蛋白質溶液学
わかりやすく、役に立つ研究を
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タンパク質の凝集や酵素の活性化など、タンパク質にまつわる身近な現象に興味を持っています。具体例とともに私たちの論文をたくさんリンクしてあるので、ご興味ある方はご覧ください
高濃度の蛋白質溶液はいま最も興味を持っているテーマであり、最近、生命科学の分野でもホットな話題となっている「膜のないオルガネラ」の基本的な理解にもつながります。私たちの最近の研究例では、相分離してできた液滴が高濃度製剤に役立つという売り出し中の技術や、高濃度抗体が少量のポリエチレングリコールなどと共存すると、オパレッセンスとよばれる、凝集とは明らかに異なる状態になる現象など、興味を持っています。なお、高濃度の抗体の粘度の制御は、蛋白質製剤の重要な課題です。
近年、蛋白質医薬品の開発が盛んですが、例えば皮下投与するためには高濃度蛋白質溶液を調整する必要があります。この濃縮が結構むつかしく、そのために疎水性相互作用の抑制が必要なのか、静電遮蔽が効果的なのか、系統的な理解が深まれば高濃度製剤化が実現します。テルモとの共同開発では、高分子電解質を抗体にまとわせて沈殿させる濃縮技術や、抗体や酵素薬の物理化学的なストレスへの安定化法などを開発してきます。非共有結合的に蛋白質を安定化する方法は応用の可能性が広く、非共有結合的なPEG化などは、血中でのバイオ医薬品安定化技術として面白いアプローチになると思います。
このようなポリマーを使った蛋白質の着せ替え技術をラップ・ストリップ法と名づけています。蛋白質に望みの機能をまとわせる方法です。例えば、酵素活性のスイッチングも可能で、2種類の高分子電解質を組み合わせてオン・オフにできます。これは、高分子電解質が酵素を非競合阻害的に包むため、酵素が本来の働きを担えなくなるからです。汎用性が高くなるようデザインしたPEG化高分子電解質は、不安定で変性しやすいオリゴマー蛋白質でもスイッチングできます。この蛋白質と高分子電解質の相互作用は意外に特異性が高く、応用例としては、バイオセンサーになります。すなわち、光や質量などの物理作用ではなく「相互作用」という複雑な状態でターゲットを検出する技術になるわけです。このテーマは卒業生の冨田峻介博士が精力的に開発を進めています。
このように第三成分を入れて理想状態から動かすだけで、蛋白質の機能や構造を合理的に制御できることがわかります。活性を増加させることも可能で、高分子電解質をプロテアーゼに添加すれば、活性が一桁以上も増加する超活性化がおこります。しますここから法則も取り出すことができ、低分子でも活性が5倍ほど増加させられます。超活性化の発見は、バイオテクノロジーには確実に役立ちますが、かたや、酵素が細胞内でどのように働いているかという大事なものが見えていると思います。
蛋白質は水の中で働きますが、水と蛋白質の相互作用は古くからある最も難しいテーマのひとつです。筑波大学の服部研と青木博士の共同研究では、テラヘルツ分光で高濃度蛋白質の水和やホフマイスター塩の効果の研究で理解を深めています。筑波大学の長谷研とは、コヒーレントフォノンによる蛋白質の観察を目指しています。産総研の亀田博士とは、添加剤にアルギニンを使う低分子薬剤の分散や溶解など、分子動力学の共同研究を続けて理論的な考察を深めています。
蛋白質凝集剤には塩と有機溶媒と高分子があります。なかでもアルコール沈殿は、古くから使われている技術ですが、蛋白質の溶解度と構造変化や荷電がかかわる難しいテーマです。PEGは高温ほど凝集をよくふせぎ、弱い有機溶媒のような性質があります。等電点付近にすると変性を伴わない凝集体の形状の制御も可能です。このような溶媒効果と高分子電解質を利用して、素性のいい蛋白質凝集を作らせると、蛋白質を安定化でき、濃縮にも使えると考えています。
アミロイドは繊維状の蛋白質凝集体で、プリオン病やアルツハイマー病の原因になります。試験管内でアミロイドを作らせる方法を使って、アミノ酸の一種のシステインがアミロイドの形成をふせぐことを発見しました。システイン残基のないアミロイドβのアミロイド形成も抑制するので、チオフィリック相互作用が関連すると考えています。なお、後述の低温プラズマはアミロイドも分解しますが、医用のためにはブレイクスルーが必要です。なお、アミロイドは顕微鏡の原理が違うと見え方が異なります。
蛋白質の溶液はもちろんさまざまな産学連携にかかわってきます。たとえば、キユーピーとは卵白がゆであがる仕組みの理解を、ミルボンとはシャンプーやパーマ液に入れる蛋白質安定化剤を、マルハニチロとはすり身蛋白質の凝集を、味の素とはアミノ酸と凝集を、共同研究してきています。クルードの系の研究ではミオシンが最初で、塩溶液や過飽和が論文になっています。ゆで卵など謎だらけなのですが、90℃で30分加熱しても卵白が固まらない溶液などは合理的にデザインできます。
ここに書いてあることが理解できれば、タンパク質の科学にも産業への応用にも役立ちます。研究室に3年間在籍しているとこのような内容が理解でき、さまざまな分野に応用できるようになります。
もっとも単純な、球状の小型蛋白質を中性条件で扱うようなシンプルなモデル系を想定して、蛋白質溶液のデザイン法についてざっと紹介します。けっこう複雑ですが、具体的な頭の使い方として、添加剤を加えることで、天然構造を安定化する側に持っていくのか、変性構造を安定化する側に持っていくのか、という正反対の方針を、蛋白質濃度が薄いのか濃いのか、長い時間おいておくのか、という情報を寄せて考えてみるということになります。具体的な課題を持ってきもらえればいつでも解決に乗り出します。アッという間に解決することがあります。
疎水性領域に結合しやすい低分子化合物=蛋白質の熱変性温度を下げる:変性構造に対するネイティブ構造のギブス自由エネルギーを下げる:加熱にともなう蛋白質の凝集をふせぐ。たとえば、界面活性剤のような両親媒性の分子、アルギニンエチルエステル、アミノ酸アルキルエステル、スペルミジンやスペルミン、直鎖状ジアミン、ヘキサンジアミンなど。(アルギニンは高濃度でも変性作用がなく凝集をふせぐので優れている)
蛋白質に結合しにくい低分子化合物=蛋白質の熱変性温度を上げる:変性構造に対するネイティブ構造のギブス自由エネルギーを下げる:蛋白質への水和を強める。いわゆるオズモライトと総称されるトリメチルアンモニウムNオキシドやベタイン、グリシン、グルコースやトレハロースなどの糖類など。これらは蛋白質をコンパクトにしようとするため、凝集がむしろ促進する可能性もあります。
水溶液のモル表面張力増加率を低下させる=変性構造に対するネイティブ構造のギブス自由エネルギーを下げる:塩溶のはたらきがある。たとえば、チオシアン酸塩、ヨウ化物塩など。ハロゲン化物イオンの場合、塩溶のはたらきはヨウ化物イオンが強く、「I > Br > Cl > F」の並びになります。いわゆるホフマイスター系列です。
水溶液のモル表面張力増加率を低下させにくい=変性構造に対するネイティブ構造のギブス自由エネルギーを上げる:塩析のはたらきがある。硫酸塩、クエン酸塩など。(有機塩はおもしろい。たとえば、緩衝液の種類で蛋白質の凝集のしやすさが明らかに違いますが、この辺は深めると面白いです)
オリゴマー蛋白質とモノマー蛋白質は、第三の成分が蛋白質構造を安定化させるか否かは逆の効果になることがあります。リフォールディングの場合、アルギニンだけではダメで、コスモトロープを併用させると改善されます。
同じ意味で、蛋白質濃度によって、コスモトロープとカオトロープの効果が逆転します。1mg/ml程度の実験に用いる蛋白質溶液では、アルギニンやカオトロープのほうが凝集抑制の効果が高く、10mg/mlではコスモトロープのほうが効果が高い。
高濃度蛋白質の凝集抑制には、アルギニンではなく、排除体積効果を生かすポリエチレングリコール(PEG)やポリビニルピロリドン(PVP)の方が効果が高い。PEGは高温ほど凝集抑制効果が高いが、アルギニンは温度依存性はないのも特徴です。
当然ながらモノマーとオリゴマーの蛋白質では扱いが異なりますし、天然変性蛋白質や膜結合蛋白質はまた違います。弱酸性や高温や高イオン強度にしたいとき、高濃度化したり凍結したいときなど、各論的に条件を変えると、はるかに複雑な因子を考える必要があります。最近まとめた総説では、低分子の添加剤や、高分子のwap-stripが参考になります。
アルギニンのほか、アルギニン誘導体である、アルギニンエチルエステルや、グリシンなども含めたアミノ酸アルキルエステル、そしてアミノ酸アミドにも、蛋白質の加熱凝集をふせぐ効果が高いです。なおこれらは0.1Mでも効果があり、弱い変性作用も出てきます。無機塩を使う場合、表面張力を増加させるものほど凝集させますので、たとえばコスモトロープである硫酸塩やクエン酸塩よりは、カオトロープであるヨウ化物塩やチオシアン酸塩の方が凝集をふせぐ効果が高いです。ただし蛋白質濃度が10 mg/ml以上くらいに高まるとカオトロープの変性作用が強まるので、高濃度蛋白質ではコスモトロープが好ましいです。
アミンは熱による化学反応をふせぎます。とくにジスルフィド結合のβ脱離やアスパラギンの脱アミノ化を効果的にふせぎ、その効果は蛋白質の種類にもよりません。ちなみにアミンは蛋白質の加熱凝集をふせぐことにも効果的で、天然のポリアミンや、直鎖状ジアミンや環状ジアミンにも効果があります。ジオールやモノアミンには効果がないので、複数のアミンがあることが大事です。1mg/ml以下くらいの低濃度の蛋白質溶液には、アミン系の化合物があるといいです。経験的にもリン酸緩衝液よりはグッド系緩衝液のほうが、加熱によって凝集や化学劣化しにくい印象があります。
蛋白質は加熱しても凝集しますが、還元変性状態からのリフォールディング時にも凝集しやすいものです。両者の凝集体の構造も違っており、加熱凝集体の方が還元凝集体よりβ含量が高いです。したがって効果のある化学構造も違います。蛋白質の加熱凝集にはアミノ酸主鎖が効果的で、還元状態の凝集をふせぐグアニジウム基とは異なります。よって、アルギニンアミドはアルギニンよりリフォールディング収率を増加させます。オリゴマー蛋白質のリフォールディングには、アルギニンとコスモトロープを併用する方法がありますが、オリゴマー蛋白質は条件設定が困難です。
蛋白質溶液にアルギニンを加えるだけで、蛋白質の加熱やリフォールディングにともなう凝集をふせぐほか、蛋白質の粘度をさげたり、芳香族分子の溶解度を増加させたり、蛋白質の固体への吸着を抑制したり、リフォールディングを助けたり、さまざまな応用が可能です。アルギニンマジックです。1%溶液くらいが効果的で、グアニジニウム基の持つ特別なカチオンπ相互作用が重要です。温度依存性はなく、主鎖アミノ基のプラス電荷も不可欠です。アルギニンの原理や応用の研究は、Alliance Protein Laboratories, Incの荒川力先生や、卒業生の平野篤博士と長年、研究を深めてきています。これまで書いたアルギニン関連の論文リスト。
蛋白質は20世紀後半から、多くの研究者の興味を惹いてきましたが、蛋白質溶液として系を考えると現在も難題が山積です。状態があまりに複雑なのが原因ですが、そのため、特定の分野にこだわらず、分野横断的に取り組むことが大事だと考えています。例えば、物理化学や、応用物理学や、表面科学や、ソフトマター学や、プラズマ物理学や、バイオテクノロジーや、酵素学や、高分子科学や、薬学や、 食品科学など、様々な専門誌に論文を投稿してきましたが、このような応用理工学類的アプローチをあえて試みれば面白く広がるものです。
蛋白質溶液はきわめて複雑な系なので、特定の方法や測定法や分子にこだわっていては、理解を深めるのは難しいです。例えば、どこにでもある分光器を使い、アミノ酸を混ぜるだけで蛋白質が安定化するようなことを発見して報告するのが理想で、そうすれば誰でも真似できます。複雑な分子も使わず、特別な装置も使わず、多くの人が理解しやすい方法で、課題を解決できないか、法則を取り出せないか、という見方が大切だと考えています。
純粋な興味で進めた研究でも必ず出口につながります。私たちの研究は産業との親和性が高く、食品や製薬、医療機器、バイオ関連、化学メーカーなどさまざまな企業と共同研究や学術指導をしてきています。最近では、味の素、キユーピー、ミルボン、テルモ、明治、旭化成、デンカ、不二製油、塩野義製薬、ディオールなど多くの企業と「溶ける」「溶かす」技術について研究をしたりディスカッションをしたりしています。