2025.8.27(水)
タイトル:信仰がないのが、そんなに怒られるべきことか?
箇所:マルコ4:35−41
35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。
36 そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。
37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。
38 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。
39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。
40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。
タイトルは、私の息子のセリフでした。
主日、本文のメッセージを伝えると、息子の反応でした。
信仰がないのが、そんなに怒られるべきことか?
40節にイエスがこのように言われました。
40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
息子の目では、イエス様が弟子たちに怒るんだと考えていたらしいですねー
それがそんなに怒られることなのかと、子供の目線では見受けたのでしょう。
弟子と呼ばれた、人々はイエス様をついていながら、悪き霊を追い出されたり、中風病者が立ち上がったり、癩病病者が治されたりなどを直接目で見ました。それにもかかわらず、本文41節には、空いた口が塞がらないセリフをします。
41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。
イエスは、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。激しい突風を収まるようにしたのです。
今までついて来た弟子たちは、イエス様がどのような人物だと思って、ついて来たのでしょう。イエス様が言われた通りに信仰がないままに自分の職業をおろして、どうやって一緒に生活をしたのでしょう。やっと従って来たなーと思うようになります。
ふと思いつきました。
みんながついていくから、私もついていくという感覚だったのか?
私たちの実生活の中でも、こんなことたまたまあるのではないでしょうか?
みんなが買うから、私も、
みんながやるから、私も、
それがいいこともありますが、
イエス様をついていくのには、みんながついていくから私もというのは、あまりふさわしい行動ではありません。
41節に書いてありますが、
41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。
イエス様、この方が誰なのか?私がついていく明確な理由がこの問いかけから始まるのです。
イエス様、彼は誰なんでしょうか?
万物を治め、人の病気を直し、悪き霊を追い出せる、この方は誰でしょうか?
イエス様は世代と、国を越える、全ての主です。
イエス様は神様の子として、この世に来られました。私たちを救うためにこられた、キリストです。その方を心から受け入れ、従っていくのが信仰というのです。
イエス様を信じ、ついていく人は、神様を従っていく人です。神様はその人に、真の安息を与えられました。信仰によって結び付ける人に、神様が安息をあずからせました。(ヘブル4:2−3)
安息、すなわち、平安の息ができるようにしました。
私の魂がイエスキリストのおかげで、平安が賜るようになったのです。
それを息子にお伝えましたが、知らないような顔して、これからよく教えることだなーと思いました。
2025.8.25(月)
タイトル:信頼したノアがこんなことをするとは
箇所:創世記9:20−22
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
創世記を読んでいる中、ノアのところで目がとどまりました。
創6:5−9
5 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、
6 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
7 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」
8 しかし、ノアは主の好意を得た。
9 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。
みんなが悪い行為をする中、ノアのみが主なる神様から好意を得ました。
彼をこのように紹介しています。
9節。。。。。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。
あまりにも彼が神様から愛されていたので、私は彼の咎が見えなかったです。
洪水が終わって、この地球にはノアと、ノアの家族のみだった時がありました。その時に、ノアはあまりにもこの地上のことにハマりすぎて、ぶどう酒を飲んで見せてはならないことをしまいました。
創9:20−22
20 さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。
21 あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
22 カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。
神様から愛されているのは、何なのか?良い環境が整えられた時なのか?それとも、良くない環境に置かれている時なのか?
人は、お腹がいっぱいとなり、世のすべてのものから満足を得ると、罪に落ちいやすい存在なのを、ノアを通して、改めて見つけました。
背反の感情も感じましたが、私が見たいところだけ見たのではないかと気付きましたねーノアを信頼してきた私は、人間の曝け出されたところを接して、二つのことを思いつきました。
人は完璧ではない、完璧である神様を信頼し、信仰を持って生きることがどれほど幸いなことなのかです。
二番目は、良い環境であれ、自分が考えるに良くない環境であれ、いつも真の満足は主なる神様しかいないことです。
上記の二つのことを心から受け止めて、主に感謝し、主の恵みを慕い求める多摩ともしびキリスト教会となるように祈ります。
2025.6.30(月)
タイトル : 弟子ですか?群衆ですか?
箇所 : マルコ3:7-12
7イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、
8エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。
9そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。
10イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。
11汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。
12イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。
弟子は、イエス様の御言葉に従う者です。それはイエス様が神様の子であることを信じ、述べ伝える者です。ところが、11節に登場する汚れた霊どもも、弟子たちのようにイエス様が神の子であることを知りました。
これは、どのような差があるのでしょうか?汚れた霊は、イエス様が神様の子であることに関して知ることでした。これは”知識や、情報の面での知ること”です。その反面、弟子たちはイエス様が神様の子であることを知りました。これは、”人格的な交わりという関係”を意味します。
群衆はただイエス様の奇跡に歓呼して従った人々でした。10節のように
”イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。”のです。
私にもそのような奇跡を引き起こしてくださいという切なる願いがあったのです。
それもそれなりにいいです。でも、それが全部のように従っているのはイエス様を部分的に知ることです。
病気などが癒されると、それは目の写る現象であるので、相当効果的です。自分の才能を見せる番組を見ると、本当にすごいなーと思う時があります。また、手品をしたような驚きもあります。また、インターネットなどで奇跡のような映像もあります。このようなことや、メデイアを通して、一時的な感動、楽しさ、驚きが精神的に良い面があるとは思います。
しかし、イエス様はそのような奇跡や、感動や、驚きを見せるためにこの世の中にお遣わされたのではありません。
イエス様が来られた目的は、魂の救いです。霊の生かしです。罪から義への導きです。それは目に映らないものです。ならば、どうやってそれを信じられるのですか?
そうです。信じられない人々もいます。また、あえて信じない人々もいます。むしろ不信仰のままにいるのが尋常な人のようです。そのような方が楽だし、多くの人の方に立ったようで頼もしいところもあると思います。
確かに、、、
でも、目に映るものも信じない時代です。目に映るものも信じられない時代に生きています。
私はどこに興味を持っているんだろう?私はイエス様を信じる理由はなんだろう?私はイエス様を正しく知って、信じ従っているんだろう?という信仰に関する問いかけは本当に建設的な悩みだと思います。
そのような心構えを持つ人は、イエス様が正しく導いてくださり、また、正しい信仰を持つように心を注いでくださいます。
多摩ともしびキリスト教会が、正しく福音を伝え、正しく聖書を教え、正しい信仰を持って、神様の御国のために生きることができるようにお祈りください。
また、イエス様のために尊く用いられる多摩ともしびキリスト教会となるようにお祈りします。群衆ではなく、正しい信仰を持つ弟子となる多摩ともしびキリスト教会の聖徒になりますように
2025年6月24日(火)
タイトル:正しい信仰のために
箇所:ホセア書4:6
6わが民は知ることを拒んだので沈黙させられる。お前が知識を退けたので/わたしもお前を退けて/もはや、わたしの祭司とはしない。お前が神の律法を忘れたので/わたしもお前の子らを忘れる。
私たちは神様を正しく知ることが大切です。その知識があった上で、真の神様に向けて正しく進み出ることができます。神様に対する、正しい知識はその方が与えられた御言葉です。それは、神様がまずイスラエル民族に与えられた”律法”(旧約聖書)でした。しかし、神様は、イスラエルだけの神様ではなく、異邦人である私たちにも神様であることを”御言葉”(新約聖書)を通して知らせてくださいました。
ローマ3:29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります
それで、私たちは、この世を創造し、異邦人である私たちにも救いを与えられた神様の御胸をいただき、信仰を持って生きることができるようになったのです。
正確に言うと、イエスキリストを知る知識が私たちが真の神様を正しく知る道です。信仰の根源である、イエスキリストを正しく知り、イエスキリストを正しく信じ、イエスキリストを喜びを持って賛美する多摩ともしびキリスト教会となるようにお祈りします。
2025年3月6日(木)
タイトル:主を褒め称え
箇所:詩篇148:7−13
7. 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ
8. 火よ、雹よ、雪よ、霧よ/御言葉を成し遂げる嵐よ
9. 山々よ、すべての丘よ/実を結ぶ木よ、杉の林よ
10. 野の獣よ、すべての家畜よ/地を這うものよ、翼ある鳥よ
11. 地上の王よ、諸国の民よ/君主よ、地上の支配者よ
12. 若者よ、おとめよ/老人よ、幼子よ。
13. 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く/威光は天地に満ちている。
7. 너희 용들과 바다여 땅에서 여호와를 찬양하라
8. 불과 우박과 눈과 안개와 그의 말씀을 따르는 광풍이며
9. 산들과 모든 작은 산과 과수와 모든 백향목이며
10. 짐승과 모든 가축과 기는 것과 나는 새며
11. 세상의 왕들과 모든 백성들과 고관들과 땅의 모든 재판관들이며
12. 총각과 처녀와 노인과 아이들아
13. 여호와의 이름을 찬양할지어다 그의 이름이 홀로 높으시며 그의 영광이 땅과 하늘 위에 뛰어나심이로다
賛美は信仰の対象となる方に捧げる心の告白です。だとしても、いくら高い身分と、位置に置かれたとしても、人を対象として崇めることはしません。人を神として褒め称えることはまれなことです。理性と、常識があるなら人を対象にしてそうまではしません。
普通、誰かを褒め称えますと言ったら、私たは神を思い浮かびます。私より優れた方、人間より超越された方です。イスラエルはエホバと呼びました。私たちはその方を神様と呼びます。本文は”主”だと書き記されています。
主なる神様はこの世を創造されました。この世を統べ治められます。特に私たち人間に対して、測りきれない格別な心と、計画を持っておられます。なので、主なる神様は褒め称えられるにふさわしい方です。私は短い人生の中で主を知り、主に会い、主を賛美することができ、本当に感謝しています。
찬양은 신앙의 대상에게만 드리는 마음의 고백입니다.
그렇다고해서 아무리 높은 신분과 위치에 있다고 해도 사람을 대상으로 찬양을 드리지는 않습니다. 사람을 신봉하여 찬양드리는 경우가 정말 가끔 있습니다만, 이성과 상식을 가지고 있다면 사람을 대상으로 그렇게까지 하지 않습니다.
그나마 누군가를 찬양한다고 할 때 우리는 신을 떠올립니다. 나보다 높으신 분, 하지만 인간이지 않고, 신이라고 하시는 그 분..이스라엘은 여호와라고 불렀습니다. 우리는 그 분을 하나님이라고 부릅니다.
그 하나님은 이 세상을 만드셨습니다. 이 세상을 통치운행하십니다. 특히 사람에 대하여 각별한 마음과 계획을 가지고 계십니다. 그렇기에 하나님은 찬양받기에 합당하신 분이십니다. 내 인생에 있어서 하나님을 알고, 그 분을 만나고, 그 분을 찬양하는 삶을 살 수 있다는 것이 참으로 감사한 일입니다.
2025年3月4日(火)
タイトル:教会のリーダーの心構え
箇所:ヘブライ5:1−3
1. 大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。
2. 大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。
3. また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。
1. 대제사장마다 사람 가운데서 택한 자이므로 하나님께 속한 일에 사람을 위하여 예물과 속죄하는 제사를 드리게 하나니
2. 그가 무식하고 미혹된 자를 능히 용납할 수 있는 것은 자기도 연약에 휩싸여 있음이라
3. 그러므로 백성을 위하여 속죄제를 드림과 같이 또한 자신을 위하여도 드리는 것이 마땅하니라
神様が与えられた大祭司の職分は、神の民たちから選ばれ、神様の働きをするようになります。神様の民たちにおいて重要なこと、すなわち贖罪の儀式を神様に捧げるのです。神様から罪を赦される儀式を執り行う重要なことをするのです。祭司たちは毎日犠牲の生贄を捧げますが、大祭司は全ての祭司や、神様の民たちを代表をして至聖所に入り、自分と、自分の家族と、民たちのために贖いの生贄を捧げます。
こんな重要なことをする大祭司を見ると、神秘的な力と、能力を持つように見えます。だが、そうではありません。この大祭司も自分の弱さを身に纏っている人です。罪にさらけ出される私たちと同じ人間です。
有名な人も、無名な人も、力がある人も、力がない人も、頭がいい人も、頭がよくない人も、健康な人も、障害を持つ人も全ての人々は自分の弱さを持っています。
その弱さは、努力、勉強、訓練、修行で満たされません。神様のみができる領域です。私たちの弱さをよく知っておられる神様が誠の大祭司イエスキリストを送ってくださいました。イエス様はあらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたので、私たちの弱さに同情できる方です。しかし、イエス様は罪を犯されなった方ですので、誠な大祭司であるイエス様から哀れみを受け、恵みに預かって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆な恵みの座に近づきましょう。私たちの信仰告白を固く守っていきますように
하나님이 주신 대제사장의 직분은 사람들로부터 선출되어 하나님의 일을 하게 됩니다. 소위 하나님의 사람들에게 있어서 중요하다고 할 수 있는 대제사장의 일은 속죄제를 드리는 것입니다. 하나님으로부터 죄를 용서받는 행위 의식입니다. 1년에 한 번씩 대속죄일에 지성소에 들어가 자신과 자신의 가족, 백성들을 위해 속죄의 제사를 드립니다. 이러한 중요한 일을 하는 대제사장을 보면 엄청난 능력과 신비적인 힘을 가지고 이는 것처럼 보입니다. 그러나 그렇지가 않습니다. 이 대제사장도 자기의 연약함에 휩싸여 있는 똑같은 사람입니다. 그렇기 때문에 자신도 죄에 노출되어있는 것입니다.
유명한 사람도, 무명한 사람도, 힘이 센 사람도, 힘이 약한 사람도, 능력이 많은 사람도, 능력이 적은 사람도, 머리가 좋은 사람도, 머리가 좋지 않은 사람도 모든 사람이 연약함을 가지고 있습니다. 이 연약함은 나의 노력과 훈련과 수행으로 채움받을 수 없는 부분입니다. 우리의 연약함을 잘 아시는 하나님만이 가능한 것입니다.
하나님이 우리의 참 대제사장이신 예수님을 보내셨습니다. 그 분은 우리의 연약함을 동정하실 수 있는 분이십니다. 우리와 마찬가지로 시험을 받으셨지만 죄는 범하지 않으셨습니다. 우리에게는 위대한 대제사장이신 예수님이 계십니다. 그러므로 우리가 고백하는 신앙을 굳게 지켜나가야 합니다.
2025年3月3日(月)
タイトル:神様の御国
箇所:ローマ14:17
17. 神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。
17. 하나님의 나라는 먹는 것과 마시는 것이 아니요 오직 성령 안에 있는 의와 평강과 희락이라
この世は、美味しい物がたくさんあります。そのような環境の理由なのか、多くの人々が美味しい店を歩き回り、訪れます。ところで、神様を信じる人々がいく天国、すなわち神様の御国には私たちが好きな食べ物、飲み物があるところではないと言っています。
私たちが生きるこの世は、口のため、体のため、働くためにそれに関心を持っているかもしれません。その反面、私たちが行く天国、すなわち神様の御国は飲み食いがあるかも知れませんが、それがメインではないことを教えてくれます。
聖書は言っています。神様の御国は”義と、平和と、喜び”だと。飲み食いがないのに、どうやって義と平和と喜びを得ることができるのかと疑問を持つことがあります。最小限の物が満たされない環境で、どうやって最大限のことを享受することができるのかということです。
しかし、大事なのは、飲み食い以上のものを通して、満足それ以上のところが天国であることを私は受け止めています。
私は子供の時にコーラが好きでしたが、今はコーラよりお茶とか、コーヒーが好きです。今もコーラを飲めますが、大人になってからはそれより苦い物が好きになりました。
神様の御国は、このようにイエス様を信じ受け入れより高次元のことを慕うようにしていただいたように、私たちが経験したことはないけれども、より素晴らしいところ、より素晴らしい物が満たされることを期待させてもらうところが天国であることを気づかせてくれます。
이 세상에는 참 맛있는 음식들이 많습니다. 그래서 많은 사람들이 맛있는 음식을 찾아 먹으러 다닙니다. 그런데 하나님을 믿는 사람들이 갈 천국, 곧 하나님 나라에는 우리가 좋아하는 먹고 마시는 곳이 아니라고 합니다.
우리가 사는 이 세상에는 입을 위해, 몸을 위해, 건강을 위해 그러한 것들에 초점이 맞추어져 있는지 모르겠습니다. 그러나 우리가 가는 천국 곧 하나님 나라는 먹고 마시는 일을 할 수 있겠지만, 먹고 마시는 것이 메인이 아니라는 것을 알려줍니다.
성경은 말합니다. 하나님의 나라는 "의와 평강과 희락"이라고 말입니다. 먹고 마시는 것이 없는데 어떻게 의와 평강과 희락만으로 살 수 있는가 할 수 있을 것 같습니다. 그런데 중요한 것은 음식을 통해 얻는 만족 그 이상의 곳이 천국이라는 것을 생각할 수 있습니다.
저는 어렸을 적에 콜라가 맛있었습니다. 그런데 지금은 콜라보다 녹차나 현미차나 커피가 좋습니다. 콜라를 마실 수도 있고, 종종 마시기도 하지만, 성인이 된 지금은 녹차나 현미차나 커피가 좋아진 것처럼 하나님 나라는 예수믿고 거듭난 우리에게 더더욱 고차원적인 것, 우리가 생각하지도 못한,그리고 상상이상의 의와 평강과 희락이 있는 곳임을 바라도록 하고 기대하게 합니다.
그 하나님의 나라를 예수님을 통하여 주신 은혜와 축복을 감사히 여기는 하루가 되기를 소망합니다.
2025年2月28日(金)
タイトル:偶像を信頼せず
箇所:詩篇135:15−18
15. 国々の偶像は金や銀にすぎず/人間の手が造ったもの。
16. 口があっても話せず/目があっても見えない。
17. 耳があっても聞こえず/鼻と口には息が通わない。
18. 偶像を造り、それに依り頼む者は/皆、偶像と同じようになる。
15. ○열국의 우상은 은금이요 사람의 손으로 만든 것이라
16. 입이 있어도 말하지 못하며 눈이 있어도 보지 못하며
17. 귀가 있어도 듣지 못하며 그들의 입에는 아무 호흡도 없나니
18. 그것을 만든 자와 그것을 의지하는 자가 다 그것과 같으리로다
聖書は言っています。神様が天地を創造され、人の鼻に命の息を吹き込まれ、生きるものとなったと。神様はイスラエルを選び、人間の歴史の中でご自分が生きておられること、また働かれることを示されます。そして、そのことは今日、異邦人である私たちにもイスラエルだけの神様ではなく、この万物を造られ、私たちを造られた神様であることをイエス様を通して知るようにし、信仰する恵みを与えてくださいました。
神様は私たちに関心を持っておられます。その関心は言い換えると、”愛”です。その愛は具体的にイエスキリストです。神様は私たちを愛しておられ、その愛の印として独り子イエスキリストを与えてくださいました。そして、イエスキリストを通して、人格的な関係を結んでいきます。その関係の中で私たちは神様のことを知り、神様の御心、神様のご計画、その愛を経験することができます。
ところで、本文の”偶像”は私たちが信じる神様と違います。それは人の手から作られた物です。それには口がついています。だが、言えません。目がついていても見れません。耳があっても聞けません。口があっても息をすることもありません。
私たちの神様はどうでしょうか?私たちは神様から始まった存在です。私たちは神様からかたどられ、イエス様を通して救われ、イエス様を通して、神様との関係が結んだ恵みの人となりました。神様を信仰することは恵みをいただいていることを気づくことです。
主の恵みをいただいていることを気づき、反応する人は神様が共にいることを証拠します。なので、神様との思い出を今日も作っていきます。イエス様を通してで
성경은 말씀합니다. 하나님이 천지를 만드시고, 사람의 코에 생기를 불어넣어 생령 곧 살아있는 존재가 되었다고 말입니다. 하나님은 이스라엘을 택하셔서 인간의 역사가운데 하나님이 살아계시고,일하고 계심을 보여줍니다. 그리고 그것은 오늘날 이방인인 우리에게도 이스라엘만의 하나님이 아니라, 이 만물을 만드시고, 우리를 만드시 하나님이심을 예수님을 통하여 알게하시고, 신앙할 수 있는 은혜를 주셨습니다.
하나님은 우리에게 관심을 가지고 계십니다. 그 관심은 사랑입니다. 하나님은 우리를 사랑하셔서 독생자 예수 그리스도를 주셨습니다. 그리고 예수 그리스도를 통하여 인격적인 관계를 맺어가십니다. 그 관계 속에서 우리는 하나님을 알아가고, 하나님의 주권, 하나님의 계획, 하나님의 사랑을 경험하게 됩니다.
그런데 오늘 본문의 우상은 우리가 믿는 하나님과 다릅니다. 그것은 사람의 손으로 만들어진 것입니다. 그것에는 입이 있습니다. 그러나 말을 하지 못합니다. 눈이 있어도 보지 못하고, 귀가 있어도 듣지 못합니다. 입이 있다고 호흡을 하는 것도 아닙니다.
그러나 우리 하나님은 그것과 다릅니다. 우리는 하나님으로부터 시작된 존재입니다. 우리는 그 분의 형상을 닮았고, 예수님을 통하여 그 분과의 관계가 이루어진 은혜의 사람이 되었습니다. 하나님을 신앙한다는 것은 이것과 같습니다. 즉 은혜를 받은 사람이라는 것입니다.
은혜를 받은 사람은 하나님과 함께 삽니다. 하나님을 닮습니다. 하나님을 위해 삽니다. 예수 그리스도를 통하여서 말입니다.
2025年2月26日(水)
タイトル:ただ主のみができること
箇所:詩篇130:7−8
7. イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに/豊かな贖いも主のもとに。
8. 主は、イスラエルを/すべての罪から贖ってくださる
イスラエルは幸いな民です。真の唯一の神様から選ばれ、その方から認められた民であるからです。本文を読むと、その祝福がどのような物なのかを知る重要なキーワードがあります。それは、主の慈しみです。また、主の豊かな贖いです。
慈しみは、心が暖かく、広いという意味です。慈しみを経験した人は、その慈しみが現れます。親が暖かい心と、広い心で子供たちに接するとその環境に育った子供たちもそれを学び、それが現れます。
また、豊かな贖いはもう一度立ち上がる機会を得ます。許されると、その心に力が与えられます。許してくださった方の心のために、また許された安堵感と共により正しい道に行こうとする心が与えられます。
このような二つの意味でイスラエルはまさしく幸いな民です。
しかし、広い意味では、国家としてイスラエルだけではなく、神様を慕い、神様の御胸を求め、神様を信じようとする外国人である私たちにも同じ恵みを与えてくださいました。
その恵みがイエスキリストです。
神様から離れた私たちのためにイエス様が代わりに十字架の血潮を流され、私たちの罪を贖ってくださったのです。神様の豊かな慈しみの中に属するように恵みを与えてくださったのです。
7. 이스라엘아 여호와를 바랄지어다 여호와께서는 인자하심과 풍성한 속량이 있음이라
8. 그가 이스라엘을 그의 모든 죄악에서 속량하시리로다
이스라엘은 참 복받은 민족입니다. 참 신 곧 참 하나님으로 택함을 받고, 그 분으로부터 인정받은 민족이기 때문입니다. 본문을 보니 그 복이 어떠한 복임을 다시한 번 알게되는 중요한 키워드가 있습니다. 그것은 주님의 인자하심입니다. 그리고 주님의 풍성한 속량입니다.
인자는 따뜻하고, 너그러운 마음입니다. 인자를 경험한 사람은 그 인자함이 묻어납니다. 부모가 인자하면 그 인자함 속에 자라난 아이들은 따뜻한 마음을 배웁니다. 그리고 그것은 삶의 모습으로도 나타납니다.
풍성한 속량은 다시한 번 일어설 수 있는 기회를 얻습니다. 용서함을 받으면 그 마음에 다시 힘이 생깁니다. 용서하여 준 분을 위해서, 그리고 용서함을 받았다는 안도감과 함께 더욱 바른 길로 가고자 하는 마음이 생깁니다.
이러한 두가지 의미에서 이스라엘은 참 복받은 민족입니다. 중의적인 의미로 이스라엘은 택함받은 민족이라는 뜻이 있습니다. 이스라엘 백성만이 아니라, 하나님을 사모하고, 하나님의 뜻을 구하는 사람, 하나님을 믿는 사람에게도 그러한 은혜를 베풀어주셨습니다.
예수님이 바로 그러한 분으로 이 땅에 오셨습니다.
하나님과 멀어졌던 우리를 위해 예수님께서 대신 십자가의 피흘려 우리를 대속하시고, 하나님의 풍성한 인자하심 속에 들어갈 수 있는 은혜를 베풀어주신 것입니다.
2024年12月20日(金)
タイトル:クリスマスが来ています。
箇所:コロサイ人への手紙1:19
19. 神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、
19. 하나님께서는 그리스도 안에 모든 충만함을 머물게 하시기를 기뻐하시고,
12月です。年末が来ることによって、私たちは大きなイベントとして、クリスマスを思い浮かびます。クリスマス、その日を思い浮かぶと子供の時に何となくワクワクする感情が離れないことを覚えています。なぜなのかとすると、サンタクロースからプレゼントをもらう日であると認識したからです。実はあまりそのような思い出はなかったですけどねー笑
私が経験したことと違い、日本では12月、特にクリスマスの日が近づいて来るその期間に、小さな町から初め、駅周辺の店や、広場、ところところでいろんなイベントを行ったし、また行っています。12月にそれらを接すると、子供の時に持っていたワクワクするような感情が再度生き返るようです。
御馳走や、プレゼントがより豊かなクリスマスの日に、神様が与える御馳走と、プレゼントがもう一つがあります。
それは、サンタクロースでもない、家族からでもない、友達や、恋人からでもない、イエスキリストというプレゼントです。
クリスマスは、実はイエスキリストがお生まれたことを記念し、礼拝を捧げる日です。なぜイエス様を礼拝するのでしょうか?
食べ物や、プレゼントをあげた人に対して、感謝の心は現しますが、礼拝にまでは捧げません。しかし、イエス様は特別です。
イエス様が与えるご馳走と、プレゼントは、私たちの霊を生かす物です。それは人間からもらうものではありません。ただイエス様だけがくださる物です。
私たちの中にある空間は、その空間はこの世にある物で満たすことができません。満たそうとしても満足ができません。
ただイエス様のみが私たちの中にある空間を満たすことができます。神様がイエスキリストを送ったのは、御心のままに満ちあふれるものを余すところなく御子イエスキリストの内に宿らせ、私たちをもその恵みに宿り、恵みでいっぱいとなることを願っておられます。
2024年12月17日(火)
タイトル:フレキシブルな水のように
箇所:フイリピの信徒への手紙4:11−13
11. 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。
12. 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。13. わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。
11. 내가 궁핍하므로 말하는 것이 아니니라 어떠한 형편에든지 나는 자족하기를 배웠노니
12. 나는 비천에 처할 줄도 알고 풍부에 처할 줄도 알아 모든 일 곧 배부름과 배고픔과 풍부와 궁핍에도 처할 줄 아는 일체의 비결을 배웠노라13. 내게 능력 주시는 자 안에서 내가 모든 것을 할 수 있느니라
本文を通して、パウロがこの世の中で起こることに対して、どのような心構えを持っているのかを覗くことができます。
12。。。。。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。
彼が物欲しさにこう言ってるわけではありません。むしろ、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。
福音の内容に対しては、頑固な態度を持っているパウロも、福音が必要なところに入りやすくするための、彼のフレキシブル(flexible)的な態度は見習うべきだと思いました。
そのような黙想時間を持っている間、ふと水を見ていると、不思議だなーと思いました。どんな容器や、どんなところに入っても自由自在に変形して、そのところに位置付けています。また、位置付けられているところところで、大事な役割を十分にやり遂げます。皿洗いの時から初め、工場可動の時や、自然の美しさを表す時などなどで有用に使われます。特に人間の命をも維持してくれます。どんな役割をもフレキシブル的に位置して、そこで自分の役割をやり遂げるんですねー
まるで、本文のパウロの柔軟性のようにですね。福音のために私も柔軟性を持って、主の働きを全うすることを願い、お祈りします。
2024年12月16日(月)
タイトル:私は実は、ある国の市民権を持っています。
箇所:フイリピの信徒への手紙3:20
20. しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス․キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。
20. 그러나 우리의 시민권은 하늘에 있는지라 거기로부터 구원하는 자 곧 주 예수 그리스도를 기다리노니
パウロは福音を伝えるためにあっちこっちを歩き回る中、良い同僚も出会い、交わりをもしてきました。しかし、そうではない人々をも出会いました。福音、すなわちキリストの十字架に敵対している人が多かったのです。そのような人々のことで、パウロは相当な心身のダメージがあったようです。
19節にこのような言葉をお伝えします。
”19彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。”
パウロの正直な表現でもありますが、実はキリストを敵対している人々の最後がそうなんです。滅びです。彼らがひたすら考えているのは、自分です。自分にフオカースが合わされています。自分の豊かさがどれほどあるのか、自分の力がどれほどあるのか、自分の影響力がどれほどあるのか、自分の名前、イメージがどれほど良いし、どれほど知られているのかが自分の誇り(hokori)です。まるで19節のように、この世のことしか考えていないようです。
パウロはそれ全てを埃(hokori)にしました。
フイリピ3:8
8. そればかりか、わたしの主キリスト․イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、8. 또한 모든 것을 해로 여김은 내 주 그리스도 예수를 아는 지식이 가장 고상하기 때문이라 내가 그를 위하여 모든 것을 잃어버리고 배설물로 여김은 그리스도를 얻고
韓国語versionでは、”排泄物”として表しています。
塵芥、埃、排泄物は、ゴミです。糞です。捨て物です。それを捨てながら、もったいないと思う人はいないです。未練なく、帰り水もせず捨て去ります。それが塵芥、埃、排泄物です。しかし、人々はそれらに命をかけます。
それらに命をかける人々もいるのに、なぜ、パウロはそのようなひどい表現をしたのでしょうか?
パウロが行くところは、それらが要らないからです。
人々はこの世の中の物を通して、自分が属した国、地域、街で消極的には、誰にも迷惑をかけず、こっそり幸福を享受しようとします。積極的には自分を現し、誇りにしようとします。まるで、この世のことしか考えていないような者のようにです。
パウロは、人間の人生がこの世の中で終わってしまう存在ではなかったことを気づきました。イエスキリストを通して、素晴らしい本国があることを気づきました。その本国である、神様の御国のために生きるのが真の価値のある人生であることを、気づきました。
イエスキリストを通して、自分に与えられた物事に主なる神様に感謝し、それらを適切に生かして、主の御国のためにどのように生きるかを祈り、今日も主が与えてくださる気づきと、恵みを持って生きることを願い、お祈りします。
2024年12月9日(月)
タイトル:主なる神様はいつも変わらない
箇所:ヘブライ人への手紙3:4
4. どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです。
4. 집마다 지은 이가 있으니 만물을 지으신 이는 하나님이시라
作られた全てのものは、規則的また、定期的な管理が必要です。それを怠けたり、手放しにしてしまうと、物の質が下がり、性能が落ちます。また、最悪の場合はダメになって捨てなければならない状態になります。
この万物もそうです。ある力によって、地球がコマのように一日で360°回転すること。地球が太陽の周りを回って1年で360°回転することは規則的であり、定期的であります。
これが偶然なことなのか?偶然なことだと言ってもあまりにも不思議なことではないのではないかと今朝散策をする中、思い出しました。(実は高校生の時にこのようなことを疑問を抱いたことはありましたが、)偶然なことが同じく、繰り返したら、それは偶然なことではなく、ある計画の中で適えられることだと思います。
聖書本文のようにですねー
4. どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです。
私が信じる神様は万物を作られて、また素晴らしい管理者です。
この方は年末年始に大晦日や、元旦の時さえも休まず、また怠けることもなく、規則的に、定期的に、変わらなく、この万物を管理し、完璧に見守っておられる神様です。
イエスキリストを通して、そのような神様の御業を気付くようにし、感謝栄光をささげる信仰をも与えてくださった主に再び主に感謝します。
マタイによる福音書5:45. あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
2024年12月9日(月)
タイトル:主なる神様はいつも変わらない
箇所:ヘブライ人への手紙3:4
4. どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです。
4. 집마다 지은 이가 있으니 만물을 지으신 이는 하나님이시라
作られた全てのものは、規則的また、定期的な管理が必要です。それを怠けたり、手放しにしてしまうと、物の質が下がり、性能が落ちます。また、最悪の場合はダメになって捨てなければならない状態になります。
この万物もそうです。ある力によって、地球がコマのように一日で360°回転すること。地球が太陽の周りを回って1年で360°回転することは規則的であり、定期的であります。
これが偶然なことなのか?偶然なことだと言ってもあまりにも不思議なことではないのではないかと今朝散策をする中、思い出しました。(実は高校生の時にこのようなことを疑問を抱いたことはありましたが、)偶然なことが同じく、繰り返したら、それは偶然なことではなく、ある計画の中で適えられることだと思います。
聖書本文のようにですねー
4. どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです。
私が信じる神様は万物を作られて、また素晴らしい管理者です。
この方は年末年始に大晦日や、元旦の時さえも休まず、また怠けることもなく、規則的に、定期的に、変わらなく、この万物を管理し、完璧に見守っておられる神様です。
イエスキリストを通して、そのような神様の御業を気付くようにし、感謝栄光をささげる信仰をも与えてくださった主に再び主に感謝します。
マタイによる福音書5:45. あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
2024年12月6日(金)
タイトル:主なる神様に豊かになるというのは
箇所:ヤコブの手紙2:5
5. わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。
5. 내 사랑하는 형제들아 들을지어다 하나님이 세상에서 가난한 자를 택하사 믿음에 부요하게 하시고 또 자기를 사랑하는 자들에게 약속하신 나라를 상속으로 받게 하지 아니하셨느냐
神様は、この世の中にいる人たちを選びました。特に世の貧しい人たちをあえて選びました。なぜなのかとすると、人は欠乏があれば、満たそうとする傾向があるからです。お腹が空いたら、食べ物や、飲み物でお腹を満たします。お金が足りなければ、お金で満たします。しかし、人間は食べ物や、飲み物、お金で満足する存在ではありません。それがある程度心を満たしてくれる作用はすると思います。だが、それが100%満足するとは限りありません。人間はより高次元的なものを探します。
そのようなものは何でしょうか?人それぞれの考え方があると思いますが、私は神様だと思います。真の唯一の神様です。真の唯一神様は、天地万物を創造された、主なる神様です。その神様はただこの世を造って終わりではなく、私たち一人一人を豊かにするための目的を持っておられる方です。
本文はお伝えしています。5節”神は信仰に富ませ、ご自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさった”と書いてあります。神様は人間の見えない空き地を満たすことができる方です。それだけではなく、神様は私たちを富ますことができるお方です。
物に富ますと、物の力から抜け出せないです。だが、主なる神様に富ますと、この世の中には貧しいが、ある物に満足し、幸せを感じ、魂の高貴な豊さを享受する恵みを満喫できます。神様が私にイエスキリストを通して、真の唯一の神様を知り、主なる神様から恵みを毎日いただき、父なる神様からの愛を感じる祝福を与えてくださいました。
こんな惨めな者をお選び、恵みを与えてくださり感謝します。神様、愛します。