下出 敦夫 (Atsuo Shitade)

大阪大学 産業科学研究所 ナノ機能予測研究分野 (南谷研究室) 准教授

物質中の電磁気学と重力

"物質中の電磁気学"は電流や電気分極,磁化の電磁場に対する応答を研究する分野であり,物質場も電磁場も古典的であることが仮定されている. 一方で,私たちが興味をもっている現実の物質は結晶であり,その性質は主に量子力学的な電子によって決まっている. ところが,"物質中の電磁気学"で導入された物理量のいくつかは現実的な物質においてはよく定義されなくなってしまう. 私の興味のひとつは,そのような物理量を定義し,様々な現象との関係を見出すことである.

もうひとつのキーワードである重力は4つの基本相互作用の中で最も弱いものであり,物性物理においては重要であるとは思われていない. 実は,温度勾配や回転,歪みなど非電磁気学的な力は重力によって記述されることが知られている. 私は"物質中の重力"を熱伝導性や粘弾性を系統的に研究する分野ととらえ,"物質中の電磁気学"との類推から新しい現象を予言している.

スピントロニクス

スピンHall (SH)効果スピンNernst (SN)効果は電場や温度勾配と垂直にスピン流が流れる現象である.しかしながら,スピン軌道相互作用がある場合,スピンが保存せずスピン流はよく定義されない.さらにSN伝導度のKubo公式は絶対零度で非物理的な発散をもつという問題もある.不定性のあるスピン流ではなく,よく定義され直接観測されるスピンに着目するのが自然である.まず私は電場勾配に対するスピンの応答を計算し,Bloch波動関数を用いた一般的な公式を導出した [1].そのような勾配は自然に端に現れるので,この応答はスピン蓄積を直接記述することができる.さらに短距離の非磁性不純物を含むRashba模型においてGreen関数法を用いた計算を行い,SH伝導度は消えるにもかかわらずスピン蓄積が生じることを示した.

次に私はSN効果におけるスピン蓄積を考え,温度勾配の勾配に対するスピンの応答を計算した [2].スピン蓄積は散逸的なFermi-surface項によって起こるので,スピン流の不定性やKubo公式の非物理的な発散に関する困難がない.非弾性散乱がない場合には一般化されたMottの関係式がほとんど自明に成り立つ.短距離の非磁性不純物を含むLuttinger模型においては熱的なスピン蓄積が全く生じないことを示した.

高エネルギー物理学とのかかわり

DNAなどのカイラル分子に電流を流すとスピンが偏極することが知られており,カイラリティ誘起スピン選択性と呼ばれている.通常のスピン軌道相互作用 (SOC)はO(1/m^2)であり,軽元素では無視できるほど小さいので,未知のSOCの存在が示唆される.このSOCの起源を明らかにするためには,相対論的なDirac Lagrangianから出発する必要がある.私は曲線座標系を選び,非相対論的極限をとることで,O(1/m)の幾何学的SOCを発見した [1].DNAの典型的なパラメタを用いると,幾何学的SOCは160 meV程度と見積もられる.さらにらせんが2つ結合した模型においてEdelstein効果を調べ,カイラリティによって符号が反転し,実験で観測するには十分な電流誘起スピン磁化を見出した.

カイラルfermionからなる相対論的な系はカイラル量子異常をもち,カイラル渦効果 (CVE)を示す.これは渦度と平行に電流が流れるという現象である.私はスピン渦度相互作用を取り入れ,局所電流から磁化電流を差し引いた輸送電流を計算した [2].相対論的な系では輸送電流が0となり,輸送実験で観測されないことを示した.さらに,電場と磁場によって動的にカイラル不均一性が生成された場合でもCVEを観測することはできない.一方,いくつかのカイラル点群に属する非相対論的な系,たとえばTeにおいては,異方的なCVEが観測されうることを示した.

軸性磁気効果 (AME)は軸性磁場と平行にエネルギー流が流れるという現象であり,相対論的な場合にはCVEと相反するものである.私は開放境界条件を課してエネルギー流を計算し,表面の寄与によって平均は0となることを示した [3].軸性ゲージ場は空間的に変化するZeeman磁場であって,空間的に変化するエネルギー磁化を誘起する.この空間変化をパラメタとし,周期的境界条件を課してエネルギー磁化を計算することで,AMEによるエネルギー流は磁化エネルギー流であることを明らかにした.

多極子

多極子は"物質中の電磁気学"において電荷密度や電流密度の異方性を特徴づける物理量である. 古くは強相関電子系で,また最近では高次トポロジカル絶縁体や局所的に空間反転対称性が破れた系で研究されている. 特に磁気四極子 (MQM)は電気磁気 (ME)効果の重要な要素であると信じられてきた. にもかかわらず,最低次の電気分極や軌道磁化を除いて,現実の物質で多極子を計算する方法は確立されてこなかった.

私は熱力学と"物質中の電磁気学"のみに基づき,軌道MQMを定義し,軌道ME感受率との直接的な関係式を証明した [1]. この関係式はMQMがME効果の微視的な起源であることを示すものである. Keldysh Green関数のゲージ共変な勾配展開を用いて,軌道MQMの結晶における量子力学的な公式を導出した. また,局所的に空間反転対称性が破れた反強磁性体BaMn2As2の軌道MQMと軌道ME感受率を計算し, ME感受率に対する軌道の寄与がスピンの寄与と同程度またはそれ以上であることを見出した.

スピンMQMについても同様に定義し,スピンME感受率との関係式を証明することができる. さらに私は,温度勾配によって磁化が誘起される現象--重力ME効果と呼ぶことにする--においてスピンMQMが重要な役割を果たすことを明らかにした [2]. 重力ME感受率のKubo公式は絶対零度で発散してしまい,物理的でないので,正しい結果を得るためにはKubo公式からスピンMQMを差し引く必要がある. 得られた重力ME感受率は絶対零度で0になり,電子系ではMottの関係式によってME感受率と結びつけられる. Rashba型のスピン軌道相互作用をもつ強磁性金属で計算を行い,バンド端で増大することを見出した.

磁性絶縁体においてはマグノンがスピンを運ぶので,対称性さえ許せば重力ME効果は起こるように思われる. 私は単位胞に異なるg因子をもつ複数の磁性イオンがなければ,このマグノン重力ME効果は起こらないことを示した [3]. 最初のME物質であるCr2O3をもとにした反強磁性絶縁体で重力ME感受率を計算したものの,非常に小さな値しか得られなかった. 

大同さんは電子ネマチック相の秩序変数と考えられる電気四極子を定義した [4].私は久保公式を用いて同じ結果を導出し,この研究に貢献した.

軌道角運動量

軌道角運動量 (OAM)は古典,量子を問わず最も重要な物理量のひとつである. 物性物理においては,Cooper対が非零のOAMをもつカイラル超伝導体 (SC)がバルクでOAMをもつかどうか古くから研究されてきた. 結晶や無限系では,位置演算子を用いた通常の定義は意味をなさないので,別の定義を模索する必要がある.

私はOAMが電気分極 (CP)の運動量版と見なすことができることに注目した [1]. 局所的な空間並進対称性を要請し,運動量密度や運動量流密度と相互作用する重力ゲージ場を導入した. OAMに共役な角速度は重力電場の反対称成分によって記述されるので,OAMはまさしく運動量分極である. CPに関する先駆的な研究に倣って,Hamiltonianの断熱変形によって流れる運動量流密度によってOAMを定義し,カイラルSC [1]やトポロジカルSC [2,3]で計算を行った. 

熱Hall効果

熱Hall (TH)効果は温度勾配と垂直に熱流が流れる現象である. 理論的には,温度勾配は統計力学的な力であるので,Kubo公式を正当化するためにLuttingerの重力ポテンシャルを導入する必要がある. さらに,TH伝導度のKubo公式は絶対零度で発散してしまい,物理的でないので,正しい結果を得るためにはKubo公式にいわゆる熱磁化 (HM)を加える必要がある. HMは軌道磁化の熱版であるが,現実の物質で計算する方法は確立されていなかった.

私は局所的な時間並進対称性を要請し,Hamiltonian密度やエネルギー流密度と相互作用する重力ゲージ場を導入した [1,2]. これによって温度勾配を記述する重力電場や重力磁場が導入され,重力磁場を用いてHMを熱力学的に定義することができる. また,Kubo公式やHMを計算するため,Keldysh Green関数をもとにした一般的な方法を構成した. その後,不純物を含むWeyl強磁性体に応用し,一般化されたWiedemann-Franzの法則を再現した [3].

副産物として,Luttingerの重力ポテンシャルがなぜ重力と呼ばれるのかを明らかにすることができた. 上述の局所的な時間並進対称性は時空の歪みに対する理論の不変性であり,時空の歪みとはまさしく重力である. 重力理論においては,重力ゲージ場と重力電磁場はそれぞれ多脚場,捩率と呼ばれている.