自治医科大学 学園祭「薬師祭」
への参加を通して
(2017.10.07-08)
(2017.10.07-08)
2017年10月7日・8日の2日間,自治医科大学の学園祭「薬師祭(くすしさい)」内の地域医療サークルのイベントに参加した.本イベントは,全国の地域医療系サークルでの活動を共有し,意欲を高め合うことを目的として,今年度から開催されたものである.我々としても,他大の地域医療系サークルの地域医療に対する捉え方やアプローチの仕方を学ぶため,本イベントへの参加をさせて頂いた.今回は2日間の日程で行い,1日目は離島医療を行う,竹富町立黒島診療所の崎原永作先生にお話し頂いた.我々のよく触れてきた北海道の僻地医療と同様に,非常に広い範囲を診なければならない状況下にあり,1000㎞規模の活動を行っている.しかし,大きく異なるのは,その範囲が陸続きではないために,移動は陸路ではなくヘリが中心となるという点だ.さらに,複数の島々を診る中でも様々なニーズがあり,島ごとに全く異なった医療の提供をしなければならないそうだ.そのような大変さがある中で,非常にやりがいの大きい医療でもあると知った.1人で行っているために,住民の方々からすればいつでもよく見知っている先生が見てくれると感じる.その上,島に於いては医師である前に1人の生活者であり,島民の方々と一緒に島の生活を考えていく必要があるため,自然と距離が近くなる.そのために,患者との深い信頼関係も築きやすいのである.離島だからこそ,地域医療の軸となる地域づくりに積極的に関わっていきやすくなり,住民主体の医療の実現を図りやすいのだと感じた.その後には参加者全員で,フリートーク形式でお話しさせて頂き,自治医大卒として,校歌にもある「医療の谷間へ灯をともす」ことへも考えを述べて頂いた上,義務年限の「義務」という表現や一期生の辛さについても様々な意見を交わすことが出来た.総合診療医は地域の中で地域包括ケアのコンダクターとして統括的な役割を担っていかなければならないのだということを改めて実感した.
2日目は2つのレクチャーが行われた.1つ目は岐阜県の関市国民健康保険津保川診療所で勤務する廣田俊夫先生を講師として迎え,先生の具体的な経験を踏まえながら,地域医療に必要な能力・資質をテーマにKJ法を用いたワークショップを行った.先生の地域医療に対する考え方には,「患者によって自分を変える」,「患者や問題の種類により差別をしない」,「生物学的問題だけでなく心理社会的問題も重視する」,「臓器・ヒトにとどまらず,家族・地域も視点とする」,「診察室に来ない人のことも考慮する」といった5つの軸が中心にある.患者本人だけでなく人と人との繋がりをも考慮に入れ,同じ環境に暮らす人々が同じ疾患を抱えているということは無いか,ケアから漏れている地域住民は居ないかを確認する.患者や地域に合わせた自分を生み出し臨機応変に対応していくことで人々が自分のもとに来てくれるようになるのである.それも自分一人で考えるのではなく,チームやシステム単位で出来ることを模索していく.幅広い職種で連携して地域を診ることの重要性を,具体的な経験談を基により理解することが出来た.
2日目,2つ目のレクチャーは,公立置賜総合病院の髙橋潤先生による海外と日本に於ける医療の違いについてのものであった.地域医療振興協会(JADECOM)の海外研修で訪問することになるオレゴン健康科学大学の様子をお話し頂いた.日米の差異の中でも最も印象に残っているのは,NP(Nurse Practitioner)やPA(Physician Assistant)の担う役割が大きく,医師と同等の医療行為を行えるということ,そして医師・NP・PAの診察に対する注力の度合いが高いということだ.こうした米国では一般的になっているミッドレベル医療従事者(Mid-Level Provider)に対し,日本でも注目が集まってきている.しかし,医師側の理解は未だ進んでいないのが実状である.医師偏在という課題を抱える現代の日本.地方では,圧倒的に医師数が少なく,一人の抱える仕事量は莫大である.そうした状況による医療崩壊を防ぐためにも,ミッドレベル医療従事者が大きな役割を果たすことになるであろう.日米の文化や環境の違いにより,求められる医療も異なってくるが,地域の特性を理解しながら適応出来る部分は取り入れ,地方でもより良い医療を作り上げていく必要があると感じた.
今回,1日目夜には,琉球大学や筑波大学の方々と共にSkypeを利用したネット会議も行われた.それも含め,2日間の日程を通して最も感じたのは,一口に地域医療サークルと言ってもその形は多様なものがあるということであった.地域医療への介入の仕方で言うと,我々TCMは医療者側からではなく住民側からの視点でアプローチしていく考えを軸に持っていると,自治医大Family Matesさんらと比較することで気付かされた.これはやはり,顧問の影響が色濃く滲み出ているのだと,つくづく実感する.日本は島国であり,外縁部に近付くほど医療は限界と言えるレベルに近付く.そんな極限の医療の中で生き抜いた医師を見てきたからこそ,普通なら医師の仕事ではないと言われるようなことまで自分達も遂行すべきと感じるのかもしれない.出身大学という点で先学のいない我々に待ち受けるのは,決して生易しいものではない.しかし一方で,そうした中でこそ我々の手で創り出していけることもあるはずだ.僻地に新たな動きを生み出すことが出来るはずだ.医療を受けるのは住民である.医師になっても常に患者の目線で,より良い暮らしが送れるようにすることを第一に.自らの視点は変わることなく,地域に変革を.伝統のない我々だからこそ,保守の姿勢は取るべきではないと,強く思う.