研究とは何か
タンパク質を研究しながら考えている
タンパク質を研究しながら考えている
『現代化学』2023.10「セキララかがく」の原案
学会でAIの進展を知った学生と話をしていたとき、AIが発達すれば白木先生の仕事はなくなりそうですねと言われた。そのとき学生といろいろディスカッションした内容をここに記録しておきたい。2023年らしい話題である。
☆・.
タンパク質研究の世界にもAIが進出しているのはご存知のとおり。2020年に登場したAlphaFoldが偉大な象徴で、アミノ酸配列の情報があれば、実験することなくタンパク質の立体構造を知ることができる時代がはじまっている。2023年は逆フォールディング問題を解決するアルゴリズムが何十も開発されて、文章を与えると自然な画像を生成するAIと同じように、望みのタンパク質をデザインしてくれるようになった。タンパク質フォールディングの問題はAIがほぼ解決し、実験が難しい一部のタンパク質を除いて、もう残されたところはないという印象がある。
このような時代になったとはいえ、タンパク質の問題は山積で、食品や美容品や医薬品など多くの研究者が私のところに頻繁にやってくる。新規タンパク質をAIがデザインできる時代だからといって、目の前のタンパク質の扱いが簡単になるわけではないのだからそれも当然である。昔も今も精製は難しいし、精製してもすぐに失活したり凝集したりする。乳化やゲル化をさせたくても思い通りにならないことが多い。そこで私はいろいろな課題を聞き、30年かけて山のように読んできた論文を学習データとして、AIさながらに勘ピュータを働かせ、緩衝液のちょっとした選択や、イオン強度の考え方、低分子の夾雑物の影響などについて回答するのである。
☆・.
AIは私たちの仕事を奪うのではと言われることがあるが、決してそうはならない。この話題に関してイメージするのは駅員の仕事である。私が大学生くらいまでは、駅員が改札にいて切符を一枚ずつ確認していた。駅員は切符を見た瞬間、乗降駅と金額や日付の正しさを見極め、切符にパチンとハサミを入れる。やがて自動改札が開発されるとこの能力は不要となり、駅員にとって切符切りの仕事はなくなってしまった。
さて、ここで失われたのは駅員の仕事ではなく、切符を切るという仕事が失われたのである。切符の確認は自動改札に任せ、駅員は乗客の安全や利便性を考えたり、電車の整備や駅の環境を整えたりなど、別の仕事をすることができるようになったということである。しかし、仕事がなくなったからといって、かつての切符切りの仕事が無駄だったのかというと全くそういう意味ではない。昭和の時代の巨大ターミナル駅は、コンマ数秒で切符の正しさを判断できる駅員がいなければ動かなかった。だからこそ、駅員と同じくらい有能な自動改札が開発されたのである。
☆・.
タンパク質の研究は、分子レベルではAIがほとんど解決してしまった。自動改札ができたようなものである。だから名人芸のように切符を切っていたタンパク質分子の研究者は、その仕事は自動改札に任せ、さらに先に向かうことができるようになったのである。例えば、理学的にやっていくなら、まだAIには解けない天然変性タンパク質や膜タンパク質など難しい実験をするか、液-液相分離や凝集のような状態変化の理解を目指すかということになるし、工学や医学に展開するのなら、タンパク質の設計や構造解析をAIに任せ、ナノ素材や創薬の可能性を探るということになる。
近い将来、タンパク質分子よりもひとつ上の階梯にあるタンパク質溶液の系もAIが理解できるようになる。そのとき、タンパク質溶液の研究をしている私の仕事がなくなるのではない。先に進むことができるのである。タンパク質の凝集や相分離の制御法は、10年後にはAIに考えてもらえる。そうすれば、20年後には酵素の連続反応をさせる実験系をAIにデザインさせ、これまで合成が不可能だった物質を作れるようになるだろう。30年後、40年後。その頃にはAIが次世代のAIを開発し、それが果てしなく続き、人間を完全においてけぼりにしながら生命も宇宙の果ても素粒子の中も見通すようになるのだろう。
『現代化学』2023.8「セキララかがく」の原案
牛乳の入ったコップにコーラを注いでみよう。ちょっと背徳感のある実験だ。混ぜるとすぐに灰色の凝集体が現れ、それらが泡によって動き回るのでかなり気持ち悪い。しばらくすると濁りが沈んでいき、上相には透明な液体が残る。これはYouTubeでも人気のネタで、若い頃のヒカキンの動画など実に900万回以上も再生されているほどである。ちなみに飲んでみると確かに牛乳とコーラを混ぜた味なのだが、特に沈殿の方はなかなかの味がする。
牛乳の主成分はカゼインミセルと呼ばれるタンパク質とリン酸カルシウムの集合物である。4種類あるカゼインはいずれも天然変性領域を持っているため、最近では液-液相分離した状態ではないかという仮説も提唱されている。要するにかなり柔らかいのである。では、牛乳がコーラによって凝集するのは、牛乳にお酢やレモンを入れると固まるのと同じように、カゼインミセルが酸性によって壊れて凝集するからだろうか? この謎に科学的に迫ったのがF君である。彼は高校生の頃にSSHの研究テーマとしてこの実験に取り組みはじめ、東大に進学後も実験室を間借りしながら研究を続け、大学院で筑波大の私の研究室に来てからもこのテーマに取り組んだ。まるで青春を捧げてきたようなものだが、この成果が面白いので少し共有してみたい。
☆・.
横軸にコーラの濃度を取り、縦軸には溶けているカゼインの量を図示すると、コーラの濃度が高くなるほどカゼインが凝集することがわかった。これはYouTubeで再現されている映像と同じである。しかし不思議なことに、さらに高濃度のコーラを加えるとカゼインが沈殿しなくなったのである。つまり、この沈殿は単にカゼインが酸変性して凝集しているだけではなさそうなのである。
彼はペプシコーラの成分表を何とか見つけ出し(噂どおりコカコーラの成分表はどこにも見つからなかったそうだ)、成分の中に含まれているポリリン酸という食品添加物が鍵になるのではないかと(いろいろな試行錯誤の末に)見当をつけた。そこで実際に、コーラの代わりにポリリン酸の濃度を変えたときのカゼインの凝集を調べると、コーラと同じ挙動が再現できたのであった。このように、ある物質を加えていったとき、分散状態から沈殿状態を経てふたたび分散状態になるような1相→2相→1相の挙動をreentrant condensationという。
ちなみに酸性にするだけではカゼインは沈殿しない。また、中性ではポリリン酸を加えてもカゼインは沈殿しない。つまり、コーラ牛乳の沈殿は、乳酸による酸変性によって作られるヨーグルトとは違い、いわゆるタンパク質高分子電解質複合体の形成によって等電点沈殿していたというのが真相であった。
☆・.
リン酸は細胞内にありふれた物質で、10 mM程度はあるとされる。ATPがADPに加水分解されるときに出てくるあのリン酸である。そのため多くの酵素反応に関わり、シグナル伝達タンパク質がリン酸化されるなど、生体内でもいろいろな役割がある。リン酸が結合して多価になったポリリン酸も、細菌からほ乳類の細胞にいたるまで普遍的に存在しており、飢餓になった酵母の細胞内にはポリリン酸が乾燥重量の10%も蓄積するという報告もある。ポリリン酸に関する生命科学の研究を調べてみると、大腸菌のヘテロクロマチンの形成を促したり、神経変性疾患の患者の中枢神経細胞にポリリン酸が蓄積していたり、試験管内でのアミロイドの形成を促進させたり、ポリヒスチジン領域を持つキナーゼや転写因子と相互作用したり、いわば相分離メガネが必要となる論文がいくつも発見できる。
このような過程で、研究室のメンバーは物理化学の概念であるreentrant condensationや、カゼインミセルの相分離仮説、ポリリン酸の相分離生物学的な面白さまで視点が広がったが、これがYouTuberにも活用できる情報になるだろうか?
原著論文「Reentrant condensation of a multicomponent cola/milk system induced by polyphosphate」
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S259015752400052X
『現代化学』2021.7「セキララかがく」の原案
競馬の予想に凝っていた時期がある。土日には競馬場に行き、月は復習、火水木がアルゴリズムの改良、金には競馬新聞を買ってきて予想をして土日を迎えるというように、使える時間のほとんど全てを費やしていた頃もあった。
本気でやってみようと思ったのは金儲けだった。競馬はパリミュチュエル方式で、儲けるためには勝ち馬を探すのではなく他人より優れた予想をすることが目標だから、勝負の相手は実は競馬場にいるおっさんたちだと考えたのである。競馬場に集まる人たちを見渡してみると、週末の楽しみにビールを飲みながら過ごしているような人もいるし、多勢で騒いでいるような若者たちもいて、本気度がそう高くない人もかなりいる。かたやこちらは大学准教授(当時)である。タンパク質の研究でピカピカに鍛え上げたこの頭脳を使えば、上位1割くらいには優秀な法則を導ける。本気を出せば中山競馬場で1番にもなれるだろう。これは大儲けできる、そう気づいたのであった。
『競馬ブック』を毎週買って最新情報を把握し、近所の大きな本屋に並んでいる予想本も全て目を通した。中央競馬場の全てのレコードタイムを憶え、血統から距離の適正を見抜き、荒れるレースの特徴から「2頭出しは人気薄を狙え」といった格言まで、あらゆる視点から予想法を検討した。4000レース分の情報から多様な因子を取り出し線形判別分析もした。法則を探し出すことはまさに科学であり、そういう意味での面白さもあった。こうして中山競馬場に2年くらいは通ったのだが、果たして最後まで儲けることができなかったのである。ここまでやってもなぜ競馬場のおっさんたちに勝てないのだろうか?
. 。・★
競馬というのは1番人気の馬の勝つ確率が最も高いことが知られている。次いで2番人気、3番人気と最低人気まで続く。つまり言い換えれば、競馬場に集うおっさんたちの全体は、走る前から未来が読めているのだ。何ともすごいものだが、ではなぜおっさんの全体はすごいのだろうか。
馬券の予想は多様で自由である。お気に入りの騎手からいつも買ったり、ラッキーカラーだと信じている赤枠の3番をからめて買ったりといった怪しい予想もあれば、雨が降っているので逃げ馬が有利だとか、開催の後半になって内側の芝が荒れているので追い込みが届くとか、さも正しそうな予想もある。競馬新聞の印通りに本命を買うとか、好きな馬の応援馬券を買うとか、並べるときりがない。要するに、馬券になった予想は、完全に無意味なものもあれば当たりそうなものまであるが、全体的には無意味な情報が相殺しあうことで、結果的に意味のあるカケラが浮かび上がってくるのである。
こうして長い目で見れば、きわめて高い精度で1番人気の馬の勝つ確率が最も高くなる。競馬場のおっさんは、ひとりずつは(僕も含めて)平凡なものだが、おっさんの全体は未来を正しく見通す神となる。すなわち、『「みんなの意見」は案外正しい』という題名の本があるとおり、おっさん全体にはそもそも理論的に勝てないのである。そう気付いてからは、馬券に対する熱がいっぺんに冷めてしまい、土曜の空いている直に競馬場に行ってパドックでサラブレッドのあの美しい姿を間近で見て、フードコートの翠松楼のラーメンを食べたり、G1レースがある日曜日にテレビで見たりすることが楽しみになってしまった。
. 。・★
この話を思い出したのには理由がある。学生たちとタンパク質フォールディングの理論の論文を輪読していたとき、レビンタールのパラドックスとは実は競馬場のおっさんと同じことを言っているのではないかと気づいたのであった。タンパク質は、膨大な構造空間からひとつの天然構造を探し出す。例えば100個のアミノ酸からなる小さなタンパク質があったとして、それぞれのペプチド結合が10通りの角度だけを取れるとしても、10の99乗という天文学的な構造が存在する。それにもかかわらずタンパク質は天然構造へとパッとフォールディングするのだ。この謎は今も解決されていないが、競馬場のおっさんが神になるというこの理論と同じなのではないかと気づいたのだ。AlphaFoldなどのAIが、物理法則抜きにタンパク質の構造を予想しているのもこうやってるんじゃないか。このひらめきが本当なのかは、追って検証してみたい。
『現代化学』2014.11「セキララかがく」の原案
漢字は象形文字である。「白」は白骨化した頭蓋骨の形、「見」は人がひざまづいて何かをじっと見つめる形、「身」は妊娠して腹の大きな人を横から見た形である。あらためてこの事実に目を向けるようになったのは、白川静先生の一連の著作を読んだあとのことである。
はじめに衝撃を受けた字に「道」がある。この字形は、異族の生首をたずさえ、呪禁を加えながら行軍していた姿をあらわしたものである。このような説明を読んでしまうと、もう「道」はこれまでの「道」ではない。生首の形の「首」が、しんにょうの形の道を行くのだ。
「家」も印象深い文字だった。家の形をあらわすうかんむりの下に、犠牲として殺された犬が埋められた形である。ここにも死があった。「教」も怖い形で、左側の字形にある校舎にまなぶ子弟たちを、長老たちが鞭打つ光景なのである。漢字とはかくも生々しくできている。
白川漢字学は、漢字を形から統一的に解釈するのが特徴だ。例えば、「口」は「サイ」と呼び、顔にある口ではなく、神に捧げる祝詞をいれる器であると見なした。よって「歌」は、口がたくさん並び歌っているような楽しげな様子などではない。祝詞の器を枝で打つ人が神に祈っている姿になる。この「口」に一線を加えた「曰」は、器に祝詞が納められた形であり、神がおとづれかすかな音をたてたとき、それが「音」になる。
★ .
漢字は3千数百年前の殷王朝のある時に一挙に発生したといわれる。それと同時に東アジアの文明が芽吹いた。古代文明にはさまざまな象形文字があったが、今もなお残されているのは漢字だけである。私たちがふだん使っている文章は、文字の組み合わせである意味を表現したものだが、その文字の一字一画に神話の面影が色濃く残されているのだ。
詩人の伊藤比呂美さんが、「筆先がしなって字が表れるたびに、ここで人が死んだ、ここでも殺された、その屍体をこうした、ぜんぶ覚えているぞと字が証言する」と漢字の世界を表現したように、一画の起筆や転折に意を払って手書きしてみると、その字画のいちいちに、神に祈り、呪い、殺し、生贄にした原初の日常の気配が感じられる。科学技術文明にあって、思考のインフラである文字の奥には神々がいたのだ。何とも言いがたい不思議なものを感じる。
★ .
白川先生は従来の学説によらない孤高の学者であった。後漢の許慎がまとめた最古の字典『説文解字』を聖典のようには扱わず、20世紀に入って発見された殷王の陵墓から出土した甲骨文や金文にあくまでも立ち返り、自らの手で本来の字形を整理していった。実に三万片もの卜片を全て手写したらしい。こうして漢字とともに、中国と日本の文化の発祥を大胆に再現する。司馬遷の描いた孔子像にすら注文をつけたのは有名な話だ。
立命館大学で研究に没頭されていた白川先生が、研究成果を一般書として岩波新書から世に送り出したのが還暦を迎えた60歳のことだった。この不朽の名著『漢字』のあと、『孔子伝』『中国の神話』『初期万葉論』などの一般書を次々に著していった。このような愛好家に向けた著作がなければ、当時の学説に外れた独立独歩の論文など、専門家にすらも読まれず再び埋もれてしまっていたかもしれない。
「私に残された時間は、もうそれほど豊かではない」と字書の編纂をはじめたのが73歳のころであった。字源や字形の研究成果を系統化した『字統』を皮切りに、日本文化の源流にある漢字の国字化の過程を整理した『字訓』を出版し、最後に用義法を中心に辞書的にまとめた『字通』に至ったのが86歳だった。この成果はニーチェの業績にも比すると梅原猛さんが絶賛していたが、それ以上なのだろう。なにせただ一人で人類の思考の発生の現場を再現し、首尾一貫した文字の理論を組み立て、字書までを編纂したのである。そして、96歳で亡くなる直前まで講演をして著作を執筆していたという。学者としてそびえ立つ巨大な背中である。
『現代化学』2014.6「セキララかがく」の原案
ぽつぽつと論文を綴っていると、とても満たされた気持ちになる。自分が今、科学の言葉を介して世界とつながっているのだという、存在の根源的な肯定感が得られるからだろう。もちろん実験も楽しい。きれいなデータが取れたり思わぬ発見があるのも楽しいことだし、一流誌に採択されたり、講演で拍手をもらったり、予算がついたりするのもある種の醍醐味である。しかし、科学にたずさわる人にとって特別な時間は、論文の言葉を綴るその時にあると思っている。
深夜、静かな大学の居室でひとり書きものをしていると、こんなシーンをふと思い出す。歴史小説家の宮城谷昌光に、『沈黙の王』という短篇がある。のちに殷王朝・第22代帝になる子昭は、生まれつき言葉が出なかったので放逐されてしまう。やがて、艱難辛苦の末に言葉を得て帰ってくるという貴種流離譚だ。はたして子昭が得たものは、発話して消えていったこれまでの「言葉」ではなく、書き残すことができる「文字」だった。森羅万象から抽き出した形象は、万世の後にも滅びぬ天意になった。その子昭が、言葉を探す旅の途中で鳥の足跡を見る。雪原に舞い降りた赤い足の鳥。その鳥の足跡の美しい線が、雪の上に続いていく。この鳥の足跡の場面は、古代中国で「文字」を発明したとされる蒼頡の伝説として、淮南子にも残されている。文字を紡ぐことのアーキタイプにふさわしいシーンである。
書くということは、自分の頭の中に完成している文章をプリントアウトするようなものではない、自分でも気づかなかったものに、書くことではじめて出会うことだとはよく言われる話である。その意味においても、今こうして論文を書いている行為は、文字が天意であった時代の「書くこと」と何ら違いがない。この小説は最後、「高宋武丁のことばは、いまだに甲骨文でみることができる。」と終わるが、どのような論文でも、ここに通じていなければならない、文字の発祥の意味に直結していなければならない。
◆・。
大学院に進む学生は、小さな論文で十分なので自分で書いてみると良いと思っている。物心ついてからずっと続けてきた「学び」が、ここに結実するからだ。実験が上手いだけでは論文は書けない。分厚い専門書を読みこなして理論や専門用語を理解する力がいるし、英語で書かれた多量の原著論文を読んで先達が何を明らかにしたのか見定める力もいる。何より粘り強く文字にしていく力も必要だ。考えを文字にして、文字にしながら考える、書こうとするから既に書かれたものを本当の意味で読めるようになるし、読めると今度は書けるようになる、こういった「読み・書き」の往還、言い換えると過去と現在との往還こそが、私たち人類が獲得した「思考する」という方法なのである。ウィトゲンシュタインが考え尽くして至った結論である。
初論文を書き終えたら、身の丈ぴたりの専門誌に、コレスポンディングオーサーの許可を得て自分の手で投稿してみるといい。その時、エディターへのカバーレターも書いてみて、レフリーとのやりとりも自分でやってみる。そうすれば、科学がどのように成り立っているのかも分かってくるし、科学に貢献できたという喜びも得られる。
理系の大学院を出たあと研究から離れてしまう学生も多いが、そういう人にこそ、自分で書いて欲しいと思っている。「ピアレビューに耐える原著論文を自分で書ける」という科学リテラシーは、掛け値なく本物である。理系の大学院教育は、ここで完成する。
◆・。
正しい手順を踏んで正しく書かれた論文は、どんなに小さな成果であろうが等しく価値がある。そう思って実験をし、先達から学び、そう思って論文を書くべきである。科学論文の執筆は、赤い足の鳥が足跡を一歩一歩残すシーンのように、混沌の世界から秩序を引き出し記すことに等しい。殷朝の帝がはじめて甲骨文字を刻んだ時から連綿と続いている、世界にひそむ真実との交感なのである。
『現代化学』2018.11「セキララかがく」の原案
学生と毎朝論文を読んでいる。朝輪(あさりん)と名付けている。セキララかがくの古くからの読者の方はとっくにご存知だと思うが、あらためて朝輪について紹介してみたい。教育効果は抜群に高く、研究室に配属された学生は1年後には自分で原著論文を書けるようになる。そうなりたい学生は多いだろうし、そういう学生を育てたいと願ってやまない教員も多いと思うが、実は必要なコストはほぼゼロ、毎朝30分の時間と、ちょっとかさむプリンターのトナー代くらい。いいことずくめの仕組みなのだ。
やり方は簡単で、朝9時に院生室にある円卓のまわりに集まり、30分で論文を読むというものだ。お盆と正月の2週間を除いて、講義や出張のない人は毎朝集まる。歯磨きをして顔を洗うのと同じルーチンである。
。 ☆.
論文1本を読み切る場合、要旨を2人で半分ずつ読み、和訳もしながら概略をつかんだあと、イントロはパラグラフひとつを10秒ほどで誰かが速読し、結果は1人が図1つの内容を読み取り必要ならば文章に戻るなど、参加者全員の目と頭と口で手分けして読んでいく。一方、執筆中の論文を朝輪の題材に使うときには、査読を兼ねて丁寧に音読をしながら、英文の正確さや論理の構成、引用文献の妥当性など、皆で意見を出し合う。こういう批判的なプロセスは、私にとっても勉強になる。総説を読むときはまた違い、パラグラフひとつを英語でざっと音読したあと、別の人が内容を要約し、別の人がコメントをして、どんどん進むスタイルがいい。私が日本語で書いた解説を投稿する前に読んで意見をもらったり、半世紀も前の偉大な論文を味わって読んだり、いろいろと工夫すると楽しめる。
。 ☆.
4月はまず、研究室から出た新しい論文から遡って20本くらい読んでみるといいだろう。配属されたばかりの4年生にとって、最近の成果や、研究室にある測定装置、ゼミで飛び交う専門用語など、今まさに必要なことを説明してもらえるからだ。院生になれば内容はほぼ知っているので、論文の書き方に集中して読めるのが利点だ。
5月以降は原著論文を1本読み切る形が多い。そのとき月曜日から金曜日まで5本セットで同じ研究チームの論文を選ぶといい。専門用語や測定方法、論理構成などに共通点が多いため、5本目にもなればパラパラ見るだけでだいたい読めてしまうだろう。こういう感覚を得るのも面白い。自分たちの分野にぴったりの最新の総説は全員の知識の底上げになるし、液-液相分離のような新分野の論文を読むと、科学の分野の誕生がタイムリーに実感できる。
。 ☆.
4年生は予習をした方がいい。要旨を読んで図表くらいは見ておき、専門用語も少しは調べておく。最初はひとりで何時間かけてもわからないことばかりだが、朝輪が終わればすっかり理解できてしまう。これを毎日繰り返せば急速に知識も増え、学び方も身につくので、半年もすれば予習はほぼ不要になるだろう。復習も重要で、4年生は私と「感想戦」をする。重要なポイントを振り返り、理解しにくかった点や理解できた内容を言葉で表現してもらう。このとき、覚えておくといい専門用語や、孫引きして読むとよい論文、自分の実験との関連など、目の付け所のヒントを出す。この10分の復習が最上の学びになる。
これを毎朝やれば学生は一気に育つ。大学4年生になるまでの学びが研究室で一気に花開くようなものだ。去年は修士卒の3名とも2本以上の論文をファーストで書いたから、こうなれば教員は楽である。投稿論文のレフリーへの応答から後輩の研究テーマの立案まで、一人前の研究者と同じことをやってくれていた。修士論文も査読を受けた論文がベースなので、赤ペンを入れる余地がない。大学院とはそもそもこういう学生が育っていく場である。
。 ☆.
朝から学生と一緒に懸命に論文を読む時間は、教員にとっても貴重な時間で、ゼミとはまた違って純粋に科学にたずさわる幸せを感じられるものだ。ぜひ皆さんもお試しください。
参考・M1で論文を書く研究室の運営 (生物工学会誌)
https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/9711/9711_career_academia_1.pdf
『現代化学』2018.1「セキララかがく」の原案
ジョージ・ホワイトサイズ博士は、質の高い論文数の指標となるハーシュ指数で世界一とされる著名な科学者である。彼の書いた出版物のなかで最も有名なものは、何千回も引用されている優れた学術論文ではなく、『Whitesides' Group: Writing a Paper』かもしれない。30年ほど前に研究室のメンバーに向けて書かれた論文執筆マニュアルだ。たった3ページに科学と論文の本質が凝縮されている、知る人ぞ知る科学の奥義伝だ。
。 ★ .
最初の200ワードが強烈である。論文にならないようなものは研究ではない、興味深いが論文になっていなければ、それは存在しないものに等しいのだと、ただ漫然と実験だけしてしまうような私たちの態度に強い口調でお灸を据える。研究の目的は、仮説を検証して結論を出すことであって、実験そのものが目的ではないのだと強調する。Your objective is not to "collect data".
では何をするといいのか。ホワイトサイズは「アウトライン」を特別な用語として使って説明する。データが出るたびに論文の構造を構築しなおし、全体の中で常に位置づけなさいという。すなわち、今まさに進行中の研究をプランニングするために、論文の構造を使うわけだ。論文は研究が終わってから書くものだが、研究の最中にも活用せねばならない。ここが重要なポイントである。A paper is not just an archival device for storing a completed research program; it is also a structure for planning your research in progress.
。 ★ .
先日、理研のPIが、きれいなデータは出せるが論文を書けないポスドクが増えているとぼやいていた。そういう人たちを「Figure 1コレクター」と呼ぶのだと言っていたが、確かにそういう傾向はあるだろう。ポスドクを雇えるようなラボは裕福で、高価な測定装置もあるだろうし、その装置で得た貴重なデータを欲しがる共同研究者とのつながりも増えていくだろう。実験データを出すことが面白くなっていくのもわかるが、そればかりでは研究者になっていけない。
Figure 1コレクターなどと呼ばれる不名誉から脱し、自立した研究者になるためには、ホワイトサイズの考えを理解し実践することが不可欠である。「2.3. The Outline」に整理されているように、論文アウトラインの構造を理解し、そして論文アウトラインを研究のための思考の「型」として使うこと。それができるようになる方法を身につけることである。You should write and rewrite these plans / outlines throughout the course of the research.
。 ★ .
正しい手順で得られた実験データは常に正しい。それ以外が変わるのである。結論も変わりうるし、研究の背景や仮説も変わっていい。むしろ、目的ありき、結論ありきが科学の歪みを生む。編集する側は実験データではなく、データの手前に置かれるイントロダクションと、後ろに置かれるコンクルージョンなのだ。そのために、研究が終われば当初の予定とは全く違ったものになることもあるが、科学とはそういうものだと、世界で最も優れた科学者がいうのだから、いろいろなことを考え直してみたくなる。Much of good science is opportunistic and revisionist.
世界一の研究室を主宰してきたホワイトサイズの教育指針は、きわめて正論であり真っ当である。論文はデータを取り終えてから意識するものではなく、研究しながら常に科学のプランニングに活かす。論文の型は科学の思考の型だからである。ここにフィットしないものは、科学ではない。この考え方を凝縮すると、やはり最初の文章に戻るように思う。実験が楽しくて科学の道に入ることが多いが、そこを抜けてこの文章の意味が腑に落ちてからが本当のスタートである。"Interesting and unpublished" is equivalent to "non-existent".
。 ★ .
なお、この貴重な奥義伝は、一子相伝ではなくハーバード大学の公式サイトにアップされて世界中に公開されているので、誰でも読むことができます。まだ読んだことのない方はぜひご一読を。