会員が恋愛に関する本を読んだ場合、ここに書評を書き記します。
目次
宮台の自伝が本になったことはないので、ある程度期待して読んだが、やはり対談というのがよくない。宮台がイキり散らかしているせいで、嘘か本当かわからないような話ばかりである。本人もあとがきで記憶違いがある可能性を認めている。ただ、宮台の人格の中核にあるのは、性的な自意識の集合なのだという事だけはよく分かった。恋愛体験に名前をつけて自分の人生の一部として整理する試みは、ポール・ヴァレリーやスタンダールなどがやっていたが、宮台も彼らのような英雄的な自意識と世界観を持っている。しかし、これが現代人の話で、あの宮台真司の話だと思うと、なんだか馬鹿らしい気分になるのであって、とにかくバカな本である。
童貞研の書評なので、宮台の語る恋愛遍歴に関して、まずコメントしたい。
宮台が小学生5年生の時に女子にもてたという自慢話は無視するとして、最初に衝撃的なだったのは麻布の中学生時代に先輩から性的イニシエーションを受けたという話である。空手部の先輩から、様々な体の場所を触られ、舐められ、射精に至ったという。同時期に映画館でカップルがイチャイチャしているのを見てトラウマになったという話も書いてあるのだが、そんな人が先輩から半ば強姦のようにも思われることをされてよくトラウマにならなかったものである。私にはこの初体験が、宮台に大きな歪みをもたらしてしまったのではないかと想像されてならない。
大学に入るまでは異性間交友はなく、東大の映画文化研究会の女性と恋人未満の関係になってペッティングやキスをしたとあるのが、初めての異性との本格的な性体験(小学生時代に女子の胸を触ったことを自慢げに書いているのを除けば)となるだろう。しかし、成熟して初めてキスした相手が恋人でないというのは違和感のある話で、妄想するに、本人が記憶から抹消した恋愛的コミュニケーションがその前にあったのではないかという気がする。その根拠として、3年次に、宮台はヴァイオリンを抱えた女の子を講義中にナンパしたのをきっかけに「第一の恋愛」をするのだが、宮台はこの女性が帰国子女で日本人的な卑屈なところがなかったの褒めているのである。この褒めは、外交的でない女性に対して過去にナンパして失敗したせいで、酸っぱい葡萄のようになっている裏返しなのではないかという気がするのである。
宮台の初体験はこのヴァイオリンの女性らしい。デートで同伴喫茶に行った際に、ズボンの前に顔を近づけた彼女に「これが欲しい」と言われたのだという。同伴喫茶というのは、カップルがパーテーションで仕切られた個別スペースで乳繰り合っていた場所のようで、当時は渋谷に何店舗もあったらしい。知り合ってまもない両者がこのような場所に出かけていること自体が私には信じられないが、1時間ほどの初体験で、彼女に「上手すぎる」と言われたというバカな話はもっと信じられない。
その彼女とは4年間交際し、ラブホテルだけでなく、代々木公園、キャンパス内の非常階段、図書館の物陰、屋上などで青姦したこともあったという。83年末に別れたらしいが、その彼女はポリアモリーで宮台以外とも交際していたし、鬱になって寝込んだこともあったらしく、帰国子女のさっぱりした人というより、普通にメンヘラにしか思えない。つまり、宮台の初体験は、メンヘラとの病的な共依存だったのであり、一年後にセックス狂いのナンパ師になったというのは無理もない展開である。
さて、「第二の恋愛」は、まだ宮台がヴァイオリンの女性と付き合っていたころ、後輩の学生に恋愛相談をされ、その帰りに「セックスしよ」と誘って、泣いて断られたというのに端を発する。その後、東大の助手時代に偶然駒場で再会し、ドライブデートに行ったのだという。その人に恋しかけたが、デートの終わりに、彼女から1ヶ月後に結婚する予定であることを告げられ、落胆したという。
宮台の落胆を見た大学院生の女性が心配して話しかけると、宮台は事情を打ち明け、「だったら、愛情はなくてもいいので、どうか私の体を代わりに使って寂しさを紛らわさせてください。私だって宮台さんのことが好きなんです」と低予算のエロゲのような台詞を言われ、宮台は実際にその学生とセックスするようになったらしい。この時期、東大の修士課程に小谷野敦が入学しているのだが、世界観の差に唖然とする。結局、宮台はその院生を妊娠させてしまい、責任を取って交際することにしたという。そんな中、ドライブデートの女性から、婚約を取りやめたので交際して欲しいという連絡を受ける。宮台は、院生の方の事情があるからこれを断り、愛し合っているのに結ばれない状況を嘆いて二人で泣いたという。メロドラマ風だが、悪いのは助手の身分で院生とゴムなしでセックスした宮台である。それで『ロミオとジュリエット』気分になれる神経はおかしい。しかも、この交際も結局一年も続かず、宮台の方から断ったらしい。妊娠させたので責任をとるという論理と矛盾しているように思われる。結局その院生が堕胎したのかなどは書かれていない。
第三の恋愛は、ナンパ師歴11年目の時に出会った女性で、自分よりも特殊なセックスの経験があったために、嫉妬を駆り立てられて恋愛感情が発生したらしい。具体的なことはあまり書かれていなかった。同時期、東大で非常勤で教えていた講義の学生が、大蔵省の内定の報告をするのと同時に宮台に告白し、一対一の恋愛は出来ないと宮台が断った結果、彼女が自殺してしまうという事件が起こったようである。彼女は宮台の講義で援助交際に関して知り、デートクラブ通いを始め、宮台にそれを報告していたのだという。その結果、エリートとしての一面と援交している一面の両方を知る宮台に依存してしまったにもかかわらず、告白を断わられ拒絶されて閉まったというのが自殺の原因ではないかというのが宮台の分析で、そのために彼は鬱になったという。これを宮台は「第三の失恋」と呼んでいるが、まあ、普通に考えて教育者失格である。秘め事を告白する相手が人間であるというのは恐ろしいことで、そのために神父を通して神に告解するというあの懺悔室が生まれたのである。学生の秘密を知り、その愛を告白されていながら、一対一の恋愛はできないなどと異常な恋愛観をかざして拒絶するというのは、まあ、宮台もこの件は心を痛めているようなので、ここに書くことではないかもしれないが、しかし、それにしてもあまりにも人間としておかしくはないだろうか。その後、沖縄で過ごして鬱を乗り越えて覚醒したと本人はやはり英雄譚のように自分の人生を振り返るが、世界観があまりにも自分勝手すぎないだろうか。それとも、宮台に言わせればそう思ってしまう私の方がクズなのだろうか。
最後に2004年に現在の配偶者と出会った。彼女の背後に男性の屍が連なっているのが見えたとか言っていたが、彼女の具体的な性的背景は書かれていない。まあ察しろということだろう。結婚に至った道筋は大それたものではなかった。宮台によると、彼女には、自分を理解してくれる人に依存するというメンヘラ的な感性がなく、それによって自分も理解する人間として振舞う必要がなかったので、非常に元気な恋愛ができたとしている。これは、逆に言えばそれまでメンヘラとばかり付き合ってきたといっているようなものだ。
さて、対談本だけあって、宮台の衒学的な語りも多々含まれているのだが、童貞研として指摘すべき最大の問題点は、ロマン主義的恋愛が12世紀「南欧」起源であると、二回も説明されているところであろう。まず、この南欧というのは南仏の間違いだと思われる。一般に12世紀に恋愛の起原があると主張する場合、フランス南部のオック語圏における吟遊詩人トゥルバドゥールが恋愛の詩を歌ったことを指している。これは、19世紀にパリ大学で歴史学を教えていたセニョボスが「12世紀、恋愛の発明」と言ったという半ば伝説的な話に端を発し、モーリス・ヴァレンシーが『恋愛礼賛』において騎士道恋愛・宮廷恋愛を分析したり、ドニ・ド・ルージュモンが『愛と西洋』において騎士道恋愛の延長線上に19世紀のロマン主義恋愛を位置づけたりという、一連の文学研究が背景にあり、日本では水野尚の『恋愛の誕生: 12世紀フランス文学散歩』という本がこの説を支持している。宮台は、この12世紀の恋愛は唯一性規範と贈与規範を特徴として持っているとしており、これはオンリーユーとオールフォーユーという意味らしいのだが、なにを根拠にそう言っているのだろうか。トゥルバドゥールの恋愛の新しさは、簡単に言えば、女性を素晴らしいものと崇拝し、その人のために尽くすという規範を作った点なので、善意に解釈すれば宮台の言っていることも間違ってはいないのだが、定義が広がってしまっているような気がしてならない。また、ロマン主義を「<部分の全体化>を意味する文芸用語」と言っているのもいただけない。ロマン主義の解釈は各人に開かれているが、その場合は、これはあくまでも自分の解釈だとすべきであるし、自分の解釈でないなら出典を示すべきである。私は文芸用語としてロマン主義を表す場合、基本的にそれは格式ばった古典劇を、ロマン(小説)のように規則のないものに作り替えようとした文学運動のことだと捉えている。まあ、このようにいい加減なことを垂れ流して何の罪の意識もないようでは、もう宮台には学問をやる気はないのだろうが、それにしても、あまりにも不誠実ではないか。社会学に関して宮台が言っていることには知らないことも多いのだが、もはや何も信頼できない。このようなことをしているから、どんどん信用を失い、周りには信者だけが残っているというような現在の状況が生まれるのである。佐藤俊樹が社会学者は時に宗教のようになると講義で言っていたのが、いよいよ金言のように思えてくる。
以上のように、今回の読書は耐え難いものだった。当会の後輩にぜひ読んでほしいと言われて読んだが、私が若き時代に読んだ宮台はもういないという事を痛感せざるを得なかった。評定は<不可>にしたいところだったが、まあ、沢山笑わせてもらったので<バカな本>としておこうと思う。最後の方に行くにつれて、宮台のうさん臭さが増していったが、あれは対談相手の近田がよいしょしすぎたせいだろう。宮台も尊敬している人相手であれば、こんなに好き勝手に話さなかったに違いない。やり方次第でもう少しましな本になっただろうに……。
宮台真司・近田春夫『聖と俗 対話による宮台真司クロニクル』ベストセラーズ 2024
文責【猫跨ぎ】
論文集なので、各論文に思ったことを書く。
01 高橋幸「近代社会における恋愛の社会的機能」<可>
コアメッセージは、「『情熱』という第三者が合理的に説明できないタイプの愛が結婚の正統な根拠になることではじめて、周囲の人の干渉を排した個人の配偶者選択を確立することができるようになった」ために、近代の結婚は恋愛結婚がスタンダードとされるようになったのだという主張だが、実証はなく、途中で急にスタンバーグやルービンの社会心理学的な恋愛の説明を紹介して、それがコアの主張とどういうつかがりを持っているのかわからなかった変な論文。主張は直感的には(というか、当会の立場がまさにそうなので)正しいと思う。同著者はコラム2の記述が最も良かった。
02 永田夏来「日本の家族社会学はいかに「出会いと結婚」を扱ってきたか」<良>
1960年代後半、恋愛結婚はお見合い結婚の数を追い越したが、お見合い結婚の条件を内面化した人々による恋愛は、実質的にお見合いと変わらなかったという上野の論の延長線上にある議論であった。そこにおいて、恋愛が「結婚したい気持ち」と読み替えられたという指摘は面白い。それは、まさに当会がニセ恋愛と定義するものである。
03 齋藤尚子「恋愛・結婚における親の影響」<優>
大正以前の庶民は村内の規則や地理的条件に制限されながらも、ある程度主体性を持って結婚相手を決定していた。それが、大正以降は身分の区別や規則が弱まったせいで、結婚の決定を行う主体が家へと移行し、家父長による干渉が強くなりお見合い結婚の普及に向かうというパースペクティブを提示している。そうして生まれたお見合い婚の中に、西洋風の「恋愛」文化が混ざり込んだという指摘も非常に面白い。
04 木村絵里子「1980年代の「恋愛至上主義」」<優>
ファッション誌『non-no』と『POPEPYE』の言説分析を通じて、恋愛がどのように受け止められていたのかということを調査した論文。70年代に、結婚に結びつかない恋愛に価値が見いだされるようになった(恋愛結婚から恋愛へ)ということや、それが消費されるものとしての恋愛となっていった過程は非常に面白く、説得力がある。
05 大倉韻「若者の恋愛の優先順位」<優>
2020年代の現在の若者の恋愛観を量的に調査したもの。現代の若者は恋愛の重要度を下げ、無理ない恋愛をしようとしているのではないかというのが結論である。これをいうためには、若者は恋愛しようと思えばできるがしていないということを言わなければならず、p.74で筆者は恋愛の優先順位が高い人が恋愛を実際にしている確率が高いというデータを提示して「恋愛交際を希望する者がそれを実現すること自体は難しくない」と結論づけているが、それは恋愛に成功する環境にある人間が自ずと恋愛を望むようになるからそうなるのではないかと少し思った。とはいえ、恋愛が「せっかくだから」するものになったという指摘は妥当だろうし、現在の恋愛の異常性をよく表している。
それにしても、データを眺めていて腹が立つのは、恋愛を「二番目に重要だ」と答えた集団がもっとも「告白された」経験が多いという事である。一若者の直感として言っておくが、これは統計を信じてはいけない。恋愛が二番目に大事と言っている人間は、そう装い、ガツガツしていない風でいることでむしろモテるということを分かっている人たちである。その証拠に、この集団はSNSに関して「映えを意識した投稿」が最も多いらしい。要は最も自意識が強い集団なのである。マッシュルームヘアーで黒いロングコートを着て目の下にほくろのある男は、大体この部類である。
また、導入部で、恋愛輸入品論をあまりにも無批判に前提としているのではないかと感じた。p.66に「そもそも「恋愛」は日本に輸入されてきた時点ですでに「なにごとにも替えがたい」ものだった」として厨川白村を引いた、その8行先で小谷野敦の「恋愛は現代最強の宗教である」という『もてない男』の文章を引用しているのは、冗談のようである。小谷野の名前を出すなら、彼が恋愛輸入品説に異を唱えていることも、同時に書いておくほうがいいのではないか。
06 大森美佐「リスク社会における恋愛と結婚」<優>
ルーマン『リスクの社会学』2014に、恋愛は結婚相手を自分で決めるというリスクを背負う行為だという指摘があるらしい。筆者は独自のインタビュー調査から、このリスクが実際に若者らに意識されており、それがいわゆる草食化にも結びついていることを示した。また、最後の社会階層が変動するリスクに関する考察は、中間層の出生率が最も低くなるという現実に沿っている。シンプルで説得力があり、とてもいい論文。
07 府中明子「恋愛は結婚において「必要」か「オプション」か」<優>
日本と中国の未婚若年女性に対する独自のインタビュー調査によって、現在の若者が結婚に恋愛が必要だと考えているのかなどを調査している。
結論としては、日本において、やはり恋愛と結婚はかなり強く結びついているようである。ABEMAで私がそう言った時、田村淳などにこの点に関して疑問を挟まれ(多様性の時代にはそこに疑問を挟むのが「正しい」ということもあっただろう)、私はエビデンスを提示できず自分の論の前提を引っ込めざるを得なかったが、その時にこの論文があれば……。まあ、少なくとも感覚において私の方が田村より一般に近かったことがわかって安心した。ちなみに、中国では恋愛と結婚の結びつきは意識においてかなり弱いらしい。
08 森山至貴「「異同探し」の誘惑を飼い慣らす」<可>
変な文章。実証もなく、何をしたいのかよくわからなかったが、ゲイもマッチングアプリで記号化され苦労しているのだなぁということがわかった。状況は、異性愛者のマッチングの方がまだマシかもしれない。
09 西井開「片思いと加害の境界を探る」<優>
実際に女性に接近し失敗した男性の実例を用いながら、エマーソンのストーキングの段階的発展論を「加害者」の側から確認し直したもの。勘違いをこじらして破滅の恋愛に向かって至った男らの体験談は、読んでいて心が痛んだ。筆者は結論部分で、恋愛が加害にならないためには、その相手との関係性にオルタナティブを設け、状況に応じてそちらに柔軟に移行することが大切だと説いているが、そんなことが恋する男にできるだろうか。また、窮地にある相手を助けることで強い絆が生まれるというストーリーを想い人に当てはめようとした男に筆者は加害性を見ているようであるが、その戦略をやってモテまくったと自称する宮台という男がいるのを見ると、やはり加害者になるかモテ男になるかは、状況やその人の特性に左右されてしまうのではないかなぁと思ってしまった。
10 上岡磨奈「アイドルに対する恋愛感情を断罪するのは誰か」<良>
アイドルに対する「ガチ恋」という困難がどのようなものであるか分析したもの。書いてあることは、大体想像のつくことである。
11 松浦優「2次元キャラクターへの恋愛」<不可>
創作物の登場人物など架空の存在に対する恋愛をフィクトロマンティック(虚構恋愛)などというらしい。語を増やして定義してということが繰り返され、実証がなく、最後の方などは、おそらく二次元と三次元の存在の間の恋愛を可能とする新しい主体性を実現するものとして、アクターネットワーク理論などを適当に連想ゲームで出してきたのだろうが、たいした意味もなく、衒学的で不快だった。授業でこの本が使われた場合、この論文でレジュメを作る学生がいると思うと気の毒である。誠実に言えることだけをいえばいいではないか。
12 高橋幸「ジェンダー平等な恋愛に向けて」<良>
最初の方で適応行動論的な恋愛へのアプローチを社会学はイデオロギー的に否定せずに吸収して構想を進めるべきと書いてあったのは全くその通りだと思ったのだが、その後#Metooや好意的差別に関する話題が続き、コンプライアンス・マニュアルのようになって終わってしまったのは、一体どういうわけだろう。もちろん、非常に勉強にはなったのだが、論文全体を貫くテーマのようなものが見えず、怪奇である。その後の二つのコラムが、むしろこの論文の後半に入るべき内容だったのではないかとすら思う。
高橋幸・永田夏来(編)『恋愛社会学 多様化する親密な関係に接近する』ナカニシヤ出版 2024
文責【猫跨ぎ】
19世紀前半のフランスの社会学者オーギュスト・コントの解説書である。同時に、コントを読む清水幾太郎のエッセーでもある。童貞研で取り上げるつもりはなかったが、読んでみたら想像以上に恋愛要素が強く、童貞学的に感動したので、書評を書いておく。実際、著者も「体裁の悪い話になるが、コントの生涯には女性(勿論、複数の)が絡んでいて、一層、それが私の興味を刺戟していたのだと思う」と書いており、筆者のいいたいことが私にはビシビシ伝わってきた。
まず、コントの初体験はおそらく1815年、エコール・ポリテクニークに進学した17歳の時で、パレ・ロワイヤルの木の回廊(1830年ごろまで売春の中心地)に出かけ、操行の悪さを理由に処分されているらしい。コントは顔の醜いもてない男だったようなので、初体験は売春婦相手だったと想像できる。
次に女性の影が出てくるのは1817年、エコール・ポリテクニークを退学になったのちに、サン=シモンの秘書をしていたころに出会った女性ポリーヌである。彼女はイタリア人の既婚者で、コントは地元の友人ヴィラへの手紙で彼女との姦通を告白しており、あまつさえ、子供ができたとすら報告している。しかし、一瞬手紙に名前が上がるこの女性は、その後コントの手紙から消え去ってしまうことを清水は不審に見ており、すべてが嘘でないにしても、何かしらの誇張を書いているだろうと睨んでいた。清水の直観は正しいと思う。私の妄想によれば、コントは彼女に恋し、妄想を手紙に書き、やがて彼女に愛を告白したが拒絶され、記憶から抹消したというような感じではなかろうか。このような芸当はもてない男にしかできないものである。
コントは1825年、27歳の時に、5歳年下の女性カロンヌ・マッサンと結婚している。出会いは1821年で、当時マッサンは木の回廊で売春婦をしていた。当時は売春の鑑札制度というのがあり、私娼は警察に登録され、監視下から外れるためには正式な結婚が必要であった。1825年、マッサンは売春婦をやめて本屋で働いており、かつての客コントと再会し、お茶をしたわけだが、警察に売春と勘違いされて連行さえてしまう。ここにおいて、もてない男コントと結婚したい女マッサンの利害が一致し、結婚に至ったのである。マッサンの人柄に関して、コントは遺言で暴言を吐いているが、弟子の中には擁護する声もあるらしい。実際、コントが『実証哲学講義』の執筆のために彼女を必要としたのは確かなようで、最終巻である第六巻がもうすぐ完成するから出ていくのはまってほしいと彼女を引き止め、実際、1842年に執筆が完了したのちにマッサンはコントの家を出ていったという。
コントの最後の恋愛が始まったのは1844年で、彼は自分の生徒であるマキシミリアンの姉、クロティルドに恋をした。当時、彼女は29歳、コントは46歳だったという。彼女は既婚者だったが、夫は公金を着服し、ベルギーに亡命し、事実上の寡婦となっていた。彼女のコントに対する第一印象は悪かったらしく「なんと汚らしい人でしょう」と人にもらしていたらしい。二人は往復書簡を通じて、次第に心を通わせていったが、文通開始から4か月ほど経った頃、二人の間で結婚のアイデアが具体性を増していた際、突然クロティルドがコントを突き放し、半年後に彼女は肺病から死に至った。この恋愛がコントを『実証政治学体系』の執筆に駆り立て、彼はクロティルドを崇拝するあまり、「人類教」なる宗教を創設するに至った。
コントは社会学を科学として成り立たせるために客観的な実証主義を突き詰めることを目指した人間である。彼は論理の遊びでしかない啓蒙主義を批判し、その対抗として観察に基づく帰納的な科学手法によって社会を構築する学問を考え、社会学を創始したのである。その思想の結集がカロンヌとの関係の中で執筆した『実証哲学講義』であった。しかし、クロティルドとの関係以降、コントは実証主義の限界を悟り、客観的方法から主観的方法へ転向をした。そして、人間が「人類」を信じて溶け合う人類教という宗教を作り上げた。この溶け合うというイメージは、バレスやモーラスの国家主義から現在のウェルベックに通じるものであり(実際、ウェルベックはコント流の宗教が必要と語っている)、エヴァンゲリオン的な何かでもある。コントの知的模索は、社会学の始まりであり、テーヌやルナンのような19世紀後半の実証的精神の始まりでもあり、その後のブールジェらの反動すら先どりしたものであり、もてない男の苦悩が生み出した知性の輝きでもあるのだ。
コントは一度でも幸福な恋愛をしただろうか。売春婦によって童貞を喪失し、人妻に恋した記憶を自ら抹消し、売春婦と結婚し、最後に真に一目ぼれした相手には結婚を拒絶された。その血から生まれた社会学という学問の系譜に、いま、童貞学がある。コントの苦悩や問題提起を真に引き受けて考える天分を持つのは、我々ではなかろうか。
評定は<優>。
清水幾太郎『オーギュスト・コント ー社会学とは何かー』岩波新書 1978
2024.08.24 文責【猫跨ぎ】
面白かった。評価は<優上>である。こんな本があったとは。まず、筆者の主張がまとまった部分を以下に引用する。
近代日本では恋愛が民主主義をおし進めた。男女関係を変えようとする庶民の願望が、一八九〇年代から一九五〇年代にかけて、一貫して社会的な民主主義をおし進めたのである。その願望に形を与えたのが恋愛小説であった。それははじめ家庭小説と呼ばれ、次いで通俗小説と呼ばれた。軍国主義の嵐が吹き荒れた一九三〇年代後半においても、通俗小説は戦後民主主義につながる世界を読者に提供しつづけた。(p.246)
上にある小説分類にしたがって、本書を再構成すると以下の3種類の分析に要約できる。
(1)家庭小説
恋愛は夫婦間、または許嫁間で描かれる時にのみ道徳的に受け入れ可能であり、それを超越した恋愛は罰を受けることでしか物語として成立しなかった。しかし、その罰が家父長制批判としての力を持っていたのであった。また、婚外の人間が恋愛する状況に現実感を持たせるためには、主人公たちの洋行などの海外的要素を足す必要があった。
(扱われた作品)
渡辺霞亭『渦巻』『吉丁字』柳川春葉『行きさぬ仲』小杉天外『魔風恋風』小栗風葉『青春』村井弦斎『子猫』中村春雨『無花果』田口掬汀『女夫波』菊池幽芳『乳姉妹』『己が罪』
(2)通俗小説
婚前の自由恋愛が祝福すべきものとして描かれ始める。愛のない結婚が非難され、育ての母より産みの母という描写には地位より愛という思想が現れ、働いて立派に社会的で役割を果たした女性は自由な結婚を認められるべきであるという考えが当然のようになっていった。また、山本有三においては、恋愛思想的変化が上流層から中・下層に小説の主題となる視点が移動しているのと連動しているというのも面白い。
(扱われた作品)
菊池寛『真珠夫人』『陸の人魚』『第二の接吻』『貞操問答』佐藤紅緑『虎公』加藤武雄『珠を抛つ』『呼子鳥』小島政二郎『人妻椿』『海燕』竹田敏彦『子は誰のもの』川口松太郎『愛染かつら』『破れかぶれ』吉屋信子『良人の貞操』『地の果てまで』『海の極みまで』『女の友情』『家庭日記』『蔦』山本有三『女の一生』『路傍の石』
そこから日本は大東亜戦争に入り、恋愛を人生の一大事として扱う小説は減退する。
(3)戦後の新聞小説
そして、戦後民主主義が始まる。戦後民主主義とは民主主義に平和主義やらなにやら戦後日本的なものを詰め込んだ謎の言葉であるが、その中には本会の言葉でいう恋愛主義も含まれていた。日本の戦後において、恋愛結婚主義が浸透したことで家意識の変化が起こり、そのことが民主主義のすみやかな浸透を促した。そのため、『青い山脈』や『三等重役』などでは「民主主義」は政治制度というより自由に恋愛する主体を意味するような文脈で用いられるなどしている。しかし、筆者の論旨を言い切るためには分析する小説の量が少ない。戦後民主主義と恋愛主義が手を取り合って進んできたというのは映画やテレビドラマなど多くの作品においてむしろ明白である。とはいえ、メディア氾濫の時代に分析対象を見定めるのは難しい事であり、新聞小説に注目した筆者の着眼点は意味のあるものだ。
(扱われた作品)
林芙美子『うず潮』大佛次郎『宗方姉妹』石坂洋次郎『青い山脈』『石中先生行状記』『山のかなたに』獅子文六『てんやわんや』『自由学校』『やっさもっさ』『青春かいだん』源氏鶏太『三等重役』
この書評では、恋愛のみについて抜き出して再構成したが、本書には「ものづくり」をどう描いたかということに注目し、通俗小説において戦前から「自己実現」が戦後民主主義に繋がる意識として文学に準備されていたことを示す章も存在している。ここも非常に面白い。
一つ批判点として言えるのは、日本においてデモクラシーが男女の恋愛と結びついて語られたのに対して、フランスでは革命の兄弟愛の精神において改革が行われたと筆者は主張しているが、私は間違っていると思う。ルソー、サンド、ミシュレ、ユゴーなど、フランスにおいても革命やデモクラシーを語る人間は恋愛を語っているのである。それは、私が「社会は恋愛の夢を見る」で指摘したことである。筆者が18世紀のフランス革命の精神の一つである兄弟愛のみを取り出して、日本の20世紀の民主主義と重ねたがるのか、意味が分からない。むしろ、戦後民主主義に恋愛主義が組み込まれたのはGHQの企てでもあるのだから、西洋との類似を言うくらいでないといけないのではないかと思う。
とはいえ、本書は、近代論のパーツとして恋愛論・童貞論を語ろうとする我々にとって大きな力になった。政治思想史を専門とする筆者がこれを書いた意義は大きい。よって、評定を<優上>とする。
広岡守穂『通俗小説論 恋愛とデモクラシー』有心堂 2018
2024.08.09 文責【猫跨ぎ】
私が最も衝撃を受けたのは、キェルケゴールの初恋がボレッテであって、レギーネでない可能性があると指摘していた部分である。レギーネに対する恋情を永遠のものとするために、彼が自身の日記のボレッテに関する記述を隠そうとしていたという指摘も面白い。ボレッテという存在はキェルケゴールの哲学が成立するために消されなければならなかったパーツなのである。この記述を出発点に、私が童貞特殊能力を用いて妄想したキェルケゴールの恋愛の真実を以下に記す。
1837年、キェルケゴールは兄の知り合いであるレア―ダム家でボレッテに出会い、自分の知性を正当に評価できる彼女に惹かれた。しかし、彼女はすでに他の人間と婚約をしており、彼はこの恋をあきらめねばならぬ状況にあった。そんなとき、同じ家でレギーネに出会う。当時、キェルケゴールは24歳、ボレッテは21歳、レギーネは15歳であった。彼が2年後の1840年にレギーネに愛を告白した時、レギーネはひどく驚いたという。つまり、レギーネはキェルケゴールの恋慕が自分に向いているとは、想像だにしなかったという事だ。なぜ気づかなかったかといえば、実際キェルケゴールが恋していたのはボレッテで、その叶わぬ恋の代替がレギーネであったからであろう。そして、頭のいい彼は次第に自分が本当にレギーネを愛しているかのように思い込んでいった。彼女との婚約が成立するまでは、彼は目標達成に向かって一心不乱にタスクをこなした。しかし、婚約が成立して賢者タイムに入ったことにより、次の日には、彼は「間違いを犯したと悟った」のである。その日から、彼は今度はレギーネとの婚約を解消することを目標として、また一心不乱に進み続けたのである。
邪推するに、婚約が成立した日の夜、2人はセックスをしている。根拠は2つ。まず、キェルケゴールが婚約が成立した次の日に間違いを悟ったのは、セックスに至ったことによって目的を喪失するという男性特有の病理を発祥したからであると考えられること。次に、レギーネのキェルケゴールへの思いがその日以降非常に情熱的になったのは、セックス後に男性を好きになるという俗説的な女性特有の症状を発祥したためであると考えられることである。だって、婚約するまでの2年間で気づかなかった二人の「不一致」に、婚約して一日で気づくなどという事がありうるだろうか? キェルケゴールはすでに彼女とボレッテとの違いには気づいていたが、ボレッテへの行き過ぎた情熱を取り違え、その望みがレギーネとの婚約によって得られると勘違いし、突き進んでしまったのである。その夢が覚める起爆剤があったとすれば、やはり初夜にクソみたいなセックスをしたのだと考えるのが最も納得感がある。
キェルケゴールは罪によって生まれた人間であるという自覚から、彼女を愛しつつも捨てなければならないのだ悟った。しかし、真実を彼女に話せば彼女の混乱を招くゆえに悪人として振舞い、彼女に捨ててもらえるようにしたとしている。この論理の説得力のなさが、これまで多くの人間のキェルケゴール理解を困難にしてきた。しかし、クソみたいなセックスをして、自分の恋愛の嘘に気づき、婚約破棄したくてたまらなくなったというのが本当の彼の心理作用だと考えれば、なんと筋の通ることか。彼はそのクソみたいな恋愛を隠し、愛している自分を隠して彼女を守るために彼女を突き放すという悲劇のヒーローとして自己正当化した。本当は、好きでなくなった女をどうにかして捨てようとしたにすぎない。彼が自分が周囲からどのように思われているかを気にする人間であるのは、コルサー紙による嘲笑に憤怒したことからも読み取れる。そして、思い込みの強い彼のことである、やがてウソは真実となった。彼は書いている:
「もし、私が懺悔者でなかったなら、私に従前の経歴がなかったなら、憂愁でなかったならーー彼女と一緒になるとき、それはこれまでに夢想だにしなかったほど、それほど私を幸せにしただろうか」
ここでいう従前の経歴とは何か。人間は嘘をつけない時、言葉をぼかすものである。キェルケゴールの筆が恋愛に関して煮え切らないのは、嘘をつくことに心の底では抵抗があったからである。だから彼は嘘をつかずに読者の誤解を誘うことを考えた。だから、従前の経歴が父の罪であるかのように書き、日記にも表現をぼかしながらもボレッテの名前を残しておいたのである。しかし、実際には従前の経歴とは、ボレッテを愛していた自身の恋愛遍歴のことであろう。彼の懺悔もボレッテへの恋情を投影して犯したレギーネに対する罪への贖罪を願う気持ちにほかなるまい。キェルケゴールは厳密には嘘をつくことなく、著作の上においてどこまでも自己正当化を追い求めた卑怯者である。そして、その卑怯さに対する罪の意識も彼の中には蓄積されていった。だからこそ憂愁なのであり、後年彼はカトリック教会に対して特攻のような攻撃をするようになったのは、結局のところ自傷行為のようなものなのであろう。
とまあ、長々と妄想をしたが、要は実存主義の出発点は永遠の愛ではなく一つのクソみたいな恋愛と一つのクソみたいなセックスなのである。
以上が、本書を読んだ私が童貞特殊能力を用いて行った推察である。アカデミックな考証はもちろん一切していないので、ご容赦いただきたい。
本書において、著者はあくまでもキェルケゴールの説明に則って彼の思想を読解しているが、その読解に不都合な歴史的事実も恋愛に関する事であれば掲載するようになっている。著者はそこに過度の説明や解釈を加えておらず、そのために私は童貞特殊能力を行使することができ、読んだことのあるキェルケゴールに関する本の中では最も面白い読書体験をすることができた。また、安直なロマン主義的恋愛礼賛に対するキェルケゴールの反駁や4章で語られる彼の肥大な自意識の記録などは、童貞神学・童貞文学として注目に値する。以上の点を高く評価し、評定は優とする。
橋本淳『キェルケゴール 憂愁と愛』人文書院 1985
2024.06.16 文責【猫跨ぎ】
著者の専門のプルーストに関する部分だが、プルーストの恋愛論を反スタンダールとして位置付けたのは、ソルボンヌのMichel Crouzetの論文«Le contre Stendhal de Proust ou cristallisation standalienne et cristallisation proustienne»であると私は勝手に思っていたのだが、鈴木は自著を出典として挙げている。結晶作用に違いがあるという論旨もCrouzetと一致しているが、鈴木の博論本では厳密に議論されているということだろう。日本の読者は彼の博論を手に入れる機会はなかなかないと思うのだが、不親切な話である。
プルーストの恋愛は想像に閉じているのに対し、スタンダールの恋愛は行動に結びつくということをCrouzetは指摘しており、鈴木もそのように書いている。しかし、どちらも想像の中で膨らんでいく点で一致しているのである。この妄想恋愛の系譜はその後ジッドやラディゲに続いていくが、これはアンチスタンダールというよりも、スタンダール恋愛論の発展であると私は思っている。というのも、プルーストの同時代には「結晶作用などというのは想像の産物だ」と言い切ったレオン・ブルムという男すらいるのである。鈴木はバレス研究者でもあるのだから、ブルムに目が向いてもおかしくないと思うのだが、ブルムに比べれば、プルーストは十分スタンダール的だと私は思う。それでなくても、プルーストはスタンダールという巨人の肩の上に乗っていたと考えるのが自然に思えるのだが、Crouzetが言っているから正しいはずだとでも思ったのだろうか。Crouzetはソルボンヌの権威ある学者だが、東大の松村剛なんかに校訂の不正確さを指摘されている。こういう本国の権威を疑えてこそ、日本のフランス文学者の強みなのではないのか。
そして、20世紀の恋愛論として、精神分析を主に紹介しているが、フロイト読みはマルクス読みにならないというのはよく言ったもので、20世紀の恋愛観を作り上げたものにはエンゲルス主義の系譜もある。精神分析は確かにマルクス主義フェミニズムでは理論の中核に入ることになるが、戦前の労働者フェミニズムの自由恋愛論が西洋や日本で盛んになり、戦後の恋愛論の土壌を作っていたことを全く扱っていないのは、本の短さの都合というより著者の見落としだろうと思う。私は左翼の恋愛論が結構好きなのだが、逆に精神分析に全く関心がないので面白い対照である。
本人はフランス中心主義にならないように注意したとブログに書いているが、フランス文学者なんだから、むしろもっとフランスを掘り下げて欲しかった。もちろん浅く広いのも大事だが。
日本近代の恋愛輸入品論に関しては、厨川白村にほぼ依存しており、個人主義が日本に無かったので、西洋的恋愛は不完全に輸入されたという論旨である。正直同感である。小谷野の博論はこの時代の高山樗牛がウェルテルを翻案しようとして失敗したことなどを書いているが、まさにその議論だと思う。これと同様の分析を著者は村上春樹でやろうとしたようである。そのために、春樹に不思議なほど多くのページが割かれているのだが、大正日本から現代にいきなり飛んだのは唖然とした。戦後にはGHQの指導のもとで日本にキス映画が作られ、戦後民主主義と同じ文脈で恋愛の自由が語られるのであるが、この部分への注意がないのは、戦前のマルクス主義的恋愛論に関心がないのが後を引いているのだろうか。鈴木は恋愛の政治的な側面に無頓着のような気がするが、「恋愛制度」や「束縛」というのであれば、政治的議論は必要だろう。付け焼き刃のようにジェンダー論の話を入れてはいるが、あまり意味を感じなかった。社会学に踏み込まなければならないという意識と踏み込みたくないという本音がせめぎ合っていたという感じか。
西野カナの歌詞を分析し始めたのも、興醒めであった。私がこの歌がもともと嫌いだったというのもあるのだが、鈴木はこの本を書いた後もJ-POPの歌詞分析を懲りずにやっているらしい。萌え文化への言及とか、いらんいらん。福岡大の学生を相手に授業を盛り上げようとした結果、引っ張られているんじゃないか。それじゃあ「お富さん」を分析したら戦後の恋愛がわかるのかね? 私の経験則だが、歌を分析して何か言おうとする人は、はじめに何か言いたいことがあってそれを歌詞に当てはめていることばかりで、歌詞から何かを発見しているような人は少ない。
とはいえ、明治日本文学で近代的自我が生まれたのは確かであり、その自我とは恋愛する主体のことであるとも思う。『三四郎』などは、やけに美禰子を恐れているが、美禰子はイプセンの女であり、三四郎はイプセンの男とは違ってノラを恐れる男であり、これは近代的童貞であると私は思う。なので、私は明治に恋愛がある程度輸入されたのを否定できないと言うのは同感で、もっといえば近代的な童貞が輸入されたと私は思っている。といえば、小谷野は源氏の柏木を引き合いに出すのだろうか。柏木は源氏を恐れたのであって、女三宮を恐れたのではない。
さて、私は鈴木の分析自体は誠実であると思う。そして、このようなスケールの大きい本を書くのは非常に大変だっただろうと思う。そこら辺に転がっている本と違って、自分で一次資料を確認したものについてしか話していないのも誠実である。小谷野を乗り越えようとしているが、新世代感があって好印象である。ローマの話などはあまり知らなかったので、参考になる点も多かった。フランスのロマン主義も入り組んでいて面倒なものを扱ったのは勇気がある。こういうのは研究者でもなければできないことだ。フランス人の妻の話など時々入ってくるのが憎たらしいが、童貞学的に価値のある本であることを認めざるを得まい。学部生の分際ではあるが、弱小研究会の利点を活かしていくつかの問題点を好き勝手挙げさせていただいたが、本書の評定は<良>とし、童貞学の参考文献に加えたいと思う。
鈴木が小谷野の反論に反応した記事はこちら。
鈴木隆美『恋愛制度、束縛の2500年史:古代ギリシャ・ローマから現代日本まで』光文社新書 2018
2024.02.22 文責【猫跨ぎ】
恋愛結婚が終わりつつあるというのには同意である。しかし、終わらせなければならないというような主張の傾向には違和感を持つ。著者は本書の中で一貫して人間が社会を設計できるという謎の思い込みを持ち続けている。歴史叙述においても、産業社会において家父長制的な一夫一妻制が有利だからそのように「した」とあるが、正しくは「なった」のである。社会の仕組みの変化に従って人間の行動が変わるのであり、社会の方向を決めるために人間が行動を変えるのではない。この思い込みの結果生まれた最悪の発言が以下のものである:
「そろそろ私たち大人がロマンチック・ラブの形骸化を認め、結婚と恋愛を切り離し、『結婚に恋愛は要らない』と若者に伝えてあげませんか?
また結婚相手を決めかねている男女にも、『不要な『情熱』にこだらず、お互いを支え合える『よい友達』を探せばいいんだよ』と教えてあげませんか?」
いや、大人が何言おうが知らんよ? 我々に何かを教えれば、それに従って我々が行動を変えると思っているのだろうか。言っておくが、恋愛結婚に疑問を投げかける試みなど、これまでに何度もあった。19世紀にも20世紀にもあった。さらに言えば、これは私の意見だが、恋愛と結婚が結びついている状況が変だなんてことには意識的であれ無意識的にであれ、我々はほぼ全員すでに気づいている。それでも、恋愛結婚は終わらないし、恋愛結婚を賛美する気持ちをまだみんな持っている。だから悔しいし苦しいのである。既婚者である著者にはわからないだろう。
第二章はこういう本にありがちな恋愛の歴史に関する話で、恋愛輸入品説や12世紀恋愛の誕生などのポモ的な起源論や江戸の性はおおらかだったとか小谷野に批判されているあらゆる俗説を満載している。なぜ佐伯順子は読んでいるのに小谷野敦は読んでいないのか。なぜ山田昌弘は読んでいるのに赤川学は読んでいないのか。なぜノッターは読んでいるのに井上章一は読んでいないのか。正確を期すと、赤川は一度出てくるが、山田への依存度合いに比べたら影響力はほぼ皆無である。おそらく、引用を辿っていったことでこの読書傾向になったのだと思うが、学説が対立している場合に一方しか触れないのであれば、もう一方を阻却する明確な理由を述べなければ不誠実である。というか、そもそも、一次資料にあたる勇気もないのに歴史を語らない方がいい。本書の歴史叙述は全て二次資料どころか三次資料の引用であり(柳父章やドニ・ド・ルージュモンすら出てこない)、繋げ方も凡庸で、全く価値があると思えない。ただ、引用を丁寧に示している点は好印象である。
「マーケッター」としての面目躍如というべきか、第1章と第4章の統計の絡んだ話は面白い。合理的な戦略も恋愛戦略としてではなく結婚のための戦略として紹介しているのは正しい。文学や歴史の話は他の人に任せておいて、このような現代社会の分析に専念すべきではなかったかと思う。しかし、最後の章ではもはや話題が完全にずれ、一般の少子化対策や産業構造改革の話をしていたのは、著者の引き出しの限界を示している。そこで語られた政治改革案もテレビタレントらしい紋切り型の退屈なものであった。
残念ながら、独自性に極めて乏しく、目を見開くような鋭い考察もないため、童貞学の書誌に入るような価値ある本とは思えなかった。しかし、さすが雑学に富んでいたし、現代社会の恋愛や結婚に関する統計情報をしっかりと整理して読みやすく書いている点を評価して、評定は<可>とする。私はそもそも実存をかけていない恋愛本は全てFAKEだと思っているので、<不可>でも良かったのだが、まあ<可>で止まった理由としてはABEMAで話した私の立場に近いことには近かったので、ちょっと安心したというのがある。
牛窪恵『恋愛結婚の終焉』光文社新書 2023
2024.01.22 文責【猫跨ぎ】
2153人の異性愛者でパートナーを持っている男性へのインタビュー調査を通じて、男性の性に関して解き明かしたものである。フランスの性を知るためにはちょうどいい本である。著者Philippe Brenotは性に関して研究する系の医学者で、1997年には赤川学に先立ってオナニー称揚を行っている。本書は2章に分かれていて、1章はインタビュー結果の紹介、2章はその変奏のようなものになっている。1章は面白く読んだが、2章では一夫一妻なのは人以外ほぼ鳥類だけだとか、男性が女性より優位に立とうとするのは去勢への恐れからだとか、知っているような話や精神分析の話やらを著者が気持ちよく書いているような感じであまり面白くない。カップルの男のインタビューなんて童貞学的に意味があるのかという気もするが、初体験やマスターベーションに関する調査もあるので、意味はある。この書評では、面白かった話をいくつか抜き出して書いておく。その他にも多くの調査結果が書かれていて面白いが、日本では手に入りにくい本なので、詳細が気になる人は熱意を込めて当会にメールを送ってほしい。熱意次第で協力しよう。
初体験に関して、まず基本としてフランスでは国勢調査で初体験の年齢は、
男性:約21歳(1900)→20歳(1954)→19.2歳(1972)→17歳(2011)
女性: 22歳(1954)→21.5歳(1972)→17歳(2011)
と推移してきたことがわかっている。この本の調査では、初体験の相手が年上だった人、年下だった人ともに26%、同い年だった人は34%と最も多い。売春婦を相手に童貞を喪失した人間は1.5%と少ない。57%が何かしらの失敗をしたと回答しており、その多くは早漏(ejaculation rapide)であった。気持ちよかったかに関して、よかったと答えた人は48%と最も多く、悪かったのは16%、その他31%はどちらでもない。しかし、実際に射精に至った率は76%と高く、著者は男性のオーガズムに心理的背景はあまり関係ないと結論づけた。
青年期に体験した者には「これで大人になれた」という感想を持ったものが多かった。残念なことに、酒のような策略を用いた者は相当数いた。また、大多数が不安やストレスがあったことを明かしている。女性の方が経験済みの場合、それのおかげで良い体験ができたと素直に感謝する意見が多かった。処女厨は多くないようだったが、自分経験済みでありたいという気持ちは強く見られた。
買春によって童貞を喪失した少数者の報告に目を向けると、悪い思い出の報告が多数派で、射精に至らないことは多いようだ。良い報告もその教育的価値を褒めるものにとどまり、快楽を評価するものは少なかった。
初体験の不安に関する報告は「下手にしてしまわないか不安」「見つからないか不安」「教義に反する罪悪感」のような精神的なものや、「半分しか勃起できなかった」「射精できなかった」「早く出しすぎてしまった」のような身体的なものが多かった。また、私が注目したいのは、以下の二つである。
「思い返すと、あれは碌でもないものだった。『済ました』という事実だけは若い男とっては嬉しいものだったが、何せニームの祭りの乱行でやってしまったもので」(p.37)
「相手も私も経験がなかったということが、行為中にお互い相手のことを考えられなかった大きな要因だと思います。私たちは二人とも『済ました』ことには満足で、悪い思い出もないのですが、今でも心に残っている感覚は、行為の後に得た感情や、もっと上手くできたんじゃないかという感覚です」(p.38)
二つは « l’avoir fait » (「済ました」)ということに満足していることがわかる。やはり、童貞・処女の喪失を済ませることは喜ばしいことなのだ。
次に、マスターベーションに関して、調査を行った人の中で、初体験の前に自慰を経験したことのある割合は94%(一方、女性は40%が人生で一度も自慰をしたことがない)、初オナニーの平均年齢は約13歳、最若年は3歳、最高齢は45歳であった。約80%が青年期には週に複数回行っていたと答え、1日に数回行ったと答える者も珍しくなかったが、大人になってもそれを続ける人はほぼいなかった。
「現在自慰をしていますか?」という質問への回答は87%が「はい」で、その内40%がパートナーにそのことを話しておらず、13%がそれに罪悪感を感じていた。セックスレスでない男性でも、半数は週に1回以上自慰をしていた。一方で40%がパートナーと一緒に自慰をしていると答えた。
実践に際し、90%は手を用い、5%は床やベッドに擦り付け、残りの5%のみがTengaなどの道具を用いていた。主なおかずは、38%は妄想のみ、16%は写真、28%はポルノ映画、46%はインターネットを用いると回答した。1970年代には映画は禁止され、インターネットも普及していなかったため写真が最も優勢だったが、規制が緩和し、90年代には映画が覇権を握った。現在ポルノ配信のインターネット大手は、もちろん非合法のサイトなどもありつつ、Canal + やRTL 9のような大手ストリーミングサービスのアダルトプランが支配的のようである。特に、インターネットの手軽さは影響が大きく、80%の男性が刺激を受けており、特にフェラチオ・バック・アナルセックスを性交として一般化させてしまい、レズ、3P、寝取られなどの特殊な性行為を人々に植え付けてしまったと筆者は指摘している。中にはbukkakeなる単語もあった。自慰にかかる時間は大体、25%が2分以内、65%が5分以内、30%はそれより長い。行う場所は、ベッドが60%、パソコン前46%、シャワー34%、浴室27%、トイレ19%となっている。
自分の性器に関しても調査がある。自分のペニスが美しい(beau)と答えた男性は73%、ペニスの大きさは自分にとって重要だと答えた人は全体で48%、35歳以下で56%、50歳以上ですら44%も気にしている。フランスでも陽キャはペニスの大きさの競い合いをするらしく、これは更衣室病(le syndrome des vestiaires)と呼ばれたりするらしい。しかし、その大きさがパートナーにとっても大事だと思うかを聞くと、思う人は全体で31%にまで減る。あくまでも男の誇りを賭けた勝負だということだ。挿入する感覚はどんな感じかという質問への回答は「柔らかくて、暖かくて、湿っていて、締め付けもある」というようなエロゲでお馴染みの回答ばかりだった。一つだけ意味がわからなかった回答が「ああ、なんと言えばいいかな、アメリカン・パイ」(Euh, comment dire : American pie)というもので、「アメリカンパイ」という童貞映画は確かに存在するのだが、それのことだろうか。何かの隠語なのだろうか。
また、83%の男性がやってみたいセックス幻想があると告白しているらしい。Brett Kahr がイギリスで行った同様の研究によると、58%の男性が2人以上の女性と同時に性交がしたいと考えており、28%の女性が反対のことを考えている。今回のフランスでの調査でアンケートに多くみられたファンタジーは肛門性交、3P、SM、青姦などであった。ちなみに、肛門性交はCSFの調査によると、45%の男性が人生で一度は行ったことのある比較的一般的な行動とも言える。
一方で、実際に即すと、47%の男性がパートナーの服装が自分の性欲に訴えかけると答えた。下着の場合も46%となる。58%が美貌が大切な要素だと答えた。その他は関係性や人間性が大切だとした。60%の男性がパートナーが老いることで性欲が減ることはないとし、40%が体重が増えても関係ないと答えた。このように、アンケート内容は幻想を素直に語ったり、綺麗事を吐いたりと行ったり来たりする。
第二章で唯一面白かったのは、手紙の研究の話で、Evelyne Sullerot曰く、Juliette DrouetのVictoir Hugoへの恋文からはHugoの特徴が何もわからないが、著者曰くBaudelaire がMarie Xに当てた恋文にはMarie X がどんな人なのか沢山書いてあるという。恋愛書簡を通じて、男女の手紙での愛の伝え方にこのような差があることが言えるとすれば、文学研究として面白いだろう。
以上。アンケート内容は示唆に富んでいて面白かった。一方で、著者はこの調査以外にも診察を通して男女の悩みを聞いており、その点でバイアスがかかっていると感じたのと、2153人の標本が全部の質問に答えているわけではなく、質問によっては全体が1000人を下回るようなものもあり、標本としての信頼性に乏しい。この点を考慮して、この本には<良>の評定を与えるものとする。
Pierre Brenot, Les hommes, le sexe et l’amour, Les Arènes, 2011
文責【猫跨ぎ】
会員に4章以降だけでも読んでおけと言われて手に取ったが、全部読んでしまった。前半は大正の童貞が扱われていて、後半は戦後に入る。大正では童貞が男女両方に使われていて、男性の童貞は美徳とされることもあったようだ。その要因には花柳病の流行のほかに、女性に処女を求めるならば男性も、という道義的判断もあった。第一章には、当時の大学生の初体験の相手などを明らかにした山本・安田調査なるものが引用されており、学生らの三割が遊女と初体験をしており、そのほかも家庭の娘や女中、人妻など恋愛とはまた別次元で性交が行われていたことが見られて面白い。第三章では平塚らいてうの花柳病患者の男に対する拒婚運動が取り上げられ、当時の結婚が恋愛と離れていたことを間接的に確認できた点で満足であった。五章で60〜70年代の雑誌に赤線回顧記事が載り、20年代から40年代の学生が遊郭で盛んに遊んでいたことが書かれているのも印象的で、戦前の恋愛と性交と結婚の分離状態がここまででよくわかる。
四章以降は戦後が扱われている。特に、60年代前半に童貞の男性が多かったというのは印象的であった。当時は真偽は曖昧にせよ、男子大学生の7割が童貞という統計すらあったらしい。その70年代から80年代にかけて、童貞は恥ずかしいという論評が雑誌に増え、22歳になったらソープに行って無理矢理にでも童貞を喪失せよという論説すら出てくる始末であったようである。80年代以降の童貞批評は現在に直接つながるものであった。五章の最後の、シロウト童貞がバカにされるようになったのは、恋愛の自由市場が生まれ「童貞イコールもてない証拠」という等式が完成したからではないかという筆者の主張は概ね正しいだろう。これを童貞学的に反転させるならば、恋愛と性交が結びつきすぎたためとも言える。澁谷はこの点を本の最後になって指摘した。本書に登場するNHKの統計を見ると、80年代に日本社会に本格的に恋愛主義が浸透したのがわかる。市場原理が働けば、多くの人に求められるものに価値が生まれ、誰にも求められなかった童貞は価値を失う。その過程が六章では詳述されていた。
八章の「童貞の病理化」といういい歳をして童貞なのは潔癖やマザコンや性的異常者だろうという言説が出てくるのが紹介されているが、これは逆に童貞を見下すことが急務となった現代人の病の結果だろう。現代人は、性交や結婚にありつくために手続き的な恋愛をしなければならなくなり、この手続きが恋愛市場を作り上げた。虚構の恋愛が執り行われる現代においては、「恋愛」している人もそうでない人も大差なく、その違いは性交したかどうかになって行ったというのが童貞研の仮説である。よって、童貞問題というのが現代において深刻化したのである。「童貞の病理化」や九章の童貞は見た目でわかるというような言説はその基準ずらしの成れの果ての理由づけと位置付けられるだろう。その意味で、九章最後に、戦後童貞批判が世代批判だったのに対して、80年代以降に童貞のみが切り取られて批判対象になったことが指摘されているのは非常に面白い。
図7ー1も興味深い。NHKの調査で初体験の年齢の分布をグラフにしたものだが戦前生まれの世代の童貞喪失年齢が分散しているが、戦後世代の童貞喪失年齢が18歳から20歳までに集中している。筆者は断定を避けているが、これはこの期間に童貞を喪失すべきだという社会的圧力がかかったからであると見ていいだろう。
最後に繰り返しになる部分もあるが、澁谷の結論が見事なので紹介しておく。澁谷は童貞が問題となる社会の特徴は①恋愛と性交が結びついており、②童貞喪失の基準が設けられている社会であるという。公的なメディアや権力が私的性的世界に侵食し、規範を強めている中で、この暴力を回避する方法は公的な言説が一辺倒のものにならないように工夫することだという。つまり、様々な性のあり方がメディアで発信されることが、童貞の苦しみを緩和するのだという。これは一理ある。当会も規範とは違う童貞像を提示できるような会として存在できるように努めたい。
最後のおまけの部分には疑問もあるが、童貞が問題化されない社会を目指すという主張は本会の同意するところであり、評定は<優>とする。
澁谷知美『日本の童貞』河出文庫 2015
2023.12.18 文責【ロール覇者テスト】
U教授というと最近話題の林真理子が昔、上野千鶴子のことをUCと呼んでいたのが思い出されるが、これは甲南大学の上村くにこである。これはいい本。3人の対談形式でサブストーリーが展開されつつ上村がスタンダールの恋愛論を教える形式。対談は正直余計だし、なければもっと薄い本になると思うが、Fラン大学の教員にもなると、学生に本を読ませるためにこうまでしなければならないのか。
スタンダールが『恋愛論』で展開した論理(4つの恋愛類型や7段階の恋愛の進行など)、この本を取り巻く伝記的事実やコンテクスト、その後の受容などが端的に紹介されている。『恋愛論』はテキストが散逸していて読解が面倒くさいので、このような著作は正直ありがたい。また『恋愛論』の日本での受容を簡潔にまとめた内容は貴重だと思うので。以下に簡単にまとめておく。
1910年 上田敏『うずまき』の中で登場人物が読んで仰天する場面あり
1911年 後藤末雄による抄訳 →その後25人による翻訳がある
1914年 阿部次郎『三太郎の日記』でスタンダールが「疲れて虚無に陥るより他ないドンファン」と紹介される
1922年 厨川白村『近代の恋愛観』における言及は「スタンダアルには『恋愛論』の名著がある」にとどまる
1923年 井上勇『恋愛論』初完訳 「婦人解放の先駆者」として紹介される
同年 大戸徹誠『性愛』にてスタンダールは「女権拡張運動の開拓者の一人」と紹介される
1931年 前川堅市訳『恋愛論』岩波文庫入り
1970年 大岡昇平訳『恋愛論』新潮文庫入り
スタンダールの小説はイケメンのもて男ばかり主人公になるので誤解されがちだが、スタンダールは失恋を繰り返した男である。スタンダリアンの中には彼の小説より『アンリ・ブリュラールの生涯』に書かれたような彼の生き様を重視する人もいる。『恋愛論』もその叶わぬ恋人メチルドに読まれることを期待して書いた出版物である。スタンダールは生前評価されなかったことで有名だが、失恋に満ちたその人生を力強く駆け抜けた彼の魂に推参するには日本語の文献では限界がある。この本は実存的関心からスタンダールに迫っている点でそれを可能にする力を秘めている。サブストーリーのキャラクターが全てもてない人間であることも推せる。恋愛論は上から目線で書かれることが多いが、やはりもてない人間が書いた方が純文学的な強さを持つことができるのだ。本来なら<優>をあげたいところだが、著者があとがきに書いているように参考文献が示されていないので、評定は<良>にとどめたいと思う。これを論文で引用するわけにはいかないだろうね。
上村くにこ『失恋という幸福 U教授の『恋愛論』講義』人文書院 2003
文責【猫跨ぎ】
都立大学で行われている恋愛の授業を収録した本。著者は独文学者の丘沢静也。ひどい本だった。まず、東大の教員でこんな軟弱な言葉遣いをしている教員はみたことがない。講義で「だね」「だよ」調で話すなどというのは鼻持ちならない。私は嫌いだ。自分の講義を<魔の金4>などと呼んだり授業のレジュメを「品書き」と呼んでいるのも気持ちが悪い。上野千鶴子が自分の事をウエノチヅコと書くのと同じイタさである。定年後のおっさんがこんなことするな。さらに問題なのが学生のリアぺである。授業では毎回恋愛に関する学生の卑近な事や授業で扱った恋愛に関する資料の素朴な感想を学生から募り、次の授業で面白かったものを教員が発表する形式をとっている。しかし、爺だからエコーチェンバーという現象を知らないのだろう、学生は評価されるリアぺの傾向を知ると自意識と虚栄心からあらゆる紋切型を作り出して自分の経験をそこに当てはめだすのである。こんな左翼みたいなことを言いたくはないが、教員が学生のリアぺを選別し発表するという作業を繰り返すというのは規範権力以外の何物でもないだろう。とにかく、教員の評価を1週間ごとに見せられれば、教員がキモい以上学生のリアぺもどんどんキモくなつていくに決まっている。実際、私が本で紹介されていたリアぺの中に見たのは自意識と虚栄心の嵐であった。その「赤裸々」なリアぺを読んで教員が学生の恋愛に寄り添っている気でいるのも受け付けない。私の経験から言わせてもらうと「前は○○と思っていたけど、授業を聞いて○○と思うようになりました」というコメントは全て嘘だ。私も何度もこの構文を使ってきた。これをやると学生を啓蒙してやろうと思っている教員は失禁しながら喜ぶのである。
内容に踏み込んで批判をすれば、最初の授業で「この授業はさ、学問なんて意識せず、具体的なものにこだわりたい」(p.27)と言っていて、これはとてもいいと思うのだが(言葉遣いはキモいが)。実際、授業では文学作品の極めて小さい引用や申し訳程度のオペラの切れ端が議論の導入として紹介されるだけで、授業の大部分はむしろ脳科学や社会学、心理学な恋愛研究の紹介かそれでもなければオペラのうんちくショーになっている。いかに素晴らしい文学作品でもその一部の台詞だけを切り取ればそれは紋切型になることを免れない。これに何の意味があるんだよ。また、特に前半はセックスの話の比重があまりにも大きい。これは「進歩的」で自意識の強い学生がセックスのことになると狂喜乱舞してリアぺを書くからのようである。データやセックスなどの即物的なものや、法則や心理のような一般的なもので語りえないものが存在するのが恋愛ではないか。だからこそ文学から恋愛に迫ることに意味があるのだというのが小谷野敦が博論のはじめに書いていたことだ。それを、『カルメン』を見て、カルメンは指輪を投げ捨てるべきじゃなかったと「べき」論を語ったり、クンデラを読んで「コンドームを使おう!」と啓蒙したり、何がしたいんだよマジで。クンデラなんか時には暴力も必要みたいに書いていたと思うけどね。クンデラは学部の先輩の篠原学がフェミニズム批判から守っているので私からはあまり何も言わないが。相手を思いやって恋愛するやつがもてると本書には繰り返し出てくるが、恋愛は自己中心的なものではないのか? 偽善も大概にしろ。恋愛論で正義を語るな! 性と政が若者のタブーだとか既得権益がどうとか宮台みたいなことも言っている。スウェーデンの教育の話とか原発の話とか聞いてねぇわ。
このように不満は色々あるが、せんじ詰めれば批判は「達観した老人は恋愛を語るな」という感じになるだろうか。恋愛に苦しむ我々世代が心に秘めた自分でもよくわからない情熱のほとばしりに私たちの恋愛の真実がある。それをリアぺ紹介という形でくみ取る振りをして実際には歪めに歪め、学生は授業で紹介されるようなリアぺを書くために無理やり恋愛論を編み出し、それがエコーチャンバーし実際にくだらない恋愛に踏み出す人間も出てくる。童貞はロマン主義恋愛に開かれている貴重な存在であるにも関わらず、丘沢はそれを蹂躙したのだ。これがどうしても許せない。丘沢は都立大学の学生の自意識をひたすらに歪め、虚栄心を煽ったのである。私は弾劾する。ドイツ文学者でありながらSturm und Drang 的恋愛に開かれた無垢な学生を上から目線で教育する丘沢を弾劾する。私は弾劾する。虚栄心のあまり自分の恋愛を誇張してリアぺに書いて自意識を満たしそうとしたくだらない首都大生たちを弾劾する。私は弾劾する。人の恋愛論をまねてリアぺを書いて教員に提出することが教員の術への加担となり他の童貞たちへの加害として機能していることに気づかない無神経な大学生たちを弾劾する。くだらない引用を読んで教養を深めた気になるくらいならバルトの『恋愛のディスクール断章』でも読んで心をむなしくせよ。丘沢はあとがきで「私は秩序ある宇宙よりも、カオスの断片の方が好きなのかもしれません」と言っているが、ここには何のオリジナリティもない。バルトもサルトルも私もそう思っとるわ! 丘沢には小谷野や橋本治にあるような恋愛を語る資質が根本的に抜けているのである。J'accuse, j'accuse, j'accuse...
あと、これはずっと気になることなのだが、この本では恋愛を大きく二分していて、モーツアルトの『ドン・ジョバンニ』に類する「18世紀的」恋愛とワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』に類する「19世紀的」恋愛があり、この二つを分けるのは恋愛が「1対多」か「1対1」かであるとしている。18世紀と19世紀の恋愛が西洋の文学にあるというのは百歩譲って認めよう。要はロマン主義前後である。しかし、なぜその代表例が『ドン・ジョバンニ』と『トリスタンとイゾルデ』なのか。『ドン・ジョバンニ』はスペインの伝説「ドン・ファン」を起源とした劇でモリエールの『ドン・ジュアン』などは17世紀に書かれている。同じように『トリスタンとイゾルデ』はイングランドのケルトの伝説を起源としていて12世紀に写本が書かれ、それが中世文学者の手を通じて19世紀に伝わったものである。つまり、どちらの話も18世紀でも19世紀でもないのだ。『好色一代男』と『蒲団』とか、『危険な関係』と『若きウェルテルの悩み』とか古今東西いくらでも軸の取り方はあっただろうに、なぜよりによって別地域の中世の伝説をもとにした劇を持ってきたんだよ。せめて本の中でその妥当性を説明してくれ!
しかし、さすがに独文学者だけあって、ブレヒトやカフカに関する話などは面白かった。むしろこういう話だけをずっと聞いていたい。マンとヴィトゲンシュタインが自分の自慰を記録していたというのも面白い。引用は幅広く、童貞学として有用な可能性もあるので、参照された作品を以下にリストしておく。恋愛以外に関するテクストは除外した。
・太宰治『待つ』
・ビゼー『カルメン』(原作:メリメ)
・村上春樹『ノルウェーの森』
・モーツァルト『魔笛』『フィガロの結婚』(ボーマルシェ)『ドン・ジョヴァンニ』
・ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』『ローエングリン』
・ニーチェ「星の友情」『新しい学問』
・ゲーテ「野ばら」「すみれ」
・シューマン『詩人の恋人』
・シェーンベルク『浄められた夜』
・ブレヒト『三文オペラ』『コーカサスの白墨の輪』
・カフカ『ミレナへの手紙』
・チェーホフ『犬を連れた奥さん』
・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
・ヴィスコンティ『ベニスに死す』(マン)
・ライヒ=ラニツキ『とばりを下ろせ、愛の夜よ』(評論)
・宮藤官九郎「ゆとりですがなにか」「ごめんね青春」
まあ、上のリストを見ればわかるように源氏もフロベールもオースティンもない。恋愛小説は全く扱われていないのだ。恋愛の心理分析が文学の面白い所だと思うのだが、やっと扱った小説がクンデラではねぇ……。オペラの切れ端を見て、教員の恋愛論を聞き、自分の恋愛論を無理やり作る授業。学術性も低い。評定は当然<不可>だ。童貞学を学んで出直してもろて。あと、引用は全体的に割と丁寧なのだが、四本裕子や宮台真司はあえて名前を伏せているのか? しかも、ニーチェやフロイトを時々出してくるのはバルトからの二重引用じゃないのか? まあ、これは邪推。なんとなくマルクス・ガブリエル味も感じるのだが、これは具体的な箇所が指摘できないのでちらりとだけ言っておく。
丘沢静也『恋愛の授業 恋は傷つくチャンス。めざせ10連敗!』講談社選書メチエ 2023
文責【猫跨ぎ】
ポール・ヴァレリーの恋愛書簡と彼の作品の関係性を読み解いた研究書。さすが『テスト氏』を書いただけあってヴァレリーの恋愛におけるテーマは「知性」と「エロス」の相克であることがよくわかる。扱われる恋愛は、まず片思いに終わった初恋相手シルヴィ・ド・ロヴィラ(ヴァレリー17歳)、その後知的な女性カトリーヌ・ポッジ(ヴァレリー48歳ー)、彫刻家ルネ・ヴォ―チエ(ヴァレリー59歳ー)、自由人ジャンヌ・ロヴィトン(ヴァレリー66歳)となっていて。最初の論文はこれらの簡単な評伝だったので、その後の稿が読みやすかった。それにしても正妻ジャニ・ゴビヤールとの関係が主に扱われることがないのは驚異的である。
6つの論文が掲載されており、どれも面白い部分を持っていた。
・1つ目は上に述べたように評伝。老人となったヴァレリーが「性愛」と「情愛(Tendresse)」を区別し、情愛を欲していたというのは童貞学的にはエンパワメントだろう。
・2つ目は初恋時にヴァレリーが修正に修正を重ねたうえで投函しなかった恋文を分析し、のちのヴァレリーの作品への影響を見るものだった。恋文の細かい言い回しを何度も修正する若きヴァレリーの姿は私の心を打った。そこに色々と深読みして考察をつけたがる研究者は童貞という事が分かっていない。
・3つ目はポッジとの恋愛に関して書いている。二人がセックスした日を同定し、その日のポッジの日記に「精神の後の世界(Le monde qui est apres l'esprit)」とだけあるのを発見した部分を読んだときは笑った。精神恋愛から肉体恋愛に移動する際、知的関係にあった2人は衝撃を受けたわけだが、完全に中二病だな。ポッジがヴァレリーの不義(妻がいるのにポッジとセックスしているわけだから)を嫌ったのはとてもいい。ヴァレリーはポッジの嫉妬を疎ましく思ったようだが、その後ヴァレリーがジャンヌの奔放なのに心を痛めるのは因果応報である。
・4つ目はamour(愛)を例外的に女性名詞としてヴァレリーが扱う場面があることを恋愛書簡とナルシス編の詩集とに見出し、その関係性を探るものであった。ポッジとの書簡がやはりここでも最重要視されていたが、一番気持ち悪かったのはヴァレリーとポッジがお互いのイニシャルVとKを重ね合わせて2人だけの特別なマークを作っていたことを指摘する箇所(p.196)だった。ネクセウムじゃないんだから。
・5つ目は仏文の塚本先生の論文である。ヴァレリーの専門家だ。相変わらず文章が回りくどくて読みにくいが、ポッジとの恋愛の不可能性に直面して自身が感じた極端な行動への欲望がヴァレリーのその後の「犯罪」論につながっているという考察は非常に面白くて意味がある。しかし、ポッジとの不和の原因がタクシーに乗るか乗らないかの小競り合いだったりしたのは本当にくだらない。なお、愛ゆえの犯罪といえば私はすぐにウェルテルを思い浮かべるが、ヴァレリーはそうではなかったのだろうか。本書はヴァレリーのみに考察が閉じていて影響関係の指摘がほぼないので、そこは少し気になるところである。
・6つ目にしてようやくルネとヴォワリエ(ロヴィトンの筆名)が主に取り上げられる。ルネは彫刻家で、ヴァレリーは目の前で彫刻を触られて自分を触られた気分になってビクンビクンしていたらしい。しかし、これらとヴァレリーのマラルメ論との共振をみる部分は嘘ではないだろうが客観性に乏しく、批評にとどまるという印象である。
学術書はつまらないものが多いので、この本はまだマシである。よって評定は<良>としよう。日本のフランス文学畑で現在大人気のポール・ヴァレリーを扱っているだけある。童貞学的に大切なのは、ヴァレリーの初恋の書簡や、性愛に至るまいとするヴァレリーのテスト氏的理性、恋愛と情愛を区別する恋愛論などであろう。ヴァレリーを称揚しすぎるあまり研究者らがその行動のイタさに目をつぶっているのは、ヴァレリー研究者の悲しき使命という事で見過ごそう。
森本淳生・鳥山定嗣(編)『愛のディスクール ヴァレリー「恋愛書簡」の詩学』水声社 2020
文責【猫跨ぎ】
フランス文学者にして右翼言論人である福田和也の恋愛本である。このデブが恋愛に関して何を講釈を垂れることがあるのか疑問だったが、やはりくだらないことばかり書いていた。特に、好きな人を落とすためにその人の読んでいる本や趣味などをリサーチし、その話題を振ってみるという方法を紹介している部分では笑いを禁じえなかった。気になっている人が図書館で借りた本を逐一確認し、その子が返却した直後にその本を借りて読み、何なら表紙に頬ずりするなどということは我々が何度も経験してきたことである。そしていざその本の話題を彼女に振ってみる際には緊張して噛んで変な感じになるし、話が全然盛り上がらなくて死にたくなるのである。福田にはそういう経験がないのだろうか。ないのだろうね。
豊富なはずのフランス文学知識も、この本には少ない。興味深かったのは、
・バロン・ドルバックは恋愛を「臓物を背後に抱えた二つの粘膜の摩擦に至る過程」と定義した。
という話くらいだろうか。ドルバックなら言いかねないことである。福田は現在の恋愛はこの「過程」すら抜けて「摩擦」でしかなくなっているのではないかと指摘する。私は恋愛もセックスもしたことがないのでよくわからない。
また、日本における歴史的恋愛観が平安時代から江戸に至るまで<色好み>一辺倒だとする部分には疑問が残る。色というのは江戸の文化で、しかも花柳界の文化で一般的な恋愛観ではない。また、源氏の恋愛は果たして色好みなのだろうかというのも疑問が残る。源氏はそのたびごとに心をむなしくして恋愛してはいなかったか。福田の出した例の中で色好みとしてふさわしいのは『好色一代男』くらいである。
とはいえ、評定を不可にしなかったのは、福田が以下のような重要な指摘をしていたためである。
「『性』は現代人の最も大きな不幸の要因のひとつです。少なくとも、『性』に関する限り、人類は今ほど不幸な時代はないですし、特に日本ではその不幸はかなり深刻になっています。地獄と云ってもいい。(中略)性というのは、二〇世紀が生んだ宗教と云ってもいいと思います。」(p.37)
この問題は童貞學研究の最重要課題の1つで非常に大切なことである。福田の恋愛離れに関する認識などは、さすが学生と絡んでいただけあって正確だと思った。ここにおいて本書を評価する。
福田和也『悪の恋愛術』講談社現代新書 2001
2023/08/12 文責【ロール覇者テスト】
『トリスタンとイズ―』は12世紀に成立した伝説で原本はすでに失われてしまっている。本作品はトマ、アイルハルト・フォン・オーベルグ、べルール、ゴットフリート・フォン・シュトラスブルクなどの異本を基に19世紀の中世文献学者ジョゼフ・ベディエが再構成した作品である。
簡単に言うと騎士トリスタンがアイルランドで竜を倒した褒美に授けられた王女イズ―を自分の王であるマルクに妻として譲るが、帰る途中の船で間違えて2人で媚薬を飲んで恋に落ちてしまい、王の傍ら逢瀬を重ねるという話である。
しかし、これが胸糞悪い話なのである。トリスタンとイズ―が媚薬を飲んで恋に落ちたのはイズ―と王が直接面会する前で会った。つまり、この時は王はイズ―の事を好きになっていない。それを、王にイズ―を見せて好きにさせた後でトリスタンとイズ―は逢引きを始めるのだから、悪趣味である。物語は終始トリスタンとイズ―の恋愛を讃える形で進行するが、これでは二人の愛のおかずにされているマルク王はあまりにも間抜けである。この媚薬は恋に落ちることのメタファーであるが、実際のトリスタンは王がイズ―を愛するようになって初めてイズ―を愛したのではないかとすら勘ぐってしまう。ルネ・ジラールの『欲望の現象学』など引き合いに出すまでもなく、我々は誰かの好きなものを好きになるし、それを手に入れることに躍起になるのである。2人の死後、マルク王が2人を手厚く埋葬するのは、『肉体の悪魔』のジャックと同じくらい滑稽である。
作中でしばしば二人の不貞行為の正当化のために、媚薬が原因なので仕方がないというようなことが書かれている。実際にはそんな媚薬などこの世に存在しないのだから、この媚薬という装置自体が、この作品は媚薬なければただの姦通物語でしかないことの証明になっている。神がしばしばトリスタンをかばう理由もさしてない。トリスタンとイズ―の姦通を王に言いつける諸侯は悪人扱いされているが、いや、姦通している方が悪いだろう。むしろ、姦通の場面を目撃しつつ王に伝えないほうが罰当たりではないか。
トリスタンはどんな敵にも余裕で勝ててしまうなろう系主人公なので、これを底本にしてラノベでも書けばそこそこのクオリティの姦通ラノベができるだろう。もしやる人がいれば、クライマックスはマルク王がトリスタンを不義の罪で焼き殺し、イズ―は王にペニスのメタファーとしての槍に貫かれたうえで、死ぬまでハンセン病患者に犯され続けるというシーンで抜かせてほしい(原書ではマルク王がこれをしようとしたのをトリスタンが助けてしまったのである)。マルク王にはその権利があると私は思った。
ベディエ(編)佐藤輝夫(訳)『トリスタン・イズ―物語』岩波文庫 1953
2023/08/08 文責【北斗七星】