私たちは自分の思い通りになると幸せと感じます。かなしさ,さみしさに出遇うことを避けて通ることはできません。この出遇いが,本当は人生を深めさせてくれる大切な契機なのかもしれません。1.22
もちろん見た目は大切ですが、必要以上にとらわれ、気にしすぎていませんか。
自分に香りを「つける」のではなく、人から見て「香る」人が妙好人と呼ばれる人たちでしょうか。2/4
その多くの方々があって,今の私があります。新しい年を迎えることができ,改めて,恵まれているいのち,生かされているいのちと気づかされます。2025.1.1
せっかく新しいことにチャレンジしようと思っていても,「まだ大丈夫」とその時は先送りにしていても,時間の流れは待ってくれません。気が付いたたときは「もう」こんな時期かと思ってしまいます。時の流れは待ってくれないですよね。2025.1.10
「売り言葉に買い言葉」と日本では言われますが,自分の接し方に応じて相手も同じような接し方をしてくるという韓国のことわざだそうです。相手を大事にする接し方を行いたいものです。3/8
自分の姿を謙虚に振り返ることができない限り,本当の幸せには気づけない。12/27
持っている者も持っていない者も、執着する心がある限り苦しみからは逃れられず,どちらも迷い続けているという点では同じです。
春のぬくもりのように阿弥陀様の限りないお慈悲に包まれている私。でも気づいていない私。
蓮の花が咲きました。そのぞれの花がそれぞれに輝ける世界であってほしい。それは独りよがりではなく,個々が輝くことが互いを輝かすことのできる世界。7/9
花の散った梅の木に,気がつけば実がなっていました。花は咲き,花が散ると実がなります。私たちもいつかは今生での命を終えなければいけませんが,新しいいのち,本当のいのちをいただけるのです。5/6
雨が降って花が咲く。仏さまのお慈悲は,まるで草木を潤す雨のように降り注ぎ,私たちの心を潤します。
私たちの生活も,多くの方々の支えによって成り立っています。よくわかっているつもりでも,ついつい自分中心に考えている私がいませんか・・・。
お正信偈の一節です。(インドや中国,日本の高僧方は)阿弥陀仏の本願は、私たちのために建てられたことを明らかにされました。常にわが身をかえりみて・・・。4/18