図.長距離補正DFTを使った論文数の年次変化.
理論の応用に関する主な研究業績
理論の正しさは予測性能と汎用性で決まる。開発した理論は、重要な化学物性、反応、物質機能の計算に応用し、それらの予測に利用してきた。その結果、多種多様な反応や物質機能について、実験と矛盾しないが従来考えられなかった予測結果を得てきた。[「密度汎関数法による量子化学計算」(講談社、2025)]
1. 化学物性・反応計算による理論適用範囲の把握
開発した交換・相関汎関数の応用計算としてまず、比較的小分子の物性や反応機構の計算を行なった。その結果、従来謎とされてきた化学の問題の解決に役立った。
図.第一列遷移金属二量体の4s-3d配置間エネルギー差の計算値.
第1列遷移金属の二量体をさまざまなDFT汎関数で計算した。その結果、GGAでも混成GGAでも結果は大きく変わらないが、実験結果とはずれがあることを確認した。それにより、これらの二量体の物性を精査するとともに、汎関数の特長と問題点を明らかにすることができた。この研究は、DFTによる遷移金属二量体計算の先駆けとなる研究となり、広く引用されている。[J. Chem. Phys., 112, 545-553, 2000.]
図.第2列遷移金属二量体の5s-4d配置間エネルギー差の計算値.
第1列遷移金属に続いて、第2,3列遷移金属の二量体の計算を行なった。その結果、第1列の場合よりはDFTの再現性は高くなるが、同様に長距離交換の欠如と考えられる原因によって再現性が悪くなることが再確認された。また、相対論的効果が重要であることも確かめられた。この研究は、その後の長距離補正の開発につながった。[J. Comput. Chem., 22, 1995-2009, 2001.]
図.メチルアセトアミドの鉄表面吸着構造.
新日鐵との産学連携共同研究で、鉄表面への有機分子の吸着について研究を行なった。その結果、メチルアミンの吸着性が非常に優れている一方、メタノールなどは吸着しないという結果が得られた。メタノールが吸着しないことはX線光電子スペクトルの結果と一致する。結果より、鉄吸着においては、分子の電荷移動性が重要であると結論づけた。[J. Mol. Struc. THEOCHEM, 716, 45-60, 2005.]
図.Pa(V)・U(VI)カチオンの結合性・非結合性ジオキソ結合形成の違い.
アクチニド酸化物は通常二酸化物であるが、プロトアクチニウムのみ一酸化物を作る理由を解明した。DFT計算によって求められたウラン酸化物とのエネルギーと電子状態との比較で解析した。その結果、プロトアクチニウムは一酸化物が二酸化物より安定であることがわかった。分子軌道を解析した結果、それはプロトアクチニル二酸化物における6d軌道によるπ軌道の不安定化が原因であり、ウラン二酸化物では電子相関で軌道回転して安定化させていることがわかった。[J. Phys. Chem. A, 110, 13303-13309, 2006.]
図.水クラスタの過剰電子の電子分布のクラスタサイズ依存性.
水クラスタアニオンの垂直電子脱離エネルギーの問題に長距離補正DFTを使って取り組んだ。その結果、従来の汎関数で見られた電子-水引力の過大評価は長距離補正DFTでは見られないこと、長距離交換が重要であることがわかった。また、この計算においては一変数(OP)相関汎関数がきわめて有効であることがわかった。それは希薄電子密度に関する物理条件を満足するからであることが示唆された。[J. Phys. Chem. A, 112, 9845-9853, 2008.]
図.第一列遷移金属の2ベンゼン配位カチオンMBz2+の結合エネルギー計算値.
DFT計算の問題が指摘されていた遷移金属2ベンゼン錯体のd-π結合の再現性を検証するために、遷移金属-ベンゼン錯体カチオンの計算をLC-DFTなどさまざまな方法で計算した。その結果、電子相関と長距離交換がともに取り込まれている場合のみd-π結合は定量的に再現することが確かめられた。その精度は、高精度ab initio法と同レベルであることもわかった。[Bull. Chem. Soc. Japan, 82, 1367-1371, 2009.]
図.双極子結合アニオンクラスタADBの最安定構造.
埼玉大高柳敏幸研などとの共同研究で、ニトロメタン‐水クラスタアニオンの過電子結合の機構を、ab initio MP2法とLC-DFTを使って解明した。その結果、NO2の傾斜角とNO結合距離が電子遷移に重要な役割を果たすことがわかった。また、垂直電子脱離エネルギーは水和数によって徐々に増加するという実験を裏付ける結果を得た。[J. Phys. Chem. A, 114, 8939-8947, 2010.]
図.銀クラスタのHOMO-LUMOギャップとIP-EAの計算値のサイズ依存性.
LC-DFTの金属への適用性を調べるため、銀クラスタのHOMO-LUMOギャップとIP-EAの計算値を比較した。銀原子の数ごとに最安定構造を探索した。その結果、LC-DFTは銀クラスタの軌道エネルギーも極めて高精度に再現することが分かった。一方、比較のために計算したPBEはHOMO-LUMOギャップを大きく過小評価した。[J. Comput. Chem., 40, 206-211, 2019.]
2. 励起状態計算と光化学反応の解明
開発した長距離補正時間依存DFT(LC-TDDFT)は電荷移動励起を定量的に再現できる唯一のTDDFTである。LC-TDDFTにSpin-flip(SF)法を取り込むことで、2電子励起効果を考慮した最高精度のTDDFT計算を行なうことができる。LC-TDDFTやSF-LC-TDDFTを使った計算により、従来取り扱えなかった励起状態の検証やこれまで謎とされてきた光化学反応の解明を達成することができる。
図.遊離塩基ポルフィリンの構造.
LC-TDDFTを5員環分子のシクロペンタジエン、ピロール、フランと遊離塩基ポルフィリンの励起状態計算に適用した。高精度ab initio法のSAC-CI法の結果と比較したところ、特にRydberg励起と振動子強度を従来のTDDFTよりかなり改善することがわかった。しかし同時に、TDDFTで取り扱えない2電子励起を含む励起について、励起エネルギーの再現性が悪いことが確認された。[J. Theor. Comp. Chem. (APCTCC Special Issue), 5, 925-944, 2006.]
図.DMABNの(a)気相中と(b)アセトニトリル中のねじれ角に関するLEとCTの振動子強度計算値.
ジメチルアミノベンゾニトリル(DMABN)のねじれ電荷移動励起に起因する赤色偏移した蛍光二重発光の機構をLC-TDDFTを使って解析した。その結果、極性溶媒中の二重発光は両方電荷移動励起状態からの脱励起であり、励起後の分子ねじれによって振動子強度が下がることによって異なる構造での発光が二重に見えるだけであることを解明した。[J. Chem. Phys., 124, 034504(1-11), 2007.]
図.スチルベンのねじれ電荷移動励起後の時間変化の追跡.
理化学研究所田原グループなどとの共同研究で、LC-TDDFTによるスチルベンの光異性化計算を行なった。時間分解ラマンスペクトルと比較した結果、LC-TDDFTはスチルベンの電荷移動励起状態におけるねじれの時間変化を完全に再現することがわかった。[Science, 322, 1073-1077, 2008.]
図.TTF-CAの滑り相転移機構.
光誘起相転移系であるテトラチアフルバレン-p-クロラニル(TTF-CA)の相転移機構を検証した。その結果、この系は光励起すると滑り方向に構造が変化すること、それが相転移の起こりやすさの原因であることを、LC-TDDFTにより明することに成功した。この結果は実験結果と完全に一致することも確かめられた。[J. Chem. Theor. Comput., 7, 2233-2239, 2011.]
図.SF-LC-TDDFTによるナノグラフェンの2つの励起エネルギー計算値のユニット数による変化.
最高精度のTDDFTであるSpin-flip LC-TDDFTによって2次元拡張系であるナノグラフェンの励起エネルギーとバンドギャップとの関係性を検証した。その結果、これらのエネルギー差であるエキシトン結合エネルギーが非常に大きいこと、2電子励起効果がほとんどないことを発見するとともに、無限拡張グラフェンのゼロ励起エネルギー再現の難しさを確認した。[J. Comput. Chem., 38, 2020-2029, 2017.]
3. 化学反応計算による汎関数の検証
長距離補正汎関数は、DFTの多くの問題を解決する一方で、反応計算においてはB3LYPの方が正確という意見があった。その真偽を確かめるため、多種多様な反応計算を行なった。その結果、逆にB3LYPなど既存の汎関数の反応計算における多くの重大な問題点を発見し、反応計算における長距離補正の必要性を証明する結果となった。
図.n-アルカンからエタンを生成するイソデスミック反応の反応エンタルピー計算値のユニット数依存性.
長鎖アルカンのisodesmic反応については、最新のDFTでも反応エンタルピーを過大評価することが指摘されてきた。本研究では、LC+vdW法をこの系に適用した。Van der Waals汎関数については、分子内分散力を与えることのできるLRD汎関数を使った。その結果、LC+LRD法はこれまでのどの汎関数よりも正しい反応エンタルピーを与えることがわかった。[Org. Lett., 12, 1340-1343, 2010.]
図.環化(1-10)・環縮合(11-13)・分岐(14-17)・原子置換(19-26)・水素&メチル基遷移(27-33)反応のLC-BOP+LRD計算による誤差.
LC-DFTにLRD van der Waals相関汎関数を組み合わせたLC+LRD法で、環化・環縮合・分岐・原子置換・メチル基遷移の各異性化反応を検証した。その結果、この反応の反応エネルギー高精度再現には長距離交換とvan der Waals相関の両方が必要不可欠であり、従来の汎関数では高精度再現できないことが分かった。ただし、環化反応はどの汎関数でも高精度再現できなかった。[Theor. Chem. Acc. (Imamura Festschrift), 130, 851-857,2011.]
図.アルドール反応の相対エネルギー計算値の比較.
アルドール反応など縮合反応についてLC-DFTなどの汎関数によって検証した。その結果、LC-DFTは他の汎関数と比較して反応エンタルピーを高精度に再現することが分かった。しかし同時に、枝分かれする分子の合成反応については若干結果が悪いことも分かった。[Theor. Chem. Acc. (Nagase Festschrift), 130, 153-160, 2011.]
図.Diels-Alder反応のエンタルピー計算値の実験値からの誤差.
LC+vdW法によりDiels-Alder反応の反応エンタルピー計算を行なった結果、反応エンタルピー計算には長距離交換とvan der Waals相関の両方が重要であることが分かった。B3LYPなど既存の汎関数は、明らかに大きな誤差を与えた。さらに、HOMO-LUMOギャップが反応初期において変化しないこと=電子移動で進行することも分かった。 [J. Comput. Chem., 34, 379-386, 2013]
4.燃料電池プロトン交換膜に関する検証
山梨大学燃料電池ナノ材料研究センターにおいて、実験との共同研究で、Nafionなど高分子膜のプロトン交換膜の低湿でのプロトン伝導や劣化の問題に取り組み、その機構を明らかにした。その情報は、新規プロトン交換膜の開発につながった。
図.低湿のプロトン交換膜Nafionの側鎖を使ったプロトン伝導のリレー機構.
燃料電池のプロトン交換膜のNafion膜とSPE炭化水素膜について、低湿条件下でのプロトン伝導の機構を解明した。計算の結果、低湿でのプロトン伝導は高湿の場合のGrotthuss機構でも低湿で進行するとされるvehicle機構でもなく、Nafionの長い側鎖のスルホン酸基間のプロトンのリレー機構で進行することを提案することができた。[Chem. Phys. Lett., 608, 11-16, 2014.]
図.Nafion膜の赤外吸収スペクトルピークの湿度変化による変化の計算結果.
センターの実験研究者との共同研究により、Nafion膜の水和状態の赤外スペクトル吸収スペクトルのピーク強度のユニークな振る舞いについて理論的に検証した。水和数を変えて振動スペクトル計算値の変化を解析した結果、ユニークな振る舞いはNafion膜のスルホン酸基は二重水和状態にありプロトンはあらかじめ解離していると仮定しないと再現できないことが分かった。すなわち、低湿Nafionのプロトン伝導はリレー機構で進行することを裏付けた。[Macromol., 49, 6621-6629, 2016.]
図.燃料電池作動下条件での低水和Nafion膜の過酸化水素による直接劣化反応機構.
燃料電池のNafion膜について、過酸化水素による劣化機構を解明した。従来の劣化機構においてはOHラジカルによる劣化が考えられてきたが、実験結果との矛盾があった。それに代わる劣化機構として過酸化水素による直接分解機構を示し、その反応障壁が比較的低いことを初めて明らかにした。[ACS Omega, 2, 4053-4064, 2017.]
図.トリフェニルホスフィンによる過酸化水素の分解反応機構.
実験研究者からの要請で、燃料電池炭化水素膜において過酸化水素による劣化対策のため導入されるトリフェニルホスフィン酸化物にの過酸化水素分解機構を解明した。熱を加えると反応が活性化する可能性が高いこと、反応障壁が高いために反応は遅いであろうことを示した。 [ACS Omega, 3, 259-265, 2018.]
図.鉄イオンによる過酸化水素分解機構.
プロトン交換膜の劣化では、金属イオンが溶け出して過酸化水素からOHラジカルが発生するのが原因とされてきた。では、どのようにOHラジカルが発生するのか?それを検証するため、教科書にもある鉄イオンによる過酸化水素分解反応をLC-DFTにより検証した。その結果、従来信じられてきたHaber-Weiss機構はエネルギー的に吸熱的であり、一価の鉄イオン水和物を介した分解機構が発熱的で最も可能性が高いことを見出した。 [Phys. Chem. Chem. Phys., 20, 24992-24999, 2018; ibid., 23, 26006-26008, 2021. ]
図.Nafion膜のFenton反応と作動下での劣化の反応機構の違いと連鎖機構.
プロトン交換膜の劣化実験に利用される過酸化水素による劣化をもとにしたFenton反応は、プロトン交換膜の劣化反応と速度も生成物も違うことが指摘されていた。この違いを解明するためFenton反応によるNafion膜の劣化の仕組みを理論的に検証した結果、鉄イオン配位の過酸化水素が膜の側鎖に強く反応する機構を解明することができた。[Sci. Rep., 10, 18144(1-13), 2020.]
5.高機能材料の機能発現機構の解明
燃料電池以外も、さまざまな高機能材料がどのように機能を発現しているのかの検証にも取り組んできた。その結果、現在広く利用されている多種多様な材料に関して、従来にない機能発現機構を解明してきた。
図.MTGプロセスのメタン・ホルムアルデヒド反応機構.
トヨタ・コンポン研との産学連携の依頼研究で、ゼオライトを使ってメタノールから低炭素ガソリンを得るmethanol to gasoline (MTG)過程の初期過程の反応機構を理論的に求めた。その結果、現在でも有力な機構とされるメタン・ホルムアルデヒド反応機構を提案することができた。[J. Am. Chem. Soc., 120, 8227-8229, 1998.]
図.Bis-glycinatocopper(II)の水分子との反応の反応物と遷移状態の構造.
東大工田中知研での理論・実験共同研究で、銅グリシン酸塩の水中での配位水分子の交換反応についてDFT計算した。この塩のアキシャル配位水分子の交換反応はプロトン交換よりも速いことが知られている。計算の結果、水分子の配位結合の活性化エネルギーにより得られる反応速度定数はプロトン交換のそれより十分大きく、実験結果を完全に再現することがわかった。[J. Phys. Chem. A, 109, 10403-10409, 2005.]
図.ウラニルのギブサイトクラスタ表面への吸着構造.
ウラニルのギブサイトへの吸着についての東大工田中知研実験研究者との共同研究。拡張X線吸収微細構造(EXAFS)スペクトルの情報とDFT計算の情報とを組み合わせることにより、ウラニルの吸着構造を明らかにした。その結果、吸着構造は溶液が酸性かアルカリ性かによって異なり、アルカリ性では結晶のcorner sharing構造、酸性ではcorner sharingとedge sharingの構造が共存していることがわかった。[Geochimica et Cosmochimica Acta, 73, 5975-5988, 2009.]
図.酸化チタン表面上での(a) フェノールと(b)メタンの最大吸収ピークの遷移の違い.
酸化チタン光触媒反応の反応初期過程をLC-TDDFTを使って検証した。計算の結果,光触媒反応は,従来提案されてきた酸化チタン結晶が励起して電荷分離して生じた正孔が吸着有機分子を分解する間接的機構ではなく,酸化チタン結晶の励起と同じ励起エネルギーをもつ吸着有機分子から酸化チタン結晶への電子移動励起による直接的機構でカチオンラジカルを生成して分解することを解明した。また,有機分子の違いによって分解速度が異なるのは,メタンなど有機分子によっては電子移動励起のピークが酸化チタン結晶の励起ピークと重ならないことが原因であることも分かった。[J. Chem. Phys., 136, 024706(1-6), 2012.]
図.銀20量体クラスタ上のピリジンの表面増強ラマンスペクトルの増強係数の計算値.
表面増強ラマンスペクトル(SERS)は、単分子での共鳴ラマン解析も可能になるために化学分野で注目を集めているが、その増強機構は不明であった。LC-TDDFTで求めた電荷移動励起ピーク値について、LC-DFTで銀ナノクラスタ上のピリジンの共鳴ラマンスペクトル計算を行なったところ、ラマンスペクトルに著しい増強が得られた。この増強は実験で観測されているオーダーであることから、SERSの原因は表面プラズモンが原因ではなく、銀から吸着分子への電荷移動に伴う著しい共鳴ラマン増強に起因することを示すことができた。[J. Chem. Phys., 151, 094102(1-10), 2019.]
図.リチウムイオン電池の主要な電解液である環状炭酸塩のエチレン炭酸塩の最安定配位構造.
電気容量の制限がリチウムイオン電池の最大の問題であり、問題解決には電解液の性能向上が最も重大な役割を果たす。有機電解液を理論的に比較検証することにより、なぜエチレン炭酸塩など環状炭酸塩が最も高性能なリチウムイオン電池を与えるのかを明らかにするのかLC-DFT計算で検証した。その結果、環状炭酸塩はBerry擬回転を許す5配位構造を好むために電極に近づきやすく、配位子が高い電子供与性を持つために電気二重層を形成しやすく、電子授受の際に1つの配位子に電子を局在化させるために固体電解質相界面を形成しやすい、という3つの特長を持つことが分かった。[Phys. Chem. Chem. Phys., 21, 22990-22998, 2019.]
図.人工光合成助触媒CoPiによる水分解酸素生成反応機構.
光触媒反応を利用した人工光合成は次世代エネルギー源として注目されている。コバルトリン酸塩CoPiは水の酸化の助触媒の1つとして利用されているが、その機構はわかっていなかった。実験のIRスペクトルを再現するCoPiモデルによる水分子の分解をLC-DFT計算で検証した結果、2電子2プロトン放出とO-O結合形成が自発的に起こることを確認した。律速はむしろその後のOOH形成であり、それに続いてさらに2電子2プロトン放出が起きて酸素が自発的に形成することも分かった。[Phys. Chem. Chem. Phys., 24, 4674-4682, 2022.]
6.光増感作用と光免疫機能の解明
光免疫作用を起こすIR700に含まれるフタロシアニンのような有機光増感剤は、重原子を含まないためにスピン軌道相互作用が小さいはずであるが光増感作用が現れる。これはsinglet fissionが原因と考え、様々な光増感剤におけるsinglet fissionの役割を検証している。それには、通常のTDDFTに含まれない二電子励起効果の取り込みが必須である。
図.TMBODIPY誘導体の三重項状態生成機構概略図.
TMBODIPY誘導体の三重項状態生成の溶媒極性依存性を解き明かすことで、その生成機構におけるsinglet fissionの役割を明らかにした。まず、溶媒極性依存性の原因は、πスタッキングエネルギーと溶媒和エネルギーとの上下関係にあることを示した。この結果を受け、Spin-flip LC-TDDFTによって二電子励起効果を取り込んだ励起状態計算を行なった。その結果、singlet fissionが三重項状態生成を開始すること、S1状態からの項間交差もEl-Sayed則からあり得ることがわかった。この結果は、完全に実験結果を裏付けるものである。[Scientific Reports, 12, 19714(1-9), 2022.]
図.シリコンフタロシアニンの三重項生成機構の概念図.
光免疫材料であるIRDye700DX近赤外光増感剤を模したシリコンフタロシアニン(SiPc)の三重項生成機構におけるsinglet fissionの役割を明らかにした。Singlet fissionが進行するには、1.πスタッキング後に生成する五重項(TT)状態の直上に一重項状態が存在していること、および2.πスタッキングエネルギーが溶媒和エネルギーより若干大きいことの2つの条件を満たす必要がある。本研究では、SiPcがその2つの条件を満たしていること、つまりsinglet fissionが三重項生成に主要な役割を果たす可能性を示した。また、πスタッキング後は近赤外光を吸収しなくなるため、近紫外光吸収経由でsinglet fissionが進行することも明らかにした。[J. Phys. Chem. Lett., 14, 11587-11596, 2023.]
図.有機光増感剤の三重項生成におけるsinglet fissionの機構の概略図.
重原子を含まない有機光増感剤の三重項生成においてsinglet fissionが主要な役割を果たすことを明らかにした。著名な有機光増感剤のベンゾフェノン、BODIPY、メチレンブルー、ローズベンガルについて、singlet fission進行条件を満足するかどうか調べた。その結果、これら全てについて条件を満足すること、つまりsinglet fissionのために三重項が高速に生成されることが明らかになった。一方、それまで説明されていた項間交差については、El-Sayed則を一部満たすため、非常に遅く同時に進行すると予測された。これらの分子については、singlet fissionの逆反応である三重項・三重項消滅の進行が実験的に確かめられていることから、実験的にも裏付けられる。[Scientific Reports, 14, 829(1-16), 2024.]
図.重原子を含まない有機分子の三重項生成機構の概略図.
Singlet fissionの進行条件を考慮し、三重項生成が報告されている重原子を含まない10種類の有機分子について条件を試した結果、そのすべての分子についてsinglet fissionの進行条件を満たすことがわかった。これらの分子の三重項生成速度はSinglet fissionに関係する記述子と強く相関することも確かめられた。その結果、これらの有機分子の三重項生成はsinglet fissionで進行すると結論づけた。[J. Phys. Chem. Lett., 15, 6676-6684, 2024.]