天保7年、『補訂張洲府志鳴海村書上』に、「村内小名十三組」として、「丹下町、北浦町、花井町、三皿町、作町、根古屋町、本町、相原町、中嶋町、平部町、上中町、雷、上町」が挙げられており、雷には「町」をつけないのが習慣であったようだが、この十三町以外には「町」をつける事は無かった。
「中嶋」は「中島」とも書く(※以下「中島」に統一)。「相原町」「上中」「下中」の総称であり、太古に瑞泉寺の高台が鳴海潟の中島として海中より突出し、「中島」の地名ができた。
「字中島」を二つに分け、上中島、下中島と呼び、略して上中、下中の地名が成立したと推測される(上中島と呼んだ記録は無いが、下中島と呼んだ記録はあるので当然、上中島も存在したに違いないとのこと)。上中(うえなか)は本来、かみなかと呼んだそう。
「下中」「下中島」は元禄の頃には使用していたが、江戸時代には「中島町」と呼ぶのが一般的だった。明治初年の字名の改廃以降、地籍名は「下中」となるが、中島町でも通用しており、現在の名古屋下中郵便局も昭和20年の開局の時点では「鳴海中島郵便局」だった(現在は曽根に移転)。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会