招待講演 2 上田 泰己先生

【講演者】 上田 泰己先生

【ご所属】 東京大学大学院医学系研究科システムズ薬理学教室

理化学研究所生命機能科学研究センター合成生物学研究チーム

東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構

【講演のタイトル】 睡眠・覚醒リズムのリン酸化仮説

【講演の概要】 リン酸化修飾は細胞内のタンパク質機能調整において中心的な役割を果たすことが知られている。しかし、リン酸化修飾によって生じるタンパク質1分子の「質的な活性変化」が個体全体の表現型に直結して表出する例は稀である。概日時計研究はその稀有な例であり、当初はタンパク質の活性修飾を行う一要素と捉えられていたリン酸化修飾が、実際は個体全体の表現型を支配する。我々は哺乳類においてリン酸化制御が遺伝子の発現やタンパク質分解の量的変動とは独立して個体全体の行動リズムを支配し(Ode et al, 2017)、精製基質と酵素から再構成されるリン酸化活性に、概日時計の24時間制御の中核となる性質(温度補償性)が保たることを明らかにしてきた(Shinohara et al, 2017)。

それではリン酸化による分子の質的変動は、個体全体の時間情報の担い手として、どこまで一般化可能なのであろうか。高次脳機能の基盤ともなる睡眠・覚醒リズムは、一見して概日時計発振よりも複雑な生理機能である。我々は、分子活性の変動そのものが睡眠覚醒リズムの時間情報、特に睡眠時間長を支配する可能性を考え、哺乳類の睡眠(特にノンレム睡眠)について、神経細胞の活動パターンを直接担うイオンチャネル・ポンプについて、ノンレム睡眠時の神経活動の数理モデリングと、マウス睡眠表現型のスクリーニングシステム(SSS法)、独自に改良したCRISPRを用いたノックアウトマウス作製技術(Triple-CRISPR法)を用いて、細胞内Ca2+動態に直接関与する一連のイオンチャネル・ポンプが睡眠時間制御に重要であることを見出してきた(Sunagawa Cell Rep. 2016; Tatsuki Neuron 2016)。さらに、細胞内Ca2+が制御するリン酸化酵素に着目し、Camk2a/bノックアウトマウスが著明な睡眠時間の短縮を示すことを明らかにした(Tatsuki Neuron 2016)。このことはCaMKIIα/βが睡眠を誘導するリン酸化酵素であることを意味し、睡眠研究における史上初の睡眠誘導性リン酸化酵素の発見となった。発表以後、2016年および翌年の2017には他グループによって睡眠制御因子として異なるリン酸化酵素(いずれも睡眠誘導性)が報告された。我々は睡眠誘導性リン酸化酵素CaMKIIα/βの発見を元に、神経細胞の興奮持続やエネルギーの枯渇、外的環境変化によるストレスなどの細胞状態・個体状態の履歴をリン酸化を中心とした分子修飾として統合・記録し、神経細胞の興奮性の低下、代謝活動の制御、ストレスによる細胞障害の修復を誘導する睡眠のリン酸化仮説を提唱するに至った。概日時計研究からも示されるように、リン酸化制御が数分から数時間の広いスケールの時間情報の本体となりうる。総じて、タンパク質のリン酸化修飾が睡眠時間制御に中心的な役割を果たす全体像を明らかにするべき時がまさに訪れている。本講演では、概日時計や睡眠・覚醒リズムを具体例に生物学的時間の表現機構について議論したい。

References: 1.Isojima et al, PNAS, 106(37):15744-9 (2009), 2. Susaki et al. Cell, 157(3): 726–39, (2014), 3. Tainaka et al. Cell, 159(6):911-24(2014), 4. Sunagawa et al, Cell Reports, 14(3):662-77 (2016), 5. Ode et al, Molecular Cell, 65, 176–190 (2017), 6. Shinohara et al, Molecular Cell. 67, 783-798 (2017), 7. Ukai et al, Nat. Protoc. 12, 2513-2530 (2017), 8. Niwa et al, Cell report, 24, 2231–2247 (2018).