自己紹介/経歴

自己紹介

井上拓也 (いのうえたくや) 国立台湾大学物理学博士課程。台湾の学術研究機関である中央研究院天文及天文物理研究所で宇宙論の勉強と研究。同志社大学機械工学博士前期課程修了。大学学部の頃はジェネラリストを目指し、フランスの理工系の名門グランゼコールに2年のダブルディグリー留学。博士前期課程の頃はドイツのマックスプランク宇宙物理学研究所にて数ヶ月のインターンシップ経験や国際宇宙教育会議プログラムにJAXA派遣学生として選抜され、宇宙教育を実践。趣味は旅行とランニング。大学学部から修士にかけてヨーロッパを中心に世界30ヵ国以上旅行した。また、ランニングによって大学6年間で-30kgのダイエットに成功。現在も毎日10km以上走るのが日課となっている。これまでのスポーツ活動として柔道(黒帯)、野球、水泳、踊りを行ってきた。小学生の頃は書道を習っていた。好きなものは自然科学(特に宇宙)とお笑いとコミュニケーション。

経歴

2020年9月-現在 国立中央研究院天文及天文物理研究所(台湾)博士学生
2020年9月-2024年8月 科技部補助大學校院培育優秀博士奨学生
2020年9月-現在 国立台湾大学物理学専攻博士課程
2020年5月-2020年8月 株式会社うちゅうインターンシップ
2020年4月-2020年8月 同志社大学理工学部研究補助員
2020年3月-2020年8月 文部科学省内トビタテ留学JAPAN! 事務局インターンシップ  
2018年4月-2020年3月 同志社大学理工学研究科機械工学博士前期課程
2019年10月 国際宇宙教育会議プログラム JAXA派遣学生
2019年1月 CPS宇宙探査ミッション立案スクール
2018年5月-2018年8月 マックスプランク宇宙物理学研究所(ドイツ)インターンシップ
2016年9月-2018年8月 エコールセントラル国立理工科学院連合リール校(フランス)ダブルディグリー留学
2016年9月-2018年8月 トビタテ留学JAPAN! 日本代表プログラム(留学奨学金)5期大学 理系、複合・融合系コース
2014年4月-2018年3月 同志社大学理工学部エネルギー機械工学科
2011年4月-2014年3月 兵庫県立星陵高等学校
2008年4月-2011年3月 神戸市立桃山台中学校
2002年4月-2008年3月 神戸市立下畑台小学校
1995年10月20日  兵庫県神戸市出身

経緯

小学生の時のは、図鑑や伝記を読むのが好きな少年でした。文章がたくさん並んだ文学小説は特に読むのが苦手で、それを避けて図鑑などの写真がたくさんある目で見てすぐに理解できるものを読んでいました。それが祟り、今でも文章を読むのが苦手で。そんな中で、宇宙と初めて出会ったのは、図鑑の中の美しい渦巻き銀河の写真であったことを今でもかなり鮮明に覚えています。その頃から、宇宙の図鑑を買っては星や銀河の写真を毎晩のように見ていました。そんな中、僕が宇宙に興味があるということを知った母は1冊の本を買ってきました。それは、今は亡きスティーブンホーキング氏が児童向けに書いた宇宙を冒険する一人の少年の話でした。その本の一冊のページ数はあまり鮮明には覚えていませんが、当時の僕にはあまりにも分厚い本でした。そして、もちろん写真や絵は少なく文字を中心に使った本でした。もちろん、当時この本を手に取った時絶対に読み切れないなと思いました。しかし、母親がせっかく買ってくれたものだから、一応頑張って読んでみるかと思い、読み始めると、一変しました。話の内容が頭に吸収されていくかのように内容が入ってきて、宇宙の魅力がどんどんを飲み込んでいきました。これが2回目の宇宙との出会いでした。宇宙にのめり込んでいったそれからのはその本の連載を全て読み、加えて、佐藤勝彦さんが書いた宇宙の本など、難しい文章で書かれた本を読むようになりました。もちろん理解はしていなかったと思いますが、読んでいて楽しかったことを覚えています。それから他の文学小説を読むようになったかというとそういうことでもなく、基本活字は宇宙の本限定だったので、活字苦手は今でも直っていません。その後、機会に恵まれ、ノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊さんの講演会に行ったりしていました。そして高校に上がったはまたここで新たな出会いをします。この頃読んでいた、宇宙の本のなかに、宇宙ロケットや宇宙エレベーターが描かれていました。それと同時に当時ガンダムが好きであったは、宇宙工学に興味を持ち始めました。興味は学から工学へと移り、就職の際に重工業系の企業に入りたいと思い、大学入試の際は工学部へ進む決意をしました。ただこの時、完全に工学に興味が移っていたわけではなく、宇宙自体に興味があったは、このまま宇宙工学に進んでいいのか、後で後悔はしないのかという一つの疑念を抱えていました。ただ工学部に進んだ以上、その道で極めていくしかないと思い、大学では後悔の無いように勉強しようと思いました。そして、大学に進んだは、一年生の夏が終わる頃まで、成績も悪くなく、大学生らしい生活を満喫していました。ある時、ジムに通っていたは、留学生を初めてその時に見て、何かビビッときて、自分も留学して見ようかなと思い始めました。もちろん大学入学の時も海外への進学なんて頭にもなかった私は、その瞬間から海外に出て勉強するということに対して、興味を持つようになりました。そして、自分が進みたいと思っていた宇宙工学をするにも、世界に出て色んなことを学ぶ必要があると思っていました。初めは留学候補として、アメリカを思い浮かべていましたが、自分の今の力ではアメリカではまだやっていけないと思い、他の選択肢であったフランスを選ぶことにしました。ここで色んな人から何故フランスに行くのっていう質問がありました。自身もこの質問に対しては当たり前の質問だなと思いながら答えていました。理由としては、フランスに留学協定校があり、その協定校には2年間というスパンで正規学生として学位取得を目的とした留学制度あったので、海外で本格的に勉強ができると思ったことがまず一つです。そして、その学校は日本の大学とは違い、専攻を持たず、工学全般や経済学、経営学などといった文系の学問学べる学校であったので、分野に捉われない幅広い知識が得られることも魅力の一つでした。最後に日本の大学とは違い、インターンシップが1年に1回数ヶ月行うことが義務化になっていることです。そして、このインターンシップの期間を使い、マックスプランク宇宙物理学研究所に行くことになったのです。自分が中学生の頃からずっと真剣に学びたかった学問をこういう形で学ぶことできるようになりました。もちろん今まで研究の経験もありませんでしたので、実質始めての研究がマックスプランクでの宇宙物理学の研究となりました。4ヶ月間という決して長く無い期間の中で、僕の知識と期間を考慮してくれた上で研究所のディレクターの小松さんがプロジェクトを与えてくださりました。小松さんには感謝しかありません。日本に帰国後は、多くの企業でインターンシップをするなど、就活も行いましたが、やはり自分は宇宙物理の研究が好きであることや、日本よりも海外にいる方が自分に合ってると感じ、博士課程に進学することを決意し海外大学院に出願しました。無事に国立台湾大学物理学博士課程に奨学金付きで合格しました。また、修士の頃はJAXAの派遣学生として選抜され、国際宇宙教育会議プログラムに参加し現地のミドルスクールの生徒対象にSTEM教育を実施したり、ワシントンの現地の日本語学校にて宇宙教育を実践しました。伝える活動も行っています。修士から博士にかけてのギャップイヤーでは、宇宙や科学の魅力発信活動としてオンラインやオフラインイベント積極的に行ったりするなど、伝える活動にも興味が出てきました。
現在は台湾に渡航し、国立台湾大学、中央研究院天文及天文物理研究所で宇宙論や物理に関する勉強や研究をしています