水と火に感謝を捧げ,
皆さまの無病息災を祈り,
生き物あふれる世界を取り戻します.
安曇の自然を尊び,
いにしえの暮らしと信仰とを偲び,
人々の心を寄せ合う.
会場は,環境大臣認定の自然共生サイト.派手さはありませんが,草原性の希少な動植物と出会うことができます(行事開始の前にお越しください.マイクにて御案内します).
肌寒くなり始めたこの時期,ノコンギクの薄紫の花,見事なヌルデ紅葉が来場者の皆さんを温かく迎えてくれることでしょう.
会場の対岸には,霊峰有明山がそびえています.
会場前の高瀬川は,江戸期までにすっかりはげ山になって薪が得られなくなった旧池田町村の人々が,対岸の有明山麓で薪を採取しようと徒渉した川です.
馬を休ませ,川で濡れた衣服を乾かすためにおこした焚火は,やがて,自然の恵みと無事を感謝する護摩へと発展したことは想像に難くありません.
私たち実行委員会は,そのような民衆史を振り返り復元したいと考えました.
いにしえから護摩を執り行ってきたのは,地元で”ホーゲンサマ(法眼様)”と敬われた修験者(山伏)でした.この火まつりでは,現代のホーゲンサマである覚音寺のご住職が護摩を焚いてくださいます.
令和5年2月,高瀬川火まつりは,環境省より,CBDCOP14/8の価値5に相当すると判定され.自然共生サイトの価値の一部を担うことになりました.自然共生サイトは,令和6年度8月にOECMとして,国連環境計画(UNEP)に登録されました.
毎年10月の最終日曜日に開催.お子様とご一緒にお越しください.荒天でなければ決行します.
12:00 高瀬川の生き物案内
スペシャルゲスト鷲谷いづみ博士(保全生態学・東大名誉教授)
14:00 大護摩~お加持拝受~お供物おさがり(分かち合い)
主なお経(全国共通)の中身が頭に入っていると,より深く参加することができます.
17:00 閉会
翌日: 片付けに参加し,護摩の灰をいただくことができます.
また,保全をすることができます.
会場付近から見た有明山
対岸から見た有明山
善光寺名所図会に描かれた有明山と高瀬川
左に,薪やまぐさ,シバを背負って帰る人物の姿が描かれている.
安曇の人々は,神・仏・自然を分け隔てせずに畏敬を抱き,有明山のように大きなものから,道端の道祖神・馬頭観音・庚申塚・まんど様(川除けの祈願碑),そして一木一草といった小さなものまでも,同じように親しみ祈りをささげてきました.地域の人々のこのような民俗に調和していたのが,修験道(山伏の営み)でした.大町市の若一王子神社に残る五重塔,古仏,境内図,松川村誌に描かれた江戸期の山伏の様子は,そのことを雄弁に物語っています.
しかしながら,旧松本藩の廃仏毀釈と修験道禁止令は苛烈を極めました.寺の多くが廃寺とされ伽藍までも破壊された明治以降,安曇の民俗に神仏習合の面影はほとんど見られなくなりました.一時の政治によって安曇の民俗と信仰は,途絶してしまったのです.
この高瀬川火まつりは,池田町の東山~大町市の八坂地区に遺された石碑や洞穴などの修験道遺構,郷土史に記載された大町市社地区・池田町日野地区における護摩・火渡り修行の記述,現在も覚音寺で続けられている火渡り修行(毎年11月第一日曜日14時開始.旧八坂村)を参考に復元するものです.
火まつり行事の核は,宗教でなく信仰にあります.行事の中では,行者様からお加持いただけることがあります.私たちが行者様からお加持いただくことは,人間の浅知恵でははかりしれない未来に関し,神仏のはからい,自然の成り行きを待とうとするものです.お加持は,お金ですべてを解決できると信じかけた現代人の傲慢と妄信とをいさめ,ありのままの世界に目を見開くよう導いてくれることでしょう.
昔の人々は,北アが極楽浄土の彼岸,高瀬川が三途の川,東山が此岸と見立てていました.有明山は,富士にも似た特徴的な山容から,極楽浄土の入口を示す場所であったに違いありません.だからこその安曇富士なのです.
有明山信仰は,山体信仰であり,遥拝(鳥奴・橋場元宮,舟方元宮等)を起源としてます.遥拝地では,やがて,寺社建築を伴うようになりました.参拝登山が始まったのは,300 年前(徳川吉宗の頃)で,最古の登頂記録は,旧板取村(現松川村)の山伏宥快(ゆうかい)ら十七人によるものです.その後,講が形成されました.最盛期の講数は 100 にも及びました.現在残されている 3 つの登山道(馬羅尾道・表参道・裏参道)は,いずれも山伏らが開拓したものです.
池田町池田二丁目の高瀬川河川敷から望む有明山はいにしえの姿そのままに優美です.有明山の麓にある有明山社(松川村)・有明山神社(安曇野市穂高),遥拝所である鳥奴(松川村)は,有明山が古代から現代まで変わることなく崇敬を集めてきたことを示しています.
有明山は,信仰の対象のみならず、薪炭やまぐさ・肥料としての草本を採取する場でもありました.化学肥料による農作や化石燃料による暖房や煮炊きに慣れきっている現代の人々には想像しにくいことですが,人々は戦後に至るまで,山に薪と肥料を求めて暮らしていました.
薪の不足に悩まされていた昔の池田町(旧池田町村)の人々は,馬を伴いこぞって有明山麓に薪を求めてきました.旧池田町村において樹木が豊富であったと目される大峰は,長年続けられてきた薪炭採取によって丸裸となっており,採るべき薪がどこにも無かったのです.
旧池田町村の人々が,有明山麓に向かうときの最大の困難は,何だったでしょうか.かつて,高瀬川には恒久橋がありませんでした.最大の困難は,明治初期に最深六尺と記録された高瀬川の渡渉でした.
人々は,現在の池田町池田二丁目から松川村の板取へと向かう道(板取道)で高瀬川を渡渉しました.それは,川の水の多くが伏流することで両岸の間で最も水深が浅くなっている「瀬切れ」の場所だったからです.渡渉の際には,濡れた衣服を乾かすために焚き火をしたことでしょう.また,有明山を遥拝し,それまでの無事を感謝する祈りをささげたことでしょう.私たちはここに,焚き火と火祭り(護摩)の重なり合いを看て取ることができます.
半自然草原のノコンギク
半自然草原のカワラニガナ
外来種駆除の様子
会場のある池田町の河川敷は,高瀬川の中でも特に生物多様性に富む場所です.南北わずか600mほどの間に,灌木交じりの草原が展開し,14種類もの環境省絶滅危惧種を含む400種類の動植物が生息しています.多くは,草原にのみ遺存的に生育する動植物です.彼らは,人間が日本列島に暮らし始める前の氷期に大陸から渡ってきたと考えられています.
高温多湿の日本のことですから,なりゆきでは,草原が成り立たたず,あたり一面樹林化してしまうものです.暑い時代ならなおさらです.
縄文時代には,現代よりも5度ほど気温の高い時期(ヒプシサーマル期)がありました.ヒプシサーマル期は,池田二丁目の草原および草原に暮らす生き物にとって最初の危機でした,縄文時代の人々は(見通しを得て獣を射るため)野山に「火入れ」をしました.そのことにより草原は保たれ,草原に暮らす生き物は,最初の危機を乗り切りました.
古墳時代~戦後の昭和30年代までは,人々による薪炭・まぐさの採集,その後は,弓道やマウンテンバイクに必要な草刈が池田二丁目の草原を保つことに寄与したと考えられます.現在は,河川愛護団体である高瀬川を愛する会が,外来種を選択的に駆除することで,かろうじて古い草原を保っています.
河川敷と市街地を分かつ堤防の草原は,江戸期~明治初期の記録から,そのいくつかは明治以前に遡るものと判っています.その物証として,堤防東側に僅かに残るワレモコウが挙げられます.種子が小さく冠毛の無いワレモコウの種子は,移動性に乏しく急速に分布を広げることがありません.したがって,長らく土地の改変のなかった場所にのみ生育しています.近年の草地学の研究では,ワレモコウは,百年~数千年にわたって存在した古草原の名残とされます.古草原とは,近現代に成立した新草原の対義語です.
このように,池田町池田二丁目の河川敷には,氷期以来の自然史と人々の歴史が途絶えることなく保存されており,伝統たる火まつり(護摩)を開催するにふさわしい場所といえます.
高瀬川の自然(場の価値)と保護活動(活動価値)は,自然共生サイトに認定されました.
人間活動たる火まつりと自然との共生は,環境省の有識者委員会の評定書において「●地域の歴史とつながりのある資源利用など、文化的な観点を含む多様な価値を活かす取り組みがある素晴らしい事例である。こうした活動が全国に広がっていくことを期待する。」と激賞いただきました(価値5番)
針ノ木岳(見えているのは,富山県立山町地籍)
半自然草原からの後立山連峰
信濃松川駅を下車し500m東に向かうと,富山県と長野県の県境をなす尖峰「針ノ木岳」が見えてきます.佐々成政の「さらさら越え」の伝説で知られたあの山です.さらに,500m東の高瀬川大橋まで歩いてくると,北アルプス後立山連峰の景色に圧倒されます.晴れていれば,登山と高山植物とスキーで知られる白馬岳,次いで,新潟県最高峰の小蓮華岳を望むことができます.
高瀬川大橋の下を流れるのは,槍ヶ岳を源流とし,白き花崗岩まぶしく水蒼き「高瀬川」です.増水していなければ水辺で遊ぶこともできます.水質Aの大変にきれいな川です(飲用はできません).
高瀬川には,自然草原と半自然草原と呼ばれる草地が遺されており,火まつり会場の高水敷には,半自然草原が広がっています.ここは,長年にわたり人々が自然と共生していた様子を色濃く残しています.半自然草原とは,太古より,人々が火入れをしたり,まぐさや薪を採集したりすることで森林化せずに保たれた草原のことです.そのおかげで,この河川敷には,氷期に大陸からやってきて進化しながら生き延びた動植物たちが暮らしています.
この地区は,環境省認定の「自然共生サイト」です.自然共生サイトとは、「民間の取組等によって生物多様性の保全が図られている区域」のことで,国連のCBDCOPにおいて2030年までに陸地の30%を保全してゆこうという30by30目標の構成要素となっています.
会場付近には,カワラニガナ(環境省準絶滅危惧種)をはじめとする希少な植物が生息しており,火まつり開催時には,里山を彩るノコンギクが咲いています.当日,早めにお越しになった方には,マイクにて,彼らの暮らしぶりをご案内します.
毎年11月第一日曜日の14時,令和7年は11月2日,旧八坂村(大町市八坂地区)にて,覚音寺の火渡り修行が行われます.火渡りは,明治よりも前,安曇平で広く行われていました.今では,覚音寺主催のものだけが遺されています.
火渡りは,関東,関西,北陸では,身近な伝統行事です.しかしながら,激しい政治的弾圧と教育によって民俗と信仰を失い,国家神道に上塗りされた松本盆地(安曇平を含む)にとって,希少で価値ある伝統行事となっています.
当日,皆さんにお配りし修験者を通じて護摩の火にくべていただくのは,地元産のヌルデの木です.ヌルデは古来より珍重される霊木です.聖徳太子は,物部守屋との戦争で,ヌルデの木で四天王をかたどって願掛けをし,果たして,勝利を収めました(日本書紀の中の崇峻天皇記).
本行事で唱えられるお経の歴史的背景を簡単に解説してみました.
般若心経・観音経など日本人になじみ深いお経が続きます.
無病息災を加持してくださいました.
来年もきっとやってね,とのお声がけをいただきました.
ヌルデもみじ,といいます.まぶしかったです.
名族仁科氏の子孫,遠方は千葉県の方までご来訪.
火まつりは,自然共生サイトの重要な構成要素です.
有識者からなる環境省の審査委員会より,激賞いただきました.審査基準は,生物多様性条約です.
火まつり実行委員会のメンバーの多くは,高瀬川を愛する会という河川愛護団体に所属しています.河川愛護団体は,ごみ拾いや外来植物駆除をして自然環境を保護し,満水時に流木となって橋梁や堤防を破損する外来樹を伐採して川の安全を守る集まりです.このような活動をしていると,大量の伐木が発生します.その中には,在来種であるヌルデの木があります.私たちはいつも,遊びがてら焼却してしまっています.このときのヌルデはいわば,キャンプファイヤー燃料です.でも,それではただの無駄遣いに終わってしまいます.
ところで,ヌルデは,関東関西や北陸において霊木として珍重されています.また,ヌルデの護摩木は,焚くときのパチパチ音が,宗教的な昂揚感をかもし出すとのことで,修験・密教系寺院では人気があると聞いています.そこで一度は,筆者は,高瀬川のヌルデをこれらの地域・寺院に提供することを考えました.河川法の趣旨に照らすと,売るわけにはいきません.需要の大きな,京都・奈良の寺院に輸出するのは,コンプライアンス上,不適切です.
ならば,とばかり,地元に無償の提供先はないかなと考えたら,観音様と修験で有名な覚音寺さんに思い当りました.早速,覚音寺さんを訪れ,阿闍梨様(住職)にお声掛けしたところ,ヌルデは使っていないといいます.
「実はですね,以前から高瀬の河原で護摩をやりたくてですね...松本藩のお殿様が何でもかんでも強制的に廃絶してしまったせいで,この地域,民俗・信仰が実につまらんのですよ.記録に残る有明山信仰もどこにいってしまったやら...地域のいにしえが,綺麗さっぱりなくなっているこの現実は,(いにしえを重んじる東京多摩地方に育ち,伝統の香り豊かな他地方(京都や名古屋など14ヶ所)をさまよった末に移住してきた私にとっては)とても寂しいものなのです.」と申し上げたところ,
「やりましょうか」
「えぇ!!!!?」
・・・というのが,火まつり復活のきっかけでした.(副委員長 吉富政宣記)
鷲谷いづみ博士(保全生態学・東京大学名誉教授)が,覚音寺と高瀬川火まつりについてコラムを書いて下さいました.
鷲谷先生は,令和7年度の火まつりにスペシャルゲストとしておいでになり,「高瀬川の生き物案内」にて高瀬川の生物多様性についてお話しされます.ふるってご参加ください.
記事中の覚音寺の地震被害は,以下にて詳報しています.
覚音寺の地震被害(別ウィンドウで開きます).
<覚音寺御支援のお願い>
令和七年四月十八日に発生した八坂地震により覚音寺は被災し、国指定重要文化財である持国天立像(鎌倉初期)が大破しました。状況は随時、上記のWEBページで公開しております。
被災直後より多くの皆さまに温かいご支援をいただきましたこと、心より御礼申し上げます。
持国天の再生および寺容の復旧には莫大な費用を要する見込みです。しかし、覚音寺は平安期に創建され仁科氏により再興された古代寺院であり檀家を持たないため、復旧のための継続的な支援を独自に得ることが極めて困難です。この貴重な歴史遺産を守るためには、地域全体で支えていく必要があります。いまなお総費用の見通しが立たず恐縮ながら、さらなるご支援をここにお願い申し上げる次第です。
高瀬川火まつり実行委員会
地球環境レベルでは,希少な動植物が生存しているところに特化した地域だけでなく,生活圏の生物多様性が重要です.また,生物多様性を守るには,社会の多様性が必要です.
生物多様性条約の制定から発効までには,紆余曲折がありました.そのころ,国際的な対立軸は,それまでの米ソ東西冷戦から南北問題へと90度変わりました.生物から得られる恵みについて,何かと権利だ契約だカネだとする北の契約社会(特に,西洋)に対し,南の国々の先住民ら(indigenous people)は強く反発しました.
先住民らは,自然に最も近いところにいて,山体や巨木に畏敬を抱き,水を汲み,薪を拾い,山菜や野の果物で食事をあつらえ,薬草で怪我や病気を治してきました.また,彼らは,薬草に値段などつけていませんでした.ところが,北の人々は遺伝子資源としてお金に変えようとします.このことは,先住民にとって,怪しからんことでした.他方で,貧しい南の国には,遺伝子資源からのお金が欲しいという事情がありました.ここには,住民と国家の間のねじれが見られます.これが,南北対立に次いで,南の国で起こっているもう一つの対立です.
また,先住民の女性らは,廃棄物・排泄物など環境問題に近いところで暮らしてきました.同時に女性は,多彩な植物の管理役でもあり,収入を得,食料も自給自足してきました.そこに,トラクター,薬品,コカ・コーラが侵入し,産業型農業の単一作物が社会を覆い始めると,女性は収入源を絶たれるのみならず,生活スタイルまで変えさせられてしまいました(アジェンダ21,条約前文,愛知目標の目標14より).
したがって,環境問題に関する政策決定では,先住民と女性の完全な参加が大切となってきます(条約前文).
生物多様性条約の自然共生サイト(OECM)は,北の昏さが生物多様性のみならず南の先住民が作り上げてきた民俗と文化を破壊してきたことへの深い反省に基づいています.自然共生サイト(OECM)は,先住民族の管理している土地など法令による規制ではなく慣習や生業によって守られている場所を、地球の生態系を守るための場所としてきちんとカウントしていくことができる仕組みです.
火まつりもまた,先住民の生活文化です.自然とともにある火まつりが,OECM(自然共生サイト)の価値5番として認定され,高く評価された事情は上記のようなものです.このことは,人権を大切にする国連の考えと良く合致しています.
財施は,被災した覚音寺の復興に充てます.
(改定中) 以下のボタンよりお申し込みください.
両方取り組んでくださる場合,お手数ですが,両方お申し込みください.
篤志金の寄付は,お振込み後に,以下のフォームにてご連絡ください.
火まつり会場
長野県北安曇郡池田町
池田二丁目
高瀬川河川敷
会場入り口の”雪捨場看板”付近で,よく靴底を払って,会場にお進みください.
会場付近では,ナギナタガヤというヨーロッパ産の侵略的外来生物が猛威を振るい始めています.
ナギナタガヤが自然界に侵入すると,そのアレロパシー(ナギナタガヤが有する強力な除草剤成分であって,市販農薬よりはるかに強い毒性を有する)により,次々と在来生物が滅びます.
ナギナタガヤはリンゴ畑で利用されてきた人造生物なのですが,不完全義務の規制法(努力義務の規制法)しかないため,地域は手をこまねいています.
地域内でのクマの目撃情報が相次いでいます.けが人も出ています.そこで,私どもは,クマの通り道となるヤブの伐開を行うなど,安全に配慮してきました.しかしながら,野生動物であるだけにその動向は見極めがたく,私どもの努力が100点満点となることはありえません.以上,ご承知おきください.
当日8時過ぎ,本WEBページに掲示します.小雨~驟雨では決行. 豪雨の場合,中止とします.