理論の開発

W.コーン教授との議論

理論開発に関する主な研究業績

常田は、化学を網羅的に再現する究極の化学理論の開発を目標とし、化学のための密度汎関数法(DFT)の開発に取り組んできた。[「密度汎関数法の基礎」(講談社、2012)]

1. 物理的に正しい最少パラメータの交換・相関汎関数と自己相互作用補正法の開発

従来の密度汎関数法の汎関数開発においては、物性値の再現性のみに主眼が置かれ、大量の経験的パラメータが使われていた。パラメータの存在が汎関数の物理的な意味を失わせるのみならず、大規模分子計算において偽の安定構造を与える原因になると考え、パラメータを極限まで抑えた交換・相関汎関数を開発した。また、その際得られた知識をもとに電子の分類法を提案し、それをもとにした自己相互作用補正法を開発した。

図.OP相関孔の形状.

図.密度行列展開関数の電子間距離への依存性 .

図.運動・交換・相関エネルギーの間の横断的物理関係と自己相互作用関係.

図.ホルムアルデヒド中の電子の自己相互作用領域(白).

CO2分子とN2分子の内殻電子の吸収スペクトルのLC-PRSIC-BOP、B3LYP計算結果と実験結果との比較

2. DFTの問題の多くを一気に解決した長距離補正

90年代にDFTが量子化学計算で使われ始めると、化学物性や反応の計算において多種多様な問題が指摘され始めていた。これらの問題を一気に解決に導いたのが長距離補正である。現在は、領域分割(range-separation)汎関数などとも呼ばれる様々な汎関数に導入され、長距離補正は量子化学計算において無意識的に利用されている。

図.文科省「サイエンスマップ2008」 で長距離補正から広がった研究分野が高被引用数1%以内の研究領域を形成する化学の新分野として紹介. 

図.分散力錯体(1~8)、スタッキング錯体(9~15)、双極子・誘起双極子錯体(16~20)、双極子・双極子錯体(21~25)、水素結合錯体(26~32)の結合エネルギーの%誤差.

図.p-quinodimethaneモデルの超分極率のジラジカルy依存性の計算結果の比較 (x102 a.u.) .

3. 世界最高精度の時間依存DFTとそれにもとづく光化学反応シミュレーション理論の開発

長距離補正の解決した問題のうち最もインパクトがあったのはTDDFTによる電荷移動励起エネルギー過小評価の問題である。電荷移動はほとんどの主要な光化学反応において先駆的に起こるため、電荷移動を精密に再現できない理論はほとんどの光化学反応を取り扱えない。長距離補正はこの問題を完全に解決した。

図.Ethylene-tetrafluoroethyleneの結合距離に対する電荷移動励起エネルギーの変化の計算値.

図.(a) 4-1-pyrroryl-pyridineと(b) 4-cyano-4-methylthiodiphenylacetyleneの励起状態構造最適化前後の構造.

図.希ガス原子のKoopmans P3/2P1/2 イオン化エネルギー計算値.

図.水クラスタの全CPU計算時間とその計算オーダー.

図.線形オリゴアセンの励起エネルギー計算値のユニット数依存性.

4. 史上初の定量的占有・非占有軌道エネルギー再現と網羅的な軌道エネルギー再現

長距離補正の解決した問題のうち最大の驚きは歴史上初の占有・非占有軌道エネルギーの同時精密再現である。量子化学では長年、軌道エネルギーは再現できない量であり、それ自体意味がないとされてきた。最近になり、きわめて高精度な交換・相関ポテンシャル汎関数が開発され、価電子占有軌道エネルギーの精密再現が実現した。しかし、そのきわめて高精度なポテンシャル汎関数を使っても、非占有軌道エネルギー符号すら正しく与えることはできない。驚くべきことに、長距離補正はこの問題を解決した。

図.He原子の2電子積分核の核からの距離に関するプロット.

図.典型分子の第2列原子の内殻1s軌道エネルギー計算値の誤差.

5. 軌道エネルギー変化にもとづく反応電子論と反応理論統合への道筋

長距離補正DFTにより初めて得られた定量的軌道エネルギーをフロンティア軌道論など反応電子論に導入すれば定量的な反応電子論の開発が可能になる。定量的なHOMO-LUMOギャップがDiels-Alder反応初期で変化しないという発見にもとづき軌道エネルギー変化で反応を議論する反応性軌道エネルギー論を開発した。その結果反応性軌道と反応経路との一対一対応関係の発見につながった。また、反応性軌道エネルギー論解析の結果反応初期の結果が有機電子論と完全に一致することも分かった。

図.Ethylene+butadieneのDiels-Alder反応の順反応過程におけるグローバルハードネスの変化.

図.規格化反応ダイアグラム.反応初期の規格化反応性軌道エネルギーギャップの傾きで電子移動性を評価.

図.Diels-Alder反応のethylene+butadiene反応の反応性軌道エネルギーダイアグラム.

図.グリシン生成の反応経路と占有・非占有反応性軌道ペア.

図.反応性軌道エネルギー論と有機電子論との一致概念図.

図.全電子密度と軌道密度における長距離交換効果とCCSD効果.

6. 汎用量子化学計算プログラムの開発と開発理論の導入

本グループで開発した理論はさまざまな量子化学計算プログラムに導入されている。最もよく利用される量子化学計算プログラムであるGaussian16の公式版では、長距離補正汎関数が標準で利用でき(たとえばLC-BLYPなど)一大勢力となっている。GAMESSの公式版の密度汎関数法計算プログラムは常田、神谷、千葉、Fedorovらの開発したプログラムがベースとなっており、長距離補正汎関数、長距離補正TDDFTとそのエネルギー勾配計算、OP相関汎関数などが標準で導入されている。他にも、NWChemQ-ChemAmsterdam Density Functional (ADF)など主要な量子化学計算プログラムの公式版で長距離補正汎関数が利用できる。また、固体など周期系計算プログラムのDmol3の公式版においてはOP相関汎関数が利用できる。