「浦里」は1982年に成立した新町名。海辺であったことに由来している。「浦里」の成立前は下記の旧字を使用していた。
一丁目……「西脇」「大熊」
二丁目……「大熊」「亀井」
三丁目……「石田」「枯木」「修理田」
四丁目……「西熊」「高田」「一色」「南越」
五丁目……「最中」「上拾貫目」「下拾貫目」「三角」
※上記の丁目は古地図で確認できた大体の場所です。字地を分割して編入する場合もあるので、狂いがあるかもしれません。
旧字の由来や歴史は下記の通り。
【枯木】
大木が立ち枯れて長くあったこことから命名された。
かつてこの地には「片葉芦(かたはよし)」が群生しており、片葉蘆とは片方の葉だけが茂った奇形の芦で、「芦」は「蘆」とも書く(有松 No.48 2003年3月31日 有松まちづくりの会発行 )。絶え間なく清水の湧き出る場所で、古くは猿投神社遷宮の際の節神主祓場となった歴史があるそう。
旧字は「真ノ尾」等。「真ノ尾」は「石田」の旧字でもある。真池川の下流を意味する。
【修理田】
「字修理」は『明治五年勘定帳』に「東西修理田 八分引」との記載があり、こちらの修理田は西側にあたる(東の修理田は字山腰であるとのこと)。「しゅうりでん」と読んでいたが、正しくは「しゅりでん」と読むそう。修理田は寺院、神社の修理のために施入された田の事で、その収穫米を修理費に充てていた。
【一色】
荘園にちなむ地名とされている。「一色田」は荘園において一種類の年貢、特に課役のみを領主に負担して、他の年貢を免除された田地を称する言葉。
しかし、一色田の約で「一色」であるならば「一色田」という字名が見られるはずだが、愛知県に「一色田」と言う字名が無い事、荘園は全国に渡って成立していたため「一色」が「一色田」に基づくものであるなら「一色」の地名はどこにでも存在するはずだが、東海地方(特に愛知県)に集中して存在している事、「一色田」の言葉自体は全国で使用されていた事から、荘園にちなむ名ではなく、地質に基づく地名ではないかとも考えられている。
旧字は「川田」「一敷川田」。「川田」は川底が田になったところで、「南越」「上拾貫目」の旧字でもある。
【南越】
明治九年町界を整理した際、南野村が鳴海村に編入された事から、「南野村から越してきた」の意味で南越となったそう。「川田」や「川向」とも呼ばれていた。
【最中】
川沿いの田圃の地質に基づく地名ではないか、とのこと。「もっちゅう」と読む。
【石田】
「石田」のページに記載。
【高田】
高畦を作る深田の事。高い場所にあった意味ではない。
旧字に「石之本」があり、「石田」の旧字でもある。目立つ石があったのだろうとの事。
【上拾貫目・下拾貫目】
「拾貫目」は戦国時代など中世後期に行われた貫高による土地面積の表示法。「十貫目」とも書く。かつてはこの地は干潟であり、中世後期に耕地化され、この字名が付いたと推測されている。以降一面の水田だったが、昭和初期より宅地化が進んだ。
「上拾貫目」の旧字は「川田」等。「下拾貫目」の旧字は「ししけ杁」等。杁の名前に由来。
【三角】
下拾貫目の南。愛知電気鉄道の線路が敷かれて三角の田になったことから名づけられた。旧字は「鹿嶋」等。「鹿嶋」は字三角の南部の旧字。天白川と扇川の流れがぶつかって泥が堆積し、鳴海潟に最初にできた砂洲。かつては天白川東部にも及んだ。
【西熊】
天白川が西に曲がっているところ。熊は隈の当て字で、クマ、水曲などとも書く。
【西脇】
西の脇のところ。
【大熊】
天白川の大きく曲がるところ。旧字は大熊堤内。
【亀井】
亀井という泉の名に基づく。鳴海神社で亀井の水を汲み、水占の神事を行っていた。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
有松まちづくりの会(2003)『有松 No.48』2024年12月11日閲覧
谷 謙二(2017) 「今昔マップ旧版地形図タイル画像配信・閲覧サービス」の開発.GIS-理論と応用,25(1),1-10.2024年12月11日閲覧
名古屋市ホームページ「地区防災カルテ」2025年1月4日閲覧
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会