EP.1

登場人物:桐谷/檜

何もない。という状態は酷く恐ろしい。


例えば深海や宇宙について考えるときに、そこに何かが在るにも関わらず、見ることはできない。(もしかしたら見ることができる人もいるかもしれないが、少なくとも僕にとってはそうなのだ)

己というちっぽけな存在に対して広がる膨大な空間は、四捨五入すると観測不可能である。

実際にこの世に存在していても、その場で目の前で認識できなければ無いものと同義なのだ。

というわけで僕は、己が己であると認識してからというもの、僕自身が観測できない領域、という意味での無に怯えていた。15歳を過ぎた辺りからマシにはなったのだが、それでもマシ、という程度のものである。

この何もないという状態を克服するために知識という他者が認識した世界を借りて全てを知ろうとしたのだが、これは到底不可能であって……先ほど、15歳でマシになったと言ったが、要は諦めたのだ。恐ろしいものを恐ろしいまま受け入れた。無の定義を変えた。空欄を空欄のまま開けておくことにした。それが僕が試行錯誤の末に至った結論である。

認識しない。無を有に変換するのではない。そもそも無を無として、元から認識しないようにする、という意識改革は従来の作業を続けるよりも遙かに労力が少なかったのだ。

しかし一方、僕は目の前で見たものは全て受け入れなくてはいけなくなってしまった。

例として実体験を一つ挙げるのであれば、保護者の死でさえも、目の前の現実として受け止めなくてはならなかったのだ。無にはならないからである。

幸いなことに(本心ではないが)僕は全ての事象を覚えることができる特技を持っていたので、一度有と認識したものは、意識をしない限りなくなることはなかった。

(これらは僕の認識の話であって、学術的な根拠は全くと言っていいほど無い。謂わば日記、覚書に似たものだと思ってくれて構わない)

反転すると、つまり、常識ではあり得ないことでも認識すれば在る、ということになるのだ。


要するに、目の前で起きている惨状も現実として受け入れなくてはならないのである。


______少なくとも、僕にとっては



雨が降った後の路地裏は匂い、雰囲気もその場に止まり続ける

普段はここまで入り込むことがないのに、僕が勇敢にも足を踏み入れた理由は、友人が高熱で学校を休み、プリントを届けに行っているからで。そして普段使っている道が運悪くも水道管工事で封鎖されており、しかし大通りまで向かうと遠回りであるから……故に偶然にも全ての道を覚えていた僕は、最短ルートで在るこの道を歩んでいたわけである。


問題は無いはずだった。すぐに引き返せば......ではあるが。

急がば回れ、少し時間がかかっても大通りを通るべきだったと今になって後悔する。後悔は先に立たないから後悔なのだ。

噎せ返るような血の匂い。それが生ゴミが放つ汚臭ではなく死体から出る異臭で在ることに気がつくまでに、そう時間を要さなかった。


警察、警察は110だっただろうか。最初に話す内容は?住所?

少しでも声を上げると、あの怪物に見つかるだろう。おそらく警備員であっただろうそれを、肉塊に変えた怪物に。


僕の目に映る景色は、まるでフィクションのようであった。目が三つほどある痩せ細った野犬のような……その怪物は、周囲に血を撒き散らしながら目の前にある御馳走を貪っていた。大腸が引き出される。それの前足に寄って、肋骨が嫌な音を立てて砕けていく。


僕は、これを認識してしまったからには対処をしなくてはならない。有を無にする事は出来ないからだ。データとして入力してしまったからには、入力したという履歴が残ってしまうのだ。


震える手で110を押す。そして、受話器のマークを


「それ繋がらないぜ、恐らくだけど」


意識を失う前に聞こえた最後の声は、周囲の緊迫感とは反対に随分と気の抜けた調子だった。