨドリ
グルタミン酸の旨味の起源解明
ヒトの旨味受容体T1R1/T1R3は昆布の旨味成分として知られるグルタミン酸に強く応答します。しかし、魚類やマウスの旨味受容体はグルタミン酸では活性化されないため(Oike et al., J. Neurosci., 2007、Nelson et al., Nature, 2002)、グルタミン酸を検出する能力がいつ、どのような理由で獲得されたかは不明でした。
そこで私たちは、ヒトとマウスの旨味受容体を比較解析し、グルタミン酸受容能獲得に重要なアミノ酸変異を同定しました(Toda et al., J. Biol. Chem., 2013)(図3)。さらに、ヒトの祖先を含む複数の中・大型霊長類の系統で、それぞれ独立に旨味受容体のグルタミン酸受容能が獲得されたことを明らかにしました(Toda#, Hayakawa# et al., Curr. Biol., 2021)。
これらの中・大型霊長類は、主要タンパク質供給源として葉を利用します。葉には苦味を生じる二次代謝産物が多く含まれており、一般には摂食しづらい食物とされますが、葉に豊富に含まれるグルタミン酸に対して旨味を感じる能力を獲得したことで、新たなタンパク質供給源としての葉の利用が促進されたと考えられます。一方、タンパク質供給源を主に昆虫に依存する小型霊長類では、昆虫に豊富に含まれるヌクレオチドに高感度に応答する旨味受容体を有することも明らかにしました(図4)。
図3.グルタミン酸応答に関与するヒト旨味受容体の重要なアミノ酸残基
図4.旨味受容体におけるリガンド応答の種間差
脊椎動物における味覚受容体の進化史の全貌解明
T1R遺伝子は従来3種類のみ存在すると考えられてきましたが、私たちは共同研究を通じて、脊椎動物全体で11種類が存在することを明らかにしました (Nishihara#, Toda# et al., Nat. Ecol. Evol., 2024)。この多様なT1R遺伝子のレパートリーは、それぞれの動物の生態に応じてリガンド選択性を変化させ、多様な食性の獲得に寄与してきたと考えられます。
私たち哺乳類の祖先は、進化の過程で多くのT1R遺伝子を失い、現在では3種類のみを保持していますが、哺乳類が失ったタイプのT1R遺伝子を保持する脊椎動物は、現在も多数存在します(図5)。そこで当研究室では、魚類から爬虫類に至るさまざまな脊椎動物を対象に、T1R受容体の機能や発現部位を解析することで、哺乳類が喪失したT1Rレパートリーが本来どのような役割を果たしていたのかを明らかにしようとしています。
図5.脊椎動物におけるT1R遺伝子の多様化と喪失
新たなおいしさ成分の探索
当研究室では、旨味・甘味・苦味(一部)・辛味受容体の高感度かつハイスループットな評価系を構築しています。この独自に開発した評価系を用いて、食品成分がもつ新たなおいしさ機能を探索しています。
古くから料理をおいしくするために使われてきた調味料やハーブ・スパイス類には、これまで知られていなかった味物質や味覚修飾物質が含まれている可能性があります。味覚受容体の機能解析に加えて、立体構造解析の専門家との共同研究を通じて、味覚修飾の分子レベルの仕組みの解明にも取り組んでいます。実際に、醤油・トマト・チーズなどに含まれる主要な香気成分であるメチオナールが、旨味受容体の活性増強剤としてはたらくことを明らかにしました(Toda et al., Sci. Rep., 2018)。
このように、味覚受容体の機能解析技術を「おいしさ設計」に応用することで、豊かな食生活に貢献することを目指しています。
図6.メチオナールによる旨味受容体の活性増強作用
メチオナールはT1R1の膜貫通領域に結合し、ヒト旨味受容体の活性を増強する。