2024年12月22日 証 - 渡邊幸恵(クリスマス礼拝にて)
2024年10月27日 山田 福姉についての証 - 立花知之(召天者記念礼拝にて)
2007年のクリスマスに洗礼を受けました。
教会へ行くようになったきっかけは、夫の家庭がクリスチャンだったことです。結婚の前から、彼の実家を訪れた時には、日曜日に教会へついていくようになりました。夫のお母さん、同居のお兄さんやその子どもたちも含め、家族で「日曜日は教会に行く」というのが当たり前のことだったので、ごく自然に教会についていきました。
その時は、牧師先生の言葉、聖書の言葉は、何だか難しく、自分とは遠いところにあるお話のように感じられていました。
ただ、教会の雰囲気、そこに集う人々のあたたかな笑顔に惹かれて礼拝に参加していました。何より不思議に感じられたのは、歌詞の内容もよく分からずに歌う歌が、心を満たし、毎回涙があふれてくることでした。そして、神様とは、信仰とはどういうことか知りたい、と言う気持ちをおぼろげながら持つようになりました。
しかし、それからすぐに教会に通い始めたわけではありませんでした。その頃実家に介護の必要な父がおり、病院のことや自分の仕事のことで毎日手一杯、頭も一杯で、自分から進んで教会へ行ってみようという、気持ちになれずにいました。信仰のことは、結婚したら夫から教えてもらえるでしょう、とずっと先送りにして毎日を過ごしていました。
それから数年が経ち、父を看取った翌年結婚しました。結婚後半年で夫が外地へ転勤となり、私も同行しました。外地での生活が落ち着いた頃、夫の母が折にふれて送ってくださる本から、聖書の言葉に触れるようになりました。その時はじめて、「神様、あなたのことを私にも教えてください」と心から願いました。それから程なく現地の日本語教会へと導かれました。
教会に通い始めてからの日々は、今までの経験してきたことの、謎解きを受けているようでした。礼拝の中でのメッセージや家庭集会などの学びのうちに、これまで自分に起きてきたことすべてが、神様の御手の中でのことと、素直に感じられました。
私の両親は体が弱く、入院や通院など頻繁でしたが、その度に理解のある周りの方々に恵まれ、たすけられてきました。父の介護が必要になったときには、神様は、夫となる人を与えてくださっていました。また、親の病を通じて、わがままなで自分勝手な自分に向き合うことを余儀なくされ、整えてくださっていました。
正直に申しますと、20代前半で介護を目の前にしたときは、さまざまな葛藤がありました。親を支えていかなくてはならないプレッシャー、この先何年、何十年続くかわからない先の見えない不安。まだ自分勝手に自由に生活をしたいという、わがままな気持ち。特に、父という支えを失った母から、不安な気持ちや不満を投げかけられることで、「こんなに一生懸命やっているのに。」「私は悪くない」などと、いらだちを抱え、母の辛さを受け止めることができずに、優しくできないことに苦しみました。自分の内側には、こんなにも自分を正当化する傲慢さや、痛みに寄り添えない狭い心があることを思い知らされました。介護の日常を経験していくうちに、自分がほんとうに狭く小さな人間であるということを知らされました。
また、抑えようのない心の苛立ちを経験する中で、自分ではそれまで社会の中で割合上手に生活してきたつもりでしたが、いかに弱い一人の人間であるのかということにも思い知らされました。そして、親の病気や死と、人生そのものと共に向き合う時間が与えられたことを通し、不平や不満の中で生きるのではなく、自分たち家族がいかに恵まれた中で過ごしてきたのかということを考えさせられました。父を看取った時には、自然と心が落ち着いていました。
教会に通い始めてからまもなく、これらのことは全て、神様のみ手の中であったことを知るようになりました。気づかないうちに、神様のご愛によって支えられており、変えられてゆきました。そして、このような小さく弱くわがままな罪深い自分のために、イエス様が十字架にかかられたことを知りました。
また、このような恵みが、神様を知らなかったにも関わらず与えられていたことを知り、どれほどまでに一方的で深い愛の中で、自分が日々生かされているのか、ということを思い心から感謝いたしました。
このようにして、信仰を持つようになりました。
2007年に受洗してクリスチャンとして歩み始めましたが、その中で、私たち家族にとって大きな出来事がありました。2009年に我が家に与えられた二人目の子どもが、生後三週間でこの世を去り、天国へ召されてゆきました。ほんとうにかわいい赤ちゃんでした。しかし私たち夫婦は、愛する我が子をその病の為に天国へ送らなければなりませんでした。それは辛く悲しいことでした。しかしまた、その子のいのちを受け取った時の喜び、小さな爪のひとつひとつまで丁寧に創られたその姿に神様のご愛を知り、最後は優しく抱き取って天国へと連れて行ってくださったことを思いました。傍に主が共にいてくださり、ともに歩んでくださる、それはほんとうに大きな慰めと平安でした。またどんな時にも背後で祈っていて下さる兄弟姉妹のあることを、これほどまでに強く感じたことはありませんでした。
それから暫くして、苦しみの中にいらっしゃる方にお会いしました。しかし、私はその時その方にどのように接することが相応しいのかと迷いました。大きな苦しみの前に沈んでおられるその方に、人間的に何かできるとは思えず、神様からの慰めが届いて欲しいという思いでいっぱいになりました。しかしクリスチャンではないその方に、今その話をするのは相応しくないように感じられました。
そのようなことを思いめぐらせていた時に、ある聖書の箇所に立ち止まりました
IIコリント1:3~4 「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。
「自分たちが受ける慰めによって慰める」とは、自分にとってどういうことなのでしょうか。との思いが起こりました。
その時に、たまたま読んでいた本、クリスチャンの方が書いた本の中の言葉に目が留まりました。
著者は二人のお嬢さんをお持ちでしたが、下のお子さんを1歳8か月の時に亡くされています。
ある時、姉である幼いお嬢様が、亡くなった妹への思いが募り、「神様、また凉ちゃん(亡くなった妹)をくださいませ」と熱心に祈ったそうです。この時著者は、「亡くなった子どものふたたび与えられることがなくても、それに代え得べきだけの慰めを神はかならずこの子にあたえてくださるであろうということをかたく信じた」と記しています。
この記述から、私は気づかされました。
ここに書いてはありませんが、きっと、著者は我が子の死に臨み、深い慰めを経験されたのでしょう。その中で、妹を亡くした娘の悲しみに、どんな形であれ、神が必ず慰めを与えてくださることを「かたく信じる」ことができたのではないか。ということです。
そしてまた、神様からの慰めは、親ですらその領域に立ち入ることのできない個人的なものなのだ、とも思わされました。
その思いに至った時に、私はその方のために何かお伝えしなくてはならないのではないか、という焦る思いが、非常に傲慢な思いであるように思いました。
また同時に、深い慰めを受けたものであるからこそ、苦しみや悲しみの淵にいる人に慰めを与えられるのは、「やはり神様だけである」という真実な思いと、必ずやその方に主が届いて下さり、必要な慰めを与えて下さるという、確かな信頼をもって祈ることが出来るのかも知れない。とも思いました。
マタイ5:4 「悲しむものは幸いです。その人たちは慰められるからです。」
という聖書のことばがあります。悲しみに出会うことは幸いとは思えず、できれば今でも避けて通りたいと思うものですが、しかしまた、その中でしか知ることのできなかった慰めがあったことも事実です。
自らの受けたこれらのことが、悲しみや苦しみの中におられる他者へのとりなしを祈るものとして用いられるのであれば、こんな幸いな歩みはありません。
改めて、教会へ導かれる前からこれまでの歩みの背後に、どれほど多くの方の祈りがあり、その中で支えられてきたかと思います。祈りの足りなさを日々覚えるような、恥ずかしいものではありますが、少しでも周りの方の為に祈るものへと変えていただきたいと思わされます。
信仰を得てまだ11年ほどで、知らされていないことがどれほど多くあることかと思います。また日々遣わされてゆく場所で、迷いや罪の思いに立ち止まることも多くありますが、神様から目をそらさずに日々を歩んでゆくことを願っています。
(2019年2月17日オアシス礼拝にて)
「これじゃダメだ」 S.O.(中学3年生男子)
「これじゃダメだ」 S.O.(中学3年生男子)
僕は中学3年生です。家族構成は両親と弟2人、妹1人です。生まれた時からクリスチャンホームで、言葉もしゃべれない頃からずっと教会にいっていました。ただ親が教会に行くから必然的に僕もついていっていました。教会学校に出て、いろいろな人の話を聞いても桃太郎とかと同じ類のものだと感じていました。物心がついてくると多少理解ができてきました。
教会であらゆることを聞いていく中で、自分に問いかける話をよく聞きました。「誰かに嘘をついたことのある人?」 僕は罪ということをあまり意識しないで生活していました。なので自分に悪いところは無いと信じていました。手を挙げないでじっと先生の目を見つめていました。 「みんなあるんだよ。」先生がそういっているのでとても疑問に思いました。どこがいけない!何が悪い!と、とても不満に思いました。それから僕は罪を意識しながら生活し始めました。するとどんどん罪が湧き出てきました。あの人は嫌い、あの人は苦手、など、自分で人を判断していました。親に平気で嘘をついていました。それがばれそうだからまた嘘で覆い、嘘を何連発もしていました。また、兄弟に暴力を奮ったりあれていました。
僕は教会学校を通して多くのことを学びました。とくに中学科になって自分の心の中を探られるようなり、だんだん理解できるようになりました。小学科で「自分の罪はイェス様が自分の身代わりとなって死んでくださったのでもう赦された」ということを聞いていたのでもうどんな罪をおかしてもいいんだ、と思っていました。しかし、神様の一方的な愛のゆえにこの世にイェス様を贈ってくださり、罪のないイェス様が僕の罪だけのために死んでくださった、三日目によみがえり今も天で生きておられる、また、神様は僕からの対応を待っていてくださる、ということを知り、これじゃダメだ、と悔い改めるきっかけとなりました。今までの神様の喜ばれないことをやっていた自分がとても情けなく感じました。 そしてキャンプに行き、神様の愛をより一層深く知ることが出来ました。同年代のたくさんの人と同じ神様を讃えることがとても素晴らしく、喜ばしく感じました。そのキャンプでカウンセラーに教わった聖句がとても印象に残っています。
「『キリスト・イェスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受けいれるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」Ⅰテモテ1:15
この聖句は僕が少し曖昧に理解していた福音を自分の中に真実として決定づけるものでした。また、自分が罪人のかしらであることを教えてくれた聖句でもありました。ぼくはこれからいろいろ知識を身につけ、もっともっと神様に喜ばれることをし、たくさんの人に福音を伝えていきたいです。
私は、五月女紀子と申します。
私が初めて聖書を手に致しましたのは、夫の転勤で青森県に住んでいた時に近所の友人のクリスチャンに誘われて宣教師宅で開かれておりました家庭集会でした。そこでは宣教師夫人がテキストを用いて、月2回5~6名の方が参加しておりました。その頃の私は聖書の話は余り良く理解出来ませんでしたが、神様の裁きの事を話されるときの宣教師夫人の美しい顔が急に恐ろしく変わり、私は裁きはとても恐ろしいものだという事だけは判りました。当時そのお宅では珍しく井戸水を使っておられ、集会の終わりに出して下さるコーヒーのおいしかったのは今でも覚えております。
そして一年も経たないうちに夫の転勤により新潟に移る事になりました。
新潟で2年程してから以前から入っておりました友の会という主婦の団体で月一回聖書勉強会が開かれており神様はそこに導いて下さいました。
新潟福音キリスト教会の牧師が来て下さり、10数名が毎月聖書を学んでおりました。その中から次々に教会の礼拝に導かれる方が起こされ救われた方々の喜びにあふれた笑顔を見るにつけ、私もいつか教会の礼拝に行きたいと思うようになりました。でも夫が日曜日には家に必ずいますし私は教会にはとうてい行けないものと半ば諦めておりました。でも神様は不思議なチャンスを与えて下さいました。夫が社内のテニス大会ため、二週続けて不在の日曜日が与えられたのです。
私は絶好のチャンスとばかり教会の礼拝に初めて恐る恐る出席することが出来ました。
礼拝のメッセージは2回共とても心に響く事ばかりで、もっと続けて出席したいと思うようになりました。
ある日の説教で聖書のヨシュア記の中でヨシュアがヨルダン河を渡るに際して、神様はヨシュアに「今いるところから一歩踏み出しなさい」との声をかけた箇所で私の心は一瞬くぎ付けになってしまいました。
その時の私は受洗準備の学びを受けておりましたが、まだまだ私には早過ぎるのではないかとか、夫の親族、私の親族にはクリスチャンが一人もおりませんでしたし、夫が受洗を認めてくれるだろうかとか不安が一杯ありました。クリスチャンの友人達に相談いたしましたら友人達も同様な不安を持ちながらも神様を信じてその時その時に良い方法で導いて下さるので何も心配しないで受洗を受けた方が良いからと多くの友人達がその為に祈って下さり又励ましてくれました。
そして受洗の事を夫に話すと思っていた以上簡単に、信教の自由があるからと認めてくれました。
聖書を繰り返し繰り返し読んでいると神様の愛の深さ広さそして聖さに圧倒される思いがいたしました。救われる前の私の心は暗闇の中を歩いているようなみじめな心で一杯になっている事に気付きました。
自分中心のわがまま高慢不平不満の固りのような心を自分ではどうすることも出来なく思いわずらいの多い生き方をしてきました。でも神様はこんな欠けだらけの私を導いて下さり、イエス様が私の罪のため十字架にかかって下さり、私の罪を赦して下さった事を信じて救いの恵みに与らせて頂きました。
ふり返ってみますと救われてからの私の心は少しづつではありますが神様によって変えられてきたと思います。
”すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 ”(マタイ11:28)
のみことば通り、背負っていた重荷は軽くなりました。どの様な時にもイエス様が共にいて下さることで安心感と平安が得られるようになりました。
今迄、暗やみを歩いていた人生から神様によって明るい光の道を歩くことにより、いつも神様に感謝と喜びと希望をもって人生を歩むことが出来るようになりました。
そして2000年に今から17年前に、この湘南のぞみキリスト教会に導かれました。これからも神様のご栄光を表す者として神様の恵みと憐みの中を聖書のみことばを人生の基として一歩一歩歩んでゆきたいと思っております。
最後に私の大好きなみことばを読んで終わらせて頂きます。
”しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。”(イザヤ40:31)
(2017年6月 オアシス礼拝にて)