(随時更新していきます)
賛同いただける方は、下記フォームまでご連絡ください。
ろう・難聴教育研究会(名誉会長 伊藤政雄 )
全国早期支援研究協議会(会長 南村洋子)
難聴児支援教材研究会(代表 木島照夫)
特定非営利活動法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク(理事長 廣川麻子)
聴覚障害教育支援NPO法人言葉の森くるめ(理事長 山﨑佳都子)
ろうちょ〜会(代表 長井恵里)
【埼玉県朝霞市】朝霞市聴覚障害者協会(会長 戸田康之)
尚心派糸東流空手道朋心会(代表 高橋朋子)
NPO法人Silent Voice(代表理事 尾中友哉)
豊島区手話サークル 伝Den(代表 長津絹子)
全国聴覚障害教職員協議会(会長 木村美津子)
関東地区聴覚障害教職員懇談会(会長 名波綾子)
九州地区聴覚障害教職員懇談会(会長 河津知子)
朝霞手話サークル「あじさい」(会長 相河孝充)
一般社団法人しかく (代表 伊藤浩平)
撫子寄合(代表 廣瀬芽里)
「世界の多様性を認めることは、今後の社会発展のために重要です。「手話は言語」という意味は、今後も音声言語と並び、否、音声言語以上に世界の発展に貢献できる未来の言語ということです。音声言語は国別にわかれ、それぞれが権威を競い、言語平等の実現を妨げ、今や世界と社会発展の桎梏となっています。手話は国別に競い合うこともなく、相互尊重を通じて影響し合い、実用的な国際言語に成長しつつあります。世界のろう者は、通訳なしにコミュニケーションができるようになりました。ろう者、健聴者を問わず手話に親しみ、『国際手話辞典』を完成させ、世界と社会発展に貢献しましょう。」高田英一(全日本ろうあ連盟 参与)
「手話があるから、今があるんです」砂田アトム(役者)
「研究者としてこれまでに多くのろう者や研究に関わってきました。そこでエビデンスに基づいて言えることとして、手話による教育の選択権を保障することは必要だと強く断言します。」高山亨太(ギャローデット大学 准教授)
「スクールカウンセラーとして関わる中で、人工内耳装用児にとっても「わかる」環境で成長するために手話が必要だと痛感しています。子どもがわからないことを子どものせいにしない。見てわかる環境作りは大人の責任です。」いりょうみきこ(臨床心理士・手話通訳士)
「最初に覚えた言語が手話でした。そのおかげで人生が広がりました。」那須善子(葛飾区聴力障害者協会会長・手話講師)
「手話という共通言語があることで、かいじゅうの森(児童発達支援、放課後等デイサービス)では子どもたちがお互いの存在を認め合い、体験を深めることができています。「わかる環境」は子どもたちの心や言葉、社会性の発達に不可欠です。手話、日本語、書記日本語を確実に身に付けることができる教育環境の整備・構築を切に願います。」山﨑佳都子(聴覚障害教育支援NPO法人言葉の森くるめ理事長)
「私達ろう者にとって人生において、手話ほど大切なものはない。私達、ろう者にも人生を楽しむ権利があり、手話なしの人生は考えられない。」那須英彰(俳優)
「40年近く多くの難聴児と出合い、その成長を見守ってきました。その結果、早期からの手話使用は、難聴児の人格形成にとって不可欠であると確信しています。様々な情報と選択肢が、難聴乳幼児の保護者に対し公平に提示される環境を強く望んでいます。」坂口和俊(福岡県立久留米聴覚特別支援学校前校長)
「手話を禁じられた環境で、幼年期から補聴器をつけて、発音訓練にあけくれていました。いろんなところで遊んだりしたはずなのですが、その記憶も薄いままです。今になって思えば、自分では判断のつかない発音の良し悪しを、他者に決定されつづけてきたことに原因があると思っています。それから歳月が過ぎ、16歳でろう学校に入り、禁じられていた手話に出会います。そこからすべてが変わりました。借り物のようで、ずっとなじめずにいた発音と比べると、手話は自分のことばとしてすぐになじみました。様々な選択肢として、「手話」もそのひとつの選択肢として選べる環境になることを望みます。」
齋藤陽道(写真家)「暮しの手帖」エッセイ連載中、「声めぐり」(晶文社)、「感動、」(赤々舎)
「手話は、聞こえない人にとって心である。それを失うということは心を失うのと同じなので、手話の重要性を理解してほしい。」春日晴樹(“みみ”のセラピー)
「手話をコアとしながら、コミュニケーションのさまざまなモダリティも互いに受け入れあえる言語環境が、私たちろう者の生きやすさを生み出します。快適な環境、それはコミュニケーションにおいても多様性が認められる環境でなくてはなりません。ろう難聴の子どもたちが発達早期から、コミュニケーティブ・アメニティの中で育ちゆくことを願います。」大阪ろう就労支援センター(理事長 前田 浩)
「ろう者の両親から生まれた、またろう者の私に両親や地元の先輩たちが「手話」でたくさんのことを教えてくれた。口話教育時代の体罰、戦争、たまに自慢話(笑)、パワフルでエネルギッシュな手話に魅了された幼年期の記憶が鮮明に残っている。今でも思い出す臨場感あふれる「手話」。自分もそこにいたかのような、悲しみ、苦しみ、笑いがリンクした瞬間の身につまされる感覚。母語、第一言語が手話でよかった。」長井恵里(女優)
「今の幸せがあるのはたくさんの仲間や家族、パートナーと手話でコミュニケーションが取れるからです。ろう者である自分からもし手話を奪われてしまったら・・・と想像してみました。今の幸せはもちろん、ろう者であるというアイデンティティさえもなくなってしまいます!大切な手話をみんなで守っていきましょう!」
モンキー高野(手話フレンズ代表)
「23年前に手話を使うろう者に初めて出会い、私も少しずつ手話を理解するようになり手話という言語の素晴らしさに魅了され、なによりパワフルで生命力溢れるたくさんのろう者達との出会いが生きることに疲れていた私に生きる活力を取り戻してくれました。ろう者とろう者が使う手話という言語を、私はリスペクトしています!!!!」高島由美子(フリーランス手話通訳)
「手話を学べば学ぶほど、しっかりとした文法があり、これが聞こえない人にとっての言語であり、思考の構築を支えており、心の底と結びついた言葉そのものであると感じます。手話は、たとえ耳が聞こえなくても、それに代わる言葉をゼロから築き上げることができるという、人類の言語能力(言語脳)の証明でもあります。聞こえない子供たちには、幼い頃からこの「目で見る言語」に触れることで、豊かなコミュニケーション能力や思考や情緒が育つと、傍に立つものとして実感します。聞こえない子供たちに、聴者の儀のみを伝えることなく、豊かな教育を。」南 瑠霞(手話パフォーマンスきいろぐみ代表/手話通訳士)
「ろう学校として立脚すべき点は、聴覚障害児一人一人異なる実態やニーズがあり、保護者の価値観も様々であることを前提に、違いを認め合う学校としてろう教育を行う必要があります。価値観の多様化が根底にあり、手話を言語とするろう者としてありのままの生き方を求める人もいれば、科学や医療の恩恵を得ようとする人もいます。その中で聴力に左右されず、どんな子どもでも視覚的に伝え合うことができる手話を中心としたコミュニケーションを通して共存し合えるろう学校づくりが必要になってきます。」及川澄志(聞こえない子どものための私塾シコウカ 代表)
「「みんな違って、みんないい」そのためには、「みんな」に必要なことがあります。全ての「みんな」にとって「いい社会」になるために、自分ごととして「みんな」で考えていきたいです。」東ちづる(俳優・一般社団法人Get in touch 代表)
「手話も日本語もろう難聴の子どもたちにとって大切な言語であり、いずれの言語も学べる教育環境がなくてはなりません。どんなふうにコミュケーションをとっていくかについて、自分の意思で選択してゆける言語環境の構築が切に望まれます。」木村美津子(全国聴覚障害教職員協議会 会長)
「聾学校は、日本語の習得だけでなく、ろう文化、ろうというアイデンティティーを育てる場です。また、聴者の多い社会の中の「聴者文化」も学び、聴者に近づくのではなく、お互いの違いを理解する場でもあります。「聞こえなくても私はできる」という自信を持ち、様々な経験をして自分らしく人生を楽しんでほしいと私たちの願いです。言語である手話を必要とする全ての人の社会参加できるようにまた、障害のある人もない人も、お互いを尊重しながら暮らすことのできる地域共生社会になるのを願って…きこえない、きこえにくい子どもと保護者への支援公正中立な情報提供と選択権を求めます。」河津知子(九州地区聴覚障害教職員懇談会 会長)
「私は十数年前までは音声言語の世界で何不自由なく暮らしているように見える人が「人工内耳(補聴器)をはずせば、僕は聞こえない人なんだよ、どこまで行っても」と苦しんでいるとは思いもよりませんでした。言語聴覚士なのに、無知を恥じています。私たち医療者、支援者は「不自由はない方がいい」との善意から、相手に自分の立場を押しつけていないか、つねに省みる必要があると自戒を込めて思います。人工内耳も補聴器も音声言語も手話も等しく否定されることなく「聞こえない」「聞こえにくい」自分に誇りを持って生きるための手助けが行われるべきだと考えます。」中川信子(言語聴覚士)
「東大にいたころに、ゼミで「ろう文化宣言」をみんなで読んだことがありました。手話という豊かな言語と文化をもって生きていることを誇り高く宣言した文書で、
強く印象に残っています。 ともすると「善意のお世話」的な発想で置き去りにされてしまう当事者性ということ、忘れてはならないと思います。」
汐見稔幸(東京大学名誉教授)
「手話も日本語も!聴覚障害のあるゲイでダンサーの GenGen と申します。僕は生まれつき感音性難聴で両耳(100db 以上)聞こえていません。補聴器を右耳だけにはめて過ごしてます。家族も学校生活も聴者だらけの学校や社会で過ごしてきたので手話を使うことはあまり多くありませんでした。他人と違うことで葛藤がなかったと言ったら嘘になりますが、有難いことに、僕は恵まれた環境で育ってきました。その理由としては、難聴学級のある学校、聾学校、地元の学校など色んな選択肢があった事です。聾学校や福祉センター、ことばと聞こえの教室があった事で、発音や言葉や意味を知り、同じ障害を持った幼馴染とも出会えました。高校は京都府立山城高等学校で同じ障害を持った先輩と後輩に沢山出会う事ができました。彼らや手話部があった事で、手話に触れることもありましたが、日常的には口話が多かったので、普通の人に間違われる事がとても多かったです。聞こえない事で悩みは消えることは無く一生付き合っていくものだと受け止め、自分らしいダンサーになる!と活動を続けてきました。ダンサーになる前からろう者の友達との繋がりは多少ありました。ですが、手話はほとんど使わない事が多かったです。今はインスタラクターとしてや手話で話す友達と話していくうちに、同じ障害を持った人たちと話せる喜びを感じるようになりました。『全く手話を使っていなかったのに、前より話せるようになってきた』と、その言葉で、私自身の中で手話はコミュニケーションの一つではなく、大事な言語でありアイデンティティの一つになりました。手話がこれから先の未来に必要ないということは決してあり得ません。口話で話す事が出来るとしても、選択肢があることや手話は必要です。手話は言語の一つとしてもっと当たり前にもなってほしいです。」Deaf Dancer GenGen(聴覚障害者ダンサー)
「日本手話サイナーの方々から日本手話を習い始めて、視線やうなづきなど、それまで書籍から得た知識から推測できなかったみごとなシステムが手話の発話を支えていることが感じ取れるようになりました。幼いこどもは大人より刺激の取り入れ方が上手なので、ちょうど聞こえるお子さんが、単語を覚えるだけでなく例えばイントネーションを含めて自分の考えを上手に音声に載せることができるようになるように、目の見えるお子さんは、うなづきや視線の移動を含めて自分の考えを表現する発話ができるようになります。人間の言語能力の最もユニークな特徴は、単語をバラバラに使うのではなく、表現を組み合わせて複雑な意味をもつ表現を組み立てることができるという点です。その結果を話者が外に出す際に聴覚情報を使う言語と視覚情報を使う言語があります。こどもが出会うのは外に出された聴覚情報や視覚情報ですが、こどもはその背後の、表現を組み合わせてより複雑な意味を表す表現を組み立てる知性の働きに触れ、自分の中にもその能力を育てていきます。その機会を十分作ってあげてください。聞こえるこどもも聞こえないこどもも、困難にぶつかるときがあります。そのときその子の中で育ってきた言語能力がその子を内側から支えてくれるでしょう。」川崎典子(東京女子大学 言語学教授)
「私はろう学校に入りましたが、当時のろう教育は口話教育であり手話を使うことが禁止されていました。そして手を使って話すのはみっともないなどと教えられてきました。発音発声が聴こえる人と同じようにはならず、聴こえる人から話し方を笑われたこともあります。こどもの頃、私は、聴こえない自分、ろう者としての自分というものがまったく分からず、悩みました。大学に入り手話サークルで手話とはじめて出合ってからの私とそれまでの私は全く違うと思います。手話があってはじめてろう者はアイデンティティ、その人らしさを獲得できます。今では手話通訳者と一緒に仕事をしていますが、あちこちで、手話を使って仕事をする弁護士がいるんだと好意的に受け止められてきました。手話があれば、聴こえない私も、聴こえる弁護士と対等に仕事ができます。手話に対する、周りの、社会の、理解が進むことで、聴こえない人が手話を使って堂々と活躍できるようになります。ぜひとも手話をいろいろな場所で広めていってほしいと思います。」若林亮(弁護士)
「大変重要で、かつ喫緊の課題として、行政には是非提示するべきすばらしいご提言だと思います。学術的にも、聞こえない・聞こえにくい乳児に、手話言語を獲得する機会を生後すぐに提供することが発達上非常に重要であるという多くの研究成果がでています。手話言語の研究者として、このあたりの実証的結果についても広く社会に発信していきたいと考えております。手話が言語であることをすべての人に理解してもらうために、そしてすべての子供に中立的に自分の母語を獲得できる環境をつくってあげるために、本提言に賛同します。」浅田裕子(昭和女子大学 准教授)
人工内耳は、補聴器同様補聴機器の一つに過ぎません。ろう難聴児が社会参加するために必要な環境を整えていくことも課題であり、切れ目のない支援を望みます。名波綾子(関東地区聴覚障害教職員懇談会 会長)
インターネットの黎明期に生まれた私は、今ほど手話に関する情報が多くはなく、周りに手話ができる人がいなかったため、人工内耳の手術を決め、音声言語のみで育てる事を選んだと母から聞きました。もし、手話があったら私の人生は変わっていたのだろうかと考えるときがあります。18歳のときに初めて手話を見て、視覚で「 わかる」言語があるのだと知ったときは、衝撃でした。私にとって音声言語は「 わかる」と「 わからない」 のあいだをずっと彷徨っていて、もやもやしたまま「あれは、何の話だったんだろう?」「なぜ、皆んなは笑っていたんだろう?」 と小学生の時、下校の帰り道はいつもそんなことを考えていました。でも、手話は違います。はっきりと「わかる」 のです。手話という言語を得たことで、音声言語の「わからない」 をようやく言語化でき、相手に説明し、伝えられるようになりました。その道のりは、決して容易いことではありませんでしたが、13年前に出会ったろうの先輩たちは、人工内耳の私を否定することなく、居場所をつくってくれたおかげで今の自分がいます。南雲麻衣(パフォーマー/アーティスト)
河﨑佳子(神戸大学 教授)
福島みずほ(参議院議員)
薬師寺みちよ(医師)
天沼陽子(社会事業大学講師)
塩野谷富彦(ろう旅行家)
濱崎久美子(元大塚ろう学校長・金町学園長)
秋山もえ(埼玉県議)
署名用紙のイメージです。
署名は一人一回まででお願いします。
「オンライン署名(Change.org)」と「署名用紙」、どれか一つだけ署名をお願いします。
二回以上署名してしまうと、無効になりますのでご注意ください。
※ オンライン署名(Change.org)の中に、「寄付」がありますが、「ろう教育の未来を考える会」への寄付ではありません。ご注意ください。
〒167-0035 東京都杉並区今川1-3-1
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