昭和四十八年に成立。町名は字名から。かつて潮見台から海が見えたことに由来 する。旧字は「辻」「繰穴」「西川原」「後山」。
「辻」は今の潮見が丘二丁目で、JA緑と緑市民病院の間の交差点のあたり。宮道と片坂道が交差する辻の意味(辻は十字路や交差点を意味する)。旧字に「宿地」にもまたがる「瓦畑」があり、小石の多い畑の意味。
「後山」は鳴海二八峰の一つ「後」に由来する。相原村の後ろにある鳴海村の定納山であった。「字後山」は緩斜地であり多くは山だった。「後山」の旧字は「経づか」「佐七山クロ」等。「経塚」は経を埋めた塚があるそう。「佐七山クロ」は「字下旭出」の旧字でもある。佐七の持山の縁。
「西川原」は村の西の川原の意味で、旭出川の川原。「西川原」の旧字は「墓の前」。字後山にある相原の墓場の前という意味。
参考文献
名古屋市ホームページ「地区防災カルテ」2025年1月3日閲覧
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会